蚕起食桑その二 やままゆ

『雨の中の餌探しなぞ真っ平御免と思っておったが、うまい具合に与太郎の奴がやって来おったわ。餌は奴に探させて、わらわは座敷でのんびりと書に親しむとするかのう』


 雀のヒナを拾って以来、初めての本格的な雨です。朝からずっと重かった恵姫の気分も、与太郎が来たことによって一気に軽くなりました。


「でも、濡れるのやだなあ。泥だらけになりそうだし。あのう、僕の根性を鍛え直すならもっと別の方法はありませんか」


 これまで恵姫の機嫌を取るために、逆らわず、平身低頭、いつも笑顔、の三原則を心掛けていた与太郎も、さすがにここは文句を言ってしまいました。当然の如く恵姫お得意の脅しがやって来ます。


「ほう、やりたくないのか。構わぬぞ。その代わり昼も夕も飯は抜きじゃ」

「そ、そんな!」

「働かざる者食うべからずと言うであろう。餌を取らぬお主に食わせる飯などない。それからここは奥御殿、男子禁制の場。すぐに立ち去り表御殿へ行ってもらう。今頃は雁四郎が素振りをしておるであろうな。与太郎、お主も雨の中、雁四郎と共に素振りをすることになろう。さあ、どちらにする、素直に餌を探すか、雨の中素振りをして空きっ腹を抱えるか」


 与太郎の情けない顔がますます情けなくなりました。そうです、この城にやって来て恵姫に逆らえるはずがないのです。全ては無駄な足掻きでした。


「分かりましたよ。探します。頑張って沢山取ってきます。その代わり昼と夕は食べさせてくださいね」


 観念した与太郎を前にして満足顔の恵姫です。すっくと立ち上がると物入れから油紙を取り出して来ました。


「今日は雨ゆえ、探した餌はこれに包んで参れ。ああ、それからその足袋は脱いでいくようにな。股引も裾をまくって行け。びしょ濡れになってしまう」

「靴下を脱いで、まさか裸足で探せって言うんじゃないでしょうね」

「心配せずともよい。草履と蓑と笠を貸してやる。さあ、玄関に行くぞ」


 本来なら雨具の支度は女中にさせるのですが、与太郎にかまっていられないくらい今日は忙しいのです。その辺りの空気は読める恵姫、女中に手間を掛けさせず自分で雨具を用意することにしました。

 与太郎と共に座敷を出て玄関に行き、土間の物置を探る恵姫。


「おお、あったぞ。ほれ草履、それから蓑、笠、おや紙合羽もあるのか。これは与太郎には勿体無いな」

「あ、あの、そこにある傘も貸してくれませんか」

「何を贅沢な事を言っておる。この和傘は父上専用じゃ。わらわでさえ使ったことはないのじゃぞ。ほれ、今渡したもの、早く身に着けよ」


 どうやら普通の傘はこの時代では高級品のようです。仕方なく傘は諦め、与太郎は笠をかぶり、蓑を羽織り、草履を履いて油紙を手に持ちました。


「こうして着てみると意外に安心感があるね。ちょっとやる気が出て来たよ」

「その意気じゃ。では頼むぞ。なるだけ沢山取って来るようにな。ああ、それからお主が来た時には必ず表御殿に知らせることになっておる。餌を探すついでに知らせて来てくれ」

「はい、頑張りますっ!」


 恵姫の見送りを受けて与太郎は雨の中へ出て行きました。


「まあ、幾ら役立たずの与太郎でも手ぶらで帰って来ることはないじゃろう」


 食い物への渇望がどれだけ人間を駆り立てるか、恵姫はよく分かっていました。食う事、それは人間だけでなく全ての生物に共通する本能のひとつ。餌を集めなければ半日の間何も食べられないのですから、与太郎も真剣にならざるを得ないのです。


「これで心を落ち着けて書を堪能できるのう」


 座敷に戻った恵姫は畳の上に寝転がると、再び絵草紙を広げました。磯島に取り上げられた二冊の書に勝るとも劣らぬ内容です。腰の痛みも忘れて読みふける恵姫。しかしその至福の時は長くは続きませんでした。


「ピーピー」


 鳥籠の子雀が鳴き始めたのです。どうやらまたも腹が空いて来たようです。最初は無視して書を眺めていた恵姫も、次第にイライラしてきました。


「ああ、もう喧しいのう。さっき食わせてやったばかりではないか。今、与太郎が餌を集めておるから少し辛抱せい」


 辛抱せいと言われて大人しくなるはずがありません。おまけに鳴くだけでは物足りず翼をバタバタ羽ばたかせ始めました。先日ほんの僅かながらも空を飛んだことで、翼を動かす楽しさを覚えてしまったようです。


「こりゃ、やめんか。羽毛が座敷に飛び散るであろうが」


 やめんかと言われて羽ばたくのをやめるはずがありません。ピーピーバタバタと以前の倍の騒がしさです。怒った恵姫は物入れから風呂敷を取り出すと、それを鳥籠にかぶせ、その上に座布団を乗せました。幾分静かになった気はするものの、これでは気が休まりません。


「仕方ないのう。少し早いが与太郎を呼び戻して、これまでに集めた分の餌を此奴に与えるとするか」


 恵姫は障子を開けて縁側に出ると与太郎に呼び掛けました。与太郎は雨の中、急いでこちらにやって来ます。


「何か用? もしかしてもう集めなくてよくなったの?」

「何を寝惚けた事を言っておるのじゃ。そんなはずがなかろう。お主には昼飯までみっちり餌集めをしてもらうつもりじゃ。どうせ他にやる事も無いのじゃからな。それより油紙を出せ。どれくらい集めたのじゃ」


 まだお役御免にはならないと分かり、がっかり顔の与太郎です。それでも素直に油紙を渡しました。


「ふむふむ、ミミズに天道虫にアメンボ、ナメクジか。結構集めたではないか。おや、これは……」


 恵姫は一匹の青虫を骨抜きで摘まみました。くねくねと体を捩っています。


「珍しいのう、山繭やままゆではないか。この山にこんな虫が住んでおったとはのう。これを子雀に食わすのはちと惜しいな」

「ヤママユってかいこのことですか」

「野生の蚕じゃ。繭からは糸が取れる。中庭には栗の木が植わっておるからのう。その葉を食ってここまで大きくなったのじゃな」


 与太郎はまじまじと山繭の幼虫を眺めています。どうやら初めて目にするようです。


「そんなに珍しい虫なら飼ってみればどう。繭から糸が取れれば儲けものだし」

「生き物を飼うのは簡単なことではないぞ。昔、庄屋が試しに蚕を飼ったことがあったのじゃが、餌となる桑の栽培、蚕の世話、繭からの製糸など、とても片手間でできる代物ではなかったようじゃ。おまけに絹など作っても、華美な装束を禁止されておる百姓には全く無縁のもの、銭が手に入るだけ。それならば綿を栽培した方が良いと、一度限りでやめてしまった。この山繭も元の栗の木に返してやろう。自然に任せてもし無事に繭が出来ておれば、その時に糸を取ればよい」


 せっかく見つけたのに、なんだか勿体無い気がする与太郎です。それでも恵姫の言うように、糸が取れるまで世話をし続けるのは、やはり大変なことなのでしょう。

 恵姫はもう一枚油紙を持って来ると、山繭の幼虫以外の虫を全て移して、元の油紙を与太郎に渡しました。


「ほれ、もう一度集めに行って参れ。山繭は雨の当たらぬ場所に戻しておくのじゃぞ」


 ここは少し休ませてあげるのが人としての温情というものでしょうが、そんな気配りは微塵も見せない恵姫です。鬼の如き人使いの荒さと言えましょう。油紙と幼虫を受け取った与太郎は、諦め顔で雨の中へと歩いて行きました。


「待たせたな、餌をやるぞ」


 座敷に戻った恵姫は座布団と風呂敷を取り除き、鳥籠の扉を開けました。


「ややっ!」


 開けた途端に子雀が鳥籠から飛び出して来ました。素早く油紙の上に舞い降りると、そこに散らばっている餌を勝手に啄み始めました。


「ほほう、骨抜きを使って食わせる手間が要らなくなったか。そろそろ鳥籠から出して放し飼いにしても良い時期かもしれぬのう」


 一人で餌を食べる子雀を眺めながら、子の成長を喜ぶ親の気持ちがなんとなく分かった気がする恵姫ではありました。

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