蛙始鳴その四 危険な二人

「めぐちゃ~ん、今日は忙しいんだよ~」


 庄屋の屋敷は予想通りの騒がしさでした。昨日は雨がぱらつく天気だったこともあり、庭には着物、布団、布、その他などなどが、干せる物は全て干してしまえと言わんばかりに竿にぶら下がっています。


「おう、黒。元気そうではないか。本日は衣替えで大騒ぎのようじゃな」

「そうだよ~、毘沙ちゃんは全然役に立たないしね」


 縁側で着物をまとめている黒姫の横で、毘沙姫は呑気に寝そべっています。どうやら食後の昼寝のようです。力仕事なら百人力の毘沙姫も、細々した仕事には興味すら示さないのでしょう。


「毘沙姫様のあの姿、恵姫様そっくりですな」

「何を言っておる、わらわは縁側で寝るような真似はせぬ。どんなに温くても風に当たれば体に障るからのう」


 いや、寝ている事ではなくて、他人が忙しくても平然としていられる所が似ているのです、と言いたかった雁四郎ですが、勿論、何も言いませんでした。


「めぐちゃん、今日は遊んでられないよ~。また別の日に来てくれない」

「案ずるな、黒よ。遊びに来たのではない。今日は衣替えの日じゃが、他にも大切な事があろう。ちと考えてみよ」

「大切な事?」


 黒姫は手を止めて考え始めました。空を見上げ、遠くを見遣り、地面に視線を落とし、そこでようやく気付いたようでした。


「ああ、あれね。じゃあ、ちょうだい、めぐちゃん」

 黒姫が手を差し出します。その手に恵姫は油紙から取り出した文を乗せました。

「ふふ、何が書いてあるのかなあ~」

 黒姫は紙を広げました。魚の絵が描かれています。


「えっと、これは魚じゃないよね、もしかして、海豚?」

「惜しい、鯨じゃ。されど、よく魚ではないと見抜いたな。さすがは我が従姉妹である。褒めて遣わすぞ」


 恵姫は黒姫に対しては海豚か鯨のどちらかしか描かないので、適当に答えても二度に一度は正解なのです。


『こんな事で褒められてもあんまり嬉しくないなあ』

 と思いながら黒姫は先を読み始めました。こんな事が書かれています。


『黒よ、いつも美味い菓子を作ってくれて感謝しておる。麦と米を使った菓子はとても美味いが、魚の干物を使った菓子もきっと美味いに違いない。今度、クサヤを使った菓子を作ってくれぬか。伊瀬への旅ではお福の為に熊を呼んでくれて感謝しておる。今度はわらわの為に鯨を呼んでくれぬか。美味いと評判の鯨の尾の肉は黒に食わせてやってもよい、半分だけじゃがな。あらあらかしこ』


「コツン!」


 黒姫の小槌が恵姫の頭に振り下ろされました。拒否の意を込めた鉄槌のつもりのようです。


「これ、小槌で返事をするのはやめよと、何度も言っておるであろう。幾つになっても幼子のような真似をしおって」

「めぐちゃんだって、小さい時から鯨を食べたいって書き続けているじゃない。大きくなったんだから、もっと別の事を書いたらどうなのかなあ~」


 そう言いながら二人は顔を見合わせて笑いました。これは毎年四月一日のこの日に何度も繰り返してきた、二人の遊びでもありました。


「でも、ありがとね。やっぱり文って貰うと嬉しいよ。手渡しだと特にね」


 黒姫は読み終わった文を丁寧に折り畳むと懐に仕舞いました。それを見届けた恵姫は、縁側で寝ている毘沙姫の頭を叩きました。


「ゴツン、ゴツン!」


 拳骨で叩いています。因みにこれは黒姫の真似です。


「ん、何だ、お茶の時間か」


 むくりと起き上がる毘沙姫。眠そうな顔をしているので本当に熟睡していたようです。こんな板敷の縁側なんかでよく眠れるものだと、雁四郎は感心してしまいました。


『いや、旅から旅への日々を生きておられる毘沙姫様のこと、きっと神社に泊まれない時もあったことだろう。となれば野に伏して一夜を過ごすくらいは当たり前。むしろ板の上は寝心地が良い場所なのかもしれぬ。拙者も来るべき諸国行脚に備え、如何なる場所でも眠れる体を作っておかねば』


 毘沙姫の寝姿を見ただけで旅情の想いに駆られる雁四郎です。そんな雁四郎の熱い視線には全く気付く様子もなく、毘沙姫は大きな欠伸をしました。


「ふあ~、なんだ、恵に雁四郎か。何か用か」

「そうじゃ、用があって来たのじゃ。ほれ、受け取れ」


 恵姫は油紙から文を取り出すと毘沙姫に差し出しました。それを面倒臭そうに手に取り、のそのそと紙を広げる毘沙姫。魚の絵が描かれています。


「ふ~ん、金目鯛か。煮付けにして食いたくなるな」

「おお、さすがは毘沙。よくその字が読めたな」


 黒姫も雁四郎も驚いて息が止まりそうになりました。あの恵姫の魚の『字』を読める人物がこの世に存在するとは、とても信じられなかったのです。

 二人は頭がぶつかるのも厭わず毘沙姫の文を覗き込みました。下手くそな魚の絵です。二人が受け取った文に描かれていた絵と、ほとんど違いはありません。


「毘沙ちゃん、よく金目鯛って分かったねえ~、凄いよ」

「凄いも何もキンメだろ」

「いや、金目鯛と言われてもこの魚、やはり金目鯛には見えませぬ。これの一体どこがキンメなのですか、毘沙姫様」

「どこって、どこをどう見てもキンメだろ」

「そうじゃ、明らかに金目鯛である。分からぬ黒や雁四郎の目が節穴なのじゃ」


 威張っています。魚の『字』を読めた人物が居たことで、恵姫の鼻は相当高くなっています。どうして毘沙姫には読めたのだろう、そう思いながら、雁四郎は恵姫と毘沙姫を見比べました。


『この二人、食い意地は張っているし、気位は高いし、行儀は悪いし、暇があればゴロゴロしているし、心の底で気脈が通じ合っているのかも……』


「なんじゃ、雁四郎、毘沙の顔をジロジロ見おって。もしや惚れたか」

「ご、御冗談を。拙者よりも年上ではありませぬか。それにそんな事を言われては、毘沙姫様も気を悪く致しますぞ」

「いや、何とも思わん」


 全く気に掛ける様子もなく、毘沙姫は文の続きに目を通しました。こんな事が書かれていました。


『毘沙よ、先日は瀬津の襲撃からわらわや厳左を守ってくれて感謝しておる。このまま旅に出ることなく間渡矢に留まって、わらわの警護に当たってくれれば更に有難く思うぞ。黒の野良仕事を怪力で助けるそなたの心意気は実に見事である。大きな声では言えぬのじゃがな、間渡矢城では密かに島羽城侵攻計画が進んでおるのじゃ。まあ、あの程度の城、わらわ一人で簡単に落とせるのじゃが、毘沙の怪力が加われば、これほど心強いことはない。どうじゃ、共に島羽城を攻め落とさぬか。あらあらかしこ』


「ほう、島羽城攻略か。いいな。考えただけで腕がむずむずする。準備ができたら呼んでくれ。どんな遠くからでも駆けつけてやる」

「おお、さすがは毘沙じゃ。頼みにしておるぞ」


 雁四郎の顔が青くなりました。毘沙姫の文に何が書いてあったのか、返答だけで十分見当が付きます。


『駄目だ、この二人、気が合い過ぎている。しかもその目指す方向は余りにも危険すぎる。これだけ強い力を持つ姫が手を取り合って事に当たれば、比寿家を揺るがす事態を招くかも……』


 毘沙姫にはこれまでも度々会ったことのある雁四郎でしたが、ここまで恵姫と同じ思考と嗜好を持ち合わせているとは、今に至るまで気が付きませんでした。丁寧に紙を畳んで懐に仕舞う毘沙姫に向かうと、雁四郎は遠慮がちに言いました。


「あの、毘沙姫様、今は泰平の世なれば、そのような物騒なお考えを口にされるのは如何なものかと、雁四郎は考えるのですが」

「ああ、冗談だ。雁四郎は心配性だな。恵も本気ではない」

「そうじゃぞ、雁四郎。わらわが武力で島羽城を奪おうなどと、そんな大それた事を企むはずがなかろう、ふっふっふ」


 この二人、どこまで本気でどこまで冗談なのか、理解に苦しむ雁四郎ではありました。

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