鴻雁北その四 厳左の相談

 与太郎の長話を聞きながら、恵姫と黒姫はまた顔を寄せ合いました。所々意味不明な箇所はありましたが、どうやら与太郎はお福そっくりの娘『ふうちゃん』にかなり首ったけのご様子です。


「ねえねえ、めぐちゃん。つまり与太ちゃんはお福ちゃんの子孫である『ふうちゃん』に惚れちゃったってことなのかな」

「そのようであるな。つまり、その『ふうちゃん』とやらに引き付けられている気持ちが余りにも強いので、この世に来た時には、心ばかりか体までも先祖のお福に引き付けられてしまっている、という訳なのじゃろうな」


 姫に宿る力は神から授けられた恩寵、その体には神が宿っているとも言えます。つまり姫の体は神の依り代である御神木と同じなのです。与太郎がお福の居る場所へ現れるのは、単に一番思いが強い御神木の近くに現れているだけなのでしょう。


「まあ、なんじゃ。これで与太郎がお福の近くに現れる理由も、なんとなく分かったのではないか、黒よ」

「う~ん、そうですねえ。つまりは愛の力は御神木をも凌駕するってことですかね、めぐちゃん」


 盛り上がる二人に対して、与太郎とお福は互いに顔を見るでもなく、見ないでもなく、気恥ずかしそうに座っています。なんとも思っていなかったお福も、与太郎の告白を聞いてしまっては意識せずにはいられないのでしょう。そんないい雰囲気の二人を眺める恵姫と黒姫は、またぞろ顔をにやにやさせています。


「二人並んで座っていると男雛と女雛みたいですねえ」

「与太郎が雛の節供である今日こちらに来たのは、二人を雛人形に見立てよとの神からの啓示かもしれぬな。これ、お福と与太郎、もっと体を寄せ合わぬか」


 与太郎は嫌な予感がしてきました。このままではこの恥知らずな姫二人に何をさせられるか分かったものではありません。無意識に体が強張ってしまいます。と、そこへ、

「失礼、恵姫様はおられるか」

 縁側の向こうから声が掛かりました。厳左です。助かったと体の力を抜く与太郎。


「なんじゃ、厳左。今日は桃の節供ゆえ、おのこのお主には雛料理も菱餅も分けてはやらんぞ」


 障子を開けて縁側に出た恵姫が、相も変わらず食い意地の張った言葉を厳左に投げつけています。厳左は苦笑いして縁側に腰を下ろしました。


「この年で雛料理になどに興味はない。今日、参ったのは雁四郎のことで相談があってな」

「ほう、相談とな。ならば話してみよ。いや、待て。今日はここに与太郎が来ておるのじゃ。奴に聞かせてもよいのか」

「それは丁度いい。是非聞いてもらいたい。与太郎殿、先日の島羽での働きには深く感謝しておる。改めて礼を言わせてもらうぞ」

「いえ、そんな、礼だなんて」


 与太郎はすっかり厳左に気に入られてしまったようです。こちらの世でどれだけ恵姫の玩具にされても、厳左が味方になってくれれば、それだけで強く生きていけそうな気がする与太郎でした。


「島羽の件についてはまた日を改めて礼をしようと思っておる。さて、相談であるが……」


 こうして厳左が話し始めた内容は次のようなものでした。島羽から帰って以来、雁四郎はすっかり元気がなくなってしまったのです。蟄居は二月いっぱいで終わったというのに雁四郎は部屋に籠ったまま。日課の素振りも厳左との稽古もやろうとせず、一日中書に目を通し、ほとんど喋らず、悶々とした日々を送っているのです。もちろん、城の警護のお役目などできるはずがありません。心配した厳左が屋敷の外へ追い出しても、浜に行って一日中海を眺めて帰って来るのでした。


「雁四郎はこれまで失敗らしい失敗をしてこなかった。それが間違いであったのだ。小さな波を何度も乗り越えて船を進めて行けば、大きな波に襲われてもそれなりに対処できよう。しかし雁四郎はいきなり大きな波にさらわれてしまった。そこから抜け出すことができず悩んでおるようだ」


 多くの皺が刻まれた厳左の額、その眉間に一際深い皺が彫り込まれました。城での役目を担う武士として、そして自分の孫として、雁四郎を案ずる気持ちがその皺にありありと表れていました。


「つまり雁四郎を励まし、元気付け、元の彼奴に戻して欲しいと、わらわに頼みにきたのじゃな」

「雁四郎は、姫様そしてお福を危険な目に遭わせたことを、ひどく悔いておるようだ。それ故、あの件についてはもう何も思っておらぬと二人が雁四郎に言ってくれれば、それで重荷が取れるのではないか、そう考えておるのだ。姫様、お福、雁四郎と厳佐のために、この頼み引き受けてくれぬか」


 厳左は腰を下ろしたまま二人に向かって頭を下げました。気位の高い厳左が頭を下げるなど滅多にないことです。それは同時に現在の雁四郎の状況がいかに深刻であるかを物語ってもいました。さりとて、それくらいの事で重い腰を上げる恵姫ではありません。


「面倒な話じゃのう。雁四郎とて立派な大人じゃ。放っておいても一人で立ち直るであろう。厳左、孫可愛がりも大概に致せよ」


 厄介事に巻き込まれるのを何より嫌う恵姫です。これは当然の返答でした。しかし、厳左とて恵姫との長年の付き合いで、扱い方は良く知っています。


「まあ、聞かれよ、姫様。実は先日島羽の松平様から頂戴した見舞金、あれがまだ残っておるのだ。もし雁四郎が元気になれば、それを使って花見をしようと思っておる。勿論、与太郎殿への礼も兼ねてだ。しかし、雁四郎が元気にならぬとあらば、これは中止にせざるを……」

「分かったぞ、厳左。雁四郎を元気付けるくらい容易い事じゃ。さっそく今から行って喝を入れてやろうぞ」


 恵姫お得意の手の平返しです。そうと決まれば仕事が早い恵姫。他の三人に指示を出します。


「お福、黒、出掛けるぞ。それから与太郎、その格好では人目に付く。庄屋から何か借りてそれを着ていけ」

「えっ、ぼ、僕も行くんですか」

「当たり前じゃ。お主は手柄を横取りしたのじゃからな。あんな弱っちい与太郎如きにも負けたのかと、雁四郎は落胆しておるはずじゃ。そこでお主が『本当は船底で震えていただけで、全ては恵姫様の活躍によるものです』と言ってやれば、雁四郎も元気になるじゃろう」


 なんだか納得できない理屈でしたが、とにかく人助けには変わりないので与太郎も承諾しました。庄屋は快く古い小袖を貸してくれました。それを服の上から羽織って支度は整いました。


「雁四郎は恐らく西の浜におる。わしは屋敷に戻るゆえ、雁四郎にも早く戻るよう伝えてくれ。花見の件も教えてやってくれ。よろしく頼んだぞ」


 厳左の見送りの声を聞きながら、恵姫たち四人は庄屋の屋敷を出て西の浜へ向かいました。先頭に恵姫、その後に並んで黒姫とお福、最後に与太郎です。

 与太郎は前を歩く三人を見て、なんとも奇妙な光景だと感じました。三人とも手に雛人形を持って歩いているのです。恵姫に至っては小さな丸い焼餅をバリバリ食べながら歩いています。見ているうちに気になって、つい尋ねてしまいました。


「あの、くろ様、どうしてみんな人形を持って歩いているんですか」


 恵姫ではなく黒姫に尋ねる与太郎。結構世渡り上手になってきたようです。


「ああ、これはね雛の国見せだよ。春の景色を雛人形にも見せてあげているんだよ。雛祭りだからねえ」

「雛祭り……じゃあ、めぐ様が食べているのは雛あられ」

「そうじゃ。人形を連れて野山を歩くと腹が減るじゃろう。こうして玉あられを携えて国見せをするのじゃ。まあ、おのこの与太郎には無縁の遊びであろうがな」

「そうか、こちらでは今日が雛祭りの日なんだ。三月三日に桃の花が咲いているなんて珍しいね」

「珍しくなんてないよ~。桃が咲いているから桃の節供って言うんだよ。与太ちゃん、おかしなこと言うんだねえ」


 黒姫の言葉を聞いて与太郎はようやく気が付きました。江戸時代はまだ旧暦を使っているのです。自分の世界に比べて暦が一ヶ月遅れているのですから、桃が咲いていて当然なのでした。


「ああ、ごめん、僕の居る三百年後では暦も変わっているんだよ。雛祭りはこの時代より一月早くやって来るんだ」

「一月早いじゃと。では桃も咲かぬのに桃の節供と言うのか。立春の一月も前に新年を迎えても迎春と言うのか。それとも別の呼び方があるのか」

「ううん、呼び方は変わっていないんだ。他にも六月の梅雨のことを五月雨って言ったりしてる。変な話だよね」


 恵姫は立ち止まりました。黒姫もお福も立ち止まって与太郎の顔を見ています。


「あの、みなさん、どうかしましたか?」

「三百年後のわらわたちの子孫が定めた決め事とはいえ、奇妙な話じゃと思ってのう。実態を表しておらぬ言葉を使って、それにどのような意味があるのじゃ。頭が混乱したりはせぬのか」

「う~ん、もう習慣になっちゃってるから、今更直しようがないんだろうなあ。ただ、この世と同じ旧暦で祝い事をしている人たちも居るんだよ。一般的ではないんだけどね」

「ほう、そうか」


 恵姫はそれ以上は何も言わずまた歩き始めました。三百年後の流儀に口を出しても仕方ないと思ったのです。


『三百年の後の世か。見当もつかぬのう。随分とややこしく複雑な世になっておるものじゃな』


 如何に与太郎が駄目人間で、好きな娘に告白のひとつもできぬ情けない男だったとしても、三百年の歴史と文明の発展を知っているのです。それだけでもこの時代の人達にとって、価値のある存在と言えるでしょう。


『与太郎からはまだまだ沢山の事を聞きだす必要がありそうじゃな』


 そんな事を考えながら、雁四郎の居る西の浜へのんびり歩いていく恵姫ではありました。

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