雀始巣その五 雨中の雀

 島羽城で門前払いを食らった恵姫一行は、さっそく親切な家老の家へとやって来ました。その夜は約束通り、恵姫の舌を唸らせる御馳走が膳の上に並べられました。


「うむ、さすが松平家五万石。志麻の国全土が不作不漁に喘いでいても、これほどの持て成しができるとはさすがである。ますます島羽城が欲しくなったわい」


 と、家老の前でも平然と野望を口にする恵姫に、雁四郎は生きた心地がしませんでした。一方、家老はと言えば、こんな暴言を吐かれてもただ笑って聞いているだけです。その懐の深さに敬愛の情すら感じる雁四郎でした。


「いやあ、愉快、愉快、わっはっは」


 恵姫の上機嫌の笑いと共にその日の夜は暮れていきました。

 次の日は雨でした。雨の中の登城は億劫だと思っていたら、家老から意外な話を聞かされました。


「実は殿は昨年より腰を病んでおってな。雨の日には座るのもままならぬほど痛まれる。申し訳ないが本日のお目通りも見合わせていただきたい」

「ああ、構わぬよ」


 あっさり答える恵姫。昨日の門前での剣幕が嘘のような素直さです。


「それは有難い。では本日も我が屋敷にて寛がれるが良い」


 家老はそう言って座敷を出て行きました。雁四郎が恵姫に詰め寄ります。


「恵姫様、よろしいのですか。島羽の殿様にはさっさと会って、とっとと間渡矢城に戻ろうと仰っていたではありませぬか」

「よいではないか。ここは旅籠ではない、路銀は減らぬ。美味い飯も食える。ずっとここに留まっていたいわい」


 雁四郎は頭を抱えました。一難去ってまた一難。下手をすれば晴天になっても、『別に城主になぞ会わなくていい、ここに居る』とか言い出しかねません。とにかくも雨がやんでくれることを願うのみ。そうして密かに照る照る坊主を作り始める雁四郎でありました。


 しかし雁四郎の願いも空しく次の日も雨でした。家老がやって来て昨日と同じことを言い、頭を下げて出て行きます。


「また無為な一日を過ごすのか」


 雁四郎がそうつぶやくと、畳の上に寝転びながら恵姫がつぶやき返してきました。


「菜種梅雨じゃな。これはしばらく降り続きそうじゃ。明日も、明後日も、ひょっとして十日経ってもやまぬかも」

「不吉なことを仰るのはやめてください、恵姫様」


 雁四郎は障子を開けて縁側に出ました。深いひさしのために縁側はほとんど濡れていません。生ぬるい大気を感じながら、雁四郎は庭を眺めました。

 雨はしとしとと降っています。屋敷の中に居ても、瓦を打つ音、雨垂れの音、水溜りに落ちる音、様々な雨の日の音が聞こえてきて、憂鬱な気分を一層憂鬱にしてくれます。


「こうも退屈ではやり切れぬな。さりとて他人の屋敷の他人の座敷。派手に騒ぐのも憚られる。まあ無駄な路銀を使わずに済むのは大助かりじゃがな」


 然しもの恵姫も二日続けての座敷暮らしは少々手持ち無沙汰のようです。畳の上にうつ伏せになると、伊瀬の土産物屋で買った鯛車を転がして遊び始めました。いつもなら行儀の悪さをたしなめる雁四郎も、今日は大目に見ているようです。


「間渡矢城を出たのが二月六日、今日はもう十八日となりました。磯島様もお爺爺様も心配されておらねばよいのですが」


 雁四郎が独り言のようにつぶやきました。恵姫は鯛車を足で転がしながら答えます。


「何を下らぬことをぼやいておる。城を出てまだ十二日しか経っておらぬではないか。前回、お主の父と旅をした時には、間渡矢城に帰ったのは十五日後だったのじゃぞ。城では心配のしの字もしておらぬじゃろうよ」

「父上の苦労が偲ばれます。早く帰還するために余程の骨折りをされたのでしょうね」

「雁四郎、お主は父を見習う必要はないぞ。全てわらわに任せておけばよいのじゃ」


 いや、任せたからこんな目に遭っているのです、と言いたかった雁四郎ですが、言えば機嫌が悪くなるのは目に見えているので言葉には出しませんでした。


「おや」

 雁四郎の足元で何かが動いていました。雀です。まるで雨宿りをしているように、縁側の上で羽根を膨らませています。

「お福殿、雀が来ておりますよ」


 お福も暇を持て余していたようです。急いで縁側にやって来ると、雀を手の平に乗せました。


「雀か。こやつらは雨の日にはどうやって過ごしているのかのう」

「やはり巣に籠っているのではないでしょうか」

「それでは腹が減るじゃろう。雨の日でも餌は探しに行かねばならん。それ故、そやつも縁側に居るのじゃ。野に生きる獣はご苦労であるのう。釣り好きのわらわとて、雨の日に釣りはしとうないからな。人に生まれて良かったわい」


 いや、それは違う、と雁四郎は思いました。冬の冷たい雨に濡れようと、夏の灼熱の陽に照らされようと、やらねばならぬ務めを人は持っているのです。そう考えると獣の方がよほど気楽なのでないだろうか……雁四郎は口籠りながらも恵姫に言いました。


「恵姫様、拙者は思うのですが……」

「ああ、分かっておるよ。人とて雨の中でも果たさねばならぬ務めがあると言いたいのじゃろう。さりとてそれは人が人に課した務め。獣の務めは天から課されておる。故に、獣の方が気苦労が多いのじゃ。人から課された務めなど、どうとでもなるからのう」

「天から課された務め……」


 雁四郎は少し分かった気がしました。自分には天から課されたものなどない、あるいは将来課されるのかもしれないが、少なくとも今はないのです。しかし、恵姫には天から課された力があります。それはもしかしたら、雁四郎には想像できないような重荷を恵姫に背負わせているのかもしれない……


「あっ」


 お福の声。雀が雨の中に飛び立ったのです。まだ降り続く雨の中を、濡れることを厭わず飛んでいく小さな雀。その姿は、天から課された務めの重荷に耐えている恵姫のように見えました。

 


 結局、その日も一日中雨でした。しかし暮れない昼がないように、やまない雨もありません。島羽に着いて四日目、ようやく雨は止み、青空が広がりました。


「本日は殿へのお目通りも叶うであろう。共に登城いたすとしよう」


 親切な家老の言葉に、雁四郎とお福は二つ返事で了承しました。座敷に転がっていた恵姫は、どっこいしょと言いながら起き上がろうとしましたが、突然腰を抑えてうずくまりました。慌てて駆け寄る雁四郎。


「如何なされました、恵姫様」

「ううう、雁四郎か。実はわらわは雨の後に晴れ間が広がると、腰が痛んで立てなくなるのじゃ。どうやら今日の目通りは……」

「早く立ってください。置いて行きますよ」

「こりゃ、人の話は最後まで聞け。わらわは雨の後に晴れると腰が……」

「そんな見え透いた嘘はやめていただけませんか。磯島殿より伺っております。『姫様はやりたくない事があると、腰が痛くて立てぬ、などと仰ることがありますので十分に気を付けてくださいませ』と。どうせ仮病なのでしょう」


 冷めた目付きでこちらを見下ろす雁四郎に、恵姫は舌打ちしました。


『ちっ、磯島の奴、余計なことを教えおって。雁四郎如き手玉に取るのは容易たやすいと思っておったが、うまくいかぬものじゃな』


 恵姫は勢いよく起き上がると、棒読みのような台詞を吐きました。


「ああ~、雁四郎が腰をさすってくれたおかげであろうか。急に腰が軽くなった気がする~。さて、島羽城に参るとするか、家老殿」

「それは重畳ちょうじょう、参ると致そう」


 こうして四人は連れ立って城へ向かいました。今回は難なく門をくぐり、三の丸、二の丸を抜け、本丸御殿へ入ります。さすがにここまで来ると恵姫も覚悟を決めたようでした。顔付きも足取りも間渡矢城主名代らしくシャキッとしています。

 御殿に入る前に家老と別れ、玄関控えの間で待っていると、お付きの者から声が掛かりました。


「殿がお呼びでございます。こちらへどうぞ」


 大廊下を歩いて大書院に向かいます。一之間に三人が並んで座り、しばらくすると上段之間に殿様が姿を現しました。にやりと笑う恵姫。その顔はお馴染みの悪人面になっていました。



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