雀始巣その四 対決!相橋口門
恵姫たち三人は堀に架かる橋を渡って城門の前にやって来ました。
「門は開いておるな」
まるで大手門を大手を振って歩いて行くかのように、相橋口門を平然と通り過ぎようとする恵姫。見張り番所から慌てて門番が飛び出して来ました。
「こら、待て。お前たちは何者だ。無断で城内に足を踏み入れるとは不届きな奴らめ」
何か言おうとした恵姫を制して、雁四郎が前に進み出ました。
「失礼致しました。こちらは志麻国間渡矢城城主比寿家の一人娘、恵姫でございます。拙者は家臣の雁四郎、向こうはお付きのお福。此度は伊瀬神宮参拝の途上、島羽城主松平様にご挨拶申し上げるべく参上致した次第。ここに城代家老よりの書状も持参しております」
素早く懐から包み状を取り出し、門番に差し出す雁四郎。
「うむ、相分かった。ここにてしばし待たれよ」
受け取った包み状を別の番方に渡し、元の見張り番所に戻る門番。どうやら前回の番所と同じく、ここでもしばらく待たなければならないようです。が、恵姫は上機嫌です。
「やるではないか、雁四郎。峠番所の時のようにまた揉め事になるかと思うたが、見事な手際の良さであったぞ」
「お褒めにあずかり恐縮にてございます」
照れる雁四郎。実は家老の厳左から包み状を渡された時、どのように受け答えをすればよいか、屋敷で何度も稽古をしていたのでした。その稽古の成果が今、活かされた……やはり何事も稽古を怠ってはいけないと、雁四郎は深く胸に刻み込むのでした。
しばらくして包み状を手に番方が戻ってきました。番所の外で何やら話をする二人。話が終わると門番は包み状を差し出して言いました。
「既に日も暮れかかっておるゆえ、殿はお会いにはならぬとの仰せである。この書状を持って、明日、もう一度出直されよ」
「な、なんじゃと! 会わぬじゃと」
予期せぬ返答に思わず声を荒げる恵姫であります。
「もう一度申してみよ、出直せと申したのか、それともわらわの聞き間違いか」
恵姫はかなり頭にきているようです。城主の名代として挨拶に参った者を門前払いにするなど、到底許されるものではないと感じているのでしょう。
「何度言っても同じである。本日、殿はお会いにはならぬ。明日出直されよ」
門番は同じ言葉を繰り返すだけです。仕方ありません、これだけしか伝えられていないのですから。これ以外の言葉を喋りたくても喋りようがないのです。しかしそれで恵姫が納得するはずがありません。
「ここまで来て、はいそうですかと帰れるわけがなかろう」
「なにも間渡矢城へ引き返せとは言っておらぬ。城下にて宿を探し、そこに泊まればよい」
「そんな金がどこにあると言うのじゃ。神宮参拝で路銀を使い果たし、一刻も早く用を済ませて帰還せねばならぬ我らに、この城下で宿を探し泊まれなどと、そんな酷いことをよくも言えたものじゃな」
「あ、あの、恵姫様、路銀はまだ……」
「雁四郎は黙っておれ!」
恵姫は慌てて雁四郎を睨み付けました。
『城下で数泊するくらいの路銀がまだ残っておるのは分かっておるわ。じゃが、そのような言わずともいいことは、黙っておくのが駆け引きの定石というもの。雁四郎の奴、まだまだ甘いのう』
恵姫の顔はすっかり悪人面になっています。ここは恵姫に任せるしかないと雁四郎は後ろへ引っ込みました。
「なんと言われようが、殿はお会いにならぬ」
「では、わらわたちはどうすればよいのじゃ。城主に会わずに帰ったとあっては、家老の厳左に叱られる。下手をすれば刀の錆にされようぞ。間渡矢城の鬼とも言われる、志麻国一の剣豪、厳左の恐ろしさはお主とて知っておろう」
「う、むむむ、それは……」
恵姫のお転婆ぶりを知らぬ者が居らぬように、厳左の勇猛ぶりを知らぬ者も、志麻の国には居ないのです。恵姫は口の端でにやりと笑いました。
「もし、このままわらわたちを帰したりしたら、怒り狂った厳左がたった一人でこの城に乗り込んでくるやも知れぬぞ。それでもいいのか。最初に斬られるのは間違いなく門番のお主じゃぞ」
「い、いや、それは困る」
「困るじゃろう。斬られたくはないじゃろう。ならば今すぐ城主に会わせよ」
ほとんど脅しだなあと雁四郎は思いました。如何に駆け引きとは言っても、こんな小物相手にこの脅しは少々気の毒です。
「ほ、本日は、殿は会わぬとの仰せじゃ。あ、明日出直されよ」
声を震わせながらも同じ言葉を繰り返す門番。恵姫の怒りは爆発寸前です。語気が一層強くなりました。
「その言葉、聞き飽きたわ。いいから会わせろ!」
「な、何と言われようと、殿はお会いにはならぬ」
「そうか、そちらがそのつもりなら……」
「お、おい……何をするつもりだ」
恵姫の髪がゆるやかに持ち上がっています。その先端も青く光り始めています。同時に橋の下の水面が騒めき始めました。
「まずい、堀は海水だ!」
雁四郎は背筋が寒くなりました。海水を制するのが恵姫の力。海水がある場所では、ほぼ無敵とも言える力を発揮するのです。そして、その海水は城を囲む堀の中にたっぷり流れています。
「わらわが本気を出せば、これくらいの城、一瞬で海の底に沈めてみせるわ」
「恵姫様、お静まり下さい」
雁四郎もお福もひざまずいて恵姫の袴に縋り付きました。門番は青ざめた顔をして言葉を失っています。
「どうじゃ! 城を沈められても会わせぬと申すのか!」
「な、なんと言われようと……」
「これ、騒がしいぞ。何事じゃ」
城内から一人の武士が姿を現しました。身なりから察するに、かなりの重臣のようです。
「こ、これはご家老様」
門番は
「やれやれ、助かった」
雁四郎は額に滲んでいた汗を拭いました。恵姫が本当に城を沈めるつもりだったのは分かりませんが、あのまま放っておいたら間違いなく力を使っていたはずです。そうなれば志麻の国を二分する騒ぎに発展し、下手をすれば両家ともお取り潰しの危機すらあったのです。
『地獄で仏とは、まさにこのことだな』
目の前で門番と話している島羽城の家老が、思わず仏様に見えてしまう雁四郎でした。
やがて門番から事情を聞いた家老がにこやかに話し掛けてきました。
「比寿家の姫様に対するご無礼の段、平にご容赦願いあげる。さりとて本日、殿にお目通りは叶わぬ。それだけは納得していただきたい」
「では、わらわたちにどうせよと申すのじゃ」
「不慣れな城下で宿を探させるのは忍びなき事。よければ我が屋敷を仮の宿にされては如何かな」
「美味い飯を腹いっぱい食わせてくれるのか」
「ひ、姫様……」
余りにもあからさまな要求に、顔から火が出るほど恥ずかしくなる雁四郎です。家老も苦笑いを浮かべながら答えました。
「島羽の海で捕れました珍味をご馳走いたしましょう」
「行く。すぐ行く。決めたぞ、そちの屋敷を仮の宿としようぞ。島羽城にこれほど話の分かる家老が居るとは驚きじゃ。厳左にも見習わせたいものじゃな。では、参ろうか」
これまでの不機嫌はどこへ飛んでいったのでしょう、恵姫は向きを変えると、意気揚々と橋を渡り始めました。門番が心配そうに尋ねます。
「よろしいのですか、ご家老。相手はあの恵姫でございますよ」
「構わぬ。直接話をするのは初めてだが、これまでに何度も会っておる。振る舞いは傍若無人ながら妙に憎めぬところがあってな。あれでなかなかの好人物なのかもしれぬ」
「おーい、家老殿、早く来てくれ。そちが来てくれねば屋敷の方角が分からぬではないか」
橋の向こうで恵姫が手を振っています。家老はゆっくりと橋を渡り始めました。
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