雀始巣その三 峠御門
恵姫は伴頭に向かい、威厳に満ちた声で申し述べました。
「我は志麻国、間渡矢城城主比寿家の娘、恵姫。我ら三名は伊瀬参拝の途上、島羽城主、松平様にご挨拶をと参上した次第。速やかに通されよ」
「ほう、姫とな」
伴頭は恵姫をジロジロ見ています。明らかに恵姫一行を怪しんでる様子です。無理もありません。武士の格好をした女、公家の壺装束姿の女、長脇差を帯びた町人風の男。どう見ても尋常ではありません。伴頭は疑い深い目をして恵姫を詰問しました。
「姫ともあろうものが、何故羽織袴姿であるのだ。おかしいではないか」
「これは磯島が無理やり……ではなく、身の安全を図るためじゃ」
恵姫が言い淀んだことで、伴頭の疑念はますます深まったようです。
「ふっ、愚かな言い訳であるな。身の安全のためならば、そこに居る町人の振りをした侍一人で十分であろう。長脇差を帯びているところを見ると、お主は武士なのであろう」
「い、いかにも、ぶ、武士であるが」
いきなり話を振られた雁四郎も、ついつい言葉をつっかえてしまいました。これで伴頭の疑念は完全に確信に変わってしまったようでした。
「おまけに、もう一人の女は公家の振りをした壺装束か。ここまで怪しい格好をした奴らを、黙って通すわけにはいかぬな。おい、此奴らを取り押さえろ」
思わぬ事態に慌てる三人。役人が縄を持って迫ってきます。
「馬鹿者、何を言っておるのだ。ほれ、これを見よ、姫札じゃ」
「これはまた見事な出来の偽物だな」
「どこに目をつけておる、本物じゃ。それに伊瀬への参拝者は詮議なしで番所を通れるはずであろう。我らは伊瀬参拝の帰途なのじゃぞ」
「それも後でゆっくり聞かせてもらう。さあ、取り押さえろ」
絶体絶命の恵姫御一行です。恵姫の頭に血が昇りました。
「おのれ、こうなれば」
懐に手を差し入れる恵姫。雁四郎の息が取りました。
『まさか、あれを使われるのか。いや、ここで騒ぎを大きくすれば、ますます我らの立場は不利になる』
雁四郎は恵姫を思い留めようと、懐に差し入れられている右手を掴もうとしました。が、
「な、なんじゃ」
右腕を掴まれて声をあげる恵姫。掴んでいるのは雁四郎ではなくお福です。お福は恵姫を見詰め、いけませんとでも言いたげに首を横に振りました。そして左手を空に掲げると、澄んだ声で奏でました。
「ピッー、ちっちっ。ピッー、ちっちっ」
まるで空から湧いたかのように、数羽の雀が番所に舞い降りました。そして役人たちの肩や膝に止まり、ぴょんぴょんと跳ね始めました。
「こ、これは、姫の力か……」
雀の愛らしさに、さしもの番所の役人もすっかり気を削がれたようです。と、雁四郎は何かを思いついたのか、振り分け荷物を肩から降ろし中をまさぐり始めました。
「あ、あった。お役人様、お待ちください。通行手形を持っております」
雁四郎が手に持っているのは間渡矢城表御殿の役方より発給された通行手形です。
「どうぞ、お改めください」
役人に手形を差し出す雁四郎。それを受け取った伴頭は中を改め始めました。
「ふむ、志麻国間渡矢城比寿家か……なるほど、確かに先ほどのその娘の言葉通りであるな」
「雁四郎、手形があるならどうして早く出さぬのじゃ。この愚か者めが」
小声で雁四郎を叱りつける恵姫。雁四郎は平伏低頭です。
「申し訳ありませぬ。此度は初めての旅ゆえ勝手が分からず、手形のことも失念しておりました」
旅に出るのが初めてなら、番所を通るのも初めてなのです。雁四郎を責めるのは酷というものでしょう。
「それにしても、姫ともあろうものがそのような装束とは……むっ、何だと?」
役人の一人が伴頭に耳打ちをしています。
「ふむふむ、嫁ぎ先で田を水浸し……ほう、一月で離縁……なんと、間渡矢の恵姫とはそのようなおなごであったのか」
「なにやらわらわの噂話をしておるようじゃな」
再び小声で雁四郎に話し掛ける恵姫。役人たちの話の内容はおおよそ分かるので、雁四郎は何も答えずにいました。やがて伴頭が姿勢を正して三人に告げました。
「通行手形を改めたところ、三名に疑いなしと判明した。また恵姫の装束もその性格ならば致し方なしと思われる。よって三名の通行を許可する。通ってよし。次!」
呆気なく許可が下りて追い出されるように番所を後にした三人。恵姫はお福に話し掛けました。
「此度はそなたに助けられたな、お福。わらわと雁四郎だけでは今頃どうなっていたか分からぬ。礼を言うぞ」
「愛らしい雀にも助けられましたな」
「おお、そうじゃった。よし、此度の働きに免じて、これから城内に居る雀を捕らえて食うような真似はせぬように致そう」
お福が手を合わせて喜んでいます。それから深く頭を下げました。よほど雀が、と言うよりも鳥が好きなのでしょう。
「ただな、少し気になることがあるのじゃ」
恵姫はどうにも腑に落ちない顔をしています。
「通してくれて文句を言うわけではないのじゃが、どうも最後の言葉が引っ掛かって仕方なくてのう。『その性格ならば致し方なし』とは何のことだと思う、雁四郎」
いきなりの質問に雁四郎は心臓が止まりそうになりました。こんな時は『黒姫様ならどう思われますか』と黒姫に話を振るのが最上の手なのですが、黒姫は居ないのでこの手は使えません。
と言って、もちろん本当のことは言えません。恵姫が嫁ぎ先でやらかして一月で城に戻されたことは、間渡矢城下のみならず志麻の国中に知れ渡っている公然の秘密。それを知らなかったあの伴頭は、恐らく他国からの赴任直後の役人だったのでしょう。
『うむむ、何とお答えすればよいものか……』
必死に名回答を考える雁四郎。結局出した答えは、
「恵姫様は武士の如き業と真剣さで釣りをされる姫である、ゆえに武士の装束をまとっていても不自然ではない、恐らくこう言いたかったのだと思われまする」
という、雁四郎にしてはなかなかの出来の作り話でした。けれども恵姫はこの返答がかなり気に入ったようで、
「なるほど。わらわの蛮勇は島羽の城下にまで轟いておるのじゃな」
と勝手に納得。その後は鼻歌を歌いながら島羽城下を歩いて行きました。
間渡矢の城下町よりも何倍も広く賑わっている島羽の城下町を進んで行くと、島羽城が見えてきました。城全体が島になっているような海城で、大手門は海を向いています。船がなければ大手門からの入城は出来ません。恵姫たちは北側の相橋口門へ向かいました。
「見よ、雁四郎、この海に突き出した城を。取り囲む堀を満たしているのは海水。釣りをするには打って付けじゃ。いつかわらわがこの城を分捕り、志麻の国の全てを我が比寿家の領地にした暁には、城に居ながら釣り三昧に明け暮れる日々を過ごしてやろうぞ、ふっふっふ」
雁四郎の顔が青くなりました。この泰平の世にあって、こんなとんでもない野望を抱いていたとは想像だにしていなかったのです。とても相槌など打てませんから、聞かなかったことにして城を褒める雁四郎。
「秀吉様が吉野で花見を催された年に、家臣の九魂様が建てられた城と聞いております。見事な城には立派な城主が居られるもの。どのようなお方か楽しみにございます」
「ふっ、わらわは何度も会っておるが慇懃無礼で嫌味な殿様じゃ。この城は海側は黒く陸側は白い。城と同じく城主も二枚舌、口では綺麗事を言っても裏で何を考えておるか知れたものではない」
城下を歩きながら殿様の悪口がよくも言えるものだと、恵姫の豪胆さを改めて思い知らされる雁四郎でありました。
やがて堀の向こうに門が見えてきました。島羽城への入り口のひとつ、相橋口門です。
「さっさと会ってとっとと帰ろうぞ」
恵姫は堀に掛かる橋をすたすたと渡っていきます。渡った先には、不審者を決して侵入させるまじとでも言いたげな堅固な城門が、三人を待ち構えていました。
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