菜虫化蝶その三 再び内宮門前町


 こうして四人は再び参宮街道を進み、内宮の門前町へと戻ってきました。

「団子じゃ、団子を食うぞ」

 着いた途端これです。外宮での言葉はどこ吹く風の恵姫です。


「えっ、美味い物への欲は消えたはずでは……」

「やかましいのう、雁四郎は。腹が減ればそんな綺麗ごと、言ってはおれぬわ」


 何ら恥じる様子も見せず、さっさと団子屋へ入って行く恵姫。その後を付いて行く雁四郎は無念の涙にくれていました。


『恵姫様の食う事への執念のなんと強きことか。外宮の神様の力でさえ半刻も持たぬとは、くく』


「はい、団子お待ち。おっ、姫札かね。それじゃあ、お連れの二人は半値に負けときますな」

 愛想のよい主人が団子を置きました。いきなり食べ始める恵姫。

「えっと、お勘定を」

 恵姫は無言で団子を食べ続けます。

「ちょいとお連れさん、お勘定!」


 主人の荒い語気にようやく気付く恵姫。団子を食べていた手を休めて言いました。


「ああ、わらわは姫じゃ。ほれ、姫札も見せたであろう」

「御冗談を。姫様はあちらのお二方で、お連れさんは付き添いでしょう」

「な、なんじゃと!」


 血相を変えて立ち上がる恵姫を雁四郎が抑えました。


「落ち着いて、落ち着いて。ああ、ご主人。勘定は拙者が払う。二人分は半値でいいのだな。ほれ、受け取れ」


 完全に昨日と同じです。喋っている言葉もうどんと団子が違うだけで、他は同じです。昨日と今日では恵姫とお福の格好が違うのに、何故ここまで対応が同じなのか、怒りに燃える恵姫は団子屋の主人を捕まえ、問い詰めました。


「こりゃ、待て団子屋。何故わらわが付き添いなのじゃ。この装束を見よ。明らかにわらわが姫であちらが付き添いであろうが。どういう料簡で逆に見えるのじゃ」


 主人はとぼけた顔で答えました。


「いや、だってそりゃ、あんたは身代わりなんでしょう。見りゃ分かりますよ。悪い奴らの目を欺くために、付き添いのあんたが姫の格好をし、本当のお姫様がお武家様の格好をしている。まあ、あっしらの目も欺けないんじゃ、悪人の目を欺くのは無理でしょうがね、はっはっ」


 主人は笑って行ってしまいました。呆然と立ち尽くす恵姫。


「な、なんじゃと、欺いているじゃと、わらわが、わらわが本当の姫であるのに……」


 別に身代わりなんてしてはいないのに、身代わりをしていると思われた恵姫。すっかり傷つけられてしまった恵姫の心を、更にズタボロにする出来事が起こりました。恵姫たちは団子屋の軒先にある縁台に腰掛けて団子を食べていたのですが、そこに数人の子らが走ってきたのです。どうやら近所の町人の子のようです。


「わあ、姫様だ」

「姫様、姫様」


 本来ならここで「おうおう、伊瀬の幼子も可愛いのう」とか言うはずなのですが、今回の恵姫は何も言いませんでした。当然のように子らは恵姫を素通りして、黒姫とお福に走り寄り、二人を囲んでわいわい言っています。恵姫は立ち上がりました。


「こりゃ、そこの鼻たれども。姫はわらわであるぞ。この装束を見れば分かるであろう。何故そんな羽織袴のおとこおんなを姫などと言うのか」

「え~、だって、身代わりなんでしょう。こっちが本物でそっちは偽物。そうでしょ偽物姫」

「違う、そっちが偽物姫でこっちが本物姫じゃ」

「本物だって言う方が偽物なんだよ。だから本物姫なんて言っているそっちが偽物姫なのさ」

「本物が『我は偽物である』などと言うはずがなかろう。本物は常に本物であるとしか言わぬ」

「偽物が『自分は偽物だ』なんて言うはずがないよ。偽物は常に本物としか言わないよ。そうだろ、この偽物姫」

「こ、この~、姫に向かってなんという口の利き方ぞ、許さぬわ。おい、雁四郎、少し懲らしめてやりなさい」


 と恵姫に言われた雁四郎でしたが、きっとそのうちに黒姫が子らに飴を与えて追い払ってくれると思い、何もしないでその場に突っ立っていました。すると予想通り、黒姫は袂から笹飴を出し、からかっちゃ駄目だよと言い、それを聞いた子らは走って行ってしまったので、雁四郎はほっと胸を撫で下ろしました。


「まったく、どうしてわらわが従者扱いなのじゃ。それもこれも全て磯島のせいじゃ」

「いえ、それもこれも姫様の安全のためです。お守りもただで貰うより買った方が御利益があるというものでしょう」

「おい、団子もう一皿!」


 と、ここまでが門前町に着いてからの恵姫の回想でした。


 外宮で清められた恵姫の心と腹は、すっかり元に戻ってしまったようです。こうなっては内宮に参拝し、再び清めてもらうしかありません。


「あの、恵姫様、そろそろ内宮の参拝に出掛けませんか」


 雁四郎が怖々と尋ねたその時、黄色い蝶がひらひらと舞いながら恵姫の団子の皿に止まりました。


「ほう、もう蝶が舞う季節となったか」


 蝶はすぐ皿から飛び立つと黒姫に、そしてお福にと止まる場所を変え、またひらひらとどこへともなく飛んでいきました。三人の姫にまとわりつく蝶を眺めていた雁四郎は、その去っていく姿を見送りながら言いました。


「青虫もひとたび蝶となれば、どのような装いをしたところで青虫には見えませぬ。お福殿もたとえ羽織袴の装束を身に着けようと蝶は蝶、青虫には見えぬのでしょう」


 恵姫が怪訝な顔で雁四郎を見ました。


「それはなんじゃ、つまりお福はすでに蝶になったが、わらわは未だ青虫であると、そう言いたいのか、雁四郎」

「め、滅相もございません。恵姫様も既に立派な蝶にあらせられます。ただ恵姫様がしじみ蝶ならばお福殿は揚羽蝶と、その程度の違いがあるだけのことと存じます」


 どう考えても言い訳になっていない雁四郎ですが、恵姫の機嫌は少し良くなったようです。


「まあ、よい。お福の愛らしさはわらわも認めておるところじゃからの。さて、腹も膨れたし宿坊に戻るとするか」

「内宮の参拝は如何なされます?」

「外宮へ行って疲れた。明日にしようぞ。どうせ明日も一日暇なのじゃからな。何かやることを残しておかねば退屈するであろう」


 そう言われれば、雁四郎も疲れを感じていました。恵姫の意見を取り入れ四人は早めに宿坊に戻り、その日は早めに休みました。


 * * *


 次の日、昼食を済ませてから、四人は宿坊を出て内宮に向かいました。恵姫は元の羽織袴姿に戻りました。装束を変えても姫と認めてもらえないなら、窮屈な壺衣裳よりこちらの方が楽で良いという判断です。


「のう、雁四郎。何故この地に神宮が作られたか、お主、知っておるか」


 歩きながら恵姫が尋ねてきます。


「いえ、存じませぬが」

「知らぬのなら教えてやってもいいぞ」


 ああ、また珍妙な作り話をするんだな、正直あまり聞きたくないなと雁四郎は思ったのですが、どうせ『いえ、またの機会に』と答えても『遠慮するでない、実はな』とか言って話し始めるのは目に見えているので、「はい、是非教えていただきたく存じます」と心にもない返答をしてしまいました。


「教えて欲しいと言うのなら教えてやらぬでもない。ここに祀られておるのは帝の御先祖様じゃ。ご先祖様であるから、昔は帝の御座す御所に祀られておった。ところが、ある日、たちの悪い病が御所に流行ってな、せめてご先祖様でも別の場所に移そうということになって、あっちこっち移してみたが、どうもよい場所がない。そこで帝の四番目の娘のやまと姫に、祀るに良き場所を探してこいと命ぜられたのじゃな。倭姫は、それまで祀りを司っていた豊鍬入とよすきいり姫からご先祖様の魂が込められている八咫鏡をもらい受け、あっちこっち歩き回った。近海おうみに行って鮒寿司を食ってみたところ、美味いには美味いが少し癖がある。美農みのに行って鮎の塩焼きを食ってみたところ、美味いには美味いが少々淡泊じゃ。尾治おわりに行って海老の天ぷらを食ってみたところ、美味いには美味いが風味が今ひとつ。最後に伊瀬に行って鯛の刺身を食ってみたところ、これが美味。特に磯釣りの石鯛の刺身は絶品であったゆえ、ここにご先祖様を祀り内宮としたのじゃ。倭姫はよい舌を持っておったのじゃのう」

「そ、そんな謂れがあったのですね」

「そうじゃ。つまり美味い魚を食うことは、神にとっても人にとっても極めて重要な事柄であるのじゃな。よってわらわが毎日美味い魚を食べ続けるのも神の教えに従っているだけのことで、何ら悪いことではないのじゃ」


 一体いつの間に内宮鎮座の話が、恵姫の毎日魚食い正当化の話にすり替わってしまったのかと、まるで狸に化かされたような心持ちがする雁四郎なのでしたが、こんな時は他人に話を振るのが一番の良策であるとばかりに、黒姫に尋ねました。


「えっと、これは本当の話なのですか、黒姫様」

「そうだねえ~、倭姫が伊瀬に決めたのは、常世とこよの国から波が押し寄せてくる場所だからって言われているみたい」

「常世の国、それはどのような国なのですか」

「海の彼方にある想像上の国だよ。竜宮城みたいに年を取らないとか、一年中香りを放つ非時香菓ときじくのかくのこのみが生えているとか、神々が住んでいるとか、色々言われているけど、誰もはっきりとは知らないんでしょうね」

「魚が捕れ放題食い放題という話も聞いておるぞ、じゅる」

「ほら、めぐちゃん、よだれを拭いて。宇治橋が見えてきたよ」


 五十鈴川に掛かる宇治橋を渡ればそこは内宮の世界です。四人はお喋りを止めて橋を渡り、内宮へと足を踏み入れるのでした。


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