黒い靴

 アメリカ中部産業都市キリス。郊外ではビジネスマンのための空港が設けられ、数千人の人々が行き交っていた。空港内では人々が蠢いていたがその中でひとりだけ動いていない者がいた。汚れ破れたシャツとデニムを着ている男はいかにもホームレスという姿だった。名はイアン。以前は会社勤めをしていたビジネスマンだが退屈な日々に嫌気がさして早々に辞めた。しかし、目的もなく辞め、優柔不断な性格なために現在に至っている。

「結局、何してんだろ…」

これからの展望もなく、どうしようもない日々を人ゴミという雑音で紛らわしているだけだった。人々は目にもくれず、過ぎ去っていく。イアンは俯いた顔で行き交う足を見ることしかできずにいた。様々な靴が存在する中で産業都市とだけあってビジネスマンの標準装備である黒の革靴が多く見られた。

「当たり前か。勝ち組が集まるとこだからな」

自分と比べていると絶望感に捕らわれていた。

黒ばかりの模様を見つめている時だった。黒模様の中に白い霧のようなものが見えたのだ。はじめは錯覚だと思って目を凝らして見ると

そうではなかった。『砂』だった。キリスは周辺が砂漠に覆われ、砂嵐が起きることがある。時々、砂まみれの人を見かけることもあった。実際、空港から出ていく革靴は汚れておらず、入ってくる革靴は砂で汚れていた。

「うーん」

イアンの頭の中で入社当初に先輩から言われた言葉を思い出し、電流が流れた。

「服装は常に綺麗にしておけ」

次の日、イアンの横には看板が掲げられていた。『靴磨き一回五ドル』。昨日の出来事をヒントにイアンは靴磨きの仕事を始めた。しかしながら得体の知れない男など気に留める者もいなく、時間だけが過ぎていった。

「すいません。靴磨きいかがですか?」

時折、声をかけるが振り払われ、時には罵倒を浴びせられたときもあった。一週間の間、『靴磨き』を実践したが成果はゼロだった。

「失敗だったかな…」

理想と現実のギャップに心が砕け、やがて生きた屍になっていた。ただ、どんなに落ちぶれようと通行人はただ歩いているだけだった。

「おい、小僧」

騒音という無音の中で声が聞こえた。イアンは心の重さで俯いた顔を上げるとひとりのビジネスマンが立っていた。

「何ですか?」

現状のやるせなさと男が発した言葉に苛立ちを感じていたイアンは不機嫌そうに答えたが男は顔色ひとつ変えずに質問を投げかけた。

「靴磨き屋のようだが正直、君の靴磨きを受けたくはない。なぜだか分かるかい?」

イアンは更なる苛立ちを感じながらも答えた。

「得体の知れない男だからですか?」

「確かに要因のひとつだ。だがもうひとつ、欠けている要因がある。それは信用だよ」

イアンは予期せぬ返答に唖然とした。

「で、でも、信用なんてそう得られるものじゃない」

イアンは諦めた様な口調で答えたが男は気にすることもなく言い放った。

「簡単だよ。『第一印象』が肝さ。ちょっと、待っていなさい」

そう言うと突然、背を向けて去っていった。

「何だったんだ、むかつくな」

イアンの中では不機嫌さが増しただけだった。上げた顔を俯せてしばらく経ったときのことだ。

「おい、小僧」

再び聞く言葉だった。顔を上げるとあの男が立っていて左手には紙袋を持っていた。

「これを君に託そう。どうなるか楽しみだ」

そう言い残すと紙袋を置いていった。イアンはプライドが許さないのか、紙袋を開けられずにいた。放置していると通りかかった係員が紙袋を回収しようとしていた。

「すいません!俺のです」

思わず、イアンは言葉を発してしまっていた。

「ああ、すまない」

係員はそう言うと紙袋をイアンに手渡した。このことでプライドが崩れたのか、そのまま、開けてみると黒い革靴が入っていた。

「これは…」

次の日、イアンの姿は昨日と打って変わって見違えていた。服装は同じだが昨日までの暗さはなく、明るく覇気に満ちていた。

「すいません!靴磨きはいかがですか?」

客は考え込むように頭を下げるとなぜか、靴磨きを頼んだ。

「ありがとうございます!」

イアンは礼の返事と共に靴磨きを始めた。仕事をしているイアンの足にはこの世のものとは思えないほどの輝きを放つ黒い革靴を履いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

劇場 5min にのまえ @sikazakura4563

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ