fool
森の住人達が騒ぎ始める夕刻、木々が無限に立ち並ぶ中に一軒のコテージが存在した。辺りが寒さと共に暗さを増していく中、暖かさと明るさに包まれているコテージでは複数の男女が騒いでいた。部屋の真ん中にある巨大なテーブルの上には食べ物や酒が乱雑に並べられ、周りには紙でできたリースで飾られていた。色鮮やかな空間の一番目立つであろう天井にはひとつの看板が掲げられていた。
『奥田花、お疲れさま会』
彼らが集まった目的である。今日はデザイナー会社『メタトロン』に七年間勤めていた奥田花が退職するにあたって仲間内での送別会が催されていた。女達は別れに涙し、男達は惜しむ声を上げていた。ただひとりを除いては。部屋の隅で不機嫌そうにカクテルを飲んでいる男がいた。影山一郎。奥田よりもふたつ年下で同期にあたるのだが入社当初は自信過剰の完璧主義者なために周りからは煙たがられていた。仕事に対しては猪突猛進で次々に仕事をこなしていくのだが周りとの協調は性格ゆえにうまくいかず、思ったほど仕事の成果は芳しくなかった。一方、奥田は周りとの連携をそつなくこなし、社内では有望株として皆から注目されていた。ことあるごとに二人は対立するのだが一歩、奥田が先を行く形となり、そのたびに影山は悔しそうに下唇を噛みしめていた。周りから見ればふたりは良いライバルだったのかもしれない。いつまでもふたりの関係は続くものだと思っていた一同だったがそう続くようなものではなかった。ある日、会社に衝撃的な出来事が起きた。奥田が『寿退社』することになったのだ。この報告はすぐさま、影山の耳にも入ったが驚くこともなく、「そうですか」と一言だけで済ませると仕事へと戻っていった。だが、表情は隠せても態度までは隠せなかったのか、報告後、影山の業績は下がっていく一方だった。そんな状態が続き、今日にまで至っている。
影山は送別会に雰囲気に耐えられなかったのか、バルコニーへと逃げた。辺りはすっかり、暗闇に包まれていたが空に輝く星たちは都会の空と違って鮮明に見ることができた。
「綺麗だね」
空を見つめていると聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。奥田だった。背景に映るコテージの窓の向こうでは同僚や先輩たちが面白がりながらこちらを見物していた。
「あの人たちは…」
影山は呆れたものの彼らなりの配慮だということは分かっていた。『寿退社』の話を聞いて以来、確かに自分の業績は悪化した。配慮してくれた仲間たちの為にもここで区切りをつける機会にするべきだと影山は決心した。
「影山君、今までありがとね」
普段の口調と違って奥田の声に覇気はなく、どこか寂しげな声をしていた。初めて見る奥田の口調に影山はしばらく答えることだできずにいた。
「もしかして、影山君。怒ってる?」
ふいの質問に影山は焦った。
「ど、どうしてですか?」
「何か、退社が決まって以来、元気ないし、話かけてこなかったから」
「そんなことないです。ただ、勝手に残念だなと思ってただけなんです」
「勝手に?」
「奥田さんが退社されることを聞いたとき、勝手な人だと思ったんです。会社とかの貢献のこととか考えてないのかって。でも本当は違っているんですよね。ただ単に自分の嫉妬心から出た勝手な感情なんだって理解したんです。だから元気がなかったのも自身の勝手に過ぎないんです。だから奥田さんが気にするようなことじゃないです」
自分の長い言い訳を話している間、奥田はただ黙って話を聞いていた。そしてシンプルにこう答えた。
「そっか、分かった」
多分、普通の人なら「そんなことで仕事に支障をきたしていたわけ!」と怒っていたのかもしれないが奥田はそれ以上、突っ込まなかった。それどころか、笑顔でずっとこちらを見ていた。
「でも、ライバルとして七年間、楽しかったよ」
奥田はそう言うと右手を差し出して握手を求めてきた。ただ、影山はその手を取ることはできなかった。
「ライバルとか、そんな綺麗なものじゃないですよ」
影山は我ながら自分は捻くれているなと自身の言葉を聞いて感じていた。
「最初のころは負けたくない思いでライバル視していました。でもあなたに仕事で先を越されている内に気づかされたんです。自分の愚かさを。今までの学生時代、ずっと上位でこれからも自分ひとりの力で人生、生きていくものだと思い込んでいました。ただ、現実は違っていて成績じゃどうにもならないこともあってそんな部分で自分はあなたに勝てなかったんです。でもあなたのおかげで愚かな自分に気づくことができたんです。だから自分にとってのあなたはライバルとかそんな綺麗なものじゃなくてただ自分の愚かさを知るための存在だったんですよ。だから握手できるような立派なものじゃないです」
影山は奥田の目を見ることができずに頭を俯せてしまった。彼女の言葉に素直に受け止めることのできない自分に嫌気が差していた。彼女は怒っているだろうか?下げた頭で考えていると、右手は運動神経に反して勝手に手が上がっていた。その手の先には奥田の手が存在し、握手をしていた。
「それでも七年間、競い合ってきたライバルなんだよ!」
言葉の覇気は鋭く、握る手の圧力は強く、影山を見つめる目は真っすぐだった。
「全くこの人は」
影山は最後の最後までこの人に勝てないことを痛感させられた。この優しさや包容力といった人間力とでもいうのだろうか、自分には持ち合わせていない力だ。
「七年間、競い合えて楽しかったです」
力強く握る奥田に対して影山も強く握り返した。一週間後、彼女は正式に寿退社手続きを終えて会社を去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます