再会

 アーケード街はなおも人でごったがえしていて、子どもの視点では大人たちの背中しか目には映らない。

 子ども神輿へと向かう女の子たち四人は、背の高いすすき野でも行くように人波をかき分けて進む。

「あいつ、あといくら持ってるかな?」

 香枝が子どもっぽく言って振り返り、後続の美桜へと笑顔を送った。

「仕返しにしてはちょっとやり過ぎじゃない?」

 仕返しというのはこの日の払いを恭輔にすべて負担させていることである。香枝は恭輔たち男子六人からたびたび辱しめを受けてきた腹いせのため、この晩は恭輔にまったく遠慮することなく自分の小遣いでするのと同じように飲食し、またそればかりか恭輔にすべて負担させることを悪く思った美桜やみづきが自分の小遣いを使おうとするのを制止してまで徹底して彼に金を払わせるほどであった。ちなみに芽依は当然のように恭輔の小遣いを当てにして、自分の財布すら持って来てはいなかった。

 美桜は真面目で誠実な人柄だから、勝気な香枝やいたずらな芽依の振る舞いがひどく横暴なものに思えて、恭輔に対してちょっとした罪悪感を覚えていた。

「心配しなくてもあとでちゃんと返してあげるわよ。ちょっとくらい懲らしめてやらないと、あのバカのためにならないでしょ」

「なんだあ、最初からそのつもりだったんだ」

 安堵の表情を浮かべる美桜。

「むうっ!?」

 芽依がはし巻きをほおばりながらぎょっと驚く。この子は代金を返す気などさらさらなかったようだ。芽依の口のまわりは綿飴でべたべたになっており、左手には輪ゴムのついた水風船をぶら下げている。

「…」

「…」

 香枝と美桜が無言で芽依を見つめると、彼女は水風船をばいんばいんと激しく弾ませて見せた。

「ねえみんな聞いて聞いて、なんか聞こえてきたよ」

 先頭を歩いていたみづきが何かに気がついた。耳を澄ますとずっと前方の方からかすかに「わっしょい、わっしょい」という子どもたちの声が聞こえてきている。子ども神輿が前方まで近づいてきているのであろう。

 保護者が誰なのか気になって仕方のないみづきは、他の三人に「ねっ」とだけ言うと先陣を切って駆けだした。

「待ってよ、みづきちゃん」

 香枝がそう言うと女子三人も駆けだす。

「あっ、柚木」

 三人がみづきを追って行くと見知った顔の子どもたちと出くわした。丹波、佐藤、菱川、そして赤澤塔子の四人組である。

「べー」

 香枝は憎らしげに舌を出して通り過ぎていく。

「待ってよ、香枝」

 美桜は彼らを相手にさえせずに香枝の後を追う。

「…」

 立ち止ったのは芽依だった。

「…どうして」

 彼女の視線は一点、赤澤塔子に向けられている。

「さて、どうしてでしょう」

 塔子はおどけるつもりで言ったのだったが、この言葉を聞いた芽依の表情はみるみる恐怖の色へと変っていく。体は小刻みに震えていた。

「どうしたんだよ。久しぶりの再会じゃないか」

 塔子がにやりと笑う。

「うわあー!!」

 芽依は持っていた水風船を塔子へと投げつけ、踵を返して逆走していく。

「なんだあ?のろ子のやつ」

 丹波少年が眉を寄せる。

「大丈夫ですか?塔子さん」

「悪いんだけどあたしこれからあの子と一緒にまわるから」

「は?」

 塔子は丹波たちを残してのろ子の後を追いかけて行った。

「ちょっ、ちょっと、塔子さん?」

「行っちゃったよ」


 一方、前方へと駆けて行った美桜は、後ろから芽依がついてこないことに気がついていた。

「あれ?あれ?」

 周囲をきょろきょろと見回しながら立ち止まる。

「香枝ー、ちょっと一回ストップー」

 前を走る香枝を呼びとめる。

「もう、どうしたのよ」

「のろちゃんがいない」

「うそ、はぐれちゃった?」

「さっきまで後ろにいたのに」

 香枝と美桜が戸惑っていると、先頭を走っていたはずのみづきが二人のところまで戻って来ていた。

「どうしたの」

 そう言ったみづきの声はなぜか淡々としており、感情を殺したように顔から表情が消えている。二人もみづきの態度の変化に多少違和感を覚えたが、今はそれどころではないと構わずに続ける。

「のろちゃんがいなくなったの」

「大変、早く探さなきゃ」

 みづきはまるで他人事のようにそう言った。

 子ども神輿はすでに目と鼻の先まで迫って来ている。神輿の先頭には後ろ歩きでバシャバシャとシャッターをきる花谷土佐尾の姿があった。




 アーケード沿いの商店と商店の間には細い路地がいくつもできていて、アベックや不良学生がしばしば入り込むことから、子どもたちには路地に入らないようにとホームルームで指導している。芽依はこの裏路地に隠れるように入りこんでいた。

「ねえねえ、俺たちちょっと帰りの電車賃落としちゃってさあ。少しだけでいいからお金貸してくれない?」

 彼女がこの人気のない路地に入りこむのを見ていた中学生三人組が、ここぞとばかりにカツアゲに興じようとしている。 

「…れい…れる…ゆう…れる…」

 芽依は浴衣がすっかり気崩れ、腰が砕けたように地べたにへたり込んだ状態であったが、なにも不良に絡まれて怯えてしまったというわけではない。

「ねえちょっと君、聞いてるの?」

 不良たちの一人が芽依のつむじに手のひらを置いてグルグルと首を回し始める。

「あー君たち、電車賃ならおじさんが貸してあげるけど」

 私はそう言って彼らの横から割って入った。死に物狂いで芽依を探していた私もこの不良少年たちと同様、偶然芽依が裏路地に入ろうとするところを見つけ、不良たちのカツアゲに立ち会ったのだった。あちこちを走って探しまわったせいで、私はワイシャツが透けてしまうほど汗だくになっている。

「ああ?またテメ―かよ」

 そう言った少年をよく見ると、さっき私が注意していた中学生であった。

「貸してあげるから名前と学校、あと念のため住所と電話番号教えてもらえるかな」

「もういいよ、歩いて帰るから」

「そうか。もう遅いから気をつけろよ」

 その辺りは所詮中学生、大人が出ていけば大人しく退散していく。

「おい、大丈夫か」

 芽依は中学生たちがいなくなっても怯えきった表情を崩さず、ガタガタと体を震わせ、ガチガチと上下の歯を打ち合わせている。

「…れい…れる…ゆう…れる…」

 私が語りかけているにもかかわらず、芽依は先ほどからぶつぶつと同じ事を繰り返しつぶやいている。私の存在に気がついているのかさえ怪しい。

「おい、樫谷!」

「幽霊に殺される!!」

 芽依はがなり、うつむいていた顔を私の方へと向ける。いや、正確に言えば彼女のまなざしは私の肩の向こう側、私の背後から音もなく近づいてきていた少女へと向けられていた。

「うわあああ」

 芽依が悲鳴を上げる。

 私が後方の気配に気がついてはっと振り返ると、そこには腰まである長い髪をツインテールに結んだボーイッシュな少女が仁王立ちしていた。

 赤澤塔子である。 

「大丈夫、先生に任せておけ」

 私は芽依を安心させようとそう言ったが、芽依にはそんな言葉は届いていない。よほどこの少女に対する恐怖心が強いとみえた。

「あんた、先生か」

 塔子が言う。

「その様子だと、あたしのことも知っている風じゃないか」

「お前が赤澤塔子か」

「そうだよ」

 塔子は不敵な笑みを見せている。

「殺されるー!嫌だー!」

 芽依は相変わらず錯乱していて、近くにあった石とかゴミをやみくもに投げつけようとしている。

「うわさだと、大人になるまでは殺されないはずだが」

 私は交差点の幽霊のうわさを思い出しながら言った。

「殺す?あたしがいつ誰を殺したって?」

 塔子は悪びれる様子なく言った。そういえば竹林での肝試しの晩に赤澤(彰央)から聞いた話では、幽霊が子どもを殺すというフレーズは登場しなかった。代わりに登場したのは、幽霊と入れ替わった子どもが霊会で留守番をするという表現と、ときどき帰ってこられない奴もいるという表現であった。

 そうすると今回この幽霊と入れ替わって"霊会で留守番〟させられているのは赤澤彰央のはずであり、〝帰ってこられない〟危険性があるのも赤澤彰央ということになる。

「どいつもこいつも勝手に死んじまうだけだよ」

 この少女が言っていることが本当なら、つまり塔子が直接子どもに手を下してはいないのならば、その霊会に連れて行かれた子どもはそこで何らかのトラブルに巻き込まれて死亡しているという結論となる。無論そのようにして死んだ子供が本当にいるのだとすればの話だが。

「お前自身に殺意はないと?」

「そうだな、少なくとも殺意はない。害はあるかもしれないが、留守番の子が早まりさえしなければどうということはない。そのことはその子も承知しているはずだが」

 塔子の言葉は、もし現在留守番をさせられているであろう赤澤彰央が早まったことをすれば死に至る危険性があることを示唆しており、また同時に留守番させられていない芽依は絶対に安全であるという意味を内包している。

「今回はあたしが突然別の誰かと入れかわって目の前に現れたから、その子もパニックになったんだろう」

 塔子は芽依の方を気にしながら言う。

「そうなのか」

 こっくりとうなずく芽依。表情には少しだけ安堵の色がもどる。「殺される」というのはどうやら早合点だったらしい。芽依はきっと以前からこの交差点の幽霊と何らかの面識があって、この幽霊が何者であるのかということについては、私などよりずっとよく知っているのだろう。

 芽依の様子が少しずつ落ち着いてきて、私の塔子に対する警戒心も少しだけ解かれた。

「あたしはね、ちょっとばかしその子に提案があって来たんだ。今あんたたちの周りで起こっているであろう、不自然な現象についてね」

 塔子はやおら切り出した。当初私が思っていたのとは少し異なった方向へ話が転んでいく。不自然な現象―。心当たりがないわけではない。むしろあり過ぎるくらいである。

「それはつまり、今起こっているもう一つの怪奇現象について、という意味か?」

「なんだ。わかっているなら話が早い。その子じゃ怯えちゃってまともにおしゃべりもできないだろう。来なよ先生、あんたも教師なら、生徒の身が心配だろう?」

 私はこのときなぜだか少しほっとした。この赤澤塔子という少女の霊が私にとって強力な味方になってくれるのではないかという期待が生まれたからだ。

 理由はわからないが、この幽霊はもう一つの怪奇現象、つまり終業式の幽霊・花谷みづきのことをどうやら快く思っていない。私の生徒たちをたぶらかすあの憎き悪霊を退治するための、彼女はよい協力者になってくれる。そう思った。

 私は塔子に促されるまま、芽依をその場に残して路地裏を立ち去る。

 見上げると夜空には大きな花火がドカンと景気よく上がっていた。




「はじまっちゃったな、花火」

「みづきちゃんと一緒に見たかったか?」

「どこ行っちゃったんだろうなあ」

 納涼花火大会は毎年この祭りの晩の午後八時ごろから始まる行事だ。そのため八時前から花火の終わる九時過ぎまでアーケード街からは人気がなくなる。子ども神輿の練り歩く時間はとっくに終わったはずなのに、神輿の方へ向かった女子たちがいつまでたっても戻ってくる気配がないため、恭輔と利正は仕方なく女子たちと別れた場所に腰をおろしてアーケードの天井を見上げる。

 ガラガラになったアーケード街にはあちこちにゴミが散乱しているだけで、ドカン、パチパチという音だけが交互に空から降ってくるばかりである。

 恭輔は退屈のあまり地表に敷き詰められたタイルの黒いところの数を数え始め、明日を眺めるように目を細めてアーケード通りを見やると、向こうの方から全速力で走ってくる少年の姿を認めた。見覚えのある顔だ。

「赤澤じゃん」

 赤澤彰央が二人の前までやって来て、出会いがしらに恭輔の胸ぐらをぐっとつかんだ。

「何だよ」

 驚いた恭輔が言う。

「お前のせいでこうなったんだよ!」

「はあ?」

「お前、どう責任とってくれるんだよ!」

「何だよいきなり」

 訳も分からず恭輔が面食らっている。

「はいはーい、喧嘩はそこまで」

 二人の間に若い女性が割って入った。

「あっ、おばさん」

 花谷土佐尾である。すでに先ほどの巫女装束から普段着に着替えている。

「ちっ」

 赤澤はやりきれない気持ちを抑え、三人に背を向けて走り去ってしまった。

「あいつ、ついにキレたか」

 恭輔は赤澤の背中を見つめてひどいことを言った。

「みんなは?」

 利正は一人で姿を現した土佐尾を不審に思って尋ねた。

「あたしはまだ誰にも会ってないぞ」

「さっきみづきちゃんたちがおばさんのこと迎えに行きましたよ」

「はあ?みづきがあたしを迎えに?あたしはまだそんな歳じゃないぞ」

「え?」

 話がかみ合わず、土佐尾と利正が眉を寄せ合う。

「加賀くーん!鮎川くーん!!」

 三人が振り返ると大きく手をふって山内美桜が駆けてくるのが見えた。

「あっ、こんにちは。おばさんが花谷さんのお母さんですか?」

「あ、ああそうだよ。よろし…」

 土佐尾が美桜と握手をしようと手を伸ばすと、美桜の後ろにいるもう一人の少女に気がついて、そして言葉を失った。

「…く」

 その少女は土佐尾にとってはもはや存在するはずのない少女であった。

 言うまでもない、一年前に死んだはずの土佐尾の娘、花谷みづきである。

 対するみづきの方も母親に気がついて完全に固まってしまい、体も小刻みに震えている。

「どうしたの?花谷さん」

 利正がみづきの様子に気がついて言う。

「それより大変なの!人ごみの中でのろちゃんとはぐれちゃって。今香枝が一人ではぐれた場所を探してくれてるんだけど…」

 美桜は土佐尾とみづきのことなどお構いなしで話をはじめた。

「何やってんだよ」

「みんなで手分けして探そうと思って加賀君たちを呼びに来たんだけど…」

「仕方ねえな。よし、いくぞ」

 恭輔、利正、美桜の三人がアーケードの先に向かおうと歩み出したが、土佐尾とみづきの二人は依然固まったまま動こうとしない。

「おばさん?」

 恭輔が土佐尾に呼び掛ける。

「のろちゃんって、あの髪の長い子のことだよね?」

「そうだけど」

「じゃあこの際どうでもいいや」

「どうでもいい?」

 土佐尾はそう言ってみづきの方へ足を一歩を進める。するとみづきは反射的に後じさりしてそのまま芽依とはぐれたのとは逆方向へと逃亡してしまった。そしてそれに従うように土佐尾も後を追う。

「何だ?あの親子」

 あとに残された三人はぽかんと口を開けて突っ立っている。

「訳が分からないよ」




 土佐尾はみづきを追いかけて、だだっ広いアーケードを走る。

「待って」

 みづきの腕をつかんだ。

「放して」

「話を聞いて」

「嫌、何も聞きたくなんかない」

 みづきは耳をふさいでうずくまった。

「あたしが何したっていうの」

 はあはあと息を切らしながら、土佐尾は一年前に死んだはずの娘を見下ろす。

「何もしてない」

「じゃあどうして」

「だって…」

 みづきが口ごもる。

「だって何?」

「だって…だってもう死んでるんだよ、私!」

 みづきが声を荒げた。目じりには涙が浮かんでいる。

 道行く人や商売人はみづきに好奇の視線を向けている。

「…知ってるよ。あたし見たもん、あんたの死に顔」

 土佐尾はみづきを落ち着かせようと、声のトーンを和らげる。

「怖くないの?」

「…わからない」

「わからないって…私幽霊なんだよ」

「幽霊でも、ほら、触れられるよ」

 土佐尾がみづきの肩に優しく触れた。

「…何言ってるの?」

「足もあるし、話すことだってできる。普通の子と何も変わらないじゃない」

「違うよ…。私は…私は化けものなんだよ」

 みづきはうつむいて大粒の涙を流し始める。

「違うよ。あんたは化けものなんかじゃない」

 土佐尾はみづきの頬に両手を添えて、顔を持ちあげて視線を合わす。

「加賀君と鮎川君と、香枝ちゃんにのろ子ちゃん。それから、さっきの女の子もそうだよね?」

「何のこと?」

「化け物にあんなにたくさん友達はできないよ」

 その言葉を聞くとみづきの表情はみるみる歪んでいき、彼女の頬を滝のような涙が流れ落ちる。土佐尾はみづきをやさしく抱擁した。

「私…私転校なんてしたくなかった」

 みづきは母親の胸に顔を押し付け、吐き出すように言った。

「友達と別れたくなんてなかった。ずっとこの町で…お母さんと一緒に暮らしていたかった」

「だったらやり直せばいいじゃない」

「無理だよ」

「無理じゃないよ」

 土佐尾はみづきの顔を胸からはがし、まっすぐ彼女の目を見て続ける。

「あんたの友達は誰も知らないよ。あんたが本当は去年死んじゃったってこと」

「それは私の能力ちからで…」

「それなら渡りに船じゃない。いい?これからはあんたが死んじゃったことはあたしたち二人だけの秘密。そうすればこれからもずっと幸せに〝生きて〟いけるじゃない」




 時刻は午後八時半、依然として商店街には人通りは戻っていない。

「柚木の奴いねぇじゃんかよ」

 香枝が芽依を捜索しているという地点まで連れてこられた恭輔であったが、今度は香枝の姿が見当たらなくなっている。

「おかしいなあ」

 美桜が不思議そうに答える。

「案外もうのろ子と合流して、暢気に花火でも見てるかもしれないよ」

 何も知らない利正はいい加減なことを言っている。彼は早くデートの続きに戻りたいのだ。

「あ」

 あたりを見回すと見知った横顔が三つ、商店と商店の間の路地を覗き込んで並んでいる。丹波、佐藤、菱川の三人だ。

「きょ、恭輔ちょうどいいところに」

 佐藤が恭輔に気がついて言う。

「何だよお前ら、俺たちとはもう口きかないんじゃなかったのか」

「それが恭輔、大変なんだよ。あれ」

 促された恭輔が路地裏を覗き込むとそこには中学生らしき三人の人影と、彼らに囲まれた格好で壁に背をもたれている香枝の姿があった。

「か、香枝…。あ、あたし先生呼んでくる!」

 美桜は状況を把握するや、見回りに来ている教師ないし助けてくれる大人を呼びに走った。

「大変ってお前ら、黙って見てるだけかよ」

 利正は怯える表情を見せながらも佐藤たちに言う。

「だ、だって…。お、俺たちが出て行ってもよ…」

 佐藤たちは互いに顔を合わせて脂汗をかいている。

「くそ!」

 恭輔が見ていられなくなって路地へと飛び込んだ。香枝を助けるつもりである。

「恭輔!」

 利正たちの声がアーケード通りに響いた。




「あなた何を背負っているの?」

 私が油谷主任と合流したとき、私の背には芽依がおぶさっており、すやすやと寝息を立てていた。

「迷子になっているところを保護したんです」

 もちろん嘘である。私は赤澤塔子から例の提案というのを聞いた後、まず赤澤彰央を元に戻させ、無垢な寝顔を浮かべていた彼女をおぶってから、もともと主任と合流しようと約束していた地点へと戻ったのであった。

「疲れて眠っているだけですよ」

 自分に害がないことが分かるやいなや眠ってしまうとは、まったく呆れかえるほど素直で、ずいぶんと良い性格である。

「こうして大人しく眠っている分には、けっこうかわいい顔しているんですけどねぇ」

「まさかあなた生徒に変な気を起こしてないでしょうね」

「してませんよ」

「それならいいんだけど。あなたってどこかいい加減だから。いまいち信用が置けないのよね」

 まったく偏見も甚だしい。

「まあ僕も僕なりに良い教師になれるよう努力しているつもりですから、今後の活躍にご期待ください」

「あなたふざけているの?」

 主任はあきれ顔である。

「先生!!」

 声がした方へ体を向けると、美桜がものすごい形相で私たちの方へ駆けてきて、私からほんの数メートルのところで派手にずっこけた。

「きゃっ」

「山内、お前何やってんだ?」

 飛び起きた美桜は膝をすりむいていたが、そんなことは構わずといった顔で続ける。

「大変なんです!香枝が…柚木さんが中学生に!!」

 美桜がそう訴える姿を見て主任と私にも緊迫が走る。

「油谷先生、樫谷のことお願いしますね」

「ちょ、ちょっと」

 私は主任に眠っている芽依を押し付けると、美桜の案内で現場まで駆けて行く。

 そして現場に到着した私が見たものは、アーケードで腰を抜かしている男子四名と、路地裏で気を失って倒れている恭輔、そして恭輔の隣で泣き崩れている香枝の姿だった。

 恭輔の体にはいくつもの打撲痕が見られた。




 人通りの絶えることのないアーケードを抜け、特設ステージの設けられた公園へ入ると、「ご参拝はこちら」と小さく主張する立て札が一つ、忘れ去られたように打ち捨てられている。もともとこの立て札が立っていたのだろうか、数メートルほどのところに神社の鳥居が立っていて、このすぐへりの地面が無残にえぐられたようになっている。

 鳥居をくぐると境内は電灯もなく真っ暗で、神社の関係者がお札とかおみくじなんかを販売しているということもなく、そればかりか歩く人さえまばらである。これでは本当に祭礼がおこなわれているのかさえ疑わしい。

 この神社の本殿の裏手の方に、今回子どもたちが肝試しに行こうとしていた大きな池がある。本殿さえほとんど人気がないのだからこんな池などなおさらだ。もしこんなところにたまっている連中がいたとすれば、それはきっとろくな人間ではない。

「あのガキ、いくら持ってた?」

「千円札一枚」

「そんだけ!?」

 この池のほとりで先ほどの中学生三人が集まって金の勘定をはじめていた。その晩彼らの餌食になった子どもはどうやら恭輔一人だけだったようで、三人のうちの一人が恭輔のなけなしの千円札をひらひらと夜風に仰がせている。

 ふと千円札を挟んでいた中指と人差し指が緩み、紙幣が風に盗まれた。

「おっと」

 風に飛ばされたお札が池の水面に落ちてじんわりと水分がしみていく。

「気をつけろよ。これから山分けするんだから」

 はっはっは、と他の二人が笑った。

「わりいわりい」

 お金を落とした少年は、池の周囲に転落防止のため張り巡らされたロープにまたがり、水面に片方の足を延ばした。足で手繰り寄せようというのである。

 少年が金を回収している間、他の二人は池に背を向け話を続ける。

「今時のガキはもっと持ってると思ってたんだけどな」

「平等に分けるのか」

「三百三十三円ずつか?」

「俺小銭ないぞ」

「だったらじゃんけんにしようぜ」

「嫌だね」

「なあ、お前はどうしたい?」

 二人は池の方に体を向け、金を拾っている少年の意見を求めた。

 見ると少年の姿が無い。

「あれ、小林は?」

「まさかあいつ、持ち逃げしたんじゃねえだろうな」

「まだ遠くにはいってないだろ、追いかけるぞ」

 二人は怒り心頭といった表情でその場を後にして、境内にはただ闇と静寂だけが残された。

 小林と呼ばれた少年が水死体として上がったのはこの翌朝のことである。

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