呪われた少女

「おばさん、ちょっときついよ」

「あら、本当?」

 夕方の山内家の一室で、香枝は叔母に浴衣の帯を締めてもらっていた。

「香枝がちょっと太ったんじゃないの?」

 すでに着替えを済ませている美桜いとこが香枝をひやかす。

「ふ、太ってなんかないわよ」

 山内家は末っ子の美桜を含めて年子の四姉妹を抱えており、成長して着られなくなった浴衣が三人分存在する。待ち合わせ時間を前に、香枝たち女の子組はそのお下がりをレンタルするために山内家を訪れたのだ。

「おばちゃ~ん、上手に着れないよ~」

 そう言いながら障子をカタカタといわせ、香枝たちのいる和室に入ってきたのは芽依である。

 芽依は下着の上から直接浴衣を羽織っていて、「上手に着れ」ずにはだけた浴衣姿は、成長期に差し掛かりつつある女子児童の、露わにすることが決して好ましくない体躯をことさらに強調していた。

「あらあら」

 芽依は「うわー」と大騒ぎしながら浴衣をガバッと畳の上へと投げ出し、香枝の着付けが終わるのを待つかのようにドカッと美桜の母親の脇に腰を下ろした。

 美桜はあられもない姿で胡坐をかいている芽依を見下ろし、また、舐めるように全身を凝視した。そしてふと芽依の腰のあたりで目を止める。

「やっぱりまだ消えないんだ、それ」

「やだ、何そのあざ?」

 美桜の母が怪訝そうに言う。

「呪いのあざ」

「もう、違うったら~」

 子どもたちのうわさによると、そのあざは「交差点の幽霊」の呪いによってつけられたものであるらしく、そのせいでこの樫谷芽依という少女は、周囲の友達から「呪われた少女」というレッテルをはられている。彼女が友達から「のろ子」とか「のろちゃん」と呼ばれるゆえんもそこにある。

「なな何よ呪いって」

 呪いと聞いて黙っていないのは怖がりの香枝だ。

「二十歳までに消えないと死んじゃうんだって」

 比較的優等生タイプの美桜が律義に答える。

「それが交差点の幽霊ってやつなの?」

「そうだ、香枝はまだ知らないんだっけ。今日の待ち合わせ場所っていうのが、まさにその呪いの交差点なんだよ」

「ひいいいん、あたしもう絶対行かない!!」

 香枝が叔母の胸に抱きついた。

「もう、バカなことばっかり言うんじゃないの」


 ピンポーン


 インターホンがなる。

「ほら、もう一人のお友達来たんじゃない?」

「本当だ!!」

 天真爛漫な芽依が美桜たちの制止も聞かずに下着姿のまま部屋を出て行って玄関の扉をばっと開ける。

「いらっしゃ~い!」

「うわっ、のろちゃん…あの…浴衣は?」

 もう一人の幽霊、花谷みづきは困惑の表情を浮かべていた。




 宿毛神社の夏祭りはここいらでは夏の最大イベントとして知られている。

 とにかく人出が多く、また、これほどの規模に匹敵する催しが他にないことから、いきかう人々は「この町にこんなにたくさん人がいたんだ」などと、まるでそれが時候の挨拶であるかのように言葉を交わしながら歩く。

 神社自体の敷地はそれほど広くもないし、建物もこじんまりとしていて隅の方に比較的大きな池があるだけのものだ。

 何か歴史ある池らしいのだが、あいにく私はそういう民俗学的研究対象には造詣が浅く、これといった興味・関心もない。私がそうだから他人もそうに違いないと言っては乱暴なのだろうが、それでもここにいる人々の大半は、この神社で一体何を祭っているのかさえ知らないのではないだろうかと思う。

 それというのはこの祭り、数万人からの人出があるにもかかわらず、神社の境内にはほとんど人の姿など皆無と言ってもよいからだ。

 この神社に隣接する公園、というよりも公園に神社が付属していると言った方が正しいのだが、とにかく神社は大きな公園と隣接している。この公園を起点として東にまっすぐ馬鹿に長いアーケード商店街が整備されており、いくつかの横断歩道を挟んで幅の広い歩行者天国が数キロにわたって続いている。

 夜間も煌々と明かりの消えることのないこの眠らないアーケード街は、補助金を大胆につぎ込んだ空き店舗活用により半ば強引に盛りたてられていて、年寄りばかりのシャッター通りというのでなく、若者向けのブティックやパチンコ屋、コンビニやアニメショップまで立ち並ぶ。

 きっとこれらの商店主たちが目をつけなければ誰もこんな小さな神社の夏祭りのことなんて知りもしなかっただろう。彼らが祭りにかこつけてアーケード沿いに出店してセールをはじめると、うまい具合に人の流れができてきて、一万人規模のイベントになったあたりから役所が観光振興に乗り出し、協賛企業が現れて花火が上がるようになると、公園の広場のステージには毎年タレントが営業にやってくるようになった。

 こういう一夜限りの馬鹿騒ぎというのは色々と問題も多く、人ごみでけんかがあったとか、未成年にビールの試飲をさせたとか、小学生がカツアゲにあったとか、トラブルの種は尽きない。ことが幼い児童にまで及ぶとなれば、それを未然に防ぐというのも我々教師の仕事の一環であり、嫌だ嫌だと言いながらも私は昼過ぎから祭りの見回りに駆り出され、そのときは人の姿もまばらな神社の周りを訳もなくうろうろと徘徊していた。

「あれ、先生じゃないですか」

 どこからかひぐらしの鳴く声が聞え始めた頃、私は鳥居の前でばったり花谷土佐尾に出くわした。

 どうしてなのかはわからないが、彼女は巫女装束を身にまとっている。

「神社でアルバイトでもしているんですか?」

 まあそんなわけはないのだろうが、他に別段何も思いつかなかったので適当に予測を立てて話を振ってみた。

「無料で貸し出ししてるんですよ。一時間だけですけど。知らないの?」

「はい、知りませんでした」

「知ってたら絶対着たでしょ?」

「え、ええ…はい…」

 冗談なのか本気マジなのかわからない人なので、曖昧に返事をしておく。

 チチチチ、と切なげな声が私たちの沈黙を遮り、私は多少安堵した。

「子どもたちは一緒じゃないんですか?」

 暮れ時が近づいて、商店街の方はすでに大勢の人間で雑踏している。子どもたちもそろそろ到着していておかしくはない。

「子どもたちはあの幽霊交差点で待ち合わせしているみたい。あたしだけ現地で合流なんです、鳥居の前で」

 土佐尾が答える。

「どうしてまた」

「こーれ」

 土佐尾が肩からぶら下げていたごついカメラをこれみよがしに見せつけてきた。

「子ども神輿の撮影がしたくて。ほら、アナウンス」

 神輿の開始時刻と待ち合わせ時間が合わなかったという意味なのだろう。公園に立つスピーカーからは女性の声でアナウンスが流れているのがかすかに聞こえる。はっきりとは聞きとれないが、この〝子ども神輿〟がアーケード街を練り歩く時刻を告げているのだろう。

 子ども神輿とはその名の通り、地域の子どもたちが担いで歩くお神輿で、幼い少年少女たちのねじり鉢巻きにはっぴ姿というシュールな出で立ちがそこはかとなく笑いを誘う恒例の行事である。

「先生は見回りですか?」

「ええ、こっちも保護者付きでね」

 一緒に見回りに来ていた学年主任の油谷静教諭が、商店街の方で手を振っているのが見える。神輿の開始時刻あたりから人波が激しくなるのは例年のことで、それに合わせて合流しようという意図なのだろう。

「はいはい、今行きますよ。じゃあ子どもたちの方よろしくお願いしますね」

「任せてください」

 別れ際、ポンと胸を叩いて笑ってみせた土佐尾の表情に、娘のみづきの顔が重なって見えた。

 まだ子どもたちと合流していないということは、彼女はまだみづきには会ってはいないはずだ。死んだ娘が生前と変わらぬ姿で現れたとき、母親はどんな気持ちになるのだろうか。それは想像にも及ばないが、びっくりしたとか怖いとか、そんな一辺倒な感情ではないのだろう。

 果たしてこの親子をひき合わせて良いものかとも思うのだけれど、こうなってしまってはいずれ二人が再会することは不可避である。

 私にとって大切なのは如何にしてあの忌まわしき悪霊、花谷みづきを退治するかということであり、死んだ娘との再会がこの母親に精神的ショックを与えてしまったとしても、直接的には関係ない。悪いのは化けて出る方だし、土佐尾に変に義理立てする理由もない。

(もうどうにでもなれ。俺は知らん)

 開き直って主任の方へ歩き出す。

「あ、先生だ」

 商店街の入り口で見覚えのある顔の三人の少年たちが私に声をかけた。

「お前らも早く帰れよ」

 それぞれ丹波、佐藤、菱川というこの少年たちは、普段は恭輔、利正、それから赤澤を加えた六人組で行動していることが多い。しかしこの日はどうやら様子が違い、女の子を一人連れている。

 ボーイッシュな雰囲気のツインテールの少女だ。

(誰だあの女の子)

 よりにもよってこの町で〝ツインテール〟をしているなんて、肝がすわっているというか怖いもの知らずというか―。そんなことを思いながら私は彼らに背を向けた。




「で、いくら取ったの?」

「知らねぇよ」

 ダボダボの学ランの少年が目を泳がせている。しらばっくれているのだ。

「知らないことはないだろう。それともその財布、お前のか?」

 この少年が手にしている財布にはどうみても小学校低学年向けアニメ番組のキャラクターのイラストがプリントされている。

「ちっ、いくぞ」

 少年は財布を私に押し付けると、二人の仲間をつれてその場を立ち去って行く。

「うわーん」

 財布の持ち主の少女が大粒の涙を流して泣いている。私が少年たちを注意していた間にできた人だかりは、立ち去っていく中学生の背中をまだにらみ続けていた。

 私が油谷主任と合流して商店街に入ると、すでにこういうトラブルがあちこちで起こっているようで、警官の袖を引っ張っている親切そうな老人と出会ったり、あくどい商売をしている商店主を糾弾する怒声が上がったりしていた。

 私たちは「子どもパトロール」と書かれた腕章をつけていたので、何か起こるとすぐに見知らぬ人から救援をもとめられ、人波をかき分けて一件一件処理してまわっているうちに、主任とは完全にはぐれてしまったようである。口うるさいのがいなくなって、これはこれでラッキーだったのかもしれない。

「早く帰らないと危ないよって、学校で言われたろ」

「ごめんなさーい」

「よし、じゃあもう帰りなさい」

「はーい」

 少女が人ごみの中に消えていくと、それまで私たちが話していたスペースへあっという間に何十人もの人間が流れ込む。人込みはやたらと蒸し暑い。

 私は人の群れを横切って、広いアーケードの片側の端、雑貨屋か何かのショーウィンドウにもたれかかって、つい先ほど購入していた炭酸飲料の紙コップの蓋にストローを突き刺す。ちゅーっと二口分くらい、からからの喉へと流し込んだとき、ふと横からの視線に気がついた。

「先生、やるじゃん」

「ひゅーひゅー」

 さっきの様子を見ていたのであろう。子どもたちがひやかしてきた。芽依、香枝、美桜、みづき、恭輔、利正の六人である。女の子四人は全員浴衣を着ているが、四着のデザインの趣味が統一されていて仲の良い四姉妹のように見えた。

「お前ら保護者はどうした」

「それがいないんだよね、待ち合わせ場所に」

 利正が言った。ちなみにさっき「やるじゃん」といったのも利正だ。

「先生会わなかった?」

 さっき「ひゅーひゅー」と言っていた芽依が尋ねてくる。「ひゅーひゅー」なんて実際に使っている人を見るのは人生で初めてのことである。

「会ったぞ。子ども神輿の方へ行くと言ってた」

 しらっと素知らぬ表情で言いながら、仲良しの友達面してグループに加わっているみづきを一瞥する。

「ねえそろそろ教えてよ。保護者って誰のこと?」

 私の視線に気がついて、みづきが周囲の友人に尋ねる。どうやら周囲の友人と私がグルになってみづきにだけその保護者が誰なのか隠匿しているのだと勘違いしているらしい。

 驚いたことにこの少女は、これから自分が誰と引きあわされるのか何も聞かされていないようなのである。

「まだ内緒」

「もう、なんで私にだけ秘密なの?」

「それも内緒」

「会ったら絶対びっくりするから」

 びっくりするのは土佐尾ははおやの方だろう。死んだ娘が化けて出たのだから。

「先生、教えてくださいよー」

「知らない」

「子ども神輿を見に行ったんですよね、その人」

「教えない」

 私はそっぽを向いた。私が何も知らないとでも思っているのか、みづきは周囲の友人にするのと同じように人懐っこくふるまっているのだが、この悪霊の正体を知っている私が彼女に対して良くしてやる理由はない。

 そろそろ保護者と合流しなくてはならない時間に差し掛かっており、アーケードの外側はもう真っ暗で、こちらの人混みが嘘のように閑散としている。

「よーし、じゃあそのお神輿のところまで、もう一回りしてますか、ね、加賀君?」

 香枝が恭輔の肩を叩いて、どうしてかニヤニヤしている。

「…」

 恭輔は先ほどから一言も口を聞いておらず、うつろな表情をしている。ここが漫画の世界なら、こめかみに三本線が入っているとでも表現すればわかりやすいだろうか。

「おーい、加賀くーん?」

「…悪いんだけど、僕、疲れちゃって…。少しここで休んでから行くよ…」

「大丈夫?なにか飲み物でも買ってこようか?〝加賀君の〟お金で」

「…大丈夫、すぐに良くなると思うから」

「本当に?」

「うん」

「じゃあ心配だけど、私たちだけで行ってくるね。行こ、みんな」

 香枝がそう言うと、他の三人の女子たちがそれに従って歩み始める。

「恭ちゃ~ん、お大事にね~」

 自慢のロングヘアーを上にあげ、不細工にかんざしを突き刺した芽依がぶんぶん手を振っている。

「じゃあ俺も」

「待て」

 利正がその場を立ち去ろうとすると、恭輔が制止した。

「お前は行くな」

 気色の悪そうな恭輔に対し、今晩の利正はご機嫌そのものである。意中のみづきと仲良くグループデートを楽しんでいるのだから、それもそのはずである。利正は不服そうに引きとめた恭輔を見る。

「俺もみんなと行きたいんだけど」

「〝みづきちゃんと〟だろ。お前もともと何のためにここに来たか忘れてんじゃねえのか?」

「みづきちゃんとデート」

「違う!」

 彼らはもともと祭りを楽しみにやって来たわけではなく、怖がりの香枝を驚かせるために、少年の霊が出るといううわさの神社の池へ女子たちを連れていく計画を立てていた。

「なんだ、また何か企んでいるのか」

 何も知らない私が尋ねた。

「ああ、境内の池に子どもの霊が出るんだよ」

「そんなもん出るわけないだろ」

「出なけりゃ出してでもビビらせるんだよ。先生、今回ばかりは大目に見てもらうぜ」

 恭輔がいつになく真剣な表情で言うものだから、注意してやろうと身構えていた私は少々ひるんでしまった。

「あの女、絶対泣かしてやる」

「…お金がどうとか言ってたな」

 私が気になっていたことを尋ねる。

「たかられてるのか?」

 こっくりとうなずく恭輔。

「いくら持ってきた?」

「全財産、一万円」

「いくら残ってる?」

「千円」

 中学生のカツアゲとどちらが良心的だろう。

「いつもと違うメンバーで遊んでいると思ったら…。金を餌にあの子たちを誘いだしたっていうところか?」

「そうだよ、悪い?」

「…今回だけだぞ」

 私は溜息をついた。

 社会通念上、恭輔の行いは悪いことなのだろうが、今回ばかりは彼も相応の代償を払っている。私はその晩に限って彼を支持することにした。

「そういえばさっき、いつもの三人にも会ったな」

 私は思いだして何の気なしにそう言った。

「三人って?」

「丹波と佐藤と、あと菱川」

「赤澤は?」

「赤澤はいなかったな。代わりにツインテールの女の子がいた。あの女の子は誰だ?」

「誰って、赤澤じゃん」

「ああ、赤澤のお姉さんか」

「いや本人だろ、赤澤塔子」

「塔子?」

 私の知っている赤澤は、赤澤あかざわ彰央あきお。れっきとした少年である。

 

―子どもたちはあの幽霊交差点で待ち合わせしているみたい。


 夕方土佐尾と出会った時、彼女が言っていた台詞が頭の中にふとよみがえった。

 嫌な予感がする。

 第一おかしいと思ったのだ。この町でよりにもよってツインテールの少女を見かけるなんて。

 幽霊のうわさなんていうものは大概がうそ八百も甚だしいものだが、終業式の幽霊のうわさは真実であった。実例が一つあるのだから、二つあってもおかしくはない。

「お前たち、今日どっかで待ち合わせしたんだろ?」

「したけど」

「どのへんでだ」

 恭輔と利正が顔を合わせ、やがて声をそろえて答えた。

「東出の交差点」

 それを聞いた私は一目散に駆けだした。交差点の幽霊を探し出そうとしてのことではない。

 私が追いかけたのは交差点の幽霊に呪われた少女、樫谷芽依である。

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