第二章 水底の呼び声
しるし
【うわさ③】
三年の頃社会見学に言った浄水場、覚えてるか?
―ああ、閉鎖するんだろ、来年。
まだけっこう新しかっただろ。どうして閉鎖するのか、知ってるか?
―さあな。
今年の六月頃、子供が一人、溺れて死んでんだよ。
―知らねぇな、どこのバカだ?
中央小の四年。何人かで忍び込んで、ゴムボート浮かべて遊んでたらしい。
それなのに、どうしてそんな大ニュースがこれまで報道されてこなかったんだと思う?
―…飲み水に使うからだろ。その浄水場の水を。
そう。死体が浮かんでた水なんか気持ち悪くて飲めねェからな。うわさが広まる前に新しい設備に切り替えようって話だ。
だけどな、水の使い方っていうのは何も飲むことだけに限らないだろ?例えばここのプールの水だって元をたどればあの浄水施設から太い水道管をつたってやってきたものだ。
今年の夏は例年に比べてプールや水辺で子供が溺れる事故が増えてるってのは聞いてるよな?
うわさではその死んだ子供が友達を探して人の足をひいてるっていう話なんだ。
「死んじまった子供がプールでスイスイ泳いでるって?くっだらねぇ」
赤澤が加賀恭輔の背中を思い切り平手で打った。
「痛ってぇじゃんかよ!!」
パチンという破裂音と荒々しい語気が屋内のプールサイドで鈍くこだまして、監視員の視線が六人組の男子たちへと向かう。
あの竹林での騒動から数日が経過し、彼らはまた学校や先生から解放された長期休暇へと戻っていったわけだが、こうして六人で集まってプールへとやってきたのは何も彼らが平凡な日常を謳歌していることの表れではない。
彼らはあの日の日中、交差点の幽霊、あるいはそうでなかったにせよ、およそ人ならざるものを目撃している。
集団で行動しているのも単に彼らが仲良しグループだからというだけでなく、自身の身に危険が迫っていることを彼らなりに案じてのことなのだ。他愛ないうわさ話も、はやる気持ちを紛らわせるための気休めに過ぎなかった。
「お前、その話作っただろ?」
鮎川利正がプールの中から首だけ出してそう言うと恭輔はギクリと肩をすくめる。
「俺似たような話、のろ子から聞いたぞ」
「あっ、俺も思った」
仲間の一人が相槌のように言う。
「い、嫌だなみんな、僕はそんな悪いことしないよ」
「バッカだね~君、著作権法違反って知ってっか?」
「逮捕だ逮捕」
そう言うと五人が打ち合わせでもしていたかのようにいっせいに掌を打って逮捕コールをはじめる。
「うるせぇな。今年は水難事故が多いってニュースでも言ってんじゃんかよ。何かあんじゃねぇの?」
恭輔はコールを遮ってしかめ面をして見せる。
「何でもかんでもお化けのせいにしない」
赤澤が恭輔の頭をスコンとはたいた。
「チッ、嫌な奴ら。こっちはお前らが退屈してると思って話題を提供してやってるんだぜ」
「悪かった悪かった。昨日寝ないで考えたんだもんな」
「プッ」
赤澤が恭輔に茶々を入れると仲間の一人がわざとらしく噴き出すそぶりをしてみせた。
「何笑ってんだよ」
「別に」
「あークソ、夏休みに入ってからこっち上手くいかないことばっかりだな」
「俺もあるぜ。幽霊は出るし、縄で縛られるし」
ここ数日のごたごたで彼らの間には多少のわだかまりができつつあった。具体的には恭輔と利正の二人に対して、立て続けの実害にみまわれた赤澤以下四名が不満を募らせているという形である。
先ほども赤澤はおどけて言ってみせてはいたが、暗にすべて恭輔のせいだと言っているのである。
「お前の不幸に俺たちを巻き込むなよ」
「うるせぇ、俺だって被害者だ」
恭輔と利正は赤澤たちとは別行動だったため縄で縛られていないのはもちろんのこと、交差点の幽霊と思しき人影さえ目撃してはいない。それにもかかわらずこの両名もそれなりの緊張感を持って赤澤たちの話を認識していた。それというのも実は他でもない私の責任だったりするのだ。
あの晩、私は第四中学校の裏門前でもう一人の幽霊と再び出会うこととなった。つまり終業式の幽霊、花谷みづきその人なのだが、私は彼女に再び出くわした瞬間、恐怖のあまり卒倒してしまった。
我ながら情けない話だが、怖いものは怖いのだから仕方ないではないか。だが事情を知らない子どもたちの目に、あの時の状況というのはいったいどのように映っただろう。
あの時点で花谷みづきが幽霊であることを知っていた人間はあの場に私しかいなかった。私が失神したことは正当な理由に基づく現象だったが、そうとは知らない他者からすればあれほど異常な光景はなかっただろう。
つまり心霊スポットに肝試しに行ったところ、健康な大人がわけもなく突然倒れたのだ。何らかの霊的現象を連想してしかるべきだ。
厳密に言えば私は幽霊を目撃して倒れたのだから霊的現象によって倒れたも同然なのだが、いかんせん私が目を覚ました時にはすでに全員が解散した後で、実は目の前に現れた少女が幽霊だったのだと生徒たちに釈明する機会はなかった。
したがってあの晩子どもたちの目には私が交差点の幽霊の霊気にでもあてられて気を失ったように見えたに違いない。そんな場面に出くわして、それでも霊の存在を否定するほど彼らの子供らしい素直さは死んではいないのだ。
「それはそうと、もうあの女のことは許したのか?」
利正が思い出したようにつぶやく。
「お前は本当に見え見えだな。また〝みづきちゃん〟に会いたくなったか?」
名前が知れているところを見ると、あの後ちゃっかり自己紹介をしていたのだろう。なんと社交的な幽霊か。
「ったく、好きなこと言ってりゃいいんだからな。恭輔のことだからまたなにか企んでると思っただけだよ」
「おいおい、お前だって見ただろう。あの女のびびりっぷりを。あれを見てお前はまだ彼女に何かしてやろうと思ったのか?」
「いや、あんだけ怖がってた人をまた怖い目に合わせてやろうとは思わないけど…」
「そう、俺だって同じさ。流石に引いたよ、だって気絶しちゃうんだもん」
「…」
「正直言ってこの間の件に関しては全面的に俺が悪かった。あんな気の毒な人にもう二度と悪さなんてしない。過ちを乗り越えて、俺も成長したのさ」
(こいつ最低なこと言ってるな)
利正が肩を落とし、恭輔に背を向けて再び泳ぎ始めようとしていると、後ろからタッタッタッとプールサイドをかける足音がした。
「恭ちゃーん!!」
そう叫びながら駆けてきたスクール水着姿の樫谷芽依が、プールサイドに腰かけていた恭輔を飛び越えて水の中へと飛び込んだ。
「コラ―、飛び込みは禁止だぞー!」
監視員が声を荒げて注意する。
「のろ子!危ねぇだろ!」恭輔も怒鳴る。
「またまた~、そんなこと言っていいのですかな?せっかく香枝ちゃんを連れてきてあげたのに。恭ちゃん、まだ何か考えがあるんでしょ?」
芽依の悪意たっぷりの笑顔がほころんだ。
恭輔のように怨嗟云々ではなく、快楽で人を怖がらせようとしている芽依は前回の件をどのように感じているのだろう。言わずもがなであった。
「こいつ鬼か」利正は重ねて嘆息する。
「むう、そんなこと言っていいのかなリセ。みづきちゃんも一緒にきてるんだぞぉ」
「おもいっきりおどかしてやろうぜ」
利正は瞬時に切り返す。
「現金なやつだな」
「うへへ~」芽依は依然嬉々としている。
「リセ、お前には情というものがないのか」
「だって恭輔…水着だぞ」
「お前水着属性あったのか!?」
「何よあんたたち水着水着って。やっぱり男子って最低ね」
芽依に続いて柚木香枝と花谷みづき、それから香枝のいとこの山内美桜が姿を見せる。
香枝は芽依と同じくスクール水着姿、他の水着は荷物になるため持ってきていないのだろう。そしてみづきはあにはからんやTシャツにショートパンツというスタイル。どうやら泳ぐつもりがないらしい。
一方の美桜はというと、ドットのビキニに腰にはパレオという市民プールには毛ほどもなじまないスタイルで、中腰になって利正の方に視線を送っている。
「この間はごめんね鮎川君、私あのまま帰っちゃって。あの後大変だったんでしょ?」
「い、いや大丈夫だよ。あの後みんなとも合流できたし」
そういいながら利正の顔はみるみる赤くなっていき、それを隠すようにぶくぶくと水面下へと沈んでゆく。
「何よ、デレデレしちゃって。この変態」
香枝が悪態をついたので赤澤がキッと彼女をねめつける。
「何だとコラ」
「何よ、あんた。やる気なの?」
「か、香枝ちゃん…よそうよ」
みづきが控えめに止めに入る。
「まあまあ赤澤氏、ここは抑えて」
意外なことに男子の側からは恭輔が止めに入った。
「喧嘩売ってきたのはあいつの方だろ」
「それは違う。彼女は傷ついているんだ。傷ついて自暴自棄になってしまっているだけだ」
「お前少しおかしいぞ」
澄んだ瞳でわけのわからないことを言い出す恭輔の真意がつかめず、赤澤は唖然としている。
「どうも香枝さん、ごきげんよう」
「ごきげん…?何よこいつ気持ち悪いわね。新しい嫌がらせなの?」
「とんでもない。僕はただ君に罪滅ぼしを…」
「何か悪いものでも拾って食べたのかしら」
「そうだ香枝さん」
「いいから名前で呼ばないで」
「苗字が分からない」
「柚木、柚木香枝ちゃん」
芽依が恭輔に耳打ちする。
「それじゃあ柚木」
「何よ」
「もしよければ今夜の夏祭りにみんなで一緒に行かないか。露店も出るしにぎやかになるぞ」
「嫌よ、何が目的なの?」
「俺は本当にこの間のことが謝りたいんだ。案内してやるし何かおごってやるよ。それでチャラにしようぜ」
柄にもないことを言い出した恭輔をみて、その場にいた全員が彼の心中を勘繰った。
「ねえ恭ちゃん、夏祭りって
何か心当たりがあったらしく、芽依が何か確認するように尋ねる。
「今日の祭りっていったら他にないだろ」
それを聞いた芽依は得心いったようにうなずいた。
「ほぉ、それはまたタイムリーな」
「何がだよ」利正が尋ねる。
「近頃境内の池で子どもの霊が参拝客の足をひくって…」
そこまで聞いたところで香枝が失神してプールへと前のめりに倒れた。
「うわあああ」
「監視員さああん」
悲鳴を聞いた監視員二名が駆け寄ってくる。
「今助けるぞ!」
その後香枝はすぐに引き上げられ、一応担架で医務室へと連れて行かれることになった。
「それにしても今年は水の事故が多いなあ」
担架を持ちあげる際、監視員の一人がぼそっとこぼすようにつぶやく。
「こいつの場合は特別なんすよ」
すぐわきにいた赤澤がニヒルな笑みをつくってそう言った。
「おや、君もケガしてるじゃないか。ほら二の腕のところ、打身になってるぞ」
「えっ」
ふと見ると赤澤の二の腕にシミのような、あざのような、歪な形をした斑紋が浮かび上がっていた。不気味なことにその斑紋は笑っている人間の顔のようにも見えた。
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