幽霊の正体
幽霊の正体見たり枯れ尾花―。少女の白く透き通った足の正体は、すれ違いざまに重なって見えた二本の懐中電灯の灯りであった。
実はこの真相はかなり有名な話で、本来であれば怪談の落ちとして使われるべき内容でさえある。
少女が発作を起こして亡くなった後、彼女の霊が出るといううわさが立ち始める前に少女の父親は第四中学校の裏門に祠を立てた。その後件のうわさが立ち始めると、娘を想って作った祠はかえって怪談を盛り上げる材料として使われてしまい、父親は激しく憤りを覚えた。それからというもの彼は時間を見つけては娘の死んだ竹林を巡回するようになった。目的はもちろん不謹慎に肝試しをする輩を注意して回ることである。
ただ彼にも仕事があって、巡回の時間帯はどうしても夜間に集中した。竹林の闇の中へ入るには懐中電灯は必須である。結果的に幽霊の目撃情報は飛躍的に増加することとなってしまった。こういう皮肉な落ちである。
私個人としてはいくら闇の中でのこととはいえ懐中電灯の光を人間の足と見間違うというのは眉唾物だと思っていて、何か見え透いたごまかしを聞かされているような気がしている。そう感じていながらも私がその見解を主張しないのは、この件についての利害関係人がいまだに健在であるからに相違ない。
この父親は娘の死から二十年以上たった今でも巡回を続けているのだ。
彼は既に定年退職しており、顔にはしみやしわも多く、頭髪はグレーがかって生え際も上がっている。今となっては悪ふざけでやって来たカップルや大学生、それから近所の小学生をとっつかまえては説教している名物じいさんとしてすっかり定着してしまっていた。
夕方学校にかかってきた電話というのがまさにこのじいさんからのクレームの電話で、その内容はというと、「赤澤」という児童を保護しているから迎えに来いという横柄なものであった。
赤澤たちは昼間交差点の幽霊を目撃した直後、不幸にもこのじいさんの巡回に出くわして捕まったのである。
夕方私と一緒にいた芽依は事の顛末を聞くと、自分も一緒に行くと言って聞かず、やむを得ず私は彼女を車に同乗させて現場へと急行した。
第四中学校の職員用駐車場に車を止めて裏門の方へ回ると、昼間捕まえられた赤澤たち四人があろうことかちょっとした縄で縛られた状態で座らされており、そのすぐわきに例のじいさんが一人立っていた。
私の姿を発見した赤澤たちは「先生」、「先生」と助けを求め、私はこの偏屈じいさんに許しを請ってすぐに四人の縄をほどいてやった。
じいさんはかなり興奮している様子で、「まだ仲間がいる」というような意味のことを言うと、うす暗い竹林の中へと戻っていった。怖いもの知らずの芽依も面白がってじいさんの後について行く。
しばらくするとじいさんと芽依が男女二人を連れて帰って来た。国道側の入り口から入って来た恭輔と香枝である。
恭輔は相当しぼられたのかひどく憔悴した様子でとぼとぼじいさんの後ろをついて歩いていた。一方の香枝はなぜかじいさんの背におぶさっていた。
裏門の前まで戻って来たじいさんは香枝をあおむけに寝かせた。どういうわけか香枝は失神してしまっている。
じいさんはいまだ興奮収まらず、「きっとまだいる」というようなことを言って竹林へ。芽依もついて戻る。
じいさんがいなくなると私は香枝の顔を上から覗き込みながら言った。
「お前たち、大変なことをしてくれたな」
「こいつが勝手に伸びたんだよ」恭輔は釈明する。
「何なんだその態度は、悪びれもせず。見ろ、この悲痛な表情を。この世の終わりでも見たようじゃないか」
香枝は白目をむいて口をあんぐりさせていた。
「知らねえよ。あのじじいが突然出てくるからじゃんよ」
「誰だよあのじじい」今度は赤澤が尋ねる。
「そうだよ、誰だよあのじじい」
「そうじじいじじいとあまり失礼な口をきくな。それにじじいが何もしなくたってどうせお前ら何かやったに決まってるんだ。昼間からここでこそこそ何か準備していたことはあのじじいから聞いて知ってるんだぞ」
「何でじじいにそこまでわれてんだよ」
「だからじじいって言うなって!」
「てめえも言ってんじゃんかよ!!」
「う―…ん…。じじいって何…?」
ここで香枝がようやく目を覚ます。
「はっ!?さっきの光は!?何!?お化け!?」
がばっと体を起こすと周囲をきょろきょろと見回す。
「安心しろ、お化けなんか出てない。全部こいつらのいたずらだ」
香枝は私の声を頼りに〝こいつら〟と思しき男子五人組に目をやる。
「何よ、またあんたたちの仕業だったの!!」
眉を寄せて恭輔を威嚇する。
「冤罪だ、冤罪!別件でぶっ飛んどいて勝手なこと言うな!」
「やっぱり本件は本件で存在していたんじゃないか」
「ゆ、誘導尋問だ!!」
「何かわかんないけど、言い逃れしないで欲しいんですけど」
「加賀、正直に謝れ。男らしくないぞ」
「そうよ。謝りなさいよ」
「ほ、本当に何にもないって。そうだよ、お前はさっき本物の幽霊見てぶっ倒れたんだよ」
「ほ、ほほ本物の幽霊ででですってえ!?」
「お前もいちいち本気にするなよ。加賀、この期に及んで見苦しいぞ」
「うっ…」
苦しくなってきた恭輔は口ごもった。
「いや、俺たちは本物を見たぜ」
しばらく黙っていた赤澤が私たちの会話を遮った。
「交差点の幽霊を見たんだ、あのじじいに捕まる直前にな」
「何?」
しばらく一同の言葉が途切れた。
「じゃあ本当におじさんが死んじゃった女の子のお父さんなんですか!?」
「ああ、そうだよ」
「ね、ね、すごいでしょ?ご本人登場だよ」
一方竹林の中の利正たちはというと、なんと偏屈じいさんと打ち解けていた。やはり女の子の力は偉大だ。
こうなると縄で縛られていた赤澤たちがいかに不当な扱いを受けていたのかがよくわかる。利正が一人で竹林を歩いていたとしたらこうはならなかっただろう。
ただ当の利正は意中の女の子をクラスの心霊オタクと突然湧いて出た正体不明のじいさんに取られてしまい、不機嫌が露骨に態度に出ている。
「今でも娘さんのために毎日パトロールしてるんですか?」
「ははは。こんなものは私の自己満足さ」
「そんなことありません。素敵ですよ」
「そうかい?」
「こんな…」
「ん?リセ何か言った?」芽依が尋ねる。
こんなじいさんのどこが素敵なものか。利正は言いかけてやめる。
「リセ?」愛しの少女が利正の方を向く。
「あ…リセっていうのは俺のあだ名。〝リセイ〟っていう名前だから」
「どんな字をかくの?」
「利口の利に正しいと書いて利正」
「あのね、苗字はお魚の鮎に川って書いて鮎川利正っていうんだよ」
「へえ。じゃあ、あたしもリセって呼んでいい?」
「も、もちろん」
(のろ子、ナイスファイトだ)
利正の表情が明るさを取り戻す。
「と、ところで君の名ま」
「でも結局幽霊なんて出なかったね」
少女の声が利正の声をかき消した。
タイミングを外してまた表情を沈めた利正を見て芽依はニヤニヤしている。こういうところには不気味なほど聡い心霊オタクだ。
「私ももう二十年も見回りをしているけど、娘の幽霊なんて一度も見たことがないね」
「会ってみたいと思わないんですか?」
じいさんはパタリと足を止める。
「どうしてそんなことを聞くんだい?」
「いえ、その…」
少女はもじもじしながら気恥ずかしそうに続ける。
「おじさんの姿がまるで娘さんのことを探しているように見えたので」
少女が言うとじいさんは一瞬面食らったような顔をつくったが、一呼吸おいてから優しく微笑んで返答する。
「そうだね、私はあの子にもう一度会いたいのかもしれないな」
じいさんは目を細め、遠くに何かを見るようにしている。それは遠い日の思い出か、あるいは娘を救えなかった後悔だったのか、私にはわからない。
「でもどちらにしたって娘の幽霊なんているはずがないよ。二十年探していないんだものね」
「馬鹿だなあ、おじさん。幽霊はいるよ」
そう言ったのは芽依である。
「なんだい、慰めてくれるのかい?」
芽依は首を横に振った。
「幽霊は絶対にいるけど、何十年探したっておじさんには絶対見つけることはできないよ」
「どうしてだい?」
「だって二十年前のその晩、女の子はお父さんに会えないまま死んじゃったんだからさ」
その言葉を聞いたじいさんは少し悲しそうな顔をつくって「そうか」とだけつぶやいた。
「お前、ときどききついよな」
利正は小声で芽依にそう言って、落ち込んだ空気を変えようと愛しの少女の方に目を向ける。
するとどういうわけか少女の方もじいさんと同じ顔をつくってたたずんでいた。
はじめに沈黙を破ったのは香枝だった。
「こここ交差点の幽霊…って何?どどどこに交差点なんてああるのよ」
交差点の幽霊はこの町ではポピュラーなうわさだったが、香枝はこの地域の子どもではないためこのうわさのことなど知らなかった。だが詳しくは知らないという点では私も彼女と同じだ。
「そうだぞ、赤澤。お前たちのいっているあのうわさの交差点っていうのは
東出の交差点とは、槇志野小の校区のちょうど中央付近に位置する交差点のことで、子供たちが遊びに出かける約束をするとき、待ち合わせ場所にすることで定番の地名であった。対してこの竹林は校区内の北の端の方にあって、ロケーションだけでいえばてんで関連性がない。
私は子どもたちがうわさする交差点とは東出の交差点のことであると理解していたから、この第四中学校裏の竹林においてそんなうわさを観念しようとする発想などなく、赤澤がなぜそんなことを突然言い出したのか理解できなかった。
「先生、交差点の幽霊は待ち合わせする幽霊なんだよ」
「意味が分からないんだが」
「待ち合わせ場所、つまり東出の交差点に初めにやってきた奴と入れ替わるんだ。それから気の向くままに町の中で遊びまわる」
真顔でそんなことを言っている赤澤に私は内心呆れていたが、恭輔たち四人はその間黙ってしまって一言も口を利かないし、香枝に関してはここまで聞いた段階でまた気を失っている。
「入れかわるっていうのはどういうことだ?入れかわった子はどうなる?」
「幽霊の代わりに霊界で留守番をするんだ」
「それからどうなる?」
「元の世界に帰ってくるよ。幽霊が遊び疲れたらね。まあ、ときどき帰ってこられない奴もいるんだけど」
「つまりお前たちはその幽霊が誰かと入れ替わって遊んでいるのを見たんだな」
赤澤は黙ってうなずいた。
私はこの時このうわさの内容をはじめてきちんとした形で聞いたのだが、率直な感想としてそれほどの怖さを感じなかった。子供たちがしきりにうわさをするのでどれほどのものかと内心期待もしており、これでは少し拍子抜けしたと言ってもいい。
実はこのとき赤澤がそんなことを言い出したのは恭輔たちに対する警告のつもりだったのだが、この時点での私には単に彼が説教から話をそらすためにこの話を持ち出したとしか考えられなかった。
私はこの数日前に〝終業式の幽霊〟という恐怖を実際に体験していたこともあって、うわさに聞くだけの幽霊話など相対的に陳腐なものにしか感じられなかった。だがすでに本物の幽霊の恐怖も去り、また「足の長い少女」のうわさも真実でないとなると、それまで張りつめていた分少しだけ気分が大きくなる。もっと言えば幽霊でも何でも出て来てみろとさえ感じていた。
「とにかく今日はもうみんな帰ろうか。俺が車で送って行くよ。まだ鮎川の奴が残ってるだろ?」
ここに悪ガキ五人がいるということは利正もいるに違いないと思って言った。
周囲はもう真っ暗になって、さすがに早く子供たちを送り返さなければならない時間だ。
「たぶん反対側の入り口にいる」恭輔が言う。
ここに男子が五人いて女子は芽依と香枝の二人、利正を入れれば全部で八人である。私の車は七人乗りのファミリーカーなので子どもならお仕込めば何とか入るだろう。
そんなことを考えていると早くも竹林の奥から二本の筒状の光が現れる。この時点での計算で考えれば懐中電灯の後ろにはじいさんと芽依、それから利正の三人がいるはずだった。だが目の前に現れた人影は一つ多く、しかもそれは子どものシルエットだった。
(九人か…。ちょっときついぞ)
私は暢気にそう考えて、手にした自分の懐中電灯でもう一つの人影を照らし、その顔を確認した。
それは見覚えのある少女の顔だった。そして同時に二度と見たくないと思っていた顔でもある。
私は絶句し、そのまま卒倒する。
薄れゆく意識の中で子どもたちが「先生」、「先生」と心配して集まってくるのが分かった。
子どもたちに混じって、再び現れた幽霊の少女・花谷みづきも私の顔を覗き込んでいた。
この時私たちの様子を竹林の中から監視する怪しい視線があった。
「見つけた」
高く澄んだ声の少女だ。
はっきりと抑揚をつけながらも冷たい口調で言い放った少女はどこまでもまっすぐな視線を向ける。
「あの子は私のもの。誰にも渡さない」
少女は踵を返し、腰の長さまであるツインテールを夜風になびかせると、竹林の闇の中へと消えて行った。
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