肝試しの夜

 闇に暮れ、頭上には濃紺の夜空が竹葉の窓枠の中へと顔をのぞかせている。

 うわさに出てきた第四中学校の生徒は忘れ物を取りに学校へ戻ったというが、街灯もなく、手にした懐中電灯の細長い明かりだけが頼りの竹林の暗がりは、宿題や体操着をその日のうちに持って帰れるというだけでは割に合わない戦慄を与えている。

 子どもには闇が恐ろしい。

 時刻はすでに午後8時過ぎ―。夏の日がいくら長いとはいってもこうなってはもう手遅れで、コンビニやゲームセンターさえなければこの時間帯に小学生が外出することなどできるはずもない。ましてここは地元では有名な心霊スポットだ。

「恭輔ー、もう帰ろうよー」

 鮎川利正の呼び声が舗装された小道を虚しく通過していく。

「ねー、どこ行っちゃったんだよー」

 こんなとき、よりによって一人だ。




 ことの発端は二時間前、待ち合わせの六時に樫谷芽依が現れなかったことから始まる。

 恭輔と利正の二人が六時きっかりに集合場所である国道沿いの地点へと赴くとすでにその場には十名ほどの女子たちが集まっていた。その中には恭輔の狙い通り、標的である柚木香枝の姿もあった。一方利正のお目当てである昼間の少女の姿はなく、彼のモチベーションの大半は吹き飛ばされた。

 二人が姿を現すと、女子たちはまるで彼らの到着を待っていたかのようにひどく整然とした口調で因縁をつけ始めた。今朝芽依が肝試しの話をもちかけてきた段階で、おそらく恭輔たちも参加するであろうことは彼女たちにも見当がついていたのだ。

 予定調和の口論が終わると話題は芽依がまだ到着しないことへと移行する。

 先述の通りこの肝試しのテーマである「足の長い少女」のうわさは、怖がりの香枝を除いてそれほどウケていたわけではない。それにもかかわらず女子たちがわざわざ集合したのは、この肝試しが他ならぬ芽依からの誘いだったためである。彼女たちにとって芽依は恐怖の象徴であり、彼女あっての肝試しだったのだ。それが一向に姿を現さず、ましていけすかない男子たちも参加するとあっては、この場はお開きにして家でテレビでもみていた方がずっといい。

 かくして女子たちはすぐに解散しようと切り出した。リーダー気質の少女が大人と一緒じゃないと叱られるなどと言い繕って体裁を整える。

 すでにやる気を失っている利正はぼさっと縁石に腰掛けていたが、恭輔は必死に女子たちを止めようとした。すでに竹林の中でスタンバイしているであろう赤澤たちの手前、中止になりましたではリーダーの沽券に関わる。

 恭輔はあの手この手で女子たちを挑発し帰宅させまいとしたが、それでも大半の女子たちは帰ってしまった。しかし幸運なことにターゲットである柚木香枝はまんまと彼の挑発に乗って肝試しに行くことを承諾する。決め手となったのがこの台詞。


「お前、怖いんじゃねーの?」


 怒り狂った香枝は恭輔の腕を引っ張って二人でずんずん竹林の中へ進んで行き、後に残されたのは利正と、香枝と一緒に来ていた彼女のいとこ、山内美桜の二人だけになった。

 問題はここからである。竹林に入っていった恭輔と香枝が1時間経っても戻ってこなかったのだ。

 日も傾いてきて心配になった美桜は誰か呼んできた方がいいと言い出した。しかし監督者もなしに夜遊びをしていたことが親に知れれば注意を受けることは必至だ。そこで白羽の矢が立ったのが今回の監督役として勝手に決められていた私である。

 美桜には私なら絶対に親に告げ口したりしないという自信があった。仮に私が彼らの保護者に今回の件を明かしたとしても責めを負うのは私である。なぜなら彼らの保護者は私が肝試しの監督をしていると思っているのだから。私が監督役を承諾した覚えはないと言ったところで言い逃れだと言われればそれまでのことなのである。

 美桜は学校に先生が残っているかもしれないと言ってその場を立ち去ってしまった。

 さかしい美桜がいなくなり、一人ぼっちになってしまった利正。美桜が学校まで行って戻ってくるまで少なくとも三十分はかかる。日も暮れてきた。

 利正の足は自然恭輔や赤澤たちのいる竹藪の中へと向かったのだった。




 時折の夜風にさらさらと微笑む竹の葉が夏の夜の深まりを冷ややかなものへと変えていく。

「おーい、でてこいよー」

 利正は細身の懐中電灯をしっかりと握りしめ、恐怖に負けまいと両腕を大げさに振りながら進んでいく。

 暗がりの中で目に移るものといえば前方でぎくしゃく角度を変える細い光の筒だけで、下手に光源があるためかえって闇に目が慣れず、自分の周囲にあるものの判別は全くつかない。

 そんな景色を見ながら歩き続けたせいだろう。利正の頭には竹林の少女の霊に関して一つの仮説が生まれていた。

「ねえ」

 突然背後から少女の声がして、汗で冷え切った利正の肩にさらに冷たい手のひらがおかれた。

「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいい」

 全身に鳥肌が立ち、振り返ることなく瞬時に十mほど駆ける。

「待って、私だよ、私」

「えっ」

 振り返って懐中電灯を向けるとそこには昼間出会った少女の姿があった。首からぶら下げたカメラを大事そうに両手で抱えている。

「なんだ君かぁ」

「なんだはひどいなあ。ずっと待ってたんだよ」

「待ってたって、ここで?」

「そう」

 少女はくわしい待ち合わせ場所まで聞いていなかったため、ずっと暗い竹林の中で待っていたのだった。彼女の肩の向こう側に小さく国道のオレンジ色の街灯が見えている。

 利正が何度もごめんごめんと繰り返し謝って彼女の方も悪い気がしていいよいいよと繰り返し言った。

「それで、他のみんなは?」

「それがいろいろあって、今ここに俺入れて三人くらいしかいないんだ。他の二人も俺を置いて先に行っちゃって…」

「じゃあ一応肝試しやってるんだね?良かった。もうみんな帰っちゃったのかと思った」

「うっ、うん…」

 よほど肝試しがしたかったらしく、少女の顔には笑顔がこぼれている。彼女の無垢に喜ぶ表情を見ると実はその通りなんだとは言えない。

「そんなに楽しみだったの?」

「うん」

「こういうの好きなんだ」

「どっちかっていうとだけどね」

「それじゃあ怪談とかも詳しいの?」

「うーん…、それはあんまりかな。そういえばここってどんなお化けが出るの?」

「え!?知らないでここまで来たの?」

「う、うん…。あはは…」

 少女は何かごまかそうと少しはにかんでみせる。

「えーっと…この先に、古い祠みたいなのがあって―」

 利正は少女に「足の長い少女」の話を聞かせてやった。彼女は始終真剣な表情で聞いておりときどき小気味よく相槌を打った。




 聞き終わるが早いか少女の方から話題を切り出した。

「死んじゃった女の子、夜中に病院を飛び出したってことは…、よっぽどだったんだろうね」

「よっぽどひどい病院だったんだろうなってこと?」

 彼女が何を意味してそう言ったのかわからず、利正はとんちんかんなことを言った。

「びょ、病院自体が問題じゃなくて…」

「飯がまずい?」

「…」

 素っ頓狂な利正の返答に彼女は憮然としていたが、ややあって大きく深呼吸してから言う。

「きっと」

 それまでまっすぐ利正に向けていた目を伏し目がちにして続ける。

「きっとすごくさみしかったんだと思うよ、お父さんに会えなくて。だから病院をとび出して、でもそれっきり死んじゃって…。だからその子は成仏できないんじゃないかなって」

 自分の考えを気恥ずかしそうに明かした少女の顔は赤らんでいて、彼女が多少シャイな気質を持っていることがわかる。

「いわゆる未練ってやつ?父親に会えなかったことが」

「きっと女の子はお父さんに会えるまで天国に行けないんだろうなって思う」

「ふうん、ロマンチストなんだ」

 そう言われると少女の顔は火がついたように赤くなった。利正はそんな彼女にどこか愛らしいものを感じて胸の動悸を激しくさせた。

 そのときである。突如前方に2本の白い柱が出現した。うわさに出てきた〝棒〟というのはきっとこのことだろう。油断していた二人は突然のことに背筋をこわばらせる。

「きゃっ」

 少女が悲鳴を上げ利正の肩にしがみつく。だが利正にはこの柱の正体が何なのかすでに見当がついていた。

「だ、大丈夫だよ」

 柱の一つが利正の頭上に倒れ掛かってきた。しかし倒れた柱は彼の頭部をすり抜け、胸の少し上のあたりに突き刺さったような形で静止する。

 二人は目を細めた。

「これ、懐中電灯の光だよ」

「えっ…」

 少女は顔を上げて正面に目をやる。すると前方には懐中電灯を手にした大人と髪の長い少女のシルエットが見える。

「コラ―!何やってる!!」

「コラ―!!」

 逆光で姿は見えないが、後からしゃべった方の声は利正もよく知っている人物のものだった。

「お前、何やってんの?」

「あれ?恭ちゃんたちには効いたのにな。コラー!!」

 樫谷芽依は二回目をさっきよりも大きな声で叫んだ。

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