置換装置
利正はみづきに仲間を集って美桜を探そうなどとでまかせを言ってしまい、引っ込みがつかなくなってしまった。自分ひとりでそれなりの人数を集めようとなると少々骨が折れる。恥をしのんで他人に泣きつき、協力を仰ぐという手段を取らざるを得なかった。
とはいえ慈善で利正に助力しようなどという殊勝な者はそう多くはない。結局彼は加賀恭輔に助けを求めるほかなかった。ちょうど恭輔も香枝と一緒に美桜を探そうと動き出していたころであり、恭輔が主体となって美桜の捜索に協力してくれる者を集めてくれることになった。
夕方、校区内の公園には山内美桜を探すため、多くの子どもたちが集まった。ざっと見積もって三、四十人といったところか。それもクラスも学年もバラバラの児童たちである。もちろん仁徳のない悪ガキたちにこれほどの人数が集められたはずがない。彼らを集めたのは利正たちの通う槇志野小学校の児童会長であった。その児童会長と恭輔が懇意の中だったのである。
恭輔は仁徳こそないが、校内では比較的人脈が多い。それというのも実は彼、学校では五年生の分際で飼育委員長をしているのだ。そのため委員会活動を通じて知り合った校内でも有数の模範児童たちに顔がきき、その気になれば彼らをあごで使うことができる。児童会長は恭輔に人員集めを頼まれると二つ返事で承諾したのだった。
会長は牛乳瓶の底みたいな分厚いメガネをかけた男子生徒で、名前を
児童会長が集合場所に指定した公園は、通称「三角公園」と呼ばれる公園で、その名の通り敷地がきれいな正三角形をしている。ブランコやすべり台などの遊具はなく、砂場と藤棚、そして殺風景さをごまかす意味で置かれているコンクリート製の大きな土管があるだけのものだ。
児童会長は全員が集まったのを確認すると、土管を背にして立ち総員の注意を集めた。
「あー、今日は僕の大切な後輩であるところのー、えー、やま…、やま?」
「山内です、会長」
会長の癖が抜けきれず当然のように仕切り始めたまでは良かったが、青柳は行方不明の女児の名前さえ覚えておらず、最前列で体育座りしていた児童が見かねて名前を告げる。
「そうそう、その山内くんのために集まってもらって感謝する。本当にありがとう」
「名前も知らねえのかよ」恭輔は青柳の横で腕を組んでいる。
「加賀、確かに僕はその誘拐されたとかいう不憫な後輩の名前こそ知らない」
「いや知らんのかい」
「だが僕はうれしい。一人の女子のためにこれだけの人数が学年という枠を超えて集まってくれた。なあみんな、僕たち槇小生の絆はこういった有事の際にこそ試されるのではなかろうか」
「こいつ本当に大丈夫なんでしょうね?」恭輔の横でいぶかる香枝。
「さあみんな、早速グループごとにわかれて捜索を開始しようじゃないか」
「でも児童会長―、探そうにも僕たちその山内さんの顔もわかりません」
最前列で体育座りをしている児童が右手を水平にあげて意見した。
「一生見つかるか」
「加賀、こういうことは結果じゃないんだ。みんなが団結することに意味があるんだ」
「もお誰だよ、こんなやつ連れてきたの!」恭輔は嘆息する。
児童会長を連れてきたのは加賀恭輔である。
一方利正はみづきと二人、遠巻きに恭輔たちの様子を見守っている。
「何やってんだか」
利正は小さくつぶやいた。この調子で本当に美桜を見つけだすことなどできるのだろうか。不安からかみづきが徐々に伏し目がちになっていく。
「花谷さん、どうかした?」
「ううん。何でも…」
みづきはそう言ったが、彼女の視線がチラチラと児童会長の方へいっていることに利正は気がついた。
利正は思う。まだはっきりと決まったわけではないが、もしみづきが昨年亡くなった少女の霊であるとすれば、みづきと児童会長は元同級生ということになるのではないか。だから彼女は彼とは顔を合わせづらいのではないのか。
「あいつらもたもたしてるみたいだから、俺たち二人だけでも、先に探しに行っちゃおうか?」利正は気を利かせようと提案した。
「う、うん、そうだね!」
みづきもそんな利正の態度になんとなく勘づいているのかぎこちなく承諾し、二人はいち早く三角公園を後にした。
そのころ佐藤は自宅の部屋で探しものにいそしんでいた。
「無い…無い…」
探しているのは当然あの『秘密のノート』である。彼はまだノートが保健室で発見されたことを知らないが、あんなことがあった当日に問題のノートが見当たらなければ焦るのも無理はない。
「モッツー、モッツー」
家の外から聞き覚えのある声がした。丹波と菱川が呼びかけているのである。佐藤は部屋の窓を開け、横柄に対応する。
「なんだよ、忙しいのに」
佐藤の部屋は自宅の二階にある。一階の玄関の外に立っていた丹波が佐藤の部屋の窓に向かって投げ込むように言葉を上げる。
「なんかー、児童会長がー、山内のこと捜そうってー。みんな集まってるらしいよー」
「今それどころじゃねえんだよ」
「なんだよ、人でなし」非難する菱川。
「友達だろー」
丹波が昼間の恭輔を模倣してそう言ったことに気が付き、佐藤は「バーカ」とだけ言って窓をぴしゃりとしめた。
佐藤はそのまま自分の部屋を出た。まさかあのノートが家族にでも見つかってはいまいかと心配になったのだ。
一階に下りると、母親が電話口で恐縮していた。
「はい…、明日必ずうかがいます。…はい、失礼します」
「誰から?」
「基弘、あんた何やったの?」
「何もやってないよ」
「うそおっしゃい。学年主任の油谷先生からよ。明日お母さんも一緒に学校へいらしてくださいって」
佐藤の顔が青ざめる。頭をよぎったのはもちろん保健室をめちゃくちゃに荒らしたことである。彼は恭輔が保健室から出るのを見計らって保健室を荒らし、その罪を恭輔になすりつけるつもりだったのだ。それなのになぜ自分に嫌疑がかかっているのか。誰かが密告したのだろうか。そうだとすればそれは保健室の前で佐藤とばったり出くわした赤澤塔子の他に考えられない。
「どうする?俺たちだけで行く?」
玄関の外では依然として丹波と菱川が行く行かないの話をしていた。
「そうだな、塔子さんも連絡つかないし」
そこへ突然佐藤が玄関から飛び出してきた。
「コラ待ちなさい!」
「母さん、行かせてよ!俺友達を探さないと!」
「友達って、あのいなくなったって子?」
「そうだよ!あいつ…バカ野郎が。今ごろ一人で泣いてるぜ。俺がそばにいてやんねえと」
「なにバカなこと言ってるの。…あら、菱川くん。それに丹波くんも」
「こんばんは」友人二人は声を合わせて言う。
「つよし(丹波のあだ名)!ジョンツー(菱川のあだ名)!何もたもたしてんだ!おいて行くぞ!」
「ちょっと基弘!待ちなさい!」
佐藤は二人の反応も待たずに脱兎のごとく駆けて行く。母親の制止は耳にも入らなかっただろう。
「あのデブ急にどうしたんだ?」
「コレステロールを友情パワーに変えたか?」
二人は佐藤の豹変ぶりに驚くばかりであった。
日没を少し過ぎた頃、槇志野小学校の職員室に県警から一報が届く。それは行方不明の山内美桜が発見されたという電話だった。発見者は青柳悟。児童会長である。発見場所は三角公園。恭輔たちが美桜の捜索のために人を集めていた公園だった。
彼女は家出したわけでも誘拐されたわけでもなかった。まして交差点の幽霊にさらわれたわけでもない。登校日の朝、〝どうしても学校へ行きたくない事情〟があって、美桜はこの公園にあるコンクリート製の大きな土管の中に身を潜めた。
土管に入ったまま居眠りをしてしまった彼女が眼を覚ましたのは夕方のことである。土管から顔を出すと公園には多くの子どもたちが集まっていて、見覚えのある瓶底眼鏡の少年が長々と演説を行っている。耳を傾けるとその少年は「山内くん」とか「行方不明」とか言っており、彼の横にはクラスメイトのガキ大将と、都会から遊びにきたいとこが立っている。頭の回転のはやい美桜は一瞬にして状況を理解し、慌てて土管から飛び出してきたというわけである。
一報を受けた私たち教員一同は、一方の保健室荒らしの犯人が佐藤ではないかという疑いの晴れぬまま職員室を後にした。学年主任の油谷と臨時担任の松前は美桜の発見場所の三角公園へと向かい、謹慎中の私はそのまま自宅アパートへと戻ることになった。
帰路、車のフロントガラスにぽつりぽつりと雨粒が落ちてくる。横風も多少出てきたようだ。今朝の天気予報では明日の明け方にかけて暴風雨の恐れがあるといっていた。
夕方まではからっと晴れていたのになあなんて考えながらふとわき見をすると、すぐ隣の歩道に丹波と菱川が歩いている。私は車を停めて助手席側の窓を全開にすると、外の二人に向かって呼びかけた。
「なにやってんだお前ら。外出禁止って学校で言われたろ」
「あっ、先生だ」
「やーい、懲戒免職」
「お前ら新学期に覚えてろよ」
「先生、モッツ見なかった?」
「佐藤?」
「はぐれちゃったんだー」
「わかった。探しておくよ。だから二人は帰りなさい」
「そうだよなー。雨降ってきたし」
「帰るか」
私は窓を閉めながら「絶対帰れよ」と言い残し、再び車を発進させる。
今度は佐藤がいなくなったか。だが彼の場合はおそらくは家出だろう。佐藤は保健室荒らしの重要参考人として明日学校へ出てくるよう油谷主任から命じられている。後になって自分のしてしまったことの重大さがわかり、怖くなったに違いない。
いずれにせよ佐藤の家に電話をして彼の安否を確認しなければならない。そう考えているうちに私は自宅へと到着した。自分の部屋へと入った私はクラスの児童の連絡先名簿を探し始める。
「痛っ!」
床に落ちていた何かを蹴った。それは今朝塔子が持ってきた一眼レフカメラだった。塔子が花谷家から盗み出してきたものである。このカメラさえ取り上げてしまえばみづきには大したことはできない。真偽はわからないが、塔子は確かそんなことを言っていた。
ピンポーン
インターホンがなり私は機械的に玄関へと向かう。覗き穴の外に立っていたのは樫谷芽依であった。部屋に入ってすぐインターホンをならしたところをみると、私が帰ってくるまでずっと部屋の外で待っていたようだ。すぐにドアを開ける。
「どうしたんだ、こんな時間に」
よくみると芽依の眼には涙が浮かんでいる。
「ねえ先生、超能力って信じる?」
「なんだよ、藪から棒だな」
「人間が物を宙にうかせたり、地響きを起こしたりできる?」
「できるもんか」
「じゃあ幽霊だったらできる?」
私の表情が変わる。
「なにかあったか?」
「ねえ、できるの?」
芽依の様子から察するに、なにかなみなみならないことがあったに違いない。私は慎重に答える。
「…心霊番組なんかでポルターガイスト現象というのはよく聞くな。だけどそんなことが実際に起こるかどうかはわからないよ」
「ふうん」
「お前どうしたんだよ。様子がおかしいぞ」
「この前の廃校でね、みづきちゃんが〝それ〟やったんだ」
「それって、ポルターガイストか?」
「そう。あはは、ならみづきちゃんってもしかして幽霊だったりするのかな?」
そう言って芽依はぽろぽろと涙を流し、顔を伏せてしまった。
「ねえ先生、私、どうすればいいかな?」
「…」
カメラさえ取り上げてしまえばみづきには大したことはできない。塔子のあの言葉は誤りであることがこれではっきりした。だがそのこと自体は些末な問題に過ぎない。むしろ重要なのは、それが塔子の単なる勘違いだったのか、それとも故意に私を騙そうとしてやったことなのかということである。
私はあの小旅行の数日前、塔子からみづきのカメラを取り上げてはどうかと提案を受けた。そして出発の日の朝、私はみづきにカメラを置いて行くよう指示。私たちが旅行に行っている隙を見て塔子は花谷家からカメラを盗み出した。
わざわざ盗み出してまで取り上げているところからしても、塔子がただの勘違いから起こした行動だとは到底思えない。カメラがみづきの霊的ちからの源ではないのだとすれば、なにか他に特別な意味のあるアイテムのはずだ。なんらかの事情で〝それ〟が目障りだった塔子は私の弱みに巧みに付け込んで、カメラの奪取を強行したに違いない。つまり私は塔子に騙されていた、もっと言えば利用されていたことになる。
そもそもカメラはみづきにとって―終業式の幽霊にとって―象徴的な存在だった。終業式の日の放課後、カメラを持った少女が現れ、彼女に写真を撮られると記憶を改変されてあの世へと連れて行かれる。それが終業式の幽霊のうわさである。ならばあのカメラに宿っている特別な意味とは―。
「なあ樫谷、お前終業式の日の放課後のこと覚えてるか?」
「…うん」
「合宿の日の朝、同じこと聞いたの覚えてるか?」
「そういえばそうだったね」
「あのときは覚えてなかったよな?いつ思い出した?」
「この間旅行に行ったとき」
「なぜそれまで忘れていた?」
「あの日―終業式の日の放課後、私は幽霊に連れて行かれそうになった。そこへあいつが―交差点の幽霊がやってきて私を助けた。それから私はあいつに記憶を消された」
「お前、あの終業式の放課後を除いて、花谷と何回写真を撮った?」
「?たくさんとったよ?」
「やっぱりか」
「何かわかったの?」
つまりあのカメラは記憶の置換装置だったのである。みづきはあのカメラで対象の写真を撮影することによって相手の記憶を改変し、子供たちを籠絡していたのだ。
そもそも当初から合点がいかなかったのはみづきと塔子、二人の幽霊の間で、記憶の撹乱範囲に差異があった点であった。塔子の記憶改変が私と芽依を除くすべての者を対象としていたのに対し、みづきの記憶改変は対象が限定されていた。花谷土佐尾は私とはじめて会った時からみづきのことを死んだ娘として認識していたし、油谷主任や他の教師たちもみづきの名前を出しても昨年亡くなった児童と理解していた。記憶を変えられていたのはせいぜいみづきと直接接触していた子どもたちだけであり、終業式の日に写真を撮られた際咄嗟に顔を隠した私も記憶を差し替えられてはいない。
芽依の場合は少し事情が複雑だ。終業式の日にみづきに写真を撮られた芽依は一度記憶を変えられた。しかしそこへ塔子が割って入りその記憶をリセットする。そして再びみづきが現れて写真を撮り、記憶が変えられてしまった。そしてあの小旅行の日に記憶を取り戻したのはみづきがカメラを失ったから。記憶の置換装置をなくしてその影響力が弱まったのだ。そう考えると他の子どもたちが元の記憶を取り戻すのも時間の問題だろう。そしてそれは同時にみづきが彼らの友達でいられる時間が残りわずかであることを示していた。
塔子がみづきからカメラをとりあげたかった訳もこれで大体想像がついた。みづきのことを排除したいと考えている塔子にとって、みづきが周囲から孤立することは願ってもないことだろう。例えば塔子がうわさの通り子どもを標的にした幽霊だったとして、目当ての子ども(この場合芽依のことか?)の周囲で他の霊が同じ標的を狙っていたとすればなんとしても引き離したいはずである。だからこそ塔子はみづきからカメラを奪い、周囲から孤立するよう仕向けているのだ。
「ねえ、何がわかったの?」
芽依が救いを求めるように私の腕にすがりついて言った。
「お前は安心していい。じきにみんなも記憶を取り戻すだろう」
「本当に?」
「ああ、大丈夫だ。家まで送っていくよ」
「良かった」
芽依は安堵したようだった。私は芽依を抱くと、部屋の明かりを消し、芽依と二人で駐車場へと降りて行った。
そしてその晩はそれきり佐藤のことを忘れてしまったのである。
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