チョキペロと秘密のノート

 私が彼らの担任を受け持つことになったのは今年の春からのことだが、恭輔と芽依が佐藤に対しておかしなあだ名をつけていじめていることにはすぐに気がついた。それというのもこの「チョキペロ」というあだ名に対する、当人である佐藤の反応がいちいちオーバーだったためである。

 佐藤は恭輔たちがからかい半分にそのあだ名を使う度に態度を豹変させ、その場の雰囲気を配慮することも忘れ、自他の分別もなく激怒した。ときには喧嘩沙汰になることさえあったほどである。

 その様子を不可解に感じた私はある日の昼休みに恭輔と芽依を職員室に呼びだして「チョキペロ」とは何かと詰問した。

「去年の修学旅行の後、写真が盗まれたじゃんか?」

 恭輔が言い渋る様子もなく答えたことをよく覚えている。

「あったな」

 我が校では毎年六年生の修学旅行の際、専属のカメラマンが同行して卒業アルバム用の写真を撮影する。そして撮影された写真はしばらく空き教室に番号をつけて展示され、希望する六年生児童は一枚数十円で購入することができる。ところが昨年、その展示用写真が盗まれるという事件が発生した。しかも盗まれた写真にはどれも同じ人物が写り込んでおり、それが原因で色々と波紋が生まれた。

 盗まれた写真は、やはり修学旅行に同行していた松前美都の写ったものばかりだったのである。

「あれ盗んだのあいつなんだよ」

「佐藤がか?」

 当時から佐藤が松前に好意を寄せているといううわさはあり、残念なことに佐藤が犯人なのではないかという疑念が職員室にも蔓延していた。

「前にね、モッツ(佐藤の正式なあだ名)の家に遊びに行ったときにね、マジックで『秘密のノート』って書いたノートがあってね、それにね、美都先生の写真が切り抜かれて貼り付けてあってね」

 芽依がにやついた顔で言う。

「それをね、モッツが開いてね、こう、ペロペロペロって」

「…わかった。もうわかったから。ほら、行っていいぞ」

 あまり聞いていて気持ちのいい話ではなかった。

「わ~い」

「よっしゃー、ケードロやろうぜー」

 それきりその話題は立ち消えになっていた。クソデブがデブの上に変態であることがわかって、からかっている二人を注意する気も失せてしまったのだ。二人が呼びたいならそう呼んでも構わないと思ったし、そう呼ばれて憤慨する佐藤に対する『うっせーデブ』という気持ちが私の教員としての中立性をかき消してしまったのである。

 ともあれ、私が真相を心のうちにしまいこんでしまったため、事件の犯人は今日まで暴かれることはなかった。だから佐藤にとってこの日その事実がセンセーショナルに明るみに出てしまったことはそれこそ青天の霹靂だっただろうし、今後転校も視野に入れて考えていかなければ、残り一年半の小学校生活でハードないじめを受けることも受け合いだった。佐藤はきっと今ごろこの世から消えてしまいたいくらいに落ち込んでいることだろう。

 交差点の幽霊にでも連れて行ってもらいたい気分に違いない。




 一方そのころ恭輔は、先ほどの件ですっかりいじけてしまい保健室のベッドで不貞寝しているところだった。美桜を友達だと宣言したことをクラスメイトたちに笑われてしまったことが相当こたえたらしい。

 室内には松前美都の姿はない。児童が行方不明になったことで職員室は騒然となり、誰が言い出すというわけでもなく全校生徒の集団下校が実施されることとなり、教職員は総出で通学路の見張りに立っているのだ。

 恭輔がエアコンの効いた部屋から窓の外をぼんやり眺めていると白い帽子にランドセルやリュックを背負った子どもたちが班ごとに下校していく様子が確認できた。ふいに見知った人影が窓際にすっと現れ、ガラスに手を押し付けて中を覗き込んできた。

「うわ、でた」

 恭輔はベッドから起き上がり窓際まで行くと、しぶしぶといった表情でがらりとガラス戸を開けた。

「あんた何やってんのよ」

 窓の外に立っていたのは柚木香枝である。香枝は花谷家で、美桜が行方不明になったことを聞くやいなや、学校に行っているはずの仲間たちのもとへ駆けつけたのだ。

「寝てんだよ」

「美桜がいなくなったのよ、知ってんでしょ」

「だからなんだよ」

「まさかあんたが隠したんじゃないでしょうね」

「ものみたいに言うなよ」

「探してよ、友達でしょ」

「テメェの身内だろ」

 香枝は美桜のいとこにあたり、夏休み中山内家に宿泊している。

「嫌よゲロ吐きのいとこなんか」

「お前なんかう○こたれじゃねえか」

 そういえばそんなこともあったな。

「なによ。あんただってう○こぐらいするでしょ」

「そりゃときにはな」

「だったらおそろいじゃない。お願い、味方になってよ」

「そこまで言われちゃ仕方ねえ」

 何が仕方ないのかはよくわからないが、恭輔はそう言われるのを待っていたように、そのまま窓から飛び出して上靴のまま香枝と共に真夏の太陽の下を駆けていった。

 恭輔がいなくなると、そのときを見計らっていたのだろう、佐藤が廊下から戸を開いて入室した。

「恭輔の野郎。俺を本気で怒らせたらどうなるか教えてやるよ」

 佐藤は思い切り恭輔を逆恨みしているようだった。彼はしばらく室内で何かした後、何事もなかったように廊下へと出てくる。

「よおモッツ」

 佐藤が戸を閉めた瞬間、真後ろから塔子の声がした。

「と、塔子さん…、どうしたの?」

 佐藤は戸を背にして立ち冷や汗を流した。

「山内の件がかなり大事になっててな。みんな集団下校しているから、保健室で寝てる恭輔に知らせにきたところだ」

「そ、そうなんだ…。じゃあ俺が代わりに伝えておくよ」

「いやもう部屋の前まで来たし、自分で伝えるよ」

「いやいやいやいや!俺に任せて!ほら、保健室って…あ、危ないだろ?」

「危ないかな?」

「危ないよ」

 保健室は決して危なくはない。

「危ないなら仕方ないな。じゃあ頼むよ」

「うん、任せて」

「悪いな」

「じゃあね、バイバイ」

「ああ」

 塔子が背を向けて歩きだすと佐藤はほっと胸をなでおろす。

「そうだ、モッツ」塔子が振り返って佐藤に呼び掛ける。

「な、何?」

「忘れ物するなよ」

「?うん、気をつける」

 佐藤にはこの言葉の意味がわからなかったが、かまわず恭輔に伝言する振りをして再び保健室へと入室した。

 塔子の手にはいつの間にか一冊のノートが握られている。ノートの表紙にはマジックで「秘密のノート」と書かれていた。




「花谷さん!花谷さん!」

 利正は花谷家の玄関をがんがんと力任せに叩いていた。

「うるさいなあ、お金ならちゃんと返しますよ」

 しばらくして土佐尾が出てきて意味のないジョークを言った。

「なにのんきなこと言ってんだよ」

「なんだとクソガキ。大人にはな、敬語使いなさい、敬語」

「うるせえ今それどころじゃねえんだよ」

 利正は学校で芽依からみづきは終業式の幽霊だということ、また美桜をさらったのもみづきかもしれないということを聞かされ、気が気ではなかった。

 正直なところ、盲学校での一件以来、利正の心中にも、みづきが普通の人間ではないのではないかという不安はあった。だがだからと言って彼女が美桜をさらってしまうような悪い霊であるということにはならない。現にみづきは芽依と利正を救うために凶悪犯に立ち向かってくれたのだ。だからこそ利正には芽依が許せなかった。普通の人間ではないからという理由でみづきを、友達を悪者だと決めつけた態度をとる芽依のことが。

 利正は何としても美桜を見つけだしてみづきの潔白を証明したかった。そして前と同じようにみんなでふざけあっていたかった。

「それどころじゃない?ははあん、ひょっとしてリセ、美桜ちゃんのことが好きなのかな?」

「はあ?」

 利正の思いを知らないとはいえ、土佐尾はまるで的外れなことを言った。

「そりゃ心配だよなあ、好きな子がいなくなっちゃったんだから」

 土佐尾は独自に好きな設定をつくって楽しみはじめた。彼女に女の勘はないらしい。

「いや、好きな子その奥にいるから通して」玄関の奥を指差す利正。

「いいよいいよ照れんなって」

「リセ!!」利正の声を聞きつけ娘のみづきが土間へと出てくる。

「花谷さん!!」

「リセ、落ち着いて聞いてね。実は今朝、美桜ちゃんが行方不明になったらしいの」

 みづきは真剣な表情で言う。

「う…うん。それは知ってるんだけど…」

「さっき美桜ちゃん家のおばさんに電話して聞いたんだけど、もう警察沙汰になってるらしいの」

「マジ!?」

「誘拐されたかもしれないって…。リセ…、私心配で心配で…、もうどうしていいかわからないの」

 みづきは涙を流した。利正は彼女の悲しみに暮れた様子を見て、やはりみづきが犯人ではないことを確信する。そして一瞬でもみづきを疑ってしまったことを後悔した。しかしみづきが犯人ではなくなってしまうと、今自分が必死の形相でこの家までやってきたこと理由がなくなってしまう。

「ところでリセはどうしてここに来たの?」

 みづきが容赦なく尋ねた。さて、どんな理由をねつ造するのか。

「じ、実は俺も山内のことが心配で心配で…」

「心配で?」

「心配で…そう、山内の捜索を手伝ってくれる人を集めてるんだ」

 利正はそう口にしながら、我ながら面倒なことを言ってしまったものだと思った。

「本当!だったら私にも手伝わせて」みづきは眼を輝かせた。

「お、おう」利正は眼を泳がせている。

「それじゃあまず何をすればいい?」

「と、とりあえず待機しておいて。まとまった人数が集まったら連絡いれるよ」

「すごい!リセって本当に頼りになる!!」

「そ、そうかな。へへ」

 利正はまんざらでもない様子で答えた。




 昼前、謹慎中の私は学校から連絡を受けて初めて事態を知った。部屋着のまま車に飛び乗って学校へ直行すると、職員室には教職員全員が集まっていた。

「山内がいなくなったって本当ですか!?他の生徒たちは?」

「すでに全校生徒を集団下校させました。いま警察にも連絡して探してもらっているところです」

 そう答えたのは五年生の学年主任の油谷静教諭だ。

「警察!?それはちょっと気が早いんじゃないですか?」

 まだ誘拐と決まったわけではないし、家出ならまだそう遠くへ入っていないはずだ。それにこれまでの経緯からいえば心霊関係のトラブルである可能性の方が高い。

「それは気も早くなります。なにせまたあのグループの問題ですから」

 主任は嫌みな口調で言う。私への当てつけなのだ。聞いた私はむっとする。

「またってことはないでしょう。そんな言葉を使って生徒を一括りにするのはやめていただきたい」

 主任は溜息をついた。

「悪かったわ。訂正します。子どもたちには何の責任はありません。責任があるのはむしろあなたの方よ」

「私ですか?」

「ええ、あなたの管理能力の問題です」

「私が指導を怠ったから山内が家出したとでも?話が飛躍しています。それに誘拐かもしれないじゃないですか」

「いやにたてつきますね」

「主任の方こそ私のことを眼の敵にでもしているんじゃありませんか?」

「うぬぼれないで」

 そんなつもりでいったのではない。

「俺のことがそんなに気に入りませんか。俺が今年の三組の担任だから」

 これまでの蓄積もあり、ついに私の怒りはピークへと達した。

「話にならないわ」

「ごまかさないでください」

 私は、これまで心の中では思っていても決して口には出すまいとしていたことに言及する。

「あなたが三組の生徒を特別目にかけていることには気がついています。俺に対して他の教員よりも厳しく当たっていることもね」

「何が言いたいのかしら」

「はっきり言いましょう。あなたまだ責任を感じているんじゃありませんか。花谷みづきを死なせてしまったことに」

「ちょっと言い過ぎですよ」

 二組の担任教諭が私を制止しようとする。

「いいえ、言わせてください。あなたはまだ後悔しているんでしょう?去年花谷の両親の不仲を自分が把握した段階で何か手を打っていてば、みづきは転校しなくても済んだんじゃないかって」

 油谷主任は昨年、五年三組の担任を受け持っていた。そして当時の三組が抱えていた最大の問題が花谷みづきの両親の離婚問題だったのだ。

 すでに承知の通り、花谷みづきの母親である土佐尾は自由奔放な性格の女性である。十代で娘を出産し結婚。しかし活発な彼女は育児も顧みずに自分の趣味に没頭した。カメラもその一つである。

 育児放棄は立派な虐待だ。土佐尾は専業主婦の身で育児どころか家事さえ顧みず、あまつさえ娘のみづきに炊事洗濯何でもやらせていた。土佐尾の人柄を知る私でさえ、お世辞にもいい母親だったとはいえない。

 何か手を打たなければ離婚は時間の問題だった。

 そしてその離婚が間接的な原因となってあの無残な事故は起こったのだ。

 油谷主任がみづきの家庭事情を知った経緯は知らないが、土佐尾のネグレクトに対して口を出さなかったことは教員としては正解だったと思う。少なくとも夫の方はまともな人間だったのだから、あとは家族が解決する問題なのだ。

 だがそのことをこの生真面目な教師は今でも後悔していた。もしあのとき、自分が土佐尾を説得して家事をさせるようにしていれば、みづきの両親は離婚という最悪の結果を避けられたのではないだろうか。そうすればみづきが引越しのためにあの列車に乗車することもなく、いまでも元気にこの学校に通っていたのではないだろうか、と。

 その後悔があったから油谷主任は私に、新しく五年三組の担任になった私にこうも厳しく接するのだろう。それが私の考えだったし、口には出さずとも周囲の先生も実はみんな同じように考えていた。

「…確かにあの子のことは残念だったわ。でも今回のこととは無関係です」

「そうですよ。やめましょう、こんなときに」

 二組の担任が我々をなだめに入る。

 そしてしばらく室内を気まずい沈黙が支配した。窓の外の風林がさびしい音色を響かせる。

「た、大変です。助けてください」

 そう叫んで職員室に飛び込んできたのは松前美都だった。

「今度は何です」二組の担任が駆け寄る。

「保健室がぐちゃぐちゃに荒らされているんです!」

「なんだって!?」

 私や主任を含む数人の教員が職員室をとび出して保健室へと向かう。

「なんだこれは」

 保健室の中は薬品棚が倒されて異臭が蔓延していた。カーテンやベッドは引き裂かれており、切り裂かれた枕の中からは羽毛が飛び出して床の上に散乱している。

「最後に保健室に使ったのは?」

 私は内側から割られた窓によって、松前に問いかける。

「五年三組の加賀君です」

「あいつ…」

「そら御覧なさい」主任が言う。

「でもたぶんやったのは別の子だと思います」

 松前が伏し目がちに言った。

「誰なんです?」

「これが…このノートが床に落ちていました」

 そう言った松前の手には「秘密のノート」と書かれたノートが握られていた。

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