第九章 Woman meets Man

 人には、出来る事と出来ない事がある。

 出来ない事を早めに諦めて出来る事を伸ばす事だって有用だ。例えば、龍一は英語の長文読解は苦手だけれども文法は得意なので、文法でいつも点数を稼ぐ。数学の簡単な問題は落とさない様にする。

 出来る事で出来ない部分を補えばいい。

 榊原龍一は幽霊を見る事が出来る。でも、見る事が出来るだけだ。祓うなんてことはできない。そこを悔いてもしょうがない。

 出来る範囲で出来る事をすればいい。

 ずっと考えていた。

 一日のほとんどを試験勉強に費やしていたけれども、それでもふっとした瞬間に思い出した。考えていた。自分に何ができるのか。

 出来ないことの方が圧倒的に多いけれども。出来る事をしよう。

 そして、今出来ることはただ一つ。

 きちんともう一度、思いを伝えること。


「いらっしゃい」

 いつもと同じ少し困ったような笑みを浮かべて、沙耶がドアをあけた。

「お邪魔します」

 龍一は笑う。

「……背、伸びた?」

 沙耶は困ったような顔をしたまま小首を傾げる。

「あ、わかった? ちょっとだけど」

 思わず笑いながら言葉を返す。今までやや龍一の方が高いぐらいだった身長差だったが、今なら自信を持って龍一の方が高いと言える。

「あ、これどうぞ」

 言いながら持って来たドーナツを渡す。

「ありがとう」

 部屋に通される。

 今日の室内は、綺麗に片付いていた。

「座ってて。お茶いれる」

「うん」

 不思議な程、今日は緊張していなかった。やると決めたことをやるだけなのに、なにを緊張するんだろう。

「はい、どうぞ」

 渡されたお茶に口をつける。

「沙耶のいれた紅茶、久しぶりだな」

 微笑む。

「あ、そうかも。あ、あとドーナツ、お持たせですが……」

「これね、うちの近くに新しく出来たお店の。焼きドーナツなんだって」

「あ、そうなんだ」

 しばらくドーナツを食べながら、くだらない話をする。世間話すら、久しぶりだな、と思った。どこかぎこちないけれども、世間話が出来ることに安心した。

「あ、そうだ。第一志望の発表はまだなんだけど、一応大学生になれるんだ」

 会話の合間をみて、本題をつっこむ。

 ここから受験した学部の話に持って行って、と脳内で算段を立てていると、

「よかった、おめでとう。医学部受験したんだって? ええっと、海藤さん? に聞いた」

 沙耶の方が、そうやって告げた。

 飲んでいた紅茶を吹きそうになる。喧嘩売ったとかいう話は聞いたけど、そこまでは聞いてない。

「それは……」

「なんで言わなかったの? あたし、理系だから数学得意なのに」

「別に、沙耶に気を使わせるつもりはないし、俺がやりたいからやってることで」

「でも、お礼も言わせてくれないの?」

 言い訳を遮られる。

 思わず、彼女の顔を見つめる。

 沙耶は、少し微笑んで、

「あたしのためだって、少しはうぬぼれてもいいんだよね?」

「……少しじゃなくて、思いっきりうぬぼれてくれていいよ」

 答えた。

「迷惑じゃなかったら、だけど」

「迷惑なわけ、ないじゃない」

 沙耶が泣き笑いのような顔をする。

「寧ろ、あたしが迷惑になっているんじゃないかって、ずっと思ってたのに」

「迷惑なわけ、ないじゃないか」

 同じような台詞を言って、苦笑する。

「あたし、ね」

「うん?」

「ずっと自分の名前って三月八日生まれだからっていう簡単な理由で付けられて、本当は父は息子が欲しくて、娘が生まれたからなげたんだろうなって思ってたの」

「ああ」

 そういえば、確かにそんな話を聞いた。

 でもね、と沙耶は一度首を横にふり、

「この前、母に会って初めて知ったの、あたしの名前の由来。誕生日を覚えてもらえるように、ですって」

 沙耶はまた、泣きそうな顔をする。

「全然知らなかった。あたし、本当にあたしが嫌われているだけだと思っていて、勝手に僻んで」

 こどもみたいだね、と続ける。

「全部そう。全部勝手に自分では手に入らないものだと思って、妬んで、うらやんで。諦めていた、勝手に。あたしは、幸せになってはいけないのだと、思っていた。だって、あたしは過去に人を傷つけて来たのだから、例えその人達に殺されたって文句は言えない」

「そんなこと! だって沙耶の故意じゃないんだしっ」

 思わず龍一が声をあげると、沙耶はゆっくり首を横にふった。

「あたしが過去に人を傷つけた事実は消えない。でも、初心を忘れていたの。あたしが一海の仕事を手伝い出したのは、償いの意味があったってこと」

「償い?」

「そう、最初は幽霊も化け物も、あたし自身も怖くて嫌だったのに、一海の仕事を手伝うようになったのは、あたしだけにしかできない方法で誰かを救うことで、償いにでもなればいいと思ったの」

 償い自体がエゴだけれども、と小さく付け足す。

「あたしは龍の存在のおかげで、人より簡単に幽霊に体を貸すことができるの。それは、万が一幽霊があたしの体を奪おうとしても、龍がその幽霊を喰らうから。その場合、龍をおさめる対価が必要になるんだけれども」

「……うん」

 対価を思い、龍一は眉をひそめる。

「奪ってしまった幸せを、直接被害者に返すことはできないけれども。そうやって誰かの役に立つことで、償いをして、……いつか自分自身を認められたらって最初は思っていたの」

 すっかり忘れていたけれども、と付け足す。

「昔の日記をみて、思い出した。これは、龍に喰われた記憶か、普通に忘れていたことかもわからない。でも、思い出した。昔のあたしならきっとそう思うだろうって、思えた」

 ゆっくりと、沙耶が微笑む。

「あたしは幸せが似合わないと、笑顔が似合わないと、ずっと思ってた」

 でもね、と続ける。

「それは、必要以上に卑屈になった自分自身の思い込みだった部分も、あると思うの。まだ自分が許されたかはわからないけれども」

「うん」

「ねぇ、龍一。あの時の言葉、訂正してもいい?」

 久しぶりに聞いた、敬称をつけない呼び方に心臓が跳ねる。

「あの時、って?」

 自分の声がかすれるのがわかる。

「あたし、一人では生きて行けないみたい」

 瞳を潤ませながら、それでも沙耶は笑っていた。

「思い上がりだった。一人でなんか生きていけない。円姉や直兄や清澄や、宗主とか、たくさんの人に守ってもらって、助けてもらって生きてきたのに、これからもきっとそうなのに、一人でも生きていけるなんて、あたしは愚かだわ」

 龍一の視線を正面から捉える。

「そして、あたしは、できるなら龍一と一緒に生きていきたい」

「それ、は……」

 言葉が喉につまった気がして、龍一は大きく息を吸い込んだ。

 こっちが言おうと思ったことを、なんで言ってしまうんだろう。

「ごめんなさい」

 それをどう受け取ったのか、沙耶は謝る。

「龍一のことを考えたら、離れるべきだと思ったの。でも、やっぱりあたしはそばにいたい、一緒にいたい。あたしの、我が侭だけど」

 言って沙耶は俯いた。

 言葉が出ないまま、龍一は沙耶を見つめる。

「ごめんなさい、迷惑だよね」

 どうしてそう受け取ってしまうのか。

 前向きになったかと思ったのに、やっぱりどこかネガティブな彼女が、それでもとっても愛おしい。

 とりあえず誤解を解かなければならないと声をかけ、

「沙耶」

 声がかすれる。咳払い。

「待って、俺にも話をさせて」

 沙耶が顔をあげる。半分泣いているような顔。いますぐ抱きしめたい。叶わない恋だと思っていたのに。まだ、自分は何も言っていないのに。

 それでも、ちゃんとけじめはつけないといけない。彼女にだけ話させて、自分が言わないなんて、それは卑怯だ。

 それでも思わず緩む口元を片手で隠し、出来るだけ真面目に見える顔をする。

 ちゃんと言わなきゃ。

 

 勢いに任せて、自分の気持ちを告げてしまった。沙耶はスカートをぎゅっと握る。

 やっぱり言わなければよかったかもしれない。迷惑だったのかもしれない。だってあんなに傷つけたのに、何を今更。

 いきなり龍一君じゃなくて龍一、って呼び捨てにしたのもよかったのかもしれない。以前は、こうやって呼んでいたはずだけれども、呼ぶたびに心臓が跳ねた。痛いぐらいに。

 目を見開いたままこちらを黙ってみてくる龍一の視線から、逃れるように下を向く。

 困っている。絶対に彼は困っている。

「ごめんなさい」

 謝る。それしか出来ない。

 相手の気持ちも考えずに、あたしは何を、

「沙耶」

 声をかけられる。

「待って、俺にも話をさせて」

 優しい声に顔をあげる。視界が少し滲んでいて、そこで初めて自分が泣いていることに気づいた。もう大人なのに、泣いてばっかりだ。

 そっと右手で拭う。

「ありがとう」

 彼は笑った。口元が自然にゆるんだ、という感じで。

「嬉しい」

 言いながら龍一は片手で口元を隠す。

「やばい、真面目な顔出来ない」

 焦ったようなつぶやきが聞こえる。彼は小さく一度咳払いし、

「とりあえず、最初に謝っていい?」

「え?」

「ごめん。以前、あんなに傷つけるようなことを言って」

 それが、「俺のことは忘れたのに、あの人のことは覚えているんだな」という龍一の言葉だというのは、すぐにわかった。あれを聞いたときの、頭をハンマーで殴られたような衝撃を思い出す。

「だって、あれは」

 声を喉から絞り出す。思ったように喋れない。

「あれは、あたしが悪いから。忘れてしまって」

「だからって言っていいことではなかった。ごめんなさい」

 彼が一度頭を下げる。

「違う、あたしが」

「でも」

 顔をあげた龍一が沙耶の言葉を遮る。

「不謹慎だけど、今から思うとあれは嬉しかった」

「え?」

「勿論、そんなこと、喧嘩みたいなこととか沙耶を傷つけるようなこととか、ない方がいいんだけど、それでも。初めてちゃんと、思っていることを言えた気がする」

 マイナスのことだけど、と彼は続ける。

「言っちゃいけないと思ってたから。沙耶のせいじゃないっていうことはわかっていても、忘れられたのはやっぱり……、悲しかったし」

「ごめんなさい……」

 俯く。

「でも、思い出そうと、必死になってくれたのはすごく嬉しかった」

 顔をあげて、と声をかけられる。

「責めたいわけじゃなくて。思っていることを言わないで抱えこむのは、不健全だと思ったんだ。全部が全部言うのはよくないけど、多少は言った方がいいんじゃないかなって」

「……雨降って地固まる?」

 小声で伺うように言うと、

「そう、そんな感じ」

 龍一は笑った。

「だから、思っていることを全部、言う」

 龍一の言葉にどきりとする。何を言われるんだろう。

 そんな沙耶の緊張を見抜いたかのように、龍一は笑い、

「俺の気持ちは変わってない」

「え?」

 今、なんて?

「変わっていないよ」

 龍一が穏やかな笑みを浮かべる。先ほどの笑みとは違う、すべてを受け入れるような、受け止めるような、笑み。

「沙耶が好きです」

「え?」

 思わず聞き返してしまう。

「好きだよ」

 言葉を理解するまで少し時間がかかる。口を開き、閉じて、何も言えない。

「正直、もう諦めようって何回思ったかわからない。叶わない恋だって思っていたし。それでも、やっぱり諦められない。好きです」

 沙耶は間抜けにもぽかんと口を開けたまま、龍一を見ていることしか出来なかった。

「だからさっき、沙耶が一緒にいたいって言ってくれたの、すごく嬉しかった。あの時、一人でも生きていけるとかいうから、どうしようかって本当は思ってた。俺、迷惑かなーとか色々と考えて落ち込んだりしたし」

「あ、あの、あたし」

 なんとか出すことが出来た声を、龍一が片手で制す。

「俺のこと、二番目でもいいよ。堂本賢治のこと、覚えて大事にしていていい。そんな沙耶が好きだから。だから」

 龍一がやわらかく微笑んだ。

「付き合ってください」

 そして、沙耶を促すように右掌を上に向ける。

「え、だって、え? あ、あたしでいいの?」

「ええ、ここにきてそれー?」

 沙耶のおどおどとした声に、龍一が不満そうな声をあげる。

「だって、あの、もっと他にいるじゃない。ええっと、あの……、キョウちゃん? とかいう子とか」

「ああ、西園寺さん? 西園寺さんはこの前正式にお断りしたし」

 さらっと言う。今までずるずると曖昧な態度をとっていたことも詫びて、きちんと断った。ちゃんと幸せにならないと超怒る! と泣きそうな顔をして笑った杏子の言葉を思い出す。

「だって、なんで。もっと普通の子が龍一には似合うし」

 あのさ、と龍一は呆れた様に言い、

「沙耶でいいんじゃない、沙耶がいいんだよ」

 わかる? と不満そうな、拗ねるような顔をした。

「だって、だってあたし、後ろ向きだし」

「うん、今もね」

「なんか変なの憑いてるし」

「だから、それをどうにかする手助けがしたいんだってば」

「たくさんの人を、傷つけてきたし」

「償い、するでしょ? さっき、自分で言ってたじゃん」

「また、忘れちゃうかもしれないし」

「思い出してよ、また。協力するから」

「仕事、変だし」

「変とか言うと円さんがマジ切れするよ?」

「年上だし、七歳」

「いや、それは俺が年下だと気に病むところでは?」

 それにとか、だってとか、まだ続けていると、龍一に両手を掴まれた。びくっとうじうじと下を向いていた顔をあげる。

 呆れたように笑った彼の、

「さっきの勢いはどこに言ったのさ」

 大人びた言い方。もう、あまり覚えていないけれども記憶の片隅にかろうじて残された榊原龍一は、出会ったばかりのころの彼は、こんなに頼りがいのある感じだったろうか? もっと、幼かった気がするのに。

「……大人になったね」

「親戚のおばちゃんか」

 真顔でつっこまれた。

 それから龍一は優しく微笑みながら、沙耶の両手をそっと包む様にして握る。

「他に誰が似合うとかそんなのどうでもいいよ。沙耶と一緒に居たい、です。沙耶は?」

「あ、」

 声がかすれる。一度大きく深呼吸してから、

「あたしも、あたしは、龍一と一緒に生きていきたい」

 言葉をかろうじて吐き出す。

 言い終わると同時に、頬を何か温かいものが流れ落ちるのを感じる。

 龍一が、とても嬉しそうに笑った。

 それから彼は沙耶の手を掴んだまま、テーブルの向かいから斜め横に移動してくる。

「あー、もー、よかったー」

 祈る様に手を額につけて、彼が言う。

「俺、昨日一晩、どうやって言おうとかどういう順番で言おうとか超考えてたのに、沙耶が先に言っちゃうんだもん。どうしようかと思ったー」

 不満そうに唇を尖らせる。その顔に笑みがこぼれる。

 さっきまであんなに大人みたいだったのに、今のその顔は、ただの子どもだ。

 わからない人だな、と少し思った。大人なのか子どもなのか。でも、それはこれから知っていけばいい。知っていくことが出来る。それを思うと、自然に口元がゆるむ。

 龍一はそんな沙耶の顔をみて、満足そうに笑った。

「さっき沙耶、自分には笑顔が似合わないとか言ったけど、もう少ししたらそれ、撤回するようになるから」

「え?」

「もっと、笑えるようなこと、自然に笑えること、たくさんしよう」

「……うん」

 頷く。

「俺、沙耶に普通のことを普通って思えるようになってもらいたいんだ。うちの家族での夕飯とか、当たり前の光景を憧れとかじゃなくて、普通だって思って欲しい。まあもしかしたらちょっと一般家庭よりも変かもしれないけど、雅とか母さんとか、バカだし天然だし横暴だし……」

 龍一の言葉に、泣いたまま笑う。

 普通に生きていくのだ。これからは。普通がなにかわからないけれども、龍一ならばきっと答えを知っている。知らなくても、一緒に探してくれる。

「星、見に行こうね」

 かすれた声で沙耶が言うと、龍一が心底嬉しそうな顔をした。

「うん、約束したしね。あー、誕生日プレゼント、次でいい? 今日そこまで気が回らなかった」

「あ、そっか。過ぎてた……。あたしも、用意しなきゃ」

「え?」

「バレンタインでしょ?」

 ゆっくりと微笑みながら告げると、龍一が表情を歪め、泣きそうな顔をした。

「え、あれ?」

 思いがけない表情に慌てる。

「違う、ごめん。嬉しくて」

 沙耶が慌てるのを遮って、龍一が泣きそうな顔のまま笑った。

 その顔が、なんだかとっても愛しくて、沙耶は握った手に力を込める。

「誕生日、おめでとう。遅くなったけど」

「うん、沙耶も。ちょっと遅れたけど」

 二人で言って、笑い合う。

 そのまま自然に顔が近づき、こつんと額と額をぶつける。額と額をくっつけ合うと、笑った。

「これからも、よろしく」

「こちらこそ」

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調律師 小高まあな @kmaana

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