第八章 僕はおもてで呼んでいる
「終了時間です。記入をやめ、筆記具を置いてください。これ以上の記入は不正行為と看做します。筆記具を置いてください」
マイク越しに聞こえる声に、龍一は持っていたシャーペンを机に転がすと、手首を回す。
試験監督が答案用紙を回収していく。
第一志望の大学。泣いても笑っても、最後の入試。
答案用紙の枚数確認を終え、諸注意を述べる試験監督を見ながら、やっと終わった、と小さく息を吐く。
退室の合図とともに、席を立つ。
校門付近まできたところで、
「どうだった?」
声をかけられる。門の前に巽翔が立っていた。久しぶりに見る親友の姿に、龍一は少しだけ口元を緩めた。
「さぁ? やるだけやったけど」
「今日で最後だろ? 話があるんだ」
「だと思った」
自分の返事を聞く前に、さくさくと先に歩き出す、翔のあとをゆっくりとついて行く。
連れて行かれた喫茶店にいたのも、やっぱり予想通りの人物で、龍一はもう一度、口元を緩ませた。
「お久しぶりです」
「本当、久しぶり。元気だった? 受験どう?」
早口でまくしたてると、一海円はいつものニヒルな笑みを浮かべた。
運ばれて来たコーラに口をつけながら、
「今日辺り、連絡があるんじゃないかなって思ってました。巽、俺の試験日程知ってるし」
「その言い方、ストーカーみたいじゃないか?」
横で翔が少しだけ不愉快そうな顔をする。翔は推薦で既に大学を決めている。
「どんな感じ?」
「滑り止めは合格しているから、大学生にはなれます。おかげさまで」
微笑む。
「そう、よかった」
手元のアイスティーのストローを指先で何度も何度も弾きながら、円が笑う。
その姿に何かいつもと違うものを感じて、龍一は少し首を傾げ、
「煙草、吸わないんですか?」
思い至った違いを口にする。
ここ禁煙席でもないし、いつもの彼女ならば龍一達を待っている間に火をつけていてもおかしくないのに。
「うん、煙草やめた」
円が微笑む。少し決意を秘めたような、力強い笑みで。
「円さんは、一生吸い続けるのかと思ってました」
「さすがにね、いま一海で動いているから、父様とか五月蝿いし、決意を示すのに手っ取り早いでしょう?」
「手っ取り早いって」
悪戯っぽく言う円に苦笑する。彼女にかかればそんなことすらパフォーマンスになるのか。
「で、ごめん。今日、龍一君に来てもらったのは、最近ちっとも連絡とってなかったからどうしているのかなって思ったのと」
「沙耶のことですね?」
言葉を引き取る。
円が頷く。
「受験終わったら連絡しよう、って思ってたところです。どうなるにせよ、言いたいこと、あるし」
そっか、と円は微笑み、
「あー、過保護はやめようと思ったんだけどなー」
自嘲気味に呟いた。
「ぶっちゃけ、私、沙耶のこと甘やかし過ぎだと思う?」
「……それは俺の口からはなんとも」
自分自身も沙耶のことを甘やかしているというか、気を使っている部分があるので円を過保護とは言えない。
「あー」
「円さんらしくて、いいと思いますよ」
失敗したなーと呟く円に、黙って成り行きを見ていた翔が言った。
「え?」
「円さんらしくていいと思います。円さんが気にして世話をやくのは沙耶さんのことだけじゃないですし。宗主として必要だと思います」
真顔で翔が言う。円はしばらく翔を見ていたが、ふっと破顔し、
「ありがと。お世辞でも嬉しいわー」
軽く言った。
あまりにも軽い言葉に、一瞬翔が眉をひそめる。まったく言葉が届かない。
「まあ、沙耶のことはもう大人なんだし適度に放っておくわ」
翔に気づくことなく、円が言う。
「できるんですか?」
からかう様に龍一が尋ねると、
「がんばる」
困った様に肩を竦め、円が答える。おどけた仕草に少し笑う。
そのまま少し世間話を始める。途中でふっと思い出したかのように円が、
「二人には言っておかなきゃね」
「はい?」
「お見合いすることになったから。さすがにねー、もうふらふらしているわけにはいかないし」
さらりと言われた円のその言葉に、龍一はチラリと横目で翔のことをみやった。そうですか、と巽翔はいつも通り淡々と言った。
「こんにちは」
沙耶はホームに佇む、一人の女性に声をかけた。
「いつも、こちらに居ますよね?」
彼女が顔だけをこちらに向ける。
「あたし、大道寺沙耶っていいます。一海の実質養子で、元調律事務所の所員です」
彼女は首を傾げる。
「貴方の未練をはらす、お手伝いにきました」
瀧沢高校の最寄り駅、四番ホームに佇む幽霊に向かって沙耶は微笑んだ。
『告白を、したいんです』
ホームの端、ベンチに座ってぽつりぽつりと女性は話始めた。
人が多くなってくる時間帯、一人ベンチに座り、小声で呟く沙耶に奇異な視線が少し向けられる。今更そんなもの、気にしたりしないけれども。
「告白?」
『いつも、帰りの電車で一緒になる人。名前も知らないんだけれども。私が具合悪い時、席代わってくれて。彼、いつもこの駅で降りるんです』
なるほど、だからこのホームにいるのか、と沙耶は思った。最近、このホームで人身事故は起きていないのに、どうして彼女がここにいるのかがわからなかったのだ。
『結局、何も言えなかったけれども。どうしても、伝えたくて』
膝の上に置いた、女性の手に涙が一つ落ちる。
『毎日毎日、彼が電車から降りてくるのを待っているんです。毎日毎日、彼を見かけるんです。毎日毎日、声をかけるんだけどっ』
悲鳴のように続ける。
『私の声、彼に届かないっ』
そのまま、女性は両手で顔を覆う。
沙耶はそっと、その女性の背中を撫で、
「その彼、何時の電車できます?」
『え……、もうすぐ。十七時五十七分着……』
「なるほど」
沙耶は女性の手に自分の手をそっと重ねると、
「告白、ちゃんとしましょう? あたしの体、お貸ししますから」
微笑んだ。
十七時五十七分着の電車。たくさんの人が降りてくる。
女性はその中から、目的の彼を迷うことなく見つけた。小走りで駆け寄る。
「あの」
女性が声をかける。沙耶の声で。
「なにか?」
彼が不思議そうな顔をした。
その彼の左手に、シンプルなシルバーの指輪が光るのを、残された意識の中で沙耶は見た。
「私、貴方のことが好きです」
「はい?」
彼は変な顔をする。
「すみません、いきなり怪しいですよね。でも、怪しい宗教とかじゃなくて」
女性はぱたぱたと両手を振る。
「以前、具合が悪かった時、貴方に席を譲って頂いたんです。それ以来、電車の中で貴方を見かけて、ふとした仕草とか、読んでいる本の趣味とか、そういうのがいいなって」
彼は困ったような顔をした。
「あ、あの、わかってるんです。ご結婚、なさってますよね?」
言って、女性は彼の指輪を指した。
知っていたのか、と沙耶は思う。
「ええ」
「ただ、どうしても言いたかったんです。言わないと私、次に進めないなって思ったから」
急にお引き止めして、ご迷惑おかけしてすみませんっと女性は一度頭を下げる。
「うん、まあ、どうもありがとう」
彼は困ったような顔をしたまま、それだけ言った。
そして、足早に立ち去る。
それをみて、女性は一つため息をついた。少しだけ、口元がゆるむ。
さっきと同じベンチに腰掛ける。
「もう、いいんですか?」
沙耶が尋ねた。
女性は頷き、
「奥さんがいるの、知ってましたから。一緒のところもみかけたし。それでも、どうしても言いたかった。言わないと苦しかった。とりあえず言えた」
そうして嬉しそうに微笑む。
「次は、もっと見込みのある人に恋しますから」
女性は満足そうに笑ったまま、
「ありがとうございました」
告げて、消えた。
ふっと戻って来た体の感覚に、一度両手を握って開く。
直純が新しく作ってくれたお守りのおかげで、もう昔みたいに誰かに体を貸したというだけで、龍が暴れることもない。
そのことを確認し、一つ安堵の息を吐く。
軽い疲労感に、背もたれに体を預ける。
それにしても、恋心はこんなにも未練になるのか、と思った。叶わないとわかっている恋でもこんなにも人を縛り付けるのか。
ケータイを取り出す。
アドレス帳から、榊原龍一の名前を呼び出す。
「あたし、今死んだら未練で成仏出来ないな」
小さく呟いた。
この未練は、自分でどうにかしなければ。
通話ボタンを押そうと指を伸ばし、
「っ」
直前で震えだすケータイに驚いて取り落としそうになった。
「もしもし? 翔くん? どうしたの?」
冷静を装ってなんとか通話を開始する。
「え、円姉のお見合い?」
電話の向こうの、いつも冷静沈着な少年は思いもかけないことを言った。
いくつか自分が知っている話を告げると、通話を終える。
「恋、怖い……」
いつも冷静沈着な巽翔に、さほど冷静ではない態度を取らせる程度には。
苦笑する。
結局、龍一には連絡する決心がつかないまま、ベンチから立ち上がった。
一海円のお見合いの相手は、どこぞの陰陽師の傍系の次男らしい。なるほど、一海の次期宗主の結婚相手としては、そこそこいいだろう。
沙耶から聞いた情報を頭の中で反芻する。
だから、なんだというのだ?
お見合いの場所は、近くの料亭。巽の集まりでもよく利用する、この世界御用達のお店だ。
「あら、巽様」
「失礼します」
微笑む女将に、一度だけ頭を下げると、そのまま上がり込む。
「巽様っ?」
後ろからの制止の声は無視する。
どこの部屋で行われているのかも、調べを付けた。そこら辺にいる霊に何かを尋ねたのは初めてだったが、意外にも彼らは快く教えてくれた。だから今回は、祓うの大目に見てやる。
こんなことをしたら一海と巽の関係が悪くなる? 知るか。多分、父なら笑って許してくれるだろう。その前にみっちり怒られるだろうけど、最後は笑って許してくれる。
父は喰えない狸だ。そして、自分はその狸の息子だ。
もう一度自分の思いを確認する。目的の部屋の前にたつ。一つ深呼吸。
礼儀も何もなく、それでも一応失礼しますと声をかけて襖を開け放つ。
「巽のおぼっちゃまっ!?」
誰かと思うぐらい、きちんと正装した円が流石に驚いたような声をあげる。切れ長の目が見開かれる。
いつも驚かされて来たんだ、たまにはこっちが驚かしてやる。
「君は巽の……」
見合い相手らしき男が言う。
「失礼します」
言いながら頭を下げて中に入ると、円の腕を掴む。
「ちょっと、巽のおぼっちゃまっ!?」
「好きな人を攫いに来ました」
告げると、彼女の目がますます大きく見開かれる。そんな顔することないじゃないか。気づいていなかったとは、言わせない。
そのまま黙って腕を引っ張って部屋をでる。
誰も止めない。あっけにとられたように、誰もがこちらをただ見ているだけだ。
円も黙って引きずられる様にしながらついて来た。
その態度に腹が立つ。物わかりがいいんじゃない。子どもが何をしているのだろう、仕方がないから様子をみてやろう、と思っているのが手に取るように分かる。バカにするな。
中庭にでる。
「巽のおぼっちゃま」
気遣う様に声をかけられる。
「お見合い、なんでするんですか?」
「なんでって……」
腕を掴んで、背中を向けたまま話をする。
「この間、言ったじゃない」
「一海を守りたいなら、巽と手を組めばいいじゃないですか」
振り返る。
本当に困ったような顔を彼女はしていた。演技なんかじゃない、本当に困った顔を。
「だって、巽のおぼっちゃまは次期宗主じゃない」
「それがなんですか」
「……一海と巽は仲悪いじゃない。まあ、一海はもともとどこともあんまり仲良く無いけど」
「それがなんなんですか?」
「巽のおぼっちゃま」
嗜められるように言われる。
「それで、好きだって言ってる人間に諦めろっていうんですか? 榊原のことはあんなにけしかけているのに」
彼女は何も言わない。
「円さんの恋愛対象に僕がはいっていないことぐらいわかってます。だから」
黙ったままの彼女をきっと見つめる。にぎったままの腕を思い出して離す。
「あと二年だけ待っていてください」
指を二本たてて突き出す。
「二年までに円さんの恋愛対象に入って、なおかつ一海と巽の関係を改善させます」
言い切る。二年経てば自分は成人している。そうすれば、きっともっと出来る事が増えているはずだ。
沈黙。
風が少し長くなった円の髪を揺らした。
そして、
「……まあ、二年ぐらいならどうにかできるか」
ため息と一緒に円が吐き出す。
「二年だけよ? おねーさん、それ以上経つと本気で婚期逃すことになるから」
今だってぎりぎりなのに、と小さく呟いている。
「円さん、年齢よりもお若いですよ」
「ありがとう、ぴっちぴちの高校生に言われるなんて嬉しいわ」
「もうすぐ大学生です」
言うと円は薄く笑った。
「そうね。君等ぐらいの年齢なら1、2年で多大な成長をするものね」
そうして、笑み崩れた。
とてもとても、楽しそうに。ただただ、綺麗に。
それに息をのむ。
でもそれは一瞬で、円はいつものシニカルな表情に戻ると翔に背を向けて母屋へ向かう。
「って、円さん!?」
「了解はしたけどね」
立ち止まって振り返る。
「二年ただ君を待ってて、君が成長しなかったらどうするの。人生は有限なんだし保険かけとかなきゃ。それに、お見合いの場から、このまま立ち去るわけにいかないでしょう。どっちにしろ」
数歩戻って翔の前に立つ。
「二年もかけて、他の男に負けるようじゃそれまででしょう?」
挑む様に言われて、
「負けるわけないじゃないですか」
咄嗟に切り返す。
よしっと、円は唇をゆるめた。
「それじゃあね、翔くん」
いつもしていた煙草の匂いがしない左手で頭を軽く叩かれ、呆然としたまま立ち去る円を見る。
もう円は振り返らない。
「……翔くん、って」
初めて呼ばれた名前に、それだけで鼓動が早くなる。
こんなんじゃ二年なんてあっという間だろう。しっかりしろ、自分。
「……とりあえず、お見合い関係者には謝らないとな」
ため息混じりに呟くと、歩き出した。
イマイチ格好がつかないが、それでも上出来だと思えた。知らずに緩む口元を、こっそり右手で隠した。
大道寺沙耶は、カレンダーを睨んだ。
大きく○を付けた日付を撫でる。
翔から聞いた、榊原龍一の最後の試験が終わる日。
そのまま手を動かす。この日から既に四日経った。
いい加減、覚悟を決めるべきだ。
悩んだ末に、この四日間ずっと行っていた動作をする。ケータイを開き、アドレス帳から榊原龍一の名を呼び出す。
それを見つめる。
あと一つ、ボタンを押せば繋がる状態でしばし悩み、大きく息を吸うと、吐き出す勢いで通話ボタンを押した。今日こそ。
『もしもし?』
コール音の後、しばらく聞いていなかった声が聞こえる。
「龍一君、ごめんなさい。受験、お疲れさま。今、平気?」
『うん。ありがとう』
「あのね、話があって」
『うん、俺も……』
意を決して切り出すと、向こうも同じように言った。
「電話だと、あれだから。明日とか、平気?」
『うん』
「……うちの場所、わかるよね?」
声が震える。
『大丈夫』
「それじゃあ、明日、来てもらってもいい?」
『うん』
相手は何一つ躊躇うことなく、返事した。
『それじゃあ、明日……』
「うん、待ってる」
言って通話を切る。
大きく息を吐き出す。緊張した。
ペンを持ってくると、カレンダーの翌日の日付に大きく○を付けた。
決戦は、明日だ。
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