第七章 傍観者はかく語りき

「榊原?」

 失礼しました、と職員室を出たところで声をかけられた。

「海藤さん……」

 久しぶりに見るクラスメイトの姿に微笑む。

 学年末試験も終わり、個別大入試がはじまり、高校は家庭研修期間に入っていた。

「どうしたの?」

「一応、滑り止め受かったからその報告。ほら、俺、必要以上に担任に心配かけてるし。あとちょっとわからないことがあって、数学。海藤さんは?」

「そっか。私も、大学受かったから」

「第一志望?」

「そう」

「おめでとう」

「榊原、第一志望はまだでしょう?」

「うん」

「そ、がんばって……」

 こずもは言って笑う。そのまま二人で、なんとなく一緒に歩き出す。

「……あんた、ちょっと背が伸びた?」

「え、ああうん。ちょっとだけど」

 秋ぐらいから少しだけ背が伸びた。もともと低めなので今更なんだけれども、ちょっと嬉しい。

「……ふーん」

 こずもは尋ねておいて、興味があるのかないのかわからない相槌をうった。

 下駄箱から靴をだし、履き替える。

「私、大学、関西の方なの。だから、卒業したらもうなかなか会わないかもね」

 靴を履きながら、こずもがいう。

「へー? 東京からわざわざそっち行くなんてちょっと珍しいね。一人暮らしになっちゃうのに」

 うん、とこずもは頷き、

「好きな人があっちにいるの」

 顔を上げて、笑った。

「はあ」

「どうしても一緒にいたいから」

 そのまま、二人並んで歩き出す。

「海藤さんは自転車だっけ?」

「ううん、今日は駅」

「そっか」

 駅に向かって歩き出す。

「……榊原」

 しばらくの沈黙のあと、こずもが言う。

「私、あんたに謝らないといけないことがあるの」

「うん?」

「あんたのカノジョ、大道寺沙耶さんに会った」

「っ!?」

 思いがけない言葉に足が止まる。

「ちょっと喧嘩売った」

 こずもも立ち止まると、龍一に向かってごめん、と両手を合わせる。

「か、海藤さんっ!?」

「ごめんごめん。なんかうじうじしてて見てていらいらしちゃって」

 しばらく龍一はこずもを見ていたが、小さく息を吐き、

「いや、いいや。ってか、カノジョじゃないし」

「カノジョとほぼ同義でしょ、あんなの」

 呆れた、とこずもは言った。

「同義って。そんなんじゃないよ」

 また再び歩き出す。

「まあ、確かになんか色々複雑そうだな、とは思ったんだけど。だからって、諦めちゃうの? 結局、医学部受けてるんでしょ?」

「それは……、そうだけど。どうしようもないことってあるじゃん、好きってだけじゃ。俺、沙耶のことすごく傷つけたし」

「ないよ」

 強い口調で言われて、龍一は横目でこずもを見る。

「どうしようもないことなんてない。仮にそんなものがあるとしても、どうにかしようともしないで、そういうこと言うのはずるい。それは逃げてるだけじゃない?」

 そこまで言って、こずもは楽しそうに笑い、

「と、いうようなことを杏子がカノジョに言ってた」

「あー、西園寺さんも一緒だったんだ。西園寺さんと沙耶は、馬が合わなさそうだもんなー」

 なんとなく、その光景が想像できて苦笑いする。

「で、榊原は逃げていないと言えるの?」

「……逃げているかもね」

 叶わぬ恋だと、突きつけられることから。

「最近、連絡とってないし」

 だから、とこずもを見る。

「海藤さんのこと、尊敬する。好きな人と一緒にいるためにわざわざそっちの大学受けるなんて」

 意外と行動力あるんだなー、と思う。

「でしょ?」

 少し、悪戯っぽくこずもが笑った。

「本当」

 それから、杏子のストレートな感情表現も少し尊敬していた。あの行動力の十分の一でいいからわけてほしい。というか、全部は要らない。

「駄目だなー俺」

 ため息。

「あんたが駄目なのは今に始まったことじゃないでしょ」

「辛辣だなー。あのさ、ずっと思ってたんだけど、俺、そんなに海藤さんに嫌われるようなこと、した?」

「信用できないだけ」

 こずもはふんっと鼻で笑う。

「あんたみたいに、人によって俺と僕を使い分けて他人と距離をとったつもりになったり、好きでもない人に好意を押し付けられて迷惑しているのにそれを言葉にも態度にもあらわせられなかったりする、そういう人が信用できないの」

「あー」

 否定できなかった。

「まあ、最近はたまに見直す部分もあったりするけど」

 フォローなのか、そう言われる。

「でも、優しすぎるのは逆に残酷だって、ちゃんと覚えておいた方がいいと思う」

「残酷?」

「期待、してしまうでしょう? 杏子みたいに。それに、優しい人相手にはなかなか思ったことを言えないものだよ。全て受け止めてくれると分かっているから、我が侭をいってはいけないと、気を使ってしまう場合も、ある。思ったことを言えない人に、自分が思ったことを言えない場合もある」

「確かに、お互い言いたいこと言えてないかもなー。沙耶、あんまり思ったこと言わないタイプだし。だからこっちも言いにくいし」

「でしょ? でも向こうも同じこと思ってるのかも」

 そんなことを話している間に、改札の前までやってくる。

「こっから逆だよね?」

「ああ、うん」

「そう、じゃあ。がんばって」

 こずもが微笑む。

「受験も、恋も」

「うん、ありがとう」

 強く頷いた。

「じゃあ、また、次は卒業式? あ、その前の予餞会かな」

「そうだね」

「じゃあ、その時に。あ、杏子がケーキ作るって張り切ってたから、胃薬用意した方がいいよ」

「えー」

「私が監督するけど、あの子の料理の腕は壊滅的だから」

 ばいばい、と手を振って別れた。

 こずもの言葉を一つ一つ噛み締め、確かに逃げているなと自分を顧みた。

 とりあえず、試験が終わったら連絡すべきかな、と思った。でも、なんて言って? 今更?

 ため息をつき、ホームに向かって歩き出したところで、

「龍一」

 また誰かに声をかけられる。俯いていた顔をあげる。

「清澄」

「久しぶりー」

 正面で手を振って笑う、清澄の姿。隣には、初めて見る女性の姿。彼女に向かって一度頭を下げる。

「お知り合い?」

 彼女の言葉に、

「うん。知り合いの息子さんで、家庭教師っぽいことしてたんだ。な?」

 にやりと共犯者の笑みを浮かべる。慌てて頷く。事務所の人は本当、さらりと嘘をつくなー、と以前も思ったことをまた思う。本当のことを言っても、信じてもらえないけれども。

「へー。高校生? 何年生?」

「あ、三年です」

「あら、受験生だー」

 彼女は清澄のエピソードを疑いもしなかったようだ。

「そうだ。尋ねたいことがあって連絡しようと思っていて」

 龍一は言う。事務所がなくなって清澄のその後とか、沙耶がどうしてるのかとか。

 ただ、どうも彼女の方には事務所関係のことは伏せていたいようだし、今ここで聞いてはいけないな、と判断し、

「また、あとで電話とかしても、平気?」

「ああ、うん」

 清澄が頷くと、

「聞きたいことって勉強のこと?」

「あ、はい」

 彼女が横から言って来た。慌てて頷く。嘘だけど。

「じゃあ、後とかじゃなくて今すぐの方がいいんじゃないの? 受験、今まっただ中でしょ?」

「あ、でも」

「私なら、本屋にでもいるから。ねぇ、清?」

「ああ、うん。悪い、祐子」

「ううん。じゃあ、受験頑張ってね」

 龍一に軽く片手を振ってみせると、彼女はさっさと改札から出て行く。

 その後ろ姿を見送りながら、

「あれが噂の、カノジョさん?」

「そう」

「なんか、想像してたのと違うっていうか、優しそうな人だね」

 事務所で怒鳴った、という話を聞いていたのでもっときつめの女性を想像していた。ふわふわと笑う、柔らかい感じの、可愛い系の人だった。

「普段はああいう感じ。俺が事務所やめたし、最近機嫌いいんだ」

 とりあえず、珈琲でもおごるよ、と駅ナカのコーヒーショップに移動する。

「……事務所やめて、今は?」

「直さんの友人の、会計事務所。良い人だよ。珈琲でいい?」

「あ、できればカフェラテがいいな。普通の?」

「ん? うん、普通普通。直さんの昔からの知り合いらしくて、そういうことにも理解があるんだけど、本人は至って普通」

 カフェラテを二つ受け取り、席に着きながら、

「ああ、こういう人なら沙耶達とも上手く友人付き合いできていくんだろうな、って思わせる人」

 小さく呟いた。

「……上手く?」

「決して入り込みすぎないで、決して否定したりしないで、適度な距離感を保っている感じ。俺は、首を突っ込み過ぎた。見えないくせにでしゃばった真似をして。……今も昔も」

 カフェラテを一口。苦いものを飲んだような顔をした。

「……結局、迷惑ばっかりかけてたなー、俺」

「そんなこと……」

「でも、楽しかったんだ」

 龍一の言葉を遮る様に、笑う。

「二年ぐらいだったけど、あの事務所で見えないながらも沙耶達の手伝いをして、みんなで和気藹々としててさ、仕事は何が起こってるのかわからなかったけど自分が普段知らない世界があることがわかったし。仕事がない時は、暇だからって無駄話して、円姉がお菓子作って来て、沙耶が紅茶いれてくれて、沙耶がいないときは直さんが珈琲用意して、怖いことも怪我も辛いこともたくさんあったけど、それでも」

 一言一言、噛み締めるかのように、

「楽しかったんだ」

「うん、俺も……、ちょっとだけど楽しかった」

「勿論、今の仕事もやりがいあるし、皆良い人だし、だけどそういうのとは違うんだ」

 頬杖をつく。

「あっさり事務所がなくなって、あっさりそっちの世界との関わりもなくなって、今が毎日普通に忙しくて、なんていうのかな」

 どこか遠いところを見ながら、清澄は呟いた。

「夢みたいだったな、あの二年」

 龍一は小さく頷いた。

「全部、嘘だったって言われても……、信じてしまうかもしれない」

 龍一の言葉に清澄は少しだけ痛ましそうな顔をして、

「でも、夢じゃないよ」

「……わかってる」

「ならいいけど」

 夢じゃなかったのは分かっている。今だって見えている。コーヒーショップの窓の向こう、佇む向こうの世界の女性とか。

「皆、元気にしてるよ? 直さんも円姉も、沙耶も」

 聞きたいの、そういうことでしょ? と言われて頷く。

「一海に戻ったから直さんたちは忙しいみたい。本腰をいれて活動っていうか。沙耶もそれの手伝いをしているって。あ、直さんにカノジョが出来そうだって円姉が言ってた」

「へえ?」

 意外な言葉に、目を見開く。

「なんか、一海の使用人の人らしくて。もともと仲はよかったらしいけど。円姉は相変わらずみたいだけど、そっち方面」

「……沙耶は?」

「沙耶も相変わらずみたいだよ。なんか堂本のことがあった後、異様にテンション高くて、明るくて、変だったじゃん?」

「うん」

 頷きながらも、明るくて変と言われるなんてな、と彼女を思い口元が緩む。

「で、そのあと大道寺の社長、沙耶の父親が亡くなって、知ってるだろ? あの時、母親と会ったらしいんだけど、それでまた一つ何かが吹っ切れたみたい。最後にあったときは、またいつもみたいな少しアンニュイな感じだった。笑ってたけど」

「そっか」

「……あのさ、龍一」

「うん?」

 視線を合わせる。清澄は真顔で、

「今は沙耶のことどう思ってる?」

 尋ねてきた。

 一つ、息を吸う。

「変わらない。好きだよ」

 息とともに吐き出す。

「あんなことあったけど? 記憶のことも、堂本のことも」

「うん。この前のこと、やっぱり正直とってもショックだったけど、それでも」

 もう、今更迷ったりしない。例え、叶わなくても。

「最初に沙耶に会った時」

「こっくりさんのとき?」

「そう、あの時、最後に沙耶、笑ったんだ。それまでずっと無表情だったのに、最後に本当に嬉しそうに笑った」

「……なんで? アフターケアのときだろ? 笑うようなことってあるっけ?」

「ありがとうございました」

「え?」

「ありがとうございました、って言っただけなのに、どういたしましてって本当に嬉しそうに笑ったんだ。あのときはよくわからなかったけど、今ならわかる」

 なんであの時、あんなに嬉しそうに笑ったのか。その後事務所を尋ねた時になんであんなにぶっきらぼうだったのか。

「今までなかったんだと思う。ああいう風に仕事が終わった後に、お礼言われるようなこと」

「ああ……」

「そんなの当たり前のことなのに。俺、助けてもらったんだから、お礼ぐらいいくらでも言うのに。だから、俺は」

 ゆっくりと笑みをつくる。

「そういう当たり前のことを、沙耶に当たり前だと思って欲しいんだ。うちにきて家族団らん、バカ話しながら食事とかさ、そういうの。そして、もう一回とかじゃなくて、いつでもああいう風に笑って欲しい」

 色々あったけど、やっぱり結局この気持ちは揺るがなかった。そして今はそれだけで十分だと思えた。

「そっか」

 清澄は満足そうに頷く。

「今はちょっと落ち着かないけど、受験終わったらもう一回ちゃんと沙耶と話そうと思って」

 今後のこと。今の気持ち。駄目なら駄目で、もう一度きちんと。

「うん。頑張れ、どっちも」

 清澄が素直に応援してくれて、それに微笑む。

「っと、そろそろいかないとだよね? カノジョさん待たせてるし」

「ああ、うん。悪い、ばたばたしてて」

 二人して立ち上がる。店からでたところで、

「デートの邪魔してごめんなさい、ってカノジョさんに言っておいて」

「ああ」

 それじゃあ、と片手を上げた清澄を

「あっと、待って」

 引き止める。

「ん?」

「あ、あのさ。また、連絡してもいいかな?」

 龍一の言葉に清澄は意外そうに目を見開き、

「何、当たり前のこと言ってんの? 友達じゃん?」

 楽しそうに笑う。

「連絡、してよ。大学受かったらお祝いになんかごちそうするしさ」

 じゃあな、と手を振って、少し小走りに清澄が立ち去る。その背中を見送る。

 ああ、そっか。俺たち友達なんだ、と思った。年の差はあるけれども。

 少し嬉しくなる。

 友達だと思って良いんだ。事務所がなくなっても、連絡しても問題ないんだ。友達だから。

 軽い足取りで電車に乗り込む。

 絆はまだ、切れていない。

 今なら何でも上手く行きそうな気がした。

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