第六章 恋をしにいく

「ねえねえ、どれがいいと思う?」

 幼なじみのテンションの高い声に、海藤こずもは、

「……作れそうなもの、選びなさいねー」

 いつものように少し呆れて言葉を返した。

 年も明けて、センター試験と学年末試験を目前に控えた一月。幼なじみである西園寺杏子に付き合って、こずもは本屋に来ていた。杏子は指定校推薦で進路決定しているし、こずもも無理しないレベルの大学を第一希望にしているので問題はないが。だからといって、

「なんで今からお菓子作りの本を選ぶわけ?」

 バレンタインに龍一に手作りお菓子をあげたい、レシピ本を選ぶの手伝えなんて。

「だって、今から練習しないと失敗しちゃうじゃん!」

「そうやって自分の料理の腕前わかっているなら手作りなんて見栄はらなければいいのに」

「手作り食べて欲しいじゃん! 榊原君、受験で疲れているだろうし、バレンタインが誕生日だもん」

「あ、そうなんだー。うわー可哀想な誕生日」

 だから、手作り! いいながら、片っ端からレシピ本を開く。

「あ、あと三階でお菓子作りの道具買うから、こずちゃん一緒に選んでね! 何が必要なのかキョウちゃんわかんないし」

「あー、はいはい」

 適当に返事しながら、杏子が上級編と書かれた本に手を伸ばすのを、

「その、簡単って書いてあるのにしたら?」

 咎める。どうせ、難しいの作れないんだし。

「だめ! 簡単過ぎると気持ちがこもらない」

 ため息。杏子は杏子なりに信念があるので面倒だ。

「杏子、わたしちょっとあっち見てくるから」

「うーん」

 返事なのかわからないものを聞きながら、文庫本の方へ足を向ける。

 そこで、見たことある人物を発見した。


 気がついたら年が明けていた。

 沙耶の自宅謹慎もとけ、一海に戻った円たちの手伝いをしていた。年末年始は、特に忙しく、龍一に連絡はとっていない。

 もっとも、それは言い訳に他ならず、賢治のことがあってから一度だって連絡していない。メールなんて、すぐに打てるのに。

 ため息。

 久しぶりに時間が出来たので、本屋で新刊をチェックする。この時間があれば、メールだって電話だって出来るのに。

 でも、多分龍一君いま受験直前で忙しいし、と自分に言い訳しながら、そんな思い切りのつかない自分にもう一度ため息。

 すると、

「あなた……」

 かけられた声に振り返る。髪を肩の辺りで切りそろえた女の子が、目を細めてこちらをみていた。

「あの?」

「以前一度お会いしましたよね。榊原と一緒のところを、遊園地で」

 一度記憶をたどっても思い出せない。それでもなんとか、微笑む。

「ごめんなさい、物覚え、悪くって……」

「いいえ。少しだけだったので。でもよかった、私、あなたと一度話してみたかったんです。少し、お時間いいですか?」


 ぱたり、と海藤こずもと名乗った少女はケータイを閉じた。

「お連れさん、大丈夫なんですか?」

「ええ、真剣に本選んでたし。終わったらここに来るようにメールしましたから」

 すました顔で彼女は珈琲を飲む。

 ショッピングセンターの一階に入っているコーヒーショップ。向かい合って座りながら、沙耶は小首を傾げる。

「それで、お話というのは?」

「特にどうというのはないんですけど。榊原の想い人がどんな人なのか気になって」

 こずもが少し口元を緩めた。

「そういえば、お体、平気なんですか?」

「え?」

「ああ、ごめんなさい。巽に聞いて。あ、巽っていうのは、わたしと榊原のクラスメイトで、榊原と仲良くって」

「……翔くんに?」

「あ、知ってるんだ」

 よくわからない人間関係ですね、と揶揄するようにこずもが言う。

 特に何かした記憶はないけれども、どうも敵対心を持たれているらしい。忘れているだけで何かしただろうか? と沙耶は内心首を傾げる。けれども、仕事絡みでもなく、龍一の知り合いの高校生相手にそんな悪い対応を自分がとるとは思えなかった。見知らぬ人への外面だけはそれなりにいいのだし。

「翔くん、何を?」

「よくわからないけど、あなたが治る見込みのない病気で? 榊原が自分はなんの役にも立たないって落ち込んでるって」

 多分、龍のことを言っているのだろうな、とぼんやりと思った。

「勝手に詮索するような真似してごめんなさい。ただ、榊原が落ち込んでてうざかったので」

 おかげで杏子まで調子悪くなるし、と彼女がぼやく。意味はよくわからなかったけれども、そもそも龍一と仲が良くないのかな、と思った。

「まあ、だから榊原、医学部にしたんでしょう?」

「え……?」

 思いがけない言葉に、口元まで持っていたカップを落としそうになる。慌てて支える。

「……あれ、知らなかったんですか?」

 小さく頷く。

「ああ、じゃあ榊原は生意気にも隠してたのか。まあ、いいか」

 こずもは納得したように頷き、

「らしいですよ。貴女の役に立ちたいって」

「だって、龍一君、確か文系じゃ……?」

「ええ、だから突然理転して担任が慌ててました」

 言葉にならない。なんで、そんなことで自分の進路を決めてしまうのだろう。

 確かに、医者でもある啓之や円達と、医学的な方面から龍についてアプローチ出来れば良いのに、という話はしたことがある。だから、それが役に立つ可能性は十分にある。けれども、何にもならない可能性もある。

 それに、また、忘れてしまうのかもしれないのに。

 口元に手をあてたまま、考え込む沙耶を、こずもは少し困ったような顔をして見つめ、口を開きかけ、

「こずちゃんこずちゃんこずちゃんっ!」

 ばたばたと足音がして、瞬間こずもはうんざりとしたような顔をして振り返った。

「ちょ、どうこれ! このケーキ! これよくない!?」

「いや、よさそうだど……」

 広げた本にのっていたレシピには大きなチョコレートケーキ。二種類のスポンジを重ねて作るらしい。

「あんた、こんなの作れるの?」

「わかんないけど! こずちゃん手伝ってくれるよね」

「……うん、もうそういうことでいいや」

 うんざりしたようにため息一つ。

「あ!」

 杏子はそこではじめて沙耶に気づいたかのように指をさし、

「JILLのワンピの人!」

「杏子っ!」

「あ、でも今日普通だ。やっぱり、あの遊園地はデートだったんだ? あ、でも鞄がmiumiuだ! いいなー、かっわいー!」

「あ、あの?」

 怒濤の展開についていけない。

「杏子、あんたちょっと黙りなさい」

 こずもが一喝し、

「ごめんなさい」

「ええっと? お連れさん?」

「ええ」

 沙耶の質問にこずもは一度頷き、

「どういうわけだか榊原に懸想しているバカな幼なじみです」

「バカじゃないもん!」

 間髪入れず杏子がつっこむ。

「龍一君に……、そう」

 こんな、同い年の普通の女の子に好かれているのに、どうしてあたしなんだろう?

「む、ところでこずちゃん、懸想って何?」

 小声で杏子はいい、こずもに冷たく睨まれた。

「そうそう、それで、貴女に聞きたいんですけど。貴女と榊原は結局どういう関係なんですか?」

「どうって……」

 それは自分が聞きたい、と思った。

「付き合っているというわけでは?」

「それは……、違いますね」

 付き合っているなんて言えない。あんなに傷つけて、まだ謝ってもいないのに、そんな図々しいこと。

「榊原君のこと、好きなの?」

 こずもの隣に腰を下ろし、杏子が尋ねる。

「それは……」

 少し、ためらい、

「……大切だと、思っています」

「答えてないしー」

 精一杯出した言葉は、あっさりと斬り捨てられた。

「好きかどうか聞いているの! 勿論、恋愛感情として」

 まっすぐな杏子の視線から逃れる様に、カップに目を落とす。

「ちなみに、キョウちゃんは榊原君のこと好き!」

 あっさりと杏子が言う。なんてまっすぐな子なんだろう、と思う。素直な子だ。羨ましい。

「あたし、は」

 恋愛感情で榊原龍一のことを好きなのかと聞かれたら、

「好き、です」

 言って、顔をあげる。

 逃げ出したくなるのを抑えて、杏子に視線を合わせる。

「でも、付き合っていない?」

 横からこずもが尋ねてくる。頷く。

「何故?」

「何故って」

 円でさえ詮索してこないことを、ほぼ初対面なのによく聞けるな、と少し感心しつつ、

「色々あって。あたしは、彼を傷つけたから」

 少しだけ、意地悪な気持ちになった。この臆面もせず、尋ねてくるこずもに、必要以上に素直に気持ちを表現する杏子に、少しだけ棘を放ちたい気分になった。

「好きだけじゃ、どうしようもないこともあるんですよ」

 ひと呼吸。ゆっくり微笑み、一言。

「大人には」

 棘に気づいたのか、こずもは眉をひそめ、

「すみません、失礼なことばかり聞いて」

 とりあえず、頭を下げた。

「んー、どっちでもいいけど。ってか難しいことよくわかんないけど」

 杏子は小首を傾げた。

「あなたがそうやってぐずぐずしてるなら、キョウちゃんはこのケーキを榊原くんの誕生日兼バレンタインプレゼントしてあげちゃうんだからね! あとで泣いても知らないんだからっ」

 そのまま手に持ったままだったレシピをずいずぃっと沙耶に向かって広げる。

「杏子」

 嗜めるようにこずもが名前を呼ぶ。

「だって、意味わかんないんだもん。好き以外に何が必要なの? 好きだけじゃだめなの?」

「あのね、杏子」

「それってただ、逃げているだけじゃない? 他のことに理由を見つけて感情を見なかったふりにして、そういうのずるいと思う。それに、榊原君が可哀想」

 杏子は挑む様に沙耶を見つめ、

「榊原君を傷つけるのは、誰だって許さないんだから」

 いつもよりきつい口調で言い切った。

 沙耶は黙って、そのまっすぐな視線を受け止める。

「好きって言われて、困ることなんてないもん。榊原君のこと気遣うフリして逃げているだけじゃん」

「杏子」

 まだ何か言いたそうな杏子をこずもが遮り、

「ごめんなさい、この子が」

 こずもの言葉に、杏子はむっとした顔をして

「キョウちゃん何も間違ったこと言ってないでしょ?」

「うん、わかったから」

 席を立たせる。

「すみません、お時間を取らせて。こちらだけ言いたいこと言って。すみませんでした」

 そのまま立ち去ろうとするその背中を、

「まって」

 呼び止める。

「ありがとう」

 怪訝そうな顔をした二人にゆっくりと微笑む。

「迷っていたけど、おかげで答えがでたわ」

 確かに、逃げているだけなのかもしれない。叶わぬ想いだと、認めることから。

 ゆっくりと立ち上がり、カップを片付ける。

 二人の正面に立つと、

「だから、ありがとう」

 もう一度、出来るだけ綺麗に見える角度を計算して微笑む。そういう顔は得意だ。

「もう、迷わないから」

 言うと、二人の返事を待たずに歩き出した。


「……こずちゃん」

 立ち尽くしたまま沙耶の背中を見送り、その姿が見えなくなってから杏子が言う。

「なに?」

「もしかしてもしかしたらなんだけど」

「うん」

「このケーキ、作っても意味ないかな」

「杏子……」

 こずもは横でなんともいえない顔をしている幼なじみをみた。

「いいこと教えてあげようか」

「うん?」

「それ、四月の段階で気づくべきことだったよ」

 言うと、幼なじみは泣きそうな顔をした。

「……やっぱりそうかな」

「うん。でも、最近ちょっといい線まできてたけどね」

「ほんと?」

「うん。けしかけなければよかったかもね? あの人、杏子の言葉に触発されたみたいだし」

 笑ってみせると杏子は首を横に振った。

「全然。榊原君が元気になるならそっちの方がいいもん」

 そう言って、笑った。

「とりあえず、万が一にかけてケーキは作るの! だからこずちゃん、道具買いに行こう!」

 少し泣きそうな顔で笑いながら元気よく言う杏子を、目を細めて見つめながら、

「はいはい」

 いつもと同じ様に呆れた調子でこずもは返事した。

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