後日談
翌週の水曜日、帰りのホームルーム開始直後。
「それでは皆さんお待ちかねの、個人成績表を返却しますね。呼ばれたら取りに来てね。安藤くん」
寺尾先生からの連絡。テストの答案と同じように出席番号順だった。
「五五位か。前より一つだけ上がってた。期末はもっと頑張らないと」
梶之助の決意。現状で満足せず、さらなる高みを目指している。
「梶之助殿、おいらも一つだけ上がったぜ」
光洋は苦笑いを浮かべながら、結果を伝える。全科目平均点を大幅に下回り、学年順位は二六六位。当然のごとく、一科目も秀平に勝つことは出来なかった。
出席番号十番の秀平は受け取った瞬間、
「二位のお方は七八一点だったようで、この高校のレベルの高さを実感しました。油断すると学年トップの座を奪われてしまいそうで怖いですね」
満足顔でこう呟いた。彼の総合得点は八〇〇点満点中七八五点。中学時代のように断トツでというわけにはいかなかったが、またも学年トップの座を保てたのであった。
「贅沢な悩みだな、秀平殿。この天才的頭脳を吸収しなくては」
「いててて、大迎君。真の天才的頭脳を吸収したいのならば、JR住吉駅前まで行って灘高生でも狙いたまえええぇぇ」
「光洋、止めてやれ。秀平、次もトップ維持目指して頑張れよ」
「はぃぃぃ。ボク、頑張りますよん」
男子三人が楽しそうにこんな会話を弾ませているうちに、女子の分が返却されていく。
「私、番付ちょっとだけ上がったよ。利佳子ちゃんが稽古付けてくれたおかげだね」
麗は二三八位までアップ。さっそく利佳子に報告しに行く。
「まだまだね。せめて学年平均くらいまでは昇進させなきゃ」
利佳子はあえて辛口コメントし、麗のやる気を引き立たせたのだった。
(前よりけっこう上がってる。すごく嬉しい)
秋穂は受け取った瞬間、満面の笑みを浮かべた。三九位まで上がっていたのだ。
(やっぱり勝てなかったかぁ)
利佳子は悔しがる。七七〇点で、新入生テストより順位を一つ落とし、六位に終わった。
「あともう一つ連絡があります。今度の土曜日、メキシコ料理教室が行われますので、興味のある方はぜひ参加して下さいね」
全員に返し終えた後、寺尾先生はこう伝えて、広報ポスターを黒板に貼り付けた。
解散後。
「タコスかぁ。激辛料理だから、参加しようっと」
「ワタシは、お菓子じゃないから今回はパス」
「わたしもー」
麗、秋穂、利佳子の仲良し三人組はすぐさま確認しに行く。
「私が全部食べるから、一緒に参加しよう。ん? この講師の人って……ひょっとして」
麗は講師の名前を見て、思わず笑みがこぼれた。
※
五月三一日土曜日、メキシコ料理教室開講当日。朝十時半頃。淳甲台高校調理実習室。
「やっぱりあの人だぁ!」
講師が入ってくると、麗は嬉しそうに大声で叫んだ。
「おう、麗風、Mi amiga! ここの生徒さんだたのね」
講師もすぐに気づいてくれた。女相撲大会優勝決定戦で敗れた摩耶山賊、本名マヤ・モンタネスさんだったのだ。
「また会えましたね。藪から棒ですが、摩耶山賊さん、私ともう一度勝負して下さい!」
麗は摩耶山賊の側に駆け寄り、深く頭を下げて頼み込んだ。
「うーん、でも、あっし、今日、マワシ、持て来てないよ」
摩耶山賊は苦笑いを浮かべながら言う。
「それなら心配いません、摩耶山賊さんのマワシも、私が用意して来ました」
麗はこう告げて、鞄の中から取り出し摩耶山賊の眼前にかざした。
「Oh,そういうことでしたら、オーケイよ。あっしも、麗風と、勝負したいから」
「やったぁ! ありがとうございます」
快く承諾してくれ、麗はバンザイして満面の笑みで大喜び。
「よかったね、ウララちゃん」
「お二人の取組、すごく楽しみです」
秋穂と利佳子も対戦の実現を喜ぶ。
お昼過ぎ、メキシコ料理講座が終わった後、いよいよ取組開始。
グラウンドで行うことになった。
「やっほー、みんな」
「麗ちゅわーん、応援しに来たぞう。僕が行司さんやるねー♪」
「どうも」
寿美さんと五郎次爺ちゃん、梶之助もやって来た。
麗があのあとスマホで鬼柳宅に連絡したのだ。この三人は料理教室講義中に、グラウンドに土俵も作ってくれていた。大相撲の土俵サイズと同じ直径十五尺の円を描き、さらに俵を埋め込むという本物に近いものを。力水の入った水桶と、撒くための塩も用意されていた。(事前に寿美さんが淳高の先生方に設置許可を取っていた)
土俵周囲に秋穂、利佳子、梶之助以外にも大勢の観客が集う。生徒達のみならず先生方も何名かいた。
摩耶山賊は半袖Tシャツ&スパッツ姿、麗は夏用体操服の半袖クールネックシャツ&ハーフパンツ姿となり、その上からマワシを締めた。
靴と靴下も脱いで素足になり両者、相撲を取る準備が整うと、
「ひがあああああしいいいいい、まやさんんんぞくううう、まやさんんんぞうううくううう。にいいいいいしいいいいい、うららあああかぜえええ、うららあああかあああぜえええええ」
寿美さんは相変わらずの美声を発しながら、独特の節回しで四股名を呼び上げた。
麗と摩耶山賊はそれを合図に土俵へと足を踏み入れる。
徳俵の前で一礼し、東西の土俵脇へ別れた。
麗は梶之助から、摩耶山賊は寿美さんから力水を付けてもらう。
仕切りの際には、大会の時と同じく激しい睨み合いが続いていた。
「ウララちゃん、ファイト!」
「頑張って下さいね!」
秋穂も利佳子もすぐ近くで熱く叫ぶ。
大会の時と同じく塩撒きと仕切りを六度繰り返したところで、寿美さんから制限時間いっぱいであることが告げられた。
最後の塩。麗は山のようにがっちり掴み、高々と舞い上げた。摩耶山賊もそれに負けるものかと豪快に撒き散らす。勢いはほぼ互角だった。
「待ったなし、手を下ろして。はっきよぉい、のこった!」
五郎次爺ちゃんが軍配を返す。一発で上手く立った。
「おう!」
瞬間、摩耶山賊は驚きの表情を浮かべた。
麗が、いきなり八艘飛びを食らわしたのだ。
(やっぱ決まらなかったかぁ)
麗は残念がる。
摩耶山賊は足を泳がされたものの、俵まであと一歩のところでくるりと一回転した。体勢を立て直される前に麗は一気に突き出そうと試みたが、今度は摩耶山賊に変化され、かわされてしまった。
麗、摩耶山賊に背を向けてしまう。けれども一瞬でくるっと振り返り、向かい合う形へと戻った。同じ過ちは繰り返さない。麗は強い意志を持っていた。
摩耶山賊、麗の顔面にパチンッと突きを食らわす。けれども麗、それに怯まず摩耶山賊の両マワシを狙いに行った。
(やったぁ!)
見事掴むことが出来た。麗、若干有利な体勢へ。
だが、摩耶山賊も麗の両マワシを掴んできた。
麗、攻められる前に勝負を決めようと力を振り絞り、寄り切ろうと試みる。
しかし摩耶山賊、大会の時より若干体重を増やしたのか全く動かせず。
逆に、麗の方が摩耶山賊に一気に押し込まれてしまった。俵の上に足がかかってしまい、もうあとがない。麗非常に苦しい表情。必死に堪える。
「「「「「「うおおおおおおおおおおおっ!」」」」」」
観客からも激しい歓声が絶え間なく響く。
「のこった、のこった!」
五郎次爺ちゃんもしきりに掛け声。かなり気合が入っていた。
容赦なく体を預けてくる摩耶山賊、
(これはまた麗ちゃんの負け確実だな)
この時、梶之助は悟った。
だがその時、
「とりゃあああああああああああああああああああああああああーっ!」
と、麗が大きな掛け声をあげた。
そして、
「ただいまの決まり手は、うっちゃり、うっちゃりで、麗風の勝ち。相撲大会での雪辱を果たすことが出来て良かったわね」
寿美さんは爽やかな表情で告げた。
「麗ちゃん、お見事じゃっ! 双葉山が得意にしとった技じゃぞ」
五郎次爺ちゃんも軍配団扇を西方に指していた。
麗は土俵際ギリギリの所、体を捻りながら捨て身の投げ技を打ち、奇跡的に勝つことが出来たのだ。
「ウララちゃん、おめでとうううううぅぅ!」
「麗さん、強靭な足腰ね」
「俺、まさかあの体勢から勝てるとは正直思わなかったよ」
秋穂、利佳子、梶之助はパチパチと大きな拍手を送る。
「「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」」」」」
他の観客からも、当然のように大きな拍手喝采が巻き起こった。
「あらぁ、負けたのね、あっし」
摩耶山賊はてへりと笑いながら呟いて、自力で起き上がる。
「いたたたぁっ」
麗自身も、勢い余って体勢が崩れてしまった。すぐに自力で起き上がる。
「ウララちゃん、肘から血がいっぱい出てるよ。あと、鼻血も」
秋穂は心配そうに伝えた。
「あっ、本当だ。めっちゃ出てる」
麗は目を腕に向け、傷口を眺めてみた。
「ごめんなさい、麗風、また怪我を負わせてしまって」
摩耶山賊は麗の側に寄り、大変申し訳なさそうに深々と頭を下げて謝罪した。
「いえいえ摩耶山賊さん、気にしないで下さい。お相撲に怪我は付き物ですから。それに、こんなのたいした怪我ではありませんから」
麗はにこやかな笑顔できっぱりと言う。
「でも、あっし、罪悪感に駆られます。あの、麗風、これ使って下さい」
摩耶山賊はポケットティッシュを手渡す。
「ご親切に、ありがとうございます」
麗はぺこんと一礼してから受け取ると、すぐに自分の鼻に詰めた。
「ウララちゃん、肘は、保健室で手当てした方がいいよ。保健室まで運んであげるね」
秋穂はそう言うと、麗の背中と太ももの内側を抱え、お姫様抱っこした。
「あっ、秋穂ちゃん、なんか、恥ずかしいよぅ」
照れくさがる麗に、
「この間、ワタシが貧血で倒れた時に運んでくれたお礼だよ」
秋穂はにこにこ微笑みかけながら伝える。保健室手前の手洗い場まで辿り着くと、麗をそーっと下ろしてあげた。
「ありがとう、秋穂ちゃん」
麗は照れ笑いする。
「どういたしまして」
秋穂はにこっと微笑みかけた。
「うー、しみるぅ」
麗は水道の蛇口を捻り、肘の傷口を丁寧に洗ってから、保健室へ入ろうとしたが鍵がかかっていた。
「やっぱりお休みかぁ」
麗は苦笑顔で呟く。木村先生は、今日は不在。
「どうしよう。ワタシ、絆創膏持ってないよ」
「私も持ってないや」
「大丈夫よ麗さん。わたし、お料理してる時に怪我するかと思って、これ持って来てたの。傷口が乾かないように、この絆創膏を貼るね」
利佳子も駆け寄ってくる。鞄の中から液体絆創膏を取り出した。
「あのう、あっしが貼ります。麗風に、さっきのお詫びをしたいので」
摩耶山賊も駆け寄って来た。
「摩耶山賊さん、心優しいおばさんだなぁ」
麗は頬をちょっぴり赤らめる。
「マヤちゃん、強さのみならず人格も備わってるね」
「マヤ先生はまさに女相撲界の横綱の器ですね」
秋穂と利佳子は尊敬の念を抱く。料理教室の時も丁寧に指導してもらったのだ。
「いえいえ、あっし、それほどでもございません」
摩耶山賊は謙遜する。
「そんな仕草も素晴らしいです。マヤ先生、これ、どうぞ」
「グラシアス」
摩耶山賊は利佳子から絆創膏を受け取ると、
「はーい、貼ったよ麗風。早く治してね」
麗の肘の傷口にぴたっと貼ってあげた。
「ありがとうございます、スペイン語だとグラシアスだね」
麗は照れくささのあまり、摩耶山賊と目を合わせられなかった。
「De nada.麗風、今回の取組、あっしの力負けだよ。あれから一月も経ってないのに、すごい進歩だね。若さだね」
摩耶山賊は褒め称えてくれる。
「いやいや、実力的にはまだまだ摩耶山賊さんの方が遥かに上ですよ。私が勝てたのはタコスパワーの奇跡ですよ。翔天狼が初顔で全盛期の白鵬に勝っちゃったようなものです。私、さらに精進して来年の相撲大会に挑みます!」
麗は謙遜気味に伝え、強く宣言した。
「あっしも負けないよ!」
二人はがっちり握手を交わす。
初夏の眩い日差しが美しく二人を照らし出していた。
「名勝負じゃったぞ。来年の女相撲大会もとっても楽しみじゃわい」
五郎次爺ちゃんはそう告げて、摩耶山賊に背後から近寄る。
「ヒャッン!」
腰から尻にかけてなでられた摩耶山賊は、頬をポッと赤らめた。
「摩耶ちゃんよ、今度僕にマンツーマンでスペイン語を教えてくれんかのう。今や使用人口は英語を超え、中国語に次いで世界第二位になっておるようじゃし、これからの時代、ますます必要になってくると思うんじゃ」
「あんっ、くすぐたーいですよぅ」
嫌がっている摩耶山賊のお尻を尚もなで続ける五郎次爺ちゃんに、
「五郎次お爺様ぁ。そういういたずらが許されるのは小学生までですよ」
麗はニカッと微笑みかけた。
そして、五郎次爺ちゃんの身に着けていた行司装束の帯を、怪我をしてない左腕でむんずとつかみ、ポイ捨てるかのように豪快な投げ技を食らわす。
「ただいまの決まり手は、つかみ投げ、つかみ投げで、麗風の勝ちっ!」
技が決まった瞬間、寿美さんは爽やかな声で決まり手を告げた。
「おう、麗風ものすごい力。何年か前に両国国技館で見た、朝青龍と把瑠都の取組を思い出したよ」
摩耶山賊は驚き顔。麗に対しちょっぴり恐怖心も沸いてしまった。
「フォフォフォ、僕の今の気分はあっぱれ五月晴れじゃ。梶之助よ、麗ちゃんも小兵ながら相撲がめっちゃんこ強いじゃろう。梶之助も、もう僕よりも強くなっておるのじゃから、角界入りしてさらに技を磨き、歴代最強の小兵力士になれっ!」
うつ伏せ状態の五郎次爺ちゃんからこう命じられると、梶之助は呆れ顔で見下ろしながらはっきりと言ってやった。
「五郎次爺ちゃん、俺は大相撲の力士には絶対なれねえから、体格的に」
(千秋楽)
アクロバット相撲少女うららちゃん 明石竜 @Akashiryu
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