第七話 翔一の人生初ハーレム日和
ついにやって来た日曜日の朝、八時頃。
鶸梅寮の玄関チャイムが鳴らされ、
「おっはよう! ワタシ達も誘ってくれてありがとね」
「おはようございます」
柚陽と茉莉乃が訪れて来た。
「翔一兄さん、先日は大変無礼なことをしてしまい、申し訳ございませんでした」
柚陽は翔一のそばへ駆け寄るなり、大きな声で謝罪し深々と頭を下げた。
「いや、そっ、そのことは、もう、いいから」
翔一はとても気まずそうにする。
「柚陽さん、その話はもうしちゃダメッ!」
ヤスミンは柚陽の髪の毛をぎゅーっと強く引っ張った。
「いったたたぁ~、ごめん、ごめん」
柚陽はちょっぴり目に涙を浮かばせる。
「やっぱりあの日何かあったんだね。詳しく教えて欲しいな」
爽やか笑顔で興味深そうに要求してくる千景に、
「幸岡さん、お願いだから詮索しないで。本当にしょうもないことだから」
翔一は苦笑いでこう頼んでおいた。
「翔一くんがそう言うんなら、私もう気にしないことにしておくよ」
千景は快く承諾してくれたようだ。
よかったです♪ 千景さん、翔一お兄さんの言うことは素直に聞いてくれるのが幸いですね。
ヤスミンはホッと一安心する。
ともあれみんなは、それからほどなく鶸梅寮を出発した。
千景は抹茶色地白の水玉サマーニットに桜色キュロットスカート。
彩織は水色のサロペット。
ヤスミンはココア色のサマーニットにグレーのホットパンツ。
茉莉乃は白の夏用カーディガンに黄色のプリーツスカート。
柚陽はベージュの夏用ワンピース。
翔一はデニムのジーパンに黒の夏用セーターという組み合わせ。
みんなそれほど派手ではない普段着で、最寄り阪急駅へと向かって歩いていく。
今日の天気は晴れ。少し蒸し暑いものの、絶好の行楽日和となった。
☆
阪急電鉄と路線バスを乗り継いで、鶸梅寮を出発してから一時間以上かけてようやく辿り着いたお目当ての『阪神サウスアイランド王国』。
みんなはまずは屋内プールで遊ぶことに。
屋外プールもあるが、例年通り六月三〇日まで休業中だ。
みんなはガラス張り吹き抜け開放感たっぷりのドーム内へ。
「水着のお店寄って行こう! 私、新商品見たいっ!」
「俺は全く興味ないや」
翔一以外のみんなはプールゾーンへ向かう前に、スイムショップへ立ち寄ることに。
「幸岡先輩達はビキニとか紐パンとかTバックタイプの水着は着ぃへんの?」
「柚陽ちゃん、高校生の私には過激過ぎるよ」
「わたしはこれは無理です。こんなの着たら翔一お兄さんも目のやり場に困っちゃうよ」
「Tバックのは、お相撲さん以上におしり丸見えだね。あたしはワンピースタイプの方が好き♪」
「アタシもそれが一番落ち着くなぁ」
「みんなまだまだ子どもやね。このタイプの方がトイレに行きたくなった時便利やのに。まあワタシも紐パンとTバックのはさすがに着んけど。あっ! あの海パン、翔一兄さんにぴったりかも」
女の子みんなでわいわい楽しそうに商品を眺めている中、
なんとも手持ち無沙汰だ。
翔一は店外の休憩ベンチでスマホをいじりながら退屈そうに待機。
「翔一お兄ちゃん、柚陽お姉ちゃんがかっこいい海パン買ってくれたよ。ほら見て。キングコブラさん柄。これ穿いて」
「翔一くん、せっかくだから穿いてみたら?」
「絶対似合うで」
「俺、そんな派手なのは着ないから。無駄遣いはダメだよ」
五分ちょっとでみんな戻って来てくれた。
いよいよプールゾーンへ。
やっぱ女の子達はまだ着替え終えてなかったか。予想は出来てたけど、カップルや家族連ればっかりだな。昔来た時と比べて、設備が増えてるな。
翔一が一番早く着替えを済ませ、プールサイドへ。ショートスパッツ型の地味な紺色水着姿で前方に広がる光景を眺めていると、
「翔一兄さん、どう、似合う?」
柚陽が露出たっぷりレモン色のビキニ姿で現れ、こう問いかけて来た。
「うん、まあ」
翔一はちらっと見て即答する。
「サンキュー翔一兄さん。翔一兄さんの高校も水泳の授業もうすぐ始まるやろ? 特訓してあげよっか? ワタシも水泳そんなに得意じゃないけど、クロールなら五〇メートルくらいはノンストップで泳げるよ」
「べつにいいって」
「あぁん、もう。それじゃ、いっしょにゴムボートに乗って遊ばへん?」
「断る」
「翔一兄さんったら、照れなくっても」
柚陽はくすっと微笑む。
「柚陽、翔一お兄さんからかっちゃダメよ」
「翔一お兄ちゃん、やっぱりキングコブラさん柄の穿いてくれてなーい」
「ショウイチお兄さんにはそんなワイルドなのは絶対似合わないよ」
「翔一くん、お待たせー」
他のみんなは露出の少ないワンピース型水着だ。彩織と茉莉乃はお揃いのトロピカルフルーツ柄、千景はオレンジ地白の水玉柄、ヤスミンは和風な桜柄だった。
みんなよく似合ってるなぁ。
翔一はちょっぴりにやけてしまった。
「茉莉乃、流れるプールで遊ぼう」
「うんっ!」
彩織と茉莉乃は仲良く水辺へ駆け寄っていく。
「わたし、水泳の練習もしようと思ったけど、これだけ人多いと恥ずかしくて出来ないな」
「私もこの人ごみじゃ泳ごうとは思わないなぁ。ビーチボールで遊ぶ方がいいよ。ねえ翔一くん、ふくらませてー」
「足踏みポンプ使ったら簡単だろ」
「それだと翔一くんに見せ場を作れないと思って」
「作る必要ないと思うんだけど……ふくらませてあげるよ」
翔一は地球儀型ビーチボールの空気穴部分を口にくわえ、息を吹き込んでいく。
「疲れたぁー」
満タンにした時にはかなり息が切れていた。
「ありがとう翔一くん、さすが男の子だね」
千景から感謝されるも、
「翔一兄さん、肺活量少なそうやね。時間かかり過ぎ」
柚陽にくすっと笑われてしまう。
「翔一くん、こっち投げてー」
「分かった。それじゃ俺はあの辺にいるから」
「翔一くんもいっしょにビーチボールしよっ」
「俺はいい」
翔一は千景に向かって投げると、そそくさ三人がいる場所から離れていく。
「翔一兄さん、せっかくのハーレムやのに勿体ないで。幸岡先輩、こっち投げてやー」
「柚陽ちゃん、いっくよーっ。それーっ。あっ、ヤシの木の方へ飛んでっちゃった。ごめんね」
「ドンマイ、ドンマイ」
「柚陽、パス」
「それっ」
「ひゃっ、柚陽、速過ぎよ」
三人は不器用ながらもビーチボールで遊び始める。
*
それから五分ほど経った頃、
「あたし翔一兄さんのとこ行って来るね」
柚陽はヤスミンに向けてトスを上げるとそう伝え、ここから立ち去る。
ガジュマルって独特な形だよなぁ。
同じ頃、翔一はベンチに腰掛け、プールサイドに生えている熱帯植物を観察していた。
「ねえ翔一兄さん、幸岡先輩といっしょにこれに乗ってあげて」
そこへやって来た柚陽は、途中レンタルコーナーに寄って借りて来たビニールボートをかざす。
「嫌だって」
「あそこのカップルだってやっとうやろ?」
「俺と幸岡さんはカップルじゃないし」
翔一はベンチから立ち上がり、スタスタ早歩きで逃げていく。
「待って翔一兄さん」
「しつこい」
翔一が不快な気分でこう呟いた直後、
「翔一くん、危なぁい!」
千景の叫び声。
ビーチボールが飛んで来たのだ。
「ぐわっ!」
それは翔一の後頭部に直撃した。
「ごめんね翔一くん、わざとじゃないの。怪我はない?」
千景はぺこぺこ何度も頭を下げて謝ってくる。
「幸岡さん、俺は平気だから、気にしないで」
翔一は優しく伝えた。
「ねえ幸岡先輩、このボートに翔一兄さんといっしょに乗ってあげて」
「えっ、それは、ちょっと、恥ずかしいな。大勢の前では」
千景は照れくさそうに笑って躊躇う。
「ほら、幸岡さんも嫌がってるだろ」
「あぁん、残念や」
「千景さん、翔一お兄さん、ほんの三〇秒だけでもいいので乗って下さい」
「それじゃ、乗ろっか、翔一くん」
「うっ、うん」
翔一と千景はプールに浮かべたビニールボートに乗っかると、向かい合った。
「なんかバランス悪いね。ちょっと動いたら落ちそう」
「そうだな」
けれどもお互い視線は合わせられずにいた。
「二人とも、はいチーズ」
柚陽に防水デジカメでちゃっかり撮影されてしまい、
「こらこら」
「柚陽ちゃん、恥ずかしいよ」
翔一は苦笑い、千景は照れ笑いする。
「翔一兄さんと幸岡先輩、どっからどう見てもカップルやで」
柚陽は微笑ましく眺めていた。
そんな時、
「うっ、うわぁっ!」
「きゃっ!」
翔一と千景の乗ったボートが突如転覆してしまった。二人とも水中へ放り出される。
「やっほー翔一お兄ちゃん、千景お姉ちゃん」
彩織が水中から底の部分を手で勢いよく押し、バランスを崩させたのだ。
「阪谷さん、危ないからそういうことはしちゃダメだよ」
「彩織ちゃん、私びっくりしたよ」
苦笑いの翔一と、にっこり笑顔の千景の反応を見て、
「えへへっ」
彩織はえくぼを浮かばせ得意げに笑う。
「彩織さん、ダメですよ、そんなことしたら」
ヤスミンは叱らず優しく注意。
「はーい。あたし、これから茉莉乃とウォータースライダーで遊んで来るね。茉莉乃、行こう!」
「うん」
彩織と茉莉乃は仲睦まじくその設備がある場所へ駆けて行った。
「わたしもウォータースライダーで遊んでこよっと。あれ大好き。位置エネルギーが運動エネルギーに変換される物理現象を体感出来るし」
「ヤスミス、いっしょに乗ろう。翔一兄さんは幸岡先輩といっしょに乗ってあげなよ」
「俺は乗る気ないよ」
「あの、翔一くん、いっしょに乗って。一人じゃちょっと怖いから」
千景に手首を掴まれ上目遣いでお願いされ、
「わっ、分かった」
翔一は少し緊張気味に承諾した。
「翔一兄さんと幸岡先輩は、二人乗り専用のあれに乗るべきやね」
柚陽は三種類あるウォータースライダーのうち、最も傾斜が急なのを指した。高さも最大だ。
「いやいや、俺は緩やかな青色の方に」
「私もそっちがいいな。もっと緩やかな子ども用の方ならもっといい。あれは見るからにものすごーく怖そう。厳つい表情のライオンさんの口からして」
「翔一兄さん、幸岡先輩、カップルに大人気やからぜひ乗ってみて」
「あっちの方が絶対楽しいですよ。わたしもあれに乗るので」
「ヤスミンちゃんも乗るなら、乗ってあげてもいいかな」
「しょうがない、一回だけだからな」
柚陽とヤスミンはわくわく気分、翔一と千景は億劫そうに待機列へ。
「柚陽お姉ちゃん達、あれに乗るんだね」
「サオリちゃん、怖そうだけど、あっちにしよっか?」
「そうだね。あたし達ももう大人だもんね」
青色の方に並んでいた彩織と茉莉乃も翔一達のいる方へ移動した。
「すごく楽しそうにはしゃいでるね」
「よく楽しめてるね。俺には感覚が理解出来ないよ」
乗ろうとしているウォータースライダーから急降下したカップルを見て、千景と翔一は苦笑い。
柚陽とヤスミンの後ろに翔一と千景。その後ろに彩織と茉莉乃が並んだ。
「もう順番回って来たわ。ほな、おっ先ぃ」
「ちょっと怖いけど、楽しみです♪」
柚陽とヤスミン、わくわく気分でゴムボートに乗り込み、
「それじゃ、行ってらっしゃい」
お姉さん係員からの指示で出発。ちなみに柚陽が前だ。
「翔一くん、前に乗ってね」
「分かった」
ついに順番が回って来た翔一と千景は、恐々とゴムボートに乗り込む。二人とも手すりをしっかりと握っていた。
「彼氏さん、怖がらずに頑張って♪ それじゃ、行ってらっしゃい」
お姉さん係員からの気遣いの声もかけてもらっていよいよ出発。
二人の乗ったゴムボートが、高さ十メートルの場所から急斜面を猛スピードで急降下していく。
「うをわぁぁぁっ!」
「きゃあああああああんっ!」
落下地点でザブゥゥゥーンと高く水飛沫を上げ、二人ともずぶ濡れに。
「翔一くん、大丈夫?」
「当然」
ボートの動きが落ち着いたのちそんな会話を交わした直後、
「柚陽、あれもう一回乗ろう!」
「うん! 今度はワタシを前に乗らせてよ」
プールサイドを走ってまた同じウォータースライダーの方へ向かっていくヤスミンと柚陽の姿を目にした。
「柚陽ちゃんも、こういうの好きなんだね。私はもうこりごり」
「俺ももういい」
翔一と千景はくたびれた様子でプールサイドに上がり、ゴムボートを仲良く持ち合って返却しに行く。
「アタシ、けっこう恐怖を感じたよ」
「あたしもー。でももう一回だけ乗りたいって感じたよ」
続いて落下した茉莉乃と彩織も返却場所へ向かい、翔一と千景と合流した。
それから十分近く、四人で柚陽とヤスミンが戻ってくるのを待つと、
「これから柚陽とイルカボートで遊んでくるね」
「翔一兄さんも幸岡先輩とイルカボートで遊んであげなよ」
ヤスミンと柚陽はそう伝え、いっしょに人工ビーチのあるプールの方へ向かっていった。
「ここのプール、ビーチでは今年から貝殻拾いも出来るようになったみたいだね」
「翔一お兄ちゃん、あたし達といっしょに貝殻拾いしよう」
「子どもっぽいから俺はいいや。俺、あの辺にいるから」
翔一は逃げるようにここから立ち去っていく。
「翔一くん、大人もやってるのに」
「アタシ、ショウイチお兄さんの気持ち分かるなぁ」
「翔一お兄ちゃん不参加かぁ。スコップ三つ借りて来るね」
そんなやり取りがあって、千景達は貝殻拾いをし始める。
それから十五分ほどのち、
「ん? あれは」
あの場所から三〇メートルほど先の休憩ベンチに腰掛け、熱帯植物を眺めながら過ごしていた翔一が千景達のいる方へふと視線を向けると、異変が。
「きみ達、かっわいいね」
「おれらと遊ばない?」
大学生と思わしき男二人組が千景達のもとへ近寄って来ていたのだ。一人は茶髪ショート系ウルフカット、もう一人は黒のロングヘアだった。背丈は二人とも一八〇センチ近くはあり、日焼けした褐色肌でそこそこがっちりしていた。
「すみません、他に連れがいるので」
「あの、申し訳ないですが他を当たって下さい。アタシ達よりももっと魅力的な若い女性他にもたくさんいらっしゃるでしょう? あそことか」
「……」
予想外の事態に三人とも戸惑い怖がってしまう。彩織は言葉が出なくなってしまっていた。
「おれらきみらくらい歳の垢抜けてない子が好みやねん。遊ぼうぜ。なっ!」
「欲しいもん何でも奢ったるから」
「いえ、けっこうですから」
茉莉乃が震えた声で断ると、
「まあまあそう言わんと。なっ!」
茶髪の方が茉莉乃の腕をグイッと引っ張った。
まさか、ナンパするやつが現れるとは。漫画やアニメみたいな展開って、本当にあるんだな。どうしよう? 勝てそうな気がしないし、でも、行かなきゃダメだろ。
翔一はこの事態にすぐに気付いた。数秒悩んだのち、勇気を振り絞って彼らのいる方へ急いで駆け寄って行った。
「あっ、あのう」
到着すると、
「あっ、翔一くん♪」
千景の表情が綻ぶ。
「ん? 彼氏?」
「いや、まあ、正式には違いますが、そのようなものでして」
茶髪の方に問われ、翔一はびくびくしながら答える。
「彼氏だよっ!」
千景は真剣な眼差しで強く主張した。
「どっちなんだよ?」
もう一方の男に睨まれると、
「ハハハッ」
翔一は苦笑いして、
南中さん、助けに来てくれないかな?
こう思いながら数十メートル先でヤスミンとイルカボートで楽しそうに遊んでいる柚陽の方をちらっと見た。
二人ともまだ気付いていないようだった。
「こんなひょろい男よりオレ達と遊んだ方が絶対楽しいぜっ!」
黒髪の方がノリノリで千景に近寄る。
「あの、やめてあげて下さい」
監視員の人でもいいから早く助けに来てくれよっと願いながら、翔一が俯き加減でぼそぼそっとした声でお願いすると、
「あぁ?」
茶髪の方に顔を近づけられる。
「とにかく、ここは、お引き取りを……この子達、迷惑してるんで!」
翔一はやや険しい表情を浮かべ、勇気を出して彼なりにきつい口調で伝えた。
「分かった、分かった」
「しょうがねえ」
すると大学生風の男二人組は翔一を睨んだのち舌打ちし、素直にここから立ち去ってくれた。
「殴られるかと思ったぁー」
翔一はホッと一安心する。けれども心拍数はなかなか治まらない。
「翔一くん、ありがとう♪」
「ショウイチお兄さん、すごく恰好よかったよ」
「翔一お兄ちゃん、男らしさを見せたね」
みんなから感謝されるも、
「いや、まあ、みんな無事でよかったよ」
翔一はまだ恐怖心でいっぱいで、照れくささは感じられなかったようだ。
「翔一くん、あの怖いお兄さん達がまた私達のところに近寄ってくるかもしれないから、いっしょにいて」
「分かった」
それからしばらく翔一も交じって貝殻拾いを楽しんでいると、
「ただいまーっ! イルカボートめっちゃ楽しかったわ~」
「わたし、お腹すいて来たわ。そろそろお昼ごはんにしましょう」
柚陽とヤスミンが戻ってくる。
「私達、さっき怖い大学生風のお兄さん二人組にナンパされちゃったんだけど、翔一くんがすぐに助けに来てくれて追っ払ってくれたよ」
千景は笑みを浮かべて嬉しそうにさっきの出来事を伝えた。
「翔一お兄さん、さすが男の子ですね」
「翔一兄さん格好ええ! 銭湯の時といい正義のヒーローやね」
「いや、俺は特に何も出来なかったけど、みんな、お昼ご飯、何食べる?」
翔一は照れくささを隠すようにプールに隣接するファーストフード店へ目を遣る。
「ドリアンジュースが売ってるじゃん。この夏の新メニューみたいやね。ワタシ、ちょっと飲んでみたい」
柚陽は興味津々。
「俺、小学校の時、家族で東京旅行行った時、夢の島の熱帯植物館でにおい嗅いだことあるけど、悪臭にしか感じなかったよ」
「わたしも嗅いだことありますよ。ドリアンは食べたいとは思わなかったな。あの1,プロパンチオールなどの強烈なにおい成分のせいで」
「私は嗅いだことないけど、腐った玉ねぎみたいらしいね」
「あたし、においちょっと気になる」
「アタシもー」
「せっかくやし、試しに買ってみるわ~」
柚陽は衝動に駆られ購入することに。三百五十円を支払うと、
「お待たせしましたぁ。ドリアンジュースでーす♪」
店員さんからドロッとした黄土色の半液体が並々と注がれた、トロピカルなデザインの紙コップがストロー付きで手渡された。
「すごい色やね」
ドリアンの強烈な香りが周囲に漂う。
「やはりきついです。柚陽、絶対こぼさないようにしてね」
「久々に嗅いだけどやっぱきつい。水着がドリアン臭くなってしまいそうだな」
ヤスミンと翔一は顔をちょっとしかめ、
「くっさぁーい」
彩織は苦笑いしながら鼻を押さえる。けれども楽しんでいるようだった。
「こんなにおいなんだ」
「確かに噂通り腐った玉ねぎみたいなにおいだね」
茉莉乃と千景は思わず微笑んでしまう。
「うーん、これはちょっと……」
柚陽は少し啜ってみて、後悔の念に駆られたようだった。
「私、ちょっとだけ飲んでみるよ。どんな味なのかな?」
「幸岡先輩、協力してくれてありがとね。はいどうぞ」
千景は勇気を出して柚陽から受け取る。
少し口に含んでみて、
「においはすごーくきついけど、甘みが強くて美味しい♪」
そんな感想を抱く。
「意外に甘くてすごく美味しいよ」
続いて茉莉乃も恐る恐る試飲してみて、とっても幸せそうに飲み込んだ。
「めちゃくちゃ不味くはないけど、もういいや」
「……微妙だなぁ。これは加工されてるからまだ飲めたけど、そのままのドリアンは食べれそうにないです」
彩織とヤスミンも結局少し試飲してみてこんな感想。
「翔一兄さん、まだ半分くらい残ってるけど飲んでみる?」
柚陽は目の前にかざしてくる。
「いや、いい」
不味そうだし、なにより間接キスになっちゃうだろ。
翔一はそんな理由もあって即拒否した。
「私が残りを飲むよ」
「チカゲお姉さん、アタシもまだ飲みたいから少し残しといてね」
「うん、癖になるよねこの味」
千景と茉莉乃は協力して、残った分を快く飲んでくれた。
「幸岡先輩、マリにゃん、これ、口臭消し効果があるみたいやで」
ちょっぴり罪悪感に駆られた柚陽は、同じ店で売られていたジャスミンキャンディーを購入し、この二人に渡してあげたのだった。
「わたし、ロコモコにしようっと。あとマンゴーソフトも」
ヤスミンは他のお客さんが手に持っていたそのメニューをちらっと眺めて決断する。
「アタシはたこ焼きとナタデココとアイスカフェラテにする」
「南国系のメニューも豊富だな。俺はミーゴレンにするか」
「あたしはチョコバナナクレープとストロベリージュースとフランクフルトにするぅ」
「私はトロピカルフルーツカレーにしよう。あとパイン味のソフトクリームも」
「ワタシはお好み焼きにするわ~」
みんなお目当てのメニューを受け取ったあと、
「ここ、六人掛けのはないみたいだな」
「翔一兄さんと幸岡先輩は、あっちの席に座ってね。さあどうぞ」
「みんないっしょがよかったけど、仕方ないね。翔一くん、座ろう」
「……うん」
柚陽→茉莉乃→ヤスミン→彩織の並びで四人掛け円形テーブル席に、翔一と千景はそのすぐ隣の二人掛け円形テーブル席に座った。
「翔一お兄ちゃん、あたしのフランクフルトちょっとだけ食べてもいいよ」
彩織はトマトケチャップたっぷりマスタードちょっぴりのフランクフルトを眼前に近づけてくる。
「いや、いらないよ」
翔一はちょっぴり俯き加減で拒否した。
「じゃああたしが全部食べるね。あ~、美味しい♪」
彩織はカプリッといい音を立てて味わう。
「翔一兄さんのフランクフルトは、もう少し大人になるまで幸岡先輩に食べさせちゃダメですよ」
「南中さん、何下品なこと言ってんだよ」
「あいてぇっ」
翔一は耳元でにやけ顔で囁いて来た柚陽のおでこをぺちっと叩いておく。
「柚陽、変なこと言わないで」
「ぎゃんっ」
ヤスミンは後頭部を平手でペシンと叩いておいた。
「翔一くん、私のカレー少し分けてあげるよ。はい、あーん」
千景はカレーの中にあったパパイヤの一片をさじで掬い、翔一の口元へ近づける。
「いや、いいって」
翔一は困惑顔を浮かべ、左手を振りかざして拒否。右手で箸を持ち、麺を啜ったまま。
「あーん、やっぱりダメかぁ」
千景は嘆く。でも微笑み顔で嬉しそうだった。
「翔一お兄さん、お顔は赤くなっていませんが、きっと照れていますね」
「翔一兄さん、一回くらいやってあげたら?」
ヤスミンと柚陽はにこにこ笑いながらそんな彼を見つめた。
「出来るわけないだろ」
翔一は苦笑いしながら伝え、引き続き麺をすする。
「サオリちゃん、はいあーん」
茉莉乃は真似してたこ焼きを彩織の口元に近づけた。
「茉莉乃、赤ちゃんみたいで恥ずかしいよ」
彩織はにっこり笑ってチョコバナナクレープを美味しそうに頬張りながら伝える。
「マリにゃんサオちんもお似合いの百合カップルやね。ワタシ、お好み焼きだけじゃ少し物足りへんわ~。かき氷買ってくるね」
柚陽はそう伝えて席を離れた。
「サオリちゃん、波の出るプールで泳いで来よう」
「うん」
茉莉乃と彩織はほぼ同じタイミングで昼食を取り終えると、すぐに席を立ってその場所へ駆け寄っていく。
「彩織さんと茉莉乃さん、小学生みたいに元気いっぱいね」
「そうだね。若さだね。パインソフトすごく美味しいよ。翔一くん、少しあげるよ」
「いらないよ。そんな酸っぱいの」
「酸っぱくないよ」
「それでもいらない」
「もう、全部食べちゃうよ」
千景はにっこり笑顔でそう伝え、最後の一口を味わう。
「翔一お兄さんはフルーツあまり好きじゃないみたいですね」
ヤスミンはマンゴーソフトを頬張りながら呟いた。
「うん、いちごとかキウイとか、みかんとかの柑橘系は特に苦手なんだ。俺は麻婆豆腐とか担担麺とか、辛い物が好きだな」
「翔一くん、それは人生を損してるよ」
「味の好みは男らしいですね」
そんな会話を交わしてから約五分後、千景がカレーも残り僅かまで食べ終えた頃に、
「翔一兄さん、幸岡先輩、ヤシの実ジュースも買って来たよ。はいどうぞ。二人で仲良く飲んでや」
柚陽が戻って来て、翔一と千景の目の前に置いていった。
まさにカップルでどうぞと言わんばかりに、ヤシの実にストローが向かい合わせに二本刺さっていた。
「俺、これは飲みたくないな。昔飲んだ時、めっちゃ不味かった記憶が」
「私一人じゃ飲み切れないよ。翔一くんも協力してね」
「飲み切れなかったら協力してあげる」
「絶対飲み切れないよ」
千景はカレーも平らげると、
「いただきます」
ストローに口をつけ、美味しそうに飲んでいく。
「じゃあこれ、捨ててくるね」
翔一は席を立って、近くのごみ箱に紙皿を捨てに。
「予想通りの行動ですね」
「ワタシもこうなると思ってた。翔一兄さんもいっしょに飲まなきゃ」
ヤスミンと柚陽は、ブルーハワイかき氷を頬張りながら二人の様子を微笑ましく観察する。
「もうお腹いっぱい。あとは翔一くんが飲んで」
「やっぱり残したのか。まだ半分以上はあるな……やっぱあまり美味くはない」
翔一はこう思いながらも、もう一方のストローで快く飲んであげる。
そんな時、
「みんなーっ、あたし、これから映画見に行きたいんだけど」
「アタシもちょうど見たいのがあって」
彩織と茉莉乃が戻ってくる。
この二人の希望により、みんなこのあとは泳がずに屋内プールゾーンをあとにした。
*
隣接する大型ショッピングモール内のシネコンへ辿り着くと、
「あたし、これが見たかったの。さすがに茉莉乃と二人だけじゃ入り辛いなぁって思ったから、この機会にみんなでいっしょに見よう」
「大人が見ても、絶対嵌ると思うの」
彩織と茉莉乃は壁にいくつか提示されてあるポスターのうち、お目当てのものに近寄った。
「これ、CMで予告流してたね。私もちょっと気になってたんだ」
「わたしも同じく。次の回は一時半からみたいですね。もうすぐですね」
「ワタシの好きな声優さんも何人か出とうし、けっこうおもろそうやん。動物キャラが中心でイケメンショタキャラもおるから、大友ウケは悪そうやね」
それは、GWに公開され次の金曜日には上映終了となる女児向け魔法もありのファンタジーギャグアニメだった。
「俺は、この辺で待っとくよ。チケット代の節約にもなるし、そもそも高校生の見るものじゃないし」
翔一は当然、見る気にはなれず。
「翔一お兄ちゃんもいっしょにこの映画見よう。さっき翔一お兄ちゃんの三倍くらいは年上に見えるおじちゃんが一人で入って行ったよ」
「仕方ない」
彩織に背中をぐいぐい押されチケット売り場の方へ連れて行かれる。
「サオちん、これはどないや? ゾンビがいっぱいやで」
柚陽は他に上映されている3Dホラー映画のポスターを指した。
「それは絶対に嫌ぁっ!」
彩織は顔をしかめ、すぐにポスターからぷいっと顔を背けた。
「わたしもそれは見たくないです」
「アタシもー。こういうの好きな人の気が知れないよ」
「私もこういう実写のホラー映画はものすごく苦手だよ」
「ワタシは誘われたら見るけどね」
「俺は誘われても見る気は全くしないよ。中学生四枚、高校生二枚で」
翔一が代表して、お目当ての映画六人分のチケットを購入。受付の女性がその入場券と共に入場者全員についてくる、キラキラして可愛らしいおもちゃのペンダントをプレゼントしてくれた。
「阪谷さん、これ。俺こんなのいらないから」
「ありがとう翔一お兄ちゃん♪」
翔一は速攻彩織に手渡す。彩織が受け取ったものとは種類違いだった。
チケット売り場向かいの売店でドリンクやポップコーンなどが売られていたが、みんなお腹いっぱいなため何も買わず、お目当ての映画が上映される5番スクリーンへ。
「茉莉乃、楽しみだね」
「うん♪」
彩織と茉莉乃はわくわく気分でいち早く座席に着いた。
「幸岡さん、周り幼い女の子ばっかりだから、やっぱり、俺達は入らない方が……」
「まあまあ翔一くん。気にしなくてもいいじゃない。たまには童心に帰ろう」
翔一は否応無く、千景に背中をぐいぐい押されていく。
「翔一お兄さん、気になさらずに」
「翔一兄さん、幼い娘を連れたパパの気分になればいいじゃん」
ヤスミンと柚陽はその様子をすぐ後ろから微笑ましく眺める。
真ん中より少し前の列の席で、翔一は彩織と千景に挟まれるように座った。座席指定なのでそうなってしまった。彩織の隣が茉莉乃、千景の隣が柚陽、柚陽の隣がヤスミンだ。
視線を感じるような……。
翔一は落ち着かない様子だった。他に五〇名ほどいた客の、七割くらいは小学校に入る前だろう女の子とその保護者だったからだ。
☆
上映時間七〇分ほどの映画を見終えて、
「茉莉乃、とっても面白かったね」
「うん、アタシまた見に行きたいな」
「私もだよ。すごく興奮出来た。童心に帰れたよ」
彩織、茉莉乃、千景は大満足な様子で5番スクリーンから出て来た。
「しゃべる野菜や果物やお菓子さんもかわいくて、思ったより面白かったわ」
ヤスミンもけっこう満足出来たようだ。
「ワタシも愉快な気分になれたで。たまにはああいうのもええなぁ。翔一兄さん、上映中一度も幸岡先輩と手ぇ繋がんかったね。しかも途中寝てたし」
わりと気に入った様子の柚陽ににやけ顔で突っ込まれると、
「退屈な映画だったからな」
翔一はほんわか顔で感想を述べる。
「翔一お兄ちゃんは面白く感じなかったの?」
「うん、もろに幼児向けだし。阪谷さんや胸永さんより七つくらい年下の子でも、子どもっぽいからってこの映画見ない子の方がずっと多いと思うよ」
「幼児向けでもあたしはすごく面白いと思ったけどなぁ」
「ショウイチお兄さん、本当は面白いと思ったけど見栄張ってきっと照れ隠ししてるんだよ。そんな表情してる」
彩織と茉莉乃にこんな反応をされると、
確かに思わず見入ったシーンはあったけど……。
翔一はこう思いつつも何も言い返せなかった。
続いてみんなは隣接するアミューズメント施設へ。
「せっかくみんな揃ったことだし、みんなで記念にプリクラ撮ろう!」
「いいねえ、幸岡先輩」
「翔一くん、どこへ行こうとしてるの? 逃げないでいっしょに撮ろう」
「俺はいいって。状況的に考えて俺は写らない方がいいだろ。俺も写りたくないし。わわわっ」
千景に腕をガシッと掴まれ、格ゲー筐体の方へ向かおうとした翔一は抵抗するも敵わず無理やり最寄りのプリクラ専用機内へ連れて行かれた。
他のみんなも柚陽を先頭にその専用機の中へ。
「プリクラは女の子同士で楽しんだ方が絶対いいって」
「翔一兄さん、ハーレム王になれるこのチャンスを思う存分楽しまなきゃ損やで」
「翔一お兄さんは、プリクラ撮ったことってありますか?」
「一度もないよ」
「それならば尚更撮らなきゃダメです。日本の誇れる文化ですし」
「クースタスさん、その必要は全くないって」
「翔一くん、きっと高校時代のいい思い出になるよ」
「ショウイチお兄さんもせっかくの機会なので写りましょう。照れくさがらずに」
「いや、いいって」
翔一は気が進まなかったが、
「翔一お兄ちゃんもいっしょに写ろうよぅ」
「分かった、分かった」
彩織に服をぐいっと引っ張られ、無邪気な表情でねだられると断り切れなかった。
そりゃ大勢の女の子達と写れることは嬉しいけど、イケメンでもない俺なんかがいっしょに写っていいのかな?
翔一は今、こんな幸福感と罪悪感が入りまじった心境だ。
前側に茉莉乃、彩織、柚陽。後ろ側に翔一が千景とヤスミンに挟まれる形で並ぶ。
「あたしこれがいいな」
彩織の選んだパンダさんのフレームに他のみんなも快く賛成。
「一回五百円か。けっこう高いな。どこもこんなもんなのかな?」
翔一はそう言いつつも気前よくお金を出してあげた。
*
撮影落書き完了後、
「きれいに撮れてるよ」
取出口から出て来た、十六分割されたプリクラを真っ先にじっと眺める彩織。自分が見たあと他のみんなにも見せてあげた。
「南中さん、翔一兄さんハーレム体験中、ハートマークって落書きしないで」
翔一は迷惑顔を浮かべる。
「いいじゃん翔一兄さん、事実なんだし」
柚陽はてへっと笑い、舌をペロッと出した。
「翔一くん素の表情過ぎるね。もっと笑顔で写らなきゃ。ヤスミンちゃんは、表情がちょっと硬いね。ヤスミンちゃん写真写る時こんな風に写っちゃうこと多いね」
「ヤスミス性格のきつい女弁護士みたいやな」
「ヤスミンお姉ちゃん、話しかけづらいがり勉少女っぽいね」
「あれれ? 笑ったつもりだったんだけどな。生徒証の写真はもっと表情硬いよ」
ヤスミンは照れくさそうに打ち明ける。
「アタシも生徒証の写真は今年のは表情めっちゃ硬いよ。睨んでるような感じだな」
茉莉乃がさらりと打ち明けると、
「茉莉乃さんも同じなのですね。それを聞いて安心しました」
ヤスミンに笑みが浮かんだ。
「ヤスミンちゃん、今の表情いいね」
千景はサッとスマホをかざし、カメラ機能でヤスミンのお顔をパシャリと撮影する。
「ヤスミンちゃん、いい笑顔が取れたよ」
「千景さん、恥ずかしいからすぐに消してね」
ヤスミンの表情はますます綻んだ。
「幸岡先輩、見せて見せて。ヤスミス、ほんまにええ笑顔しとうわ~」
「あたしにも見せてーっ。ヤスミンお姉ちゃん本当にかわいい」
「ヤスミンお姉さんのこの笑顔素敵♪ 消すのは勿体無いよ」
柚陽と彩織と茉莉乃はその写真を眺め、和んだようだ。
「あーん、これ以上見ないでー」
ヤスミンは表情を綻ばせたまま、頬を赤らめる。
クースタスさん、どんな表情してるんだろ?
翔一は気にはなったが、罪悪感に駆られ見ようとはしなかった。
「幸岡先輩、今度は翔一兄さんとツーショットで撮ったら?」
「柚陽ちゃん、それはなんか照れくさいよ。撮りたいけど……」
柚陽に耳打ちされ、千景はほんのり頬を赤らめて微笑む。
「あたし、次はこれがやりたぁーい」
彩織はプリクラ専用機すぐ隣の筐体に近寄った。
「彩織ちゃん、動物のぬいぐるみさんが欲しいんだね」
「うん!」
千景からの問いかけに、彩織はえくぼまじりの笑顔を浮かべ、弾んだ気分で答える。彼女がやりたがっていたのはクレーンゲームだ。
「あっ、あのナマケモノさんのぬいぐるみとってもかわいい! あれ一番欲しいっ!」
お気に入りのものを見つけると、透明ケースに手のひらを張り付けて叫び、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
めっちゃかわいいな。
翔一はその幼さ溢れるしぐさに見惚れてしまった。
「彩織さん、あれは隅の方にあるし、他のぬいぐるみの間に少し埋もれてるよ。物理学的視点で考えても難易度は相当高いよ」
ヤスミンのアドバイスに対し、
「大丈夫!」
彩織はきりっとした表情で自信満々に答えた。コイン投入口に百円硬貨を入れ、押しボタンに両手を添える。
「彩織ちゃん、頑張ってね」
「サオリちゃん、頑張れー」
「健闘祈っとうよ」
「落ち着いてやれば、きっと取れるんじゃないかな」
「彩織さん、ファイトです」
他の五人はすぐ後ろで応援する。
「絶対とるよ!」
彩織は慎重にボタンを操作してクレーンを動かし、お目当てのぬいぐるみの真上まで持っていくことが出来た。
続いてクレーンを下げて、アームを広げる操作。
「あっ、失敗しちゃった。もう一度」
ぬいぐるみはアームの左側に触れたものの、つかみ上げることは出来なかった。再度クレーンを下げようとしたところ、制限時間いっぱいとなってしまった。
「もう一回やるぅ!」
彩織はぷっくりふくれてとっても悔しがる。お金を入れて、再チャレンジ。しかし今回も失敗。
「今度こそ絶対とるよ!」
この作業をさらに繰り返す。彩織は一度や二度の失敗ではへこたれない頑張り屋さんらしい。けれども回を得るごとに、
「全然取れなぁい……」
徐々に泣き出しそうな表情へと変わっていく。
「わたし、クレーンゲームけっこう得意な方だけど、あれはちょっと無理かな」
ヤスミンは困った表情で呟いた。
「私にも無理だよ。ごめんね彩織ちゃん」
「アタシも取れそうにないよ」
千景と茉莉乃も申し訳無さそうに伝えた。
「彩織さん、他のお客さんも利用するので、そろそろ諦めた方がいいかもです」
ヤスミンは慰めるように忠告したが、
「嫌ぁ」
彩織は諦め切れない様子。お目当てのぬいぐるみを見つめながら不機嫌そうにぷくぅっとふくれる。
「気持ちは分かるけど……わたしだって、一度やると決めたことは最後までやり遂げたいから」
ヤスミンは深く同情心を示した。
「このままだと彩織ちゃんかわいそう。ねえ翔一くん、取ってあげて」
「翔一兄さん、サオちんにええとこ見せたげなよ」
千景と柚陽に肩をポンッと叩かれ要求されると、
「俺も、クレーンゲーム得意じゃないし。真ん中ら辺のスッポンのやつはなんとかなりそうだけど、あれはちょっと無理だな」
翔一は困惑顔で呟いた。
「翔一お兄ちゃぁん、お願ぁい!」
「わっ、分かった」
彩織に寂しがる子犬のようなうるうるした瞳で見つめられると、翔一のやる気が少し高まった。クレーンゲームの操作ボタン前へと歩み寄る。
「ありがとう、翔一お兄ちゃん」
するとたちまち彩織のお顔に、笑みがこぼれた。
「サオリちゃんもよく健闘してたよ」
茉莉乃は褒めてあげ、彩織の頭をそっとなでてあげた。
まずい。全く取れる気がしないよ。
翔一の一回目の挑戦、彩織お目当てのぬいぐるみがアームにすら触れず失敗。
「翔一お兄ちゃんなら、絶対取れるはず」
背後から彩織に、期待の眼差しでじーっと見つめられる。
どうしよう。
翔一は窮地に立たされた。なにせ翔一は、今までクレーンゲームと遊んだ経験は何度かあるが一度も中の景品をゲット出来たことはなかったのだ。
「翔一くん、頑張れーっ!」
「翔一お兄さんなら、きっと取れるわっ!」
「翔一兄さん、絶対いけるで」
よぉし、いい所見せてやるぞっ!
千景達からの声援を糧に翔一は精神を研ぎ澄ませ、再び挑戦する。
しかしまた失敗した。アームには触れられたものの。
けれども翔一はめげない。
「翔一お兄ちゃん、頑張ってーっ。さっきよりは惜しいところまでいったよ」
彩織からも熱いエールが送られ、
「任せて阪谷さん。次こそは取るから」
翔一のやる気がさらに高まった。
三度目の挑戦後。
「……まさか、こんなにあっさりいけるとは、思わなかった」
取出口に、ポトリと落ちたナマケモノのぬいぐるみ。
翔一はついに彩織お目当ての景品をゲットすることが出来たのだ。
「翔一くん、お見事!」
「おめでとうございます、翔一お兄さん。三度目の正直ですね」
「おめでとうショウイチお兄さん」
「翔一兄さん、さらに株を上げたね」
千景達はパチパチ大きく拍手した。
「ありがとうっ、翔一お兄ちゃん♪」
彩織はとっても嬉しそうに抱き着いてくる。
「俺、たまたま取れただけだよ。先に、阪谷さんが少しだけ取り易いところに動かしてくれたおかげでもあるよ。はい、阪谷さん」
翔一は照れくさそうに語り、彩織に手渡す。
「ありがとう、翔一お兄ちゃん。ナマちゃん、こんにちは」
彩織はさっそくお名前を付けた。受け取った時の彼女の瞳は、ステンドグラスのようにキラキラ光り輝いていた。このぬいぐるみを抱きしめて、頬ずりをし始める。
「彩織ちゃん、いい思い出が出来て良かったね」
千景は優しく微笑みかけた。
「うんっ! あたし次は三階のペットショップ寄りたーい」
みんなは彩織の希望したお店へ。
ショッピングモール内のペットショップ、昔はよく来たなぁ。小三の頃、カブトムシを父さんに飼ってもらったことがあるよ。
翔一が懐かしさに浸りながら店内を見て回り、
「サオリちゃん、エリマキトカゲちゃんがいるよ。かわいい♪」
「本当だー。あたしこの動物けっこう好き」
「私もー。ネオンテトラもすごくかわいいよね」
茉莉乃と彩織と千景が水槽で売られているペットに夢中になっている間、
「寄ったついでにコニちゃんのエサ買っておこう」
ヤスミンは柚陽といっしょにペットフードコーナーへ。コニちゃんとは理科部で飼われているニホンイシガメの名前だ。
「ヤスミス、最高級のを買うんやね。太っ腹やなぁ」
「一回これ与えたら、コニちゃんすっかり舌が肥えちゃって、市販品の亀のエサはこれしか食べてくれなくなっちゃったの」
「あらら。コニちゃんはヤスミスに似てめっちゃ頭ええみたいやね」
「わがままなだけだと思うけど」
この店を出たみんなは、続いてアイスやお菓子を買うために一階食品&日用品売り場へ。
翔一がカートを押して、千景はその横を並ぶようにして歩き、他のみんなはその後ろをついていく。
「翔一お兄さんと千景さん、新婚夫婦みたいになっていますね」
「まさに新婚夫婦やで」
ヤスミンと柚陽からにこにこ顔で突っ込まれ、
「そうでもないだろ」
翔一は困惑顔。
「そう見えるかなぁ?」
千景はちょっぴり照れて、嬉しそうに微笑んだ。
「ここって、シャー芯も売ってるよな?」
翔一は逃げるように文房具コーナーへ向かい、お目当ての商品を取りに行った。
「千景さん、お菓子は買い過ぎないようにね」
ヤスミンから念を押されるも、
「分かってるけど、新しいのが出てるからついつい手が」
千景は新商品コーナーに陳列されていた南国フルーツ味のポッキーやコロン、キャラメル、マシュマロなどを吸い寄せられるように手に取り、買い物籠へ入れてしまった。
「この夏の新作アイスも出てたよ」
「アタシんちの分もついでに買っといていいかな?」
彩織と茉莉乃は協力して一箱八本くらい入りのアイス《ゆず味、メロン味、コーラ味、オレンジ味、ソーダ味、レモン味、ミルク味、抹茶味》をそれぞれ一箱ずつ運んで来て買い物籠へ。
「どうぞ。茉莉乃さんの分もわたしの方で支払っておくね」
「ありがとうございますヤスミンお姉さん」
「どういたしまして。あっ、あれも買っとかないと。そろそろ少なくなって来たし」
ヤスミンは日用品コーナーから、おりものシートと生理用ナプキンを取って来て買い物籠へ。
あれは思春期を迎えた女の子の必需品だよなぁ。
翔一は意識しないようにしようとしたが、どうしても意識してしまった。彼が代表してレジを通したあと、みんなで協力して買った物を袋に詰めていく。
「茉莉乃、このジュゴォォォーッて出てくるの面白いよね」
「うん、夏を感じるよ」
アイスを入れた袋の方には溶けないように、彩織と茉莉乃が専用機械にコインを入れてボタンを押し、粉状ドライアイスを入れた。
食品&日用品売り場をあとにしたみんなは、バス停へ通じる出口へ向かって通路を歩き進んでいく。
途中、
「あっ!」
彩織は何かに気付き、急に表情をこわばらせた。そして千景の背中側に回る。
「彩織ちゃん、いきなりどうしたの?」
千景が不思議そうに問いかけると、
「あっ、あそこ。一年生の時、同じクラスだった子がいるの」
彩織は前方を指差した。十数メートル先に、四人で楽しそうにおしゃべりしながら歩いているおしゃれな感じの中学生らしき女の子達がいたのだ。まもなくエスカレータに乗り姿が見えなくなると、
「サオちん、あの子達にいじめられてたんか?」
柚陽は少し心配そうに尋ねた。
「あの子達は違うけど、会いたくないの。もし声かけられちゃったら、反応に困るし」
彩織は俯き加減になり小声で伝える。
「サオリちゃん、アタシもほとんど話したことない子達だけど、そんなに怖がらなくても大丈夫よ」
「彩織さん、きっといつか克服出来るようになるからね」
茉莉乃とヤスミンは優しく微笑みかける。
「俺も学校以外の場所でクラスメートに会って声かけられると気まずく思っちゃうなぁ」
翔一は深く同情した。
みんなはこのあとはまっすぐモール内から出てバスに乗り、阪神サウスアイランド王国をあとにした。
※
地元駅へ戻り、柚陽と茉莉乃と別れ、翔一と寮生とで鶸梅寮への帰り道を歩き進んで行く途中、
「あっ! 私、明日までに提出しなきゃいけない英語の宿題まだ全然出来てないよ。どうしよう」
千景はふとその現実を思い出してしまった。
「じゃ、いつものように俺がやってあげるよ」
翔一は快く救いの手を差し伸べてあげようとする。
「ありがとう翔一くん。いつもごめんね」
「翔一お兄ちゃん、優しいね」
千景と彩織はそんな彼に対する好感度がさらに上がったが、
「翔一お兄さん、甘やかし過ぎるのは良くないです」
ヤスミンは困惑顔を浮かべた。
「やっぱり、そうなのかな?」
翔一は少し反省する。
「あーん、翔一くん、お願ぁい。私、先生に叱られちゃうよぅ」
千景はちょっぴり涙目を浮かべてお願いしてくる。
「でっ、でも……」
翔一は思わず千景から目を逸らし、視線をちらっとヤスミンに向けた。
「千景さん、自力で頑張りなさい。テストの時に絶対後悔するわよ」
ヤスミンはやや険しい表情で忠告する。千景にはけっこう厳しいのだ。
この四人が鶸梅寮へ帰り着いた頃には午後七時過ぎ。
「みんなおかえり。今日は楽しかったかい?」
照子さん特製の美味しい手料理が用意されていた。
※
「翔一くん、ありがとね♪」
「いやいや、どういたしまして」
翔一は結局、千景が入浴中に彼女の宿題を大方仕上げてあげたのだった。
☆
六月十四日、月曜日。神六丘高校の七時限目。
「こら押部っ! もっと真面目に泳がんかいっ!」
初水泳の授業中、翔一は不恰好なクロールで二十五メートルを途中で足をつきながらも泳ぎ切ったら、プールサイドに上がった途端に背丈一八〇越え強面筋骨隆々な体育教師に説教されてしまった。
体育が出来たところで、難関大の入試は突破出来ないし適当にやっててもいいだろ。
いつもよりちょっと嫌な思いをした翔一だが、朗らかな気分で鶸梅寮へ向かって帰り道を歩き進んでいく。
途中、午後四時頃。
「翔一くーん、ここなら学校帰りに逢えると思った通りだよ」
初めて出会った場所とほぼ同じ場所で、千景から声を掛けられた。
「あっ、幸岡さん」
翔一はちょっぴり緊張気味に反応する。
「あの、翔一くん、私から、ちょっとお願いしたいことがあるの……」
千景はそう伝えて、すぅと息を吸い込む。
「今度は何かな?」
あの時とほぼ同じ状況だな。まさかデートのお誘いとか?
翔一がこう思っていると、
「今から私と、ショッピングに付き合って下さいっ!」
真剣な眼差しでこんなお願いをされ、
「……ショッピングかぁ。昨日行ったばかりだよな」
デートのお誘い、だよな? これって……。
ちょっぴり動揺してしまう。
「いつも勉強でお世話になってる、お礼がしたいの」
「いや、俺、そんなに役に立ててないと思うけど」
「大いに立ってる、立ってる。今日も翔一くんのおかげで先生からお叱りを受けずに済んだもん。ねえお願ぁい」
「じゃぁ、いいけど」
翔一は戸惑いつつも、引き受けてあげた。
こうして、千景が前、翔一が後ろをついていく形で徒歩圏内のショッピング施設へと向かっていった。
店内に入ると、
「あの喫茶店でおやつ食べよう。私が奢るよ」
千景からこう誘われる。
「えっ、あそこ?」
「うん!」
「なんか、内装が可愛らし過ぎて、男の俺には入り辛いよ」
ガラス窓から店内を覗いてみて、翔一は苦笑いを浮かべた。
「そんなこと言わずに。男の子にも人気のお店だよ」
「わっ、分かった」
けれども千景に手を引っ張られ、翔一は強引に入店させられたのだ。
「二名様ですね。こちらへどうぞ」
ウェイトレスに二人掛けテーブル席へと案内された。向かい合って座ると、千景がメニュー表を手に取り、
「翔一くん、いっしょにこれ食べよう。ここのお店の新作メニューだよ」
迷わず抹茶パスタを指差した。
「同じのにするの?」
「うん。カップル割引になってお得だもん」
「カップルって……」
翔一は思わず顔を引き攣らせた。
千景は嬉しそうにそのメニューを二つ、ウェイトレスに注文する。
ウェイトレスがカウンターの方へ戻っていくと、
「翔一くん、今日も悪いんだけど、数学の宿題頼むよ」
千景は演習プリントを手渡して来た。
「もちろんいいよ」
「ありがとう♪」
翔一はいつものように快く引き受けてあげる。
よかった。幸岡さんから意識を逸らせる依頼くれて。待ってる間、幸岡さんからずっと話しかけられるのは気まずいからな。
こんなホッとした心境で。
翔一が問題を解き始めると、
「私も今日の復習をしておくよ」
千景は数学Ⅱの教科書を取り出して、今日習った内容を見直し始めた。
数学は特に、教科書眺めるだけじゃなく、自分でこの問題解かないと復習したことにならないと思うんだけど……。
翔一はそう思いつつも、引き続き千景の宿題に励む。
それから五分ほどのち、千景が飽きたのか数学の教科書を鞄に仕舞い、翔一が演習プリントを四分の一くらい片付けた頃に、
「お待たせしました。抹茶パスタでございます。ではごゆっくりどうぞ」
ウェイトレスが運んで来てくれ、二人のアフタヌーンティータイムが始まる。
「翔一くん、残りは寮に帰ってからでいいよ。先に食べよう。はい、あーん」
千景は生クリームと小倉餡もまざった翔一側の抹茶パスタの一片をフォークに巻き付け、翔一の口元へ近づけた。
「いや、いいよ。自分で食べるから」
翔一は左手を振りかざし、拒否した。彼は照れ隠しをするように、おまけで付いて来た紅茶に口を付けた。
「翔一くん、かわいい♪」
千景はにっこり微笑みながら、その様子を眺める。
「あの、上に乗ってるみかんとさくらんぼは、幸岡さんにあげるよ。俺好きじゃないし」
「ありがとう♪ あーんって食べされてくれたら嬉しいんだけど、この場所じゃ恥ずかしいね」
「うん」
傍から見ると、翔一と千景は本当のカップルのようだった。
☆
このお店を出ると、
「次はレディースファッションコーナーに行くよ」
「分かった」
翔一は千景に言われるままに、エスカレーター利用で三階レディースファッションコーナーの一角へ連れて行かれる。
「伸びて来てるのが多くなったから、パンツ買わなきゃ」
「あの、俺、本屋さんで待ってるから」
翔一は商品棚から眼を背けようとする。
ここは男には非常に居辛い下着類の売り場なのだ。
「翔一くん、すぐに選び終わるからここで待ってて。レッサーパンダさんのパンツ、かわいい! 小学生向けっぽいけど、サイズ合いそうだからこれ買っちゃおっと♪ ヤスミンちゃんや彩織ちゃんもこういう柄大好きだから二人の分もいっしょに買っとこ♪」
千景は他にもリス、ウサギ、コアラといった動物柄や、いちご、キウイ、みかんといった果物柄のショーツも物色する。
早く、別の所へ行きたい。
翔一は大変居た堪れない気分になっていた。
続いてブラジャー売り場に連れて行かれ、
早く、選んで。幸岡さん。
先ほどよりも居辛く感じてしまう。
「翔一くん、どの色がいいと思う?」
千景は翔一をからかおうという気は全くないようで、至って真剣な様子だった。白の他、紫や黒といった派手でアダルティーな色のブラジャーも見せつけて相談してくる。
「白か、ピンクでいいよ。幸岡さんに、そんな派手なのは似合わないから」
翔一がブラジャーから視線を逸らしながら小声で即答すると、
「じゃあ私、これにするよ。選んでくれてありがとう」
千景は白の地味なブラジャーを籠に詰めた。
「それじゃ、早くここから出よう」
「翔一くんのパンツも買ってあげるよ。トランクスかブリーフ、どっちがいい?」
「べつに、いらないよ」
翔一はちょっぴり照れくさそうに答えたが、
「いいから、いいから。お礼がしたいし」
半ば強引に同じフロアにあるメンズファッションコーナーへと連れて行かれてしまった。
「幸岡さん、俺、これで」
翔一は迷うことなく自ら柄を選んだ。千景に自分用のトランクスを選んでもらうのは非常に恥ずかしいと感じたようだ。
「翔一くん、このズボンも穿いてみて」
千景は青色の半ズボンを差し出した。
「やめとくよ。半ズボンって、小学生みたいだし」
「まあまあ、そう言わずに。試着室あそこにあるよ」
「じゃっ、じゃあ、着てくるね」
翔一は半ズボンを受け取ると気まずそうに試着室へ入り、シャッとカーテンを閉めた。
それから三〇秒ほどのち、翔一は再び千景の前に姿を現す。
「翔一くん、よく似合ってるよ」
「どっ、どうも」
「この服も翔一くんにも似合いそうだから、二つ買っておくね」
千景はティーンズファッションコーナーにあった、可愛らしいひまわりのお花の刺繍がなされた夏用セーターも手に取って、翔一の目の前にかざして来た。
「幸岡さん、それ、女の子向きでしょ。俺が着るのは絶対変だよ」
「翔一くん、ジェンダーの固定概念を持ち過ぎるのは良くないよ。この間、現代社会の授業で先生が言ってたよ。それに、この柄だと男の子が着ても変じゃないと思うなあ」
翔一は嫌がるも、千景はその商品をレジへ持っていってしまった。
俺は、そんなの絶対着ないからね。
その間に、翔一は試着したズボンから制服ズボンに履き替え、試着した半ズボンを商品棚に戻しておいた。
女の子のお買い物に付き合うと、本当にくたびれるよ。嬉しいけど。
翔一がそう思っていると、
「あの、翔一くん、このあとはいっしょに観覧車に乗ろう」
千景はこんなことまでお願いして来た。
「いや、それはちょっとなぁ」
翔一はさすがに躊躇ってしまうも、
「翔一くん、高いとこは苦手?」
「いや、苦手じゃないけど」
「じゃあ、乗ろう!」
「わわわっ!」
ぐいっと手を引かれ、強引に連れて行かれてしまう。
これは百パーデートだよな。幸岡さんはそんなつもりじゃ、いや、そんなつもりなのかも。ついに愛の告白をして来そうな予感が……。
嬉しさ半分照れくささ三割気まずさ二割といった心境だった。
「観覧車乗る前に、私、おトイレ行ってくるから、この荷物持っててね。ここから動いちゃダメだよ」
千景は休憩用ベンチの前を通りかかった時にこう伝えて、最寄り女子トイレへと向かっていった。
「分かった」
手を離してくれて、ホッとした翔一は紙袋を受け取ると、ベンチに腰掛け紙袋を横に置いた。
早く、戻って来ないかなぁ。
彼の目の前を大勢の女子高生、男子高校生の集団、保育園・幼稚園・小学校帰りの子を連れていると思われる親子らが通り過ぎていく中、気まずい面持ちで千景の帰りを待つ。紙袋の中には動物&果物柄ショーツと、ブラジャーという男が持っていたら変質者扱いされかねないグッズが詰められてあったからだ。
ともあれ三分ほどのち、千景が戻って来て、
「ありがとう翔一くん。翔一くんは、おトイレいいの?」
「うん、大丈夫。学校出る前に行ったから」
「じゃぁ翔一くん、観覧車乗りに行こう!」
千景が前、翔一が後ろをついていく形で目的地へと向かっていく。
このショッピング施設の外側には、最高地点では地上からの高さが三〇メートルにまで達する、おしゃれなデザインの大観覧車が設置されているのだ。
「翔一くん、せっかくだし、二人だけだし、あっちの方に乗ろっか?」
「……うん、いいよ」
シースルーの方かぁ。あれは平気だけど、もろにカップル向けだよな?
翔一は今からそれに乗ろうとしていた大学生らしき男女カップルにちらっと視線を向ける。もう一方のゴンドラは四人乗りのファミリー向けノーマルタイプだ。
翔一と千景は五分ほど待って四人乗りのシースルーゴンドラに乗り込むと、向かい合って座った。
係員に鍵をかけられ、ゆっくりと上昇していくと、
「ちょっと怖いけど、いい眺めだね。夕日もきれーい」
千景は幸せそうな笑みを浮かべて下を見下ろす。
「そっ、そうだね」
早く、一周してくれないかな?
翔一は気まずさと若干の恐怖心が相まって、高いドキドキ感と居心地の悪さを感じていた。目のやり場にも困っていた。
「翔一くん、今日は付き合ってくれてありがとう♪」
「どっ、どういたしまして」
「これからも、宿題とか、勉強のお世話よろしく頼むよ」
千景からほんのり赤らんだ満面の笑みで顔を近づけられてお願いされ、
「うっ、うん。分かった」
やばい。めちゃくちゃかわいい。いい匂いもするし。これは、キスして来そうな予感……。
翔一はそんな期待を抱いてしまうも、今日の水泳の授業はどうだった? など結局は取り留めのない会話を交わしただけで、観覧車は一周し終えた。
観覧車から出たあとも、千景は手を繋いでくるとか抱き付いてくるとかキスしてくるとか、恋人同士らしいことは人前だからかして来ず、二人はショッピング施設をあとにしたのだった。
☆
「ただいま戻りました」
「たっだいまーっ、今日は学校では家庭科で裁縫の針、指にプスッて刺しちゃって災難な目に遭ったけど、放課後に翔一くんと付き合えて一気に運気が好転したよ♪」
翔一と千景は、午後七時ちょっと前に鶸梅寮に帰宅した。
「翔一さん、千景さんとの放課後デートは楽しかったですか?」
さっそくヤスミンから質問される。
「うん。けっこう、楽しかったよ。デートじゃないけど」
「感情が表情にしっかり出ていますね」
「翔一ちゃん、とっても幸せそうだねえ」
「翔一お兄ちゃん、最高の笑顔だね」
ヤスミンと照子さんと彩織は翔一の満足げな表情を見て、にっこり微笑んだ。
ニャァァァ~♪
大五郎の表情もほころぶ。
そして今夜も、鶸梅寮での楽しい夕食の団欒が始まる。
観覧車の中で、翔一くんにキスをしようと思ったけど、誰かに見られてると思って恥かしくて出来なかったな。普通のゴンドラでも外から見えるしたぶん出来なかったと思うなぁ。
千景はそんな照れくさい心境で、美味しそうに天むすを頬張るのだった。
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