第5話
進学してから、ずいぶん授業が増えた。気が乗らなければ抜け出しても怒られないところは、初等部のときと変わらなかったけれど、逃げ出してゆく先が限られているということまで、前と同じだった。
こないかも知れないいつかを前提にした家政科も保健衛生も、妊娠や育児に関する説明も、ちっとも面白くはなかったけれど、いちばん苦手だったのは、お祈りの時間だった。
信じてもいない神様に、赦しを請い、救いを求めるふりをする。ただそれだけのための時間。なんという空疎な祈り!
ここでもわたしは疎外感を味わった――自ら関わり合いを避けようとしていながら、一方ではそんなふうに感じるのも、愚かしいことではあるのだけれど。
日々の祈りは、物心ついてから毎日の習慣だ。いいかげんみんな飽き飽きしていて、決まり切ったお祈りの文句も棒読みだったり、ふざけあってシスターに注意を受けたりしているのが、長いこと常だった。それなのにこの頃になって、その雰囲気が少し変わってきた。
次第にふざけあう子の数が減り、祈りの文句を唱える声に、ある種の、妙に熱っぽい真剣さが混じりはじめた。合間に私語を囁く者は、いつのまにかほとんど居なくなっていた。
皆、何を祈っているのだろう。死んでいった友人たちの冥福を? 自分の行く末を? 彼女らは、本気でシスターのいう神様を信じているのだろうか。ちょっと考えればすぐに大人の都合によって作り出された偶像だとわかる、そんな存在を?
その問題を考えるとき、わたしはいつも恐怖した。理解できないものに囲まれているという感覚は、恐ろしかった。馬鹿げたことだと自分でも思っていた――他人に深入りしないと決めた以上、みなが何を信じようが気にしなければいい。そう割り切ってしまえばいいのに。
ほとんどの授業は、聞こうが聞くまいが何も言われなかったが、いくつかの時間は別だった。大事なお話がありますと、両手を打ち合わせて知らせていた初等部のシスターと同じ。その時間だけは、たとえうまいこと抜け出しても、すぐに連れ戻される。体調を崩して休まざるをえないときには、かならず強制的に補講を受けさせられた。
どのみち逃げたところで、隠れる場所などないに等しい。建物のどこにいてもモニタされているし、シスターの同行なしに、施設の外には出られない。それでも意固地になって逃げ回ることはできたかもしれないが、そこまでする生徒は誰も居なかった。
それだから、必須の授業のあいだ、わたしはたいてい後ろのほうの席でシスターの話を聞き流しながら、いつも、見るともなく教室全体を見渡していた。大事なお話ですと、毎回毎回釘をさすわりに、そうしたどの授業も、無駄ではないかと思えてしかたがなかった。
あるときうっかり時間割を見落として、必修の時間に戻らなかった。授業開始から五分もしないうちに、前の時間からずっと中庭で本を読んでいたわたしを、困り顔のシスターが呼びに来た。あくまで穏やかに、いそいで教室に戻るようにと告げる彼女の、すぐ背後に警備ロボットが待機しているのを、わたしは見た。
「わたしが暴れていやがったら、あれで取り押さえて引きずってゆくつもりだったのですか」
皮肉交じりに訊ねると、シスターは困ったように微笑んで、「規則なのです」と答えた。こういうときには、必ず彼らを連れ歩かねばならないように、定められているのですと。
その微笑を見ながら、わたしはジョゼのことを思い出した。癇癪を起こし、手に負えないほど暴れて、係官に取り押さえられていたジョゼ。『遠くのコロニー』に連れてゆかれてしまったあの子――
彼女は本当に、死んだのだろうか。
急に降って湧いたその考えは、わたしを恐怖させた。なぜわたしはそんなことを疑問に思うのだろう。
そうでなかったとしたら、彼女はどこに行ったというのか。
慌てて自分の突拍子もない考えを打ち消そうとした。だって、そんなことがあるだろうか? 言うことを聞かない子を、手に負えないからといって、たとえば死ぬまでずっとどこかに閉じ込めておくだとか、そういうようなことが?
考えすぎだ。わたしはシスターのあとについて歩きながら、何度も首を振って、自分の連想を振り払おうとした。その努力は、その場では成功したように思えた。けれどその晩、わたしは反省室に閉じ込められる夢を見た。いまのセンターではない、初等部のときのあの部屋だ。
それまで反省室の罰を、怖いと思ったことはなかった。ひとりぼっちで過ごす時間は、わたしにとっては大して苦痛にならなかったから。だけどそれは、長くとも数時間でかならず出してもらえると知っているからだ。
夢の中では、何時間経っても、何日経っても、内側から大声で叫んでドアを叩いても、誰も鍵を開けにはこなかった。
わたしを閉じ込めていることをシスターが忘れてしまったのではないか。あるいは不安のために自分の頭がどうにかして、ほんの一時間を何十倍にも感じているだけで、実際にはたいした時間は過ぎていないのではないか? そう思って、口の中で一から順に数字を数えて、だけどいくら数えても、ドアは開かなくて――
目が覚めたとき、自分がどこにいるのかわからなかった。もう見慣れたはずの天井が、見知らぬもののように目に映った。
ジョゼ、可哀想なジョゼ。あの子はどこに行ったのだろう?
そうこうするうちに、気がつけばひとり、またひとりと、級友たちの姿が減っていった。
その数をいちいち数えることはしなかった。一度も話すことさえしないまま、気がつけばいなくなっていた子たちのほうが、多かったのではないかと思う。
それこそが、自分の望み通りだったはずなのに、ときおり――そう、ほんのときおり、急に叫び出したくなる瞬間があった。
十五歳まで生き延びる人間のほうが、少ないのではないか。
その考えは、いつからかずっと胸の隅に居座っていたけれど、誰もその不安を口に出さなかった。言葉にしてしまえば、それが現実のことになるような気がしたのかもしれない。少なくとも、わたしはそうだった。
あるいはわたしが他の子たちとなるべく親しくならないようにしていたから、耳に入ってこなかっただけで、ほんとうは皆、教室ではない場所で、そんな話をしているのかもしれなかったが。
その考えは、はじめは漠然とした不安だったけれど、月日を追うごとに、じわじわとふくれあがっていった。この中の果たして何人が、生きて十五歳の日を迎えるのか? そもそもそんな子は本当にいるのか?
十五歳になったらと、繰り返すシスター方の話を、真に受けていいものなのか。ほんとうは誰も生きられないのではないか。わたしたちの全員が、じきに死ぬ運命なのだとしたら?
教室が寂しくなってきたなと感じる頃になると、ほかのセンターの子たちと合流する。わたしたちの使っている教室に、ほかから誰かが移ってくることもあったし、わたしたちのほうが、別のセンターに移ることもあった。
エリがいなくなったあとで入ってきたアマーリアのように、もういない人間の『姉妹』は何人かやってきたけれど、同じ顔が二人になるということはなかった。
同じように、シスターたちの顔ぶれも入れ替わる。ひとりのシスターが、一年を超えて同じクラスを受け持つことはない。その理由について、納得のいく説明をされた試しはなかったけれど、この点については、不思議には思わなかった。
つまるところは、わたしがしていることと同じなのだ。特定の生徒に深入りしないほうが、彼女らにとっても、気が楽に決まっている。
次から次にめまぐるしく顔ぶれの変わる教室のなかで、アマーリア=ルーは、いつも明るく振る舞い続けた。
彼女が笑顔でないところを、ほとんど見た記憶がない。ときに誰かと喧嘩をしてふてくされてみせても、たいていの場合、それから五分もしないうちにもう笑い転げている。
教室が暗い雰囲気に押し包まれているようなときにも――たとえば立て続けに何人も姿を消した直後などにも、アマーリアは明るい話題を探して皆の気を逸らし、不安そうにしている子に悪戯をしかけ、泣いている子を慰めた。その様子は悪趣味なようにも、滑稽なようにも見えたし、けなげに思えるときもあった。
どうして笑っていられるの?
その問いかけが、彼女の笑顔を見るたびに、すぐ口元までせり上がってくる。けれど結局そのたびに、わたしは言葉を飲み込んで、アマーリアから視線を外した。
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