第4話
センターを移るとき、わたしたちは生まれて初めてトラムに乗って、それまでとは違うコロニーに移った。
まず、ほかのコロニーというものが実在するということに、わたしは驚いた。それが、シスターたちの作り話ではなかったということに。
トラムの狭い車体の中に押し込まれて、かしましいおしゃべりのなかで数時間あまりを過ごした先に、そのコロニーの入り口は、魔法のように現れた。ただ座っているだけで、いつのまにか遠くまで運ばれているというのは、何かの手品か魔法のように思えたけれど、開いた扉から降り立ってみれば、たしかにそこは見知らぬ場所だった。
新しくわたしたちを受け持つというシスターに連れられて、ぞろぞろと、おっかなびっくり新しいセンターまで移動した。とはいっても、まっすぐな通路を、ほとんど運ばれてゆくだけだったのだけれど。
「さあ、ここが皆さんの新しい家ですよ」
シスターがそう言って開いたドアの先には、前にいたセンターとたいして代わり映えのしない光景が広がっていた。観葉植物の並ぶ手狭なロビー、学寮に続く通路、いくつも並ぶドア、壁に点在するスクリーン。それらの雰囲気はいずれも初等部と似通っており、むしろ壁の色以外の違いを探す方が難しかった。強いて言うならこちらのほうがいくらか天井が高いことと、もといた場所よりも設備が古びて、壁の塗装がところどころはがれたり、足元を行き交う清掃ロボットが野暮ったい外観をしていたことくらいだろうか。
新しい学校には、おなじ初等部から上がってきた子だけじゃなくて、ほかのセンターから来た子たちも合流した。その子たちと、わたしたちの数は、だいたい同じくらいだったと思う。だけどわたしはその人数を正確に数えることはしなかったし、ひとりひとりの名前を覚えようとも思わなかった。
わたしは人と親しくなるのをやめた。誰かと口をきくのは、決まり切った定型の挨拶と、必要最低限の連絡だけ。特定の誰かに思い入れができれば、別れがつらくなるだけだと思った。
それで休憩時間にはひとり、みんなのおしゃべりを聞き流しながら、ライブラリから適当に拾ってきたテキストを読むことにした。進学と同時に、読むことのできる図書の種類が増えていたから、しばらく退屈はしなさそうだと思った。
授業で習う内容は退屈で、とても聞いていられたものではなかったけれど、自分の意思で選んだテキストを読むのは、なかなか楽しいことだった。内容は何でもかまわない。やたらに説教くさい寓話や、できすぎの甘ったるい恋物語は、シスター方の都合というか、見え透いた作為を感じないではいられずに、とても読めたものではなかったが、架空の世界を舞台にした冒険物語は読んでいるあいだ憂さを忘れさせてくれたし、色とりどりの画集などは、眺めているだけで気分が浮き立った。
シスターの口から説明されると退屈としか思えない詩集も、自分の意思で気ままに読む分には悪くなかった。実生活に役に立たなければ立たないほどいい――そんなふうに感じるのは、わたしがひねくれものだからかもしれない。
教室のおよそ半数が、知らない子だったから、みんな最初の数日の間、落ち着きなくそわそわしながら名乗りあい、お互いの好きなものを打ち明けあったり、虫の好かないシスターへの愚痴を零しあったりしていた。
小さな輪がいくつも教室に出来てゆくなか、わたしはそこに混じらず、ひとりで端末に向き合って本を読んだ。お節介な子が二人ばかり、遠慮がちに話しかけてきたけれど、聞こえなかったふりをしたら、すぐにあきらめて引っ込んだ。
誰に嫌われようとかまわなかった。どうせいつかはいなくなる子たちだ。
あるいはわたしのほうが、いなくなるのかもしれなかったけれど。
ただ――そう、ひとりだけ、無視できなかった子がいた。
入学のその日の朝、その子に肩を叩かれて振り向いた瞬間、息がとまるかと思った。
エリだと思った。栗色の巻き毛、明るい緑の目――「ねえ、これ落とさなかった?」ちょっと舌っ足らずのその話し方、甘い声。わたしに向かってヘアピンを差し出す手の、きれいにそろった爪。
記憶の中のエリの、そのまま大きくなった姿が、目の前にあった。
わたしは混乱した。いなくなった彼女たちのほとんどは、天に召された――シスターはたしか、そう言ったのではなかったか。そうだ、必ずしも全員が死んだとは話さなかったはずだ。
エリは、生きていたのだ。本当に、ただ遠くのコロニーに移っただけだった。
ねえ、生きていたのなら、どうして手紙の返事をくれなかったの。わたしのこと、もう忘れてしまった? 言葉は喉の奥でつっかえて、なかなか唇にまで上ってこなかった。絶句しているわたしに向かって、その子はちょっと困ったように微笑んだ。
「みんな、驚くのね。わたしの姉妹は、そんなにわたしと似ていたかしら?」
その言葉が腑に落ちるまでに、時間が要った。
彼女の言う意味を理解した瞬間の、自分の狼狽を思い返すと、いまでもいたたまれなくなる。
あらためて彼女を見つめれば、たしかに視界の端に表示された個人識別コードは、エリのそれとは異なっていた。そんなことにもすぐには気がつかないくらい、わたしは動転していた。
姉妹、というものの存在を初めて知ったのは、いつのことだっただろう。初等部を卒業する直前のオリエンテーションで、あらためてシスターの口から聞かされるよりもずっと早かったのはたしかだ。何かの物語の中に出てきたのかもしれないし、シスターたちが授業を脱線して、雑談のなかで話して聞かせたのかもしれない。
自分と同じ顔をした人間が、この世のどこかにいるらしい――だけどこれまで、実際にこの目で誰かの『姉妹』を見たことはなかった。ふつうは違うセンターに入れられるのだと聞かされていた。
上の学校に進んだら、知っている顔とよく似た人もいるかもしれないけれど、驚かないようにと、初等部のシスターはたしかに、わたしたちに忠告したのだった。そんなこともいっぺんに頭から飛んでしまうくらい、その子はエリそのものに、わたしの目には見えた。
アマーリア=ルーと、彼女は名乗った。これからよろしくと言って浮かべた遠慮がちな笑顔から、わたしは視線を逸らした。
「それ、わたしのじゃないわ」
ぶっきらぼうにそう言って、差し出されたヘアピンを押しのけたけれど、アマーリアに気を悪くしたようすはなかった。
「そう? ごめんね」
彼女はかろやかに身を翻して、近くにいたほかの子たちに声をかけた。その背中から、視線を外せなかった。
ごめんね? 彼女は何を謝ったのだろう。
普通に考えるなら、手間を取らせたことを、なのだろう。あるいはわたしの声にとげがあったから、ただ反射的に謝っただけかもしれない。だけど、その言葉はわたしには、別の意味を持って聞こえた。エリじゃなくてごめんね――そういうふうに。
そのことが、やけに腹立たしいような気がした。彼女が悪いわけではないのに。
アマーリア=ルーは、明るい子だった。積極的に周囲に溶け込もうとして、自分から周りの生徒たちに話しかけていた。初めて話す相手に対しては、遠慮がちに、どこか気弱そうに振る舞うけれど、いちど親しくなった相手には、遠慮なくものをいう。しじゅう声を立てて笑っていて、彼女の甘い声はよく耳についた。
エリとは、ちっとも似ていない。
わたしは自分に言い聞かせた。けれどそれは嘘だった。
彼女に話しかけたい、という衝動は、何度となく発作的に襲いかかってきたけれど、わたしはそれを無視しつづけた。そうしなければならないと思った。彼女を、エリの代わりのように考えることは、何かの裏切りであるかのような気がした。
あるいはその抵抗は、罪悪感の裏返しだったのかもしれない。あの頃の自分の気持ちに対する、罪の意識。エリは新しい友達が出来て、わたしのことなんかとっくに忘れてしまったのだろうなんて、見当違いの焼きもちを焼いていた自分への。
はじめのうちこそわたしと同じように彼女を見て驚いたり、戸惑ったりするようすを見せていたクラスメイトたちは、みんなすぐに彼女のことをためらいなくマリィと呼ぶようになって、その呼び名につきまとう違和感を、すっかり忘れてしまったようだった。
それにしても、不思議だった。誰もが以前にそうしていたとおりに、クラスの中に友達を作り、仲良しの子と四六時中一緒におしゃべりをしたり、おそろいの小物を手に入れたり、ずっと仲良しでいようだの、誰と誰が親友だの、誰と喧嘩をしたけれど仲直りをするタイミングがどうのと、いちいち騒々しかった。
そうした彼女らのようすは、いつかやってくる死の恐怖を忘れようとして、無理にはしゃいでいるようにも見えたし、本当にただいまの日常を楽しんでいるようにも見えた。
いつかとつぜん目の前から居なくなってしまうかもしれない相手と、どうしてそう無防備に親しくなれるのか。わたしにはそのことが、不思議でたまらなかった。
まるで自分と親友だけは、けして死にはしないと、彼女らは根拠もなくそう信じ込んでいるようだった。彼女たちの姿はあまりにも脳天気なように、わたしには見えていた。
だけど、じきにわたしは自分の思い違いに気づかされることになる。
誰かがいなくなるたびに、嘆き、寂しがり、ときには声を上げて泣く。慰め合い、後悔を並べ立て、死んだ子の冥福を祈る。けれどそれらの儀式が一段落すると、彼女らは何事もなかったかのように、ほかの誰かと「親友」になるのだ。
親しく振る舞い、しばしばまるで互いがいないと生きていてもしかたがないと言わんばかりに、ひっきりなしに友情を確かめ合っているというのに、いざ相手がいなくなれば、驚くほど短い時間で気持ちを切り替える。
どうしてそんなことが出来るのか、理解できなかった。あるいは賢かったのは彼女らのほうであって、わたしが不器用だっただけなのかもしれない。
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