第3話
それからの半年で、ぼろぼろと人は欠けてゆき、はじめ百人を超えていた同級生たちは、卒業時には七十人ばかりしか残っていなかった。
やっぱり涙は出なかった。あまりにも別れは速やかで、きれいにぬぐい去られたように痕跡を残さず、彼女たちは消えていった。
寂しさはいつも別れのその瞬間ではなく、ずいぶん経ってから、不意をついて襲いかかってきた。たとえばおかしな失敗をして、誰かに笑い話を聞かせたいと思ったとき、そういえばもうあの子はいないのだったと思い出した瞬間などに。
体調に異変を感じたときにはすぐに申告するようにと、シスター方は言う。それを申告したらどうなるのかという説明はなかった。だけど皆、判っていた。訴えた結果、何の薬をもらっただとか、どういうアドバイスを受けただとか、そうした話をする者がいない理由に、察しがつかないほうが、どうにかしていた。
症状を訴えた者から順に、どこかに連れてゆかれるのだ。
死は恐ろしいものではないと、シスターたちはことあるごとに繰り返した。まっすぐに生徒の目を見つめることなく、あの嘘くさい微笑を浮かべて。何度も重ねて言えば、それが本当になるとでも思っているかのように。
その呪文は、少なくともわたしにとっては、まるで効き目がなかった。
恐怖は漠然としていて、それだけに粘り着くようにしつこく胸の奥に居座った。おそろしいのは、それがいつ、誰のもとに降りかかってくる災いなのか、誰にもわからないということだった。
ある朝、下腹の鈍い痛みとともに目覚めて、シーツを染める血を見た瞬間、わたしがその異変にどれほどおびえたことか。授業で習った月経というものを思い出すまでの何十分かの間、わたしはもうすでに自分が死んだものであるかのような心地でいた。
汚してしまったシーツを丸めて、目に触れないように押しのけたまま、ずいぶんと長いこと、がたがたと震えていた。やがて、これは死の前触れではなく、当たり前にいつか来るはずのことだということに気づいた瞬間、わたしはまっ先に、自分の記憶をうたがった。死ぬのが怖いあまりに、自分に都合のいい記憶を、自分の頭の中に作り上げたのではないかと思えたのだ。
事前に説明のあったとおりに医務室へ行き、手当の仕方を教わったときにも、まだ半信半疑だった。早くに初潮の来ていた子たちに打ち明けて、自分の臆病さを笑い飛ばしてもらうまで、ずっと不安だった。
それが、いつか子どもを産むための準備なのだという話は、ちっともぴんとこなかった。
以前、授業の一環で、『揺り籠』を見学したことがある。ガラスの容器の中に浮かぶ赤ん坊たち――部屋中を埋め尽くさんばかりに並んだ数々のモニタ――そっくり同じ顔をした、何人もの子どもたち。
可愛いと、歓声を上げて喜ぶ子たちもいたけれど、わたしにはその小さな人間のまがいものが、薄気味悪く思えてしかたがなかった。自分がかつて、ああいう存在だったらしいということが、耐えがたいほど不快だった。
あれの元になるのが、自分の体から流れるこの血だとすれば、人が生まれてくるというのは、なんとグロテスクなことだろう!
妊娠ということについて、はじめて授業で習ったとき、やっぱり皆が戸惑うように顔を見合わせたのを、よく覚えている。
十五歳になったら――シスター・ブリジットは両手を体の前に組んで、いつにもましてきまじめな表情で、話しはじめた。
「あなたがたは十五歳になったら、神様のお導きに従って、さだめられた伴侶に出会い、そののちに子どもを授かるのです。先日、見学にゆきましたね。生まれる前の赤ちゃんたちを、見たでしょう? とても可愛らしかったですね」
話しながら、シスターは頬をほころばせて、教室を見渡した。どこか夢見るような瞳だった。「ここから遠く離れたコロニーで、男の子たちが、あなた方と出会うその日を、楽しみに待っているのですよ」
「男の子、ですか」
聞き返したのは、誰だったか。シスターはその質問を予期していた様子で、ざわざわする教室を見渡して、ゆっくりとうなずいた。
わたしたちとは体のつくりが違う、もう一方の性。シスターはそんな言い方をした。「あなたたちは、もう、その目で男性を見たことがあります」
日ごろ係官と呼ぶ人々が、それにあたるのだと、シスターは言った。人手の必要な場面や、シスターたちだけでは手に負えない事態が起きたときに、どこからともなくやってくる、体の大きな人々――ジョゼを取り押さえて連れていったあの人たち。
それは、ぞっとするような話だった。
必要なときにしか現れず、必要なことだけをしてすみやかに去って行く、異様な風体の人々。話しかけても無視するくせに、その必要があれば大声で一方的にまくしたてるような説明をして、こちらに質問を差し挟ませない。彼らはわたしの目には、怪物のように映っていた。
おそらくその授業の時点で、あの人たちに好意を持っている子は、ほとんどいなかったと思うし、実際、このとき教室はいやな緊張に満ちて、ざわついた。
みなの不安を制するように手のひらを見せて、シスターは微笑んだ。「心配することはありません。係官としてここにいらっしゃる方々は、お役目のためにしかたなく、ああいうふうに振る舞われているのですよ。あなた方の夫となる人たちは、もっと親切で、きちんと皆さんの話を聞いてくれるはずですよ。あなた方は、その日を楽しみにしていてよいのです」
半信半疑のようすでいる生徒たちを見回して、シスターはもう一度うなずいた。それから厳かな調子で――少なくともそう演出しようとする努力の元に、楽園について語った。神様がお作りになった一対の男女のこと。あさはかな考えから戒めを破り、楽園を追放された二人の話を。
神世の昔――それが具体的にどれほど前のことなのかについては、シスターは言葉を濁したけれど、ともかくずっと昔から、人は絶えず多くの過ちを犯し続けてきたのだという。そうしていまの世に至り、いつしか適切な時が満ちるまで、男と女は引き離されるようになった。
何をどこまで信じていいのかわからない――そう思ったのは、それを説明するシスターの口調と、表情のためだった。エリは遠くのコロニーへ行きました――そう話したときと同じ顔を、彼女はしていた。
あなた方が十五歳になったらと、シスターは繰り返した。
十五歳になったら。それまで生きていられたなら。
シスターが口にしなかったその言葉は、しかし、誰の耳にもはっきりと聞こえていたのだろう。ひとりの生徒が、とつぜん叫んだ。「なぜ、十五歳まで生きられる子と、そうではない子がいるのですか。それも、神様の思し召しなのですか」
普段は物静かな子だった。シスターは目を伏せて、いっときの迷いののちに、うなずいた。
「そうです」
質問した子は、何か言いたげな顔をしたけれど、結局は飲み込んで、もとどおり着席した。
神様――神様――神様! なんと都合のいい存在だろう?
しんと静まりかえった教室の中、シスターはしばらく瞑目していたけれど、やがてゆっくりと手のひらを打ち合わせて、授業の終わりを告げた。
その時間は、その日の最後の授業だった。いつもだったら、授業が終わればみなさっさと教室を離れるのに、このときはほとんどの子が留まって、落ち着かないようすで先ほどの話についての意見を交わしていた。
見渡したかぎりでは、ほとんどの子は、顔に不安の色を濃く残していた。だけど、わたしの斜め前の席に座っていた子が突然、内緒話のような調子でささやいた。
「だけどね、すてきな人がいたのよ」
皆、好奇心に駆られてその子のそばに集まった。わたしは駆け寄りさえしなかったものの、やはりその場に留まって、思わず耳を傾けた。
「あのね、クリニックの助手の人なの。このあいだ、わたし、手を怪我したじゃない。あのときにね……」
皆の注目を得られたことで、得意げに目を輝かせて、その子は話し出した。診察室で、怪我の痛みに泣いていた彼女を見て、その人物はひどく慌てたのだという。感情などはじめから持ち合わせないようなほかの係官と違って、その人はいたわるように彼女の手をとって、優しく話しかけ、診察台まで誘導してくれた……
ねえ、どんな人だったの。顔は? 何か喋った? 矢継ぎ早に飛んでくる質問に答えながら、彼女は目を輝かせて、頬を赤らめていた。「相手が、あんな人だったらいいなあ」
輪の中からため息とも歓声ともつかない声が上がった。まだ半信半疑の子もいたけれど、安心したように表情を緩める子や、彼女のことを羨ましそうに見ている子のほうが、圧倒的に多かったのではないかと思う。
その瞬間に感じた疎外感を、どう説明したらいいだろう。
わたしは無言で立ち上がって、ひとり、自室に戻った。どうして彼女らはあんなふうに、楽天的にものを考えられるのだろうと、そう思った。
それともシスターの説明を、きっといい人ですよと言った、あの無責任な言葉を、彼女は、ほかの皆は、信じたのだろうか。理解できなかった。どうしてそう簡単に、人の言うことを信じられるのだろう?
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