第2話
その晩のうちには何もできなかった僕を、笑いたければ笑えばいい――ほかに誰が見ているわけでもないのにそんなことを考えたのは、やはり級友たちへの対抗意識が、僕のなかのどこかにあったんだろう。
何も出来なかったどころか、じつのところ、手をつなぐまでに五日かかった。
最初の日、ソファにひとりぶんの隙間を空けて彼女の隣に座った僕は、照れくささをごまかすように、いろんなことをしゃべった。沈黙が怖くて、話が途切れるたびにつぎの話題を探して、喉がからからになっていることにも気づかずに、遅くまで中身のないことばかりを話し続けた。
共通の話題なんかまるでないから、当たり前だけど、どんなにがんばって話題を探しても、話は途切れがちになった。それでも僕は、話し続けた。彼女と話していたかった。遠慮がちに相づちを挟みながら、彼女は僕の口元をじっと見て、話を聞いた。見られていることが照れくさかった。たまに上がる彼女の甘い笑い声をもっと聞きたかった。
彼女がどうやら疲れているらしいということに気づいたのは、白状しよう、かなり遅い時間だったと思う。ずっと僕の話を聞いていた彼女の、口数がだんだん少なくなってきていることに、僕はなかなか気がつかなかった。
どうやらさっきから、ずっと自分ばかりしゃべっている――遅れてそう気づいた瞬間の、僕のあわてぶりといったら、とても見られたものじゃなかった。「ごめん、もしかして、疲れてた?」
あわてたように首を振って、それから彼女は申し訳なさそうに白状した。「少しだけ。ここに来るまで、遠かったから」
「ごめん!」
違うの、セオのお話が面白かったからと、彼女は申し訳なさそうに言った。だけど僕は自分の粗忽さが呪わしくて、その言葉を額面通りに受け止める気にはとてもなれなかった。話なんて、明日からいくらでも出来るのに。
なにせ彼女は細くて、小さくて、クラスメイトのなかで一番ひよわだったやつよりも、もっと弱々しかった。そんな相手の体調をおもんばかることもできないなんてと思うと、自分で自分を殴り飛ばしたいような気になった。
申し訳なさそうにしている彼女をどうにか寝室に押し込んで、僕はというと、リビングのソファで寝た。疲れている彼女に気を遣って、ひとりで眠るほうがゆっくり休まるだろうと考えた――というだけではもちろんなくて、同じ部屋で眠る度胸なんかどこにもなかった。
ソファは柔らかくて、寝台の代わりには充分だったけれど、僕はなかなか眠れなかった。遠慮がちな彼女の微笑みだとか、声だとか、そんなことを何度も思い返して、いつまでもひとりで青くなったり赤くなったりしていた。彼女が疲れていることをなかなか言い出せずにいたことに罪悪感を覚える一方で、そういう彼女のけなげさに感動したりして。
自分で思い返して、つくづく思う。男は馬鹿だ。
実際のところ、彼女がけなげにふるまっていたのは、最初の四日だけだった。五日目の朝には、もう彼女はかぶっていた猫を、きれいに脱ぎ捨てた。
五日目のその日、僕らは初めての喧嘩をした。二時間、口をきかなかった。
ことの発端は、地球の画像だ。
卒業セレモニーで見た、半分に欠けた地球。僕はそれがすっかり気に入っていた。もちろんそれまでにも、写真や映像で地球を見たことがなかったわけではない。けれど特殊樹脂の分厚い強化窓越しとはいえ、自分の目で見る本物は、まるで違っていた。
真っ暗な空に浮かんで静かな青い光を放つ球体は、それ自体が命あるもののように、息づいて見えた。よく注意して見れば、雲の流れどころか、海辺に打ち寄せる波まで、この目で追えそうな気がした(もっともこれは、僕の脳裏に記録映像で見た地球の海のイメージが残っていて、それで起きた錯覚なんだろう)。
それであるとき思い立って、ライブラリから地球を捉えた衛星画像を探してきた。静止画ではなく、リアルタイムの地球の様子が投影されるやつだ。それをスクリーンに投影して壁紙がわりにすると、ほの青い光がリビングを照らした。
淡い光に包まれた地球の画像を見て、ルーは不思議そうに目を丸くした。「これ、なあに? きれいね」
僕はあっけにとられて、彼女の顔をまじまじと見つめた。だけど僕のその視線に、彼女は気づかなかった。彼女の目はうっとりと、青い惑星に見入っていた。
「地球だよ。教科書とかで、見たことあるだろ?」
「地球って?」
しばらく言葉が出てこなかった。
彼女は小首をかしげて、僕に問いかける目をした。冗談で言っているわけではないようだった。むしろ、僕が驚いていることに、ルーは困惑していた。
じきに気づいたことだけれど、彼女はとにかくものを知らなかった。地球のことだけではない。月世界の歴史、経済、社会のことはもちろん、科学技術に関する知識も、法律のことも、何にも知らなかった。むしろ知っていることを数えたほうが、早いんじゃないかと思えた。
彼女の知っていることといったら、栄養や薬の管理や衛生観念のこと、つまりは人間が健康に暮らしてゆくために必要な、家の中のものごとくらいで、それをのぞいたらほとんど無知といってよかった。あとはせいぜい、いくつかの歌と、空想物語と、それに登場する想像上の生き物くらいだっただろうか。
「地球のこと、授業で習わなかった?」
「さあ? 習ったかしら」
彼女はあいまいな表情で、首をかしげた。「授業なんて、ほとんど聞いてなかったもの。でも、こんなきれいなものを見たら、覚えていると思うわ」
僕はしばらく絶句して、それからやっと、そういうものかもしれないと思い直した。なんせセンターで女の子たちがどんな暮らしを送っているのかなんて、僕らはひとつも知ってはいなかったんだから。ただ自分たちが当たり前のようにスクールに通い、毎日授業を受けていたから、彼女らもきっと似たような暮らしをしているのだと、根拠もなく思い込んでいただけで。
それで僕はひとしきり、地球のことを彼女に教えた。僕らの祖先がそこからやってきたということも、そこにいまも何百億もの人間が暮らしているのだということも、彼女はまったく知らなかった。
「嘘。だってあんなに小さいじゃない」
「小さくないよ。すごく遠いから小さく映ってるだけで、ほんとうはとんでもなく大きいんだ」
彼女は困ったような顔で、何度も瞬きをした。僕が荒唐無稽な嘘をついて、彼女をからかっていると思ったのかもしれない。そもそも惑星が丸くて、僕らのいるこの月も同じように球体なのだということも、重力の発生するわけも、彼女は知らなかったのだ。
だけど話をするうちに、ルーは信じるつもりになったようだった。そうなってみると、彼女はがぜん、好奇心を発揮した。子供のように脈絡なくあちこちに飛ぶ質問は、際限なく続いた。それに答えられるだけひとつずつ答えながら、正直にいうと、僕はだんだん辟易してきた。
それでも新しく知る話に目を輝かせている彼女は、とても可愛かった。それで僕はいつしか調子にのって、万有引力だとか、生物が海から発生した話だとか、聞かれてもいないことまで話しまくった。彼女はそのたびに目を丸くし、歓声をあげ、あるいはわからないというように首をかしげて問いを重ねた。
人にものを教えることには、快感が伴っている。そしてその一部は、優越感に根ざしたものだ。
僕がそういう自分の心理に気づいたのは、一時間ばかりも話したころだろうか。得意になっていた分だけ、その感情は鋭く僕の胸に刺さった。
彼女が無知なのは、彼女のせいではない。
いや、授業をまじめに聞いていなかったというのだから、彼女の責任もいくらかはあるかもしれないけれど、そもそも普通に暮らしているなかで、天体の有り様なんか知らなくったって、なんの差し障りがあるだろう。大学でそっちの関係を学ぶつもりだとか、技術職に就くつもりの人間だというならともかく、そもそも彼女に、将来なんていうものはないのだ。
その考えは、思いがけず僕の胸をかき乱した。おかしな話だ。そんなことは、最初からわかっていたはずなのに。
僕の口が急に重くなったのを、彼女は僕がうんざりしたからだと誤解したようだった。
「呆れてる?」
僕はあわてて首を振った。だけど本当のことをいうわけにもいかなかった。だって、どう言えばいい? どうせ君はそのうち死ぬんだから、そんなこと知らなくてもいいんだよって?
「そんなことないよ。僕もそんなにまじめに授業を聞いてたほうじゃなかったから、思い出すのに時間がかかってるだけ」
嘘、と間髪入れず、彼女はいった。はじめてみる、険しい表情で。どきりとして、僕は首を振った。「嘘なもんか」
彼女は信じてくれなかった。目に涙さえ滲ませて、彼女は怒った。「なんで、嘘つくの?」
あとでつくづく思い知らされたことだけれど、彼女はとにかく嘘というものに敏感に気づく。そして、それを許さない。
ルーが特にそうだというよりも、あとになって友人たちの話を聞いた感じでは、女という生き物が、そういうふうに生まれついているようだった。男同士だったら、嘘とわかっても気がつかないふりをするような場面でも、容赦なく暴こうとする。
ルーは完全にむくれた。はじめのうちはなだめたりすかしたりしていたけれど、そうしているうちに、だんだん僕のほうでも腹が立ってきた。
いまになって思い返せば、罪悪感がそのまま、怒りにすり替わったんだと思う。彼女のためを思って言葉を濁したことで、どうしてその当の彼女にこんなにも責め立てられなければならないのか。一度そう考え出すと、やっていられないという気になった。
そして一度意地を張ってしまうと、折れるタイミングがわからなくなった。やりにくいなと思った。男同士なら、ののしりあいになろうが、殴り合いになろうがかまわないし、いっそそのほうが、仲直りもしやすい。だけどまさか、彼女に向かって大声で怒鳴ることなんかできなかった。まして殴れるわけなんかない。
女はとにかく丁重に扱えなんていう倫理の教本を、まさか頭から真に受けたわけでもなかったのだけれど、そもそもあんなに柔らかくてもろそうな体を、どうして殴ったりできるだろう?
ルーは二時間、ずっとぷいと顔をそらして、僕の方を見ようともしなかった。そのくせ僕がソファに埋まるように座ったまま、何度目かのため息を飲み込んでいると、急につんつんと、袖を引っ張ってきた。
振り向くと、いつの間にか、ルーはすぐ隣に座っていた。しかも遠慮がちに袖を握って、上目遣いに僕を見上げていた。
うっ、と言葉に詰まって、僕はのけぞった。ルーのその表情は、可愛かった。ものすごく可愛かった。さっきまでのふくれっ面はいったいどこに捨ててきたんだろう。おずおずと、彼女は聞いてきた。
「まだ怒ってる?」
女はずるい。そんな顔をされて、怒った顔なんか続けていられるわけがない。
「もう怒ってないよ」
口の中でもごもごとつぶやくように言うと、彼女は「ほんと?」と聞き返しながら、さっきまで指で引っ張っていた僕の袖を、ぎゅっと握った。
とっさにその手を握り返してから、僕は動揺した。彼女の手は見た目のとおりに、柔らかくて、小さくて、そして熱かった。彼女が特別なんだろうか、それとももともと女のほうが体温が高いんだろうか。
ルーの手は遠慮がちに、僕の指を握り返してきた。僕はかちんこちんに固まって、ほとんど身じろぎも出来なかった。そのまま、たぶん一時間くらいずっと固まっていた。
笑いたかったら笑えばいい。
僕の可愛くて繊細なルーは、その実、気まぐれで、無邪気で、ちょっとわがままな女の子だった。
たとえば彼女のふわふわの癖っ毛が好きで、そばにいるとき、無意識に手が伸びることが多かったのだけれど(手やそのほかの場所に触れることに比べたら、髪の毛のほうがまだハードルが低かったというのもある)、機嫌のいいときは嬉しそうに、こちらの手に頭をすりつけるようにしてくることさえあったのに、ちょっと虫の居所が悪いと、ぷいと顔をそらせて、どこかに行ってしまう。僕があわてて追いかけて謝りながら、何が気に障ったのかを訊こうとすると、ときには歯をむいて怒ることさえあった(そしてたいていの場合、その理由は教えてもらえなかった)。
話していて困ったのは、地球の話題が出たときだけではない。僕はいろんなことをルーに話して聞かせたけれど、実際のところ、言いたいことはなかなか伝わらなかった。
話の途中、思いがけないところで彼女が首をかしげる。僕は話の流れを止めて、ルーがどこでつまづいたのか確認する。初めのうちは、どういえば彼女にわかりやすいだろうかと悩みながら、あれこれ言葉を重ねるのだけれど、そうしているうちに段々、話の本筋を見失って、何を言いたかったかわからなくなってしまう。しまいには面倒くさくなってきて、ときにはそれで喧嘩になったりもする。
口喧嘩になると、ルーは容赦がない。徹底的にやっつけにくる。手段は選ばない。最終的には、怒りながら泣き出す。
勘弁してほしい、小さい子どもじゃないんだから。そう思いながらも、僕は全面降伏せざるを得ない。泣く子には勝てない。それが女の子だと、なおさら勝てるわけがない。女はずるい。
地球の存在さえ知らなかったくせに、ルーは動物の話が好きだった。
とはいっても、進化論のような難しい話には興味がないらしい。そのくせ、地球にいる動物たちの姿や生態のことには、目を輝かせて耳を傾けた。僕らとは違う生き物が、この世界にいるということそのものが、彼女の胸をはずませるようだった。おかげで生物の授業に不熱心だった僕は、ライブラリから資料をあさり回る羽目になった。
たくさんの生き物のことを、僕らはスクールで習う。月には存在しない動物や、魚や、鳥や、虫のことを。本物に触れる機会は絶対にないというのに、なぜそんな無駄な授業に時間を割くのだろうと、学生のころ、僕はいつも思っていた。それは暗記の苦手な生徒たちにとって、一種決まり文句のようなぼやきだった。
教師は、人間の体のことを学ぶためには、そのほかの生物のことも知るべきだからだという。でも本当に、そうだろうか。そんなことのために、限られた単位の中で、こんなに大きい時間を割く必要があるのだろうか。
僕にはそれは、誰かの気慰みなのではないかと思えた。気慰みでなければ、地球を忘れてはいないというアピール(誰のための?)。あるいは人工のものに囲まれた月面世界への反発をなだめるための、これまた人工的な郷愁。
そんなことを考えるのも、自然界の有り様とかいうやつを学ぶたびに、自分たちの立ち位置の不自然さを、いやでも思い知らされるからかもしれない。本来は生物の居住に適さないはずの、この月という不毛の土地に、人類が暮らし続けるために払い続けている、呆れるほどのコストのことを。不自然というのはそもそも人類の宿業なのだといったのは、誰の言葉だっただろう。
ともかく、結果的にこうしてルーが喜んでくれたんだから、僕にとってはあの退屈な授業も、あんがい無駄でもなかったということになるんだろうか。
彼女が空想上の生物だと思っていたうちのいくらかは、実際に地球上にいる(あるいは、かつていた)生き物だということも、だんだんわかってきた。もちろん、本物の猫やねずみは、人間の言葉を話したりはしないだろうけど。
ライブラリの中に、原寸大の三次元映像を投影できるデータがあった。僕がリビングの壁いっぱいにキリンの足を映し出すと(僕も彼女と一緒になって驚いたんだけど、頭まではとても入りきらなかった)、彼女は顔を紅潮させて喜んだ。
「だけど、こんなに大きかったら、住むおうちがなくて困るんじゃないかしら?」
「キリンは広い草原に住むから、家は持たないんだよ」
テキストの受け売りでそんなふうに説明したら、草原って何、と聞き返された。僕は言葉に詰まった。見渡す限りの草野原のことを、どう説明したらいいんだろう? そもそも草だとか平原だとか、そんなもの自分だって概念としてしか知らないのに?
それで今度は、地球上のいろんな場所の風景を投影できるデータがないか、探しにかかった。けれど、こちらはなかなか見つからなかった。
「ねえ、まだ?」
待ちくたびれてだんだん不機嫌になってきた彼女をなだめながら、二時間ばかり粘ったのだけれど、結局は見つからなかった。ルーを喜ばせようとして苦労しているのに、遅いといって機嫌を損ねられるんだから、割に合わないったらない。だんだん僕もいらいらしてきて、このときもやっぱり喧嘩になった。
後になってからも、ときどきあきらめ悪く探してみたのだけれど、そういう映像データは、やっぱり見つからなかった。ライブラリにはそういうところがある。何でもあると見せかけて、肝心な部分がぽっかり空白になっているようなところが。
僕のほうが彼女の話に耳を傾けることも、もちろんあった。だけど授業をろくに聴いていなかった上に、本も読まないというルーの話は、驚くほど退屈だった。
いや、最初のうちは新鮮だったんだ。女の子しかいないセンターの生活は、なんというか、僕らの暮らしとはずいぶん違うみたいで、ひとつひとつが不思議だった。
けれど話の中身はというと、あっという間に全部話し尽くしてしまって、あとはぜんぶ前に聞いた話のバリエーション。
センターの暮らしって、なんて退屈なんだろう。いつしか僕はそう思うようになった。しかもルーの話は、よく順序が行ったりきたりして、そこに僕の知らない人物の名前が急に混じったりするものだから、聞いているほうも混乱してしまう。それでいて、途中からまじめに聞くのをあきらめて、適当な相づちを打っていたら、ものすごく怒られる。
彼女はとにかく、ちょっとしたことでよく怒った。
たとえば、そう、彼女の髪型のこと。
ルーは毎日のように、違う髪型をした。はじめの日にはふわふわの髪をそのまま下ろしていたのだけれど、次の日にはふたつにゆったりと結んでいたし、またある日には複雑な形に編み込んでまとめ上げて……といった具合に。
僕は内心、そのことに呆れていた。ずいぶんと手間のかかることのように思えたし(実際、彼女が髪を整えるのを待つために朝食を待たされることもあった)、どんな意味があるのかわからなかった。下ろしているのが邪魔だっていうなら、ふつうに括ればすむだろうに。
それでも最初は遠慮して訊かずにいたのだけれど、慣れてきたころに、僕はうっかり口を滑らせた。「どうして毎日違う髪型にするんだい? 髪型なんて何だって変わらないだろうに」
言い方を間違えたんだと、いまでも思う。
だいたいなんで口を滑らせたかというと、僕は彼女の髪が好きで、ふわふわの手触りを楽しみたかったんだ。それなのに彼女がその日、たまたま髪をきっちり編み込んで結い上げていた。そのささやかな不満が、そんな形で口をついて出たんだと思う。冷静になってみればものすごく馬鹿みたいな話なんだけど。
彼女は怒った。ものすごく怒った。具体的には、そのあたりにあったものを手当たり次第僕に投げつけてきた。なんで彼女がそんなに怒っているのか、僕にはわからなくて、それでよけいに彼女はへそを曲げた。
いまにして思えば、僕は言い方を間違えた。あるいは言葉が足りなかった。「どんな髪型をしていたってルーは可愛いんだから」その一言さえ正しく付け足していたら、喧嘩なんかしなくてすんだのに。
それでも僕らは、よく話をしたと思う。飽きずにというか、飽きても喧嘩になっても、懲りずに繰り返し話をした。
よく喧嘩になって、お互いにふてくされたりして、でもいっときしたら仲直りをして、手をつないだ。そうやって少しずつ、僕らの距離は近づいていった。
僕らはお互いのことを、ひとつずつ覚えた。ルーは信じられないくらい朝が弱くて、無理矢理早く起こすと半日は機嫌が悪いこと。逆に僕は眠りが浅くて、ちょっとしたことで夜中にすぐ目が覚めて眠れなくなってしまうこと(寝相の悪い彼女に蹴られて起きることはしょっちゅうだった)。
ぴったり並ぶと僕のほうがほんの少しだけ、背が低いこと(もっとも半年もせずに追い抜いた)、手の大きさは、僕のほうがだいぶ大きいこと。彼女の栗色の髪は、照明の加減によっては金色にきらきら光るということ。ふっくらした唇が、見た目以上に信じられないくらい柔らかいこと。
毎日寝て起きて、同じ相手と同じような話題を飽きずに話しあって、喧嘩して、仲直りして、また寝る。授業もなく、仕事らしい仕事もなく――この頃のことを思い返すと、繰り返しばかりの単調な暮らしだったはずなのに、どうしてだろう。なんだか毎日、忙しくてたまらなかったような気がする。
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