第3話

 新しい生活が始まって一月ほどが経つ頃、委員長と会った。

 連絡してきたのは向こうから。ちょうど愚痴を言い合いたい気分だったのは、お互いの表情からすぐにわかった。

 会って話さないかと言い出したのは、僕のほう。通信では話しづらいこともあったし、それにちょうどその日の朝からルーと喧嘩したものだから、出かけた方が気晴らしになるだろうと考えた。

 調べてみたら、お互いの家の中間地点にちょっとした公園があったので、僕らはそこで落ち合うことにした。

 いざ行ってみるまでは実感がなかったのだけれど、そこはものすごく遠かった。同じコロニーでさえなかった。具体的にはトラムの最深層路線を乗り継いで、二時間と少し。これではそうしょっちゅうは会えないなと、そう思った。

 もっとも、それは委員長に限った話ではない。クラスメイトたちは、念入りに引き離されて、できるだけ違うコロニーに分散されていた。

 そういう説明が、誰かの口からなされたわけではない。もしかしたらただ単に住居の空きがなかっただけかもしれない。ただ少なくとも僕らは、そこに何らかの意図を感じていた。

 コロニーの外に出るときには、申請がいる。もちろん手続きさえ踏めば許可はすぐに下りるし、たいした手間でもない。だけどやっぱりそれはちょっと面倒なことで、その「ちょっと面倒」が、心理的な敷居の高さを作っている。

 この距離は何なのか。

 結託と反乱をふせぐため? まさか、古代史じゃあるまいし、生活に多少の不満があるくらいで、誰がそんなことをするっていうんだろう。

 暴動とまではいわずとも、よけいなトラブルをふせぐためだろうか。それはありそうなことに思えた。どうやったってスクールのなかではそりの合わない連中がいたし、くだらない喧嘩はしょっちゅうだった。中には陰湿なやつもいる。

 それだけが理由なら、仲の悪いもの同士を引き離せば事足りるだろうけれど、誰と誰の仲がいいとか悪いとか、そういうことを逐一調べて配慮をするのは、管理をする側からしてみたら面倒だろう。それならいっそ、皆を遠くに散り散りにしてしまえば話が早い――それくらいの意味なのかもしれない。仲が良いやつらは勝手に連絡を取り合うだろうし、月のどのコロニーにいたところで、通信なら一瞬だ。

 だけど、このとき僕が委員長に会いにわざわざ出かけたように、通信での会話をいやがる心理というのは、たしかにある。

 公共の通信というのは、自動的に記録が残る。誰でも好き勝手にのぞき見できるという性質のものでもないけれど、逆に言えば、何かあれば他人に見られるかもしれない。

 それでもほかの友人と話すのなら、わざわざ足を運ぶまではしなかった。だけど相手が委員長なら、話は別だ。



 順番が前後したけれど、彼の話をしよう。

 この友人は昔から、ちょっと変わったやつだった。彼が委員長になったのは、かなり早い時期だったと思う。それから卒業まで、ずっと彼は委員長だった。皆も彼を本名で呼ぶよりも、親しみを込めて委員長と呼ぶことが多かった。

 学級委員長という言葉につきまとうイメージにふさわしく、彼は優秀で、礼儀正しくて、人望厚く、まじめな生徒だった。ただし、教師のいるところでは。

 そもそも同級生の間で人望が厚いということと、教師にとって理想的な生徒であることというのは、そうそう両立しないものだ。大人のいないところでこそ、彼の本領は発揮された。

 彼にまつわるエピソードを数え上げればきりがないけれど、ひとつだけ選ぶなら、やっぱり卒業セレモニーのときのことだろう。

 セレモニー会場は遠かった。スクールからやはりトラムで、一時間と少し。昼食を済ませてから、僕らはぞろぞろと寮を出た。

 一生に何度、あのホールに立ち入ることがあるだろう。そこは特別な場所だった。なんせ月面都市で、地球をじかに目の当たりにできるのは、あそこしかない。

 そもそも地上に作られた建造物自体、数えるほどもありはしない。なんせ月面に降り注ぐ隕石は多い。もちろん迎撃レーザーは配置されているし、隔壁も頑丈に作られているから、多少のことではびくともしないはずだ。ホールの強化窓も、ちょっとやそっとの隕石ぐらいではかすり傷もつかないという。それでも、地下施設のほうがよりリスクが少ないのはたしかだ。

 太陽光の問題もある。月面において、日差しのもとで生きられるものなどいないのだから、そもそも地上に窓を作る意味なんて、ほとんどないといってもいい。ホールの窓だって、日のある時期には遮光モードに切り替わる。そういうわけで、セレモニーは必然的に夜の時期になる。

 トラムで会場に向かうあいだ、関係者だけで貸し切りの車両は、しじゅう騒がしかった。大声で騒ぐ者はいなかったが、みなどこか浮き足立っていた。式典そのものを楽しみにしている者がどれくらいいたかわからないけれど、今日が特別な日だという感覚は、どうやら誰の胸にもあった。

 なんせ五つのときから同じスクールに通い、同じ学寮で寝起きしてきた友人たちとの別れだ。これを最後に、もう生涯会わない者もいるだろう。せいせいしているという風情の者も、どことなく不安そうな者も、新しい生活への期待に頬を紅潮させている者もいた。笑い声や悪態や弱音や、いろんな声が混じり合って、高まったり低くなったりを繰り返していた。

 その中で委員長はひとり黙り込み、退屈そうな顔で手元の端末をいじっていた。彼がそういう態度でいるのは、それほど珍しいことではなかった。委員長はその気になれば社交的に振る舞うけれど、ひっきりなしに友人と話していないと落ち着かないというタイプではなかった。

「何を見てるんだ?」

 だから、僕がそう話しかけたのは、彼に気を遣ったからというわけではなかった。ただ自分自身の退屈を紛らわしたかっただけだ。

 委員長は視線をあげて僕の顔を見ると、口の端でにやりと笑った。彼がずっといじっていたその端末に、何気なく視線を走らせて、僕は違和感を覚えた。

 それはほんのわずかな差違だった。皆に支給されている学生用の端末と、大きさも色も同じ。形状もパーツも、よくよく注意して見ないかぎりほとんど違いがわからない。画面に表示されているインターフェイスまで、本物とそっくりだった。

「――それ、何だい」

 秘密のにおいをかぎつけた僕が、とっさに声を潜めて聞くと、委員長は小さく首をすくめた。「普通の声でいいよ。かえって目立つだろ」

「また妙なことでも考えてるのか」

「失礼な。ちょっとしたサプライズだよ」

 委員長は笑いながら、片手で画面にすばやくテキストを打ち出した。周りに聞かれたくないから、筆談というわけだ。これなら相手が読んだら急いで抹消すれば、記録にも残らない。

 文面に目を走らせて、僕は絶句した。

『地球側の衛星から、電波を拾う』

 委員長は続けて短い文章を入力した。『普通の顔してろったら。目をつけられる』

「……最後の最後まで、よくやるなあ」

 かろうじて、普通の声を出したと思う。委員長は片頬で笑った。

「だけど――」

 僕はいいかけて、自分の端末を取り出した。口ではぜんぜん関係のないことをいいながら、本当に聞きたいことは、委員長のように画面に表示させた。傍目には、雑談しながらライブラリのデータを検索しているように見えることを願って。

 それにしても、話すのと同時にまったく違う文章を手で入力するというのは、なかなかに骨の折れることだった。

「サプライズになるのか? それ」

「まあ、うまくやるさ。びっくりするぜ、あいつら」

『指向性っていうのかな、あるんじゃないのか。電波の強さとか』

『太陽電池パネルの技師連中なんか、作業中にこっそり向こうの放送を拾って楽しんでるらしいぜ』

「まあ、冗談ですむ範囲にしとけよ。君、前にもそれでシンドリーを怒らせただろ」

「そうだっけ。もう忘れたな」

『どこで聞きつけてくるんだ、そういう情報』

『ネットでさ。決まってるだろ』

「おいおい」

「嘘だよ。わかってるって」

『危なくないのか』

『まあ、見てろ』

 ネットワークか。だけど、制約の多い学生用の端末で、そんな情報に触れられるものだろうか? 少なくとも僕は見たことがない。どこを見たらそんな話が書かれているのかさえ、見当もつかなかった。

 僕のあきれ顔をどう解釈したのか、委員長は楽しそうに、喉で笑い声を立てた。卒業生の中でこのお祭りムードを一番楽しんでいるのは、どうやら彼らしかった。

 委員長の計画というのは、こうだ。

 セレモニーの会場からは、じかに地球が望めるとはいっても、もちろん分厚い強化窓ごしのことだ。それでも、地下深くにある居住区のどこよりも、ずっと地球との電子的な距離は近い。

 この日のためにスクラップの中から掠めて集めた部品で、委員長は、専用の受信機を作ったという。うんと微弱な電波でも拾って記録できるやつ。それを、普通の携帯端末そっくりの見た目に偽装した。作り方はライブラリで調べて、彼なりの改良をしたという。

 独自に組んだプログラムで、地球側の衛星から発信されている電波を拾う。セレモニーの間、一番近いところにいる衛星から、自動的にデータを拾って記録する。それをセレモニーが終わってから、こっそり仲間内で見ようというわけだ。

 ふだん僕らが使っている端末は、ライブラリに直結している。そっちのメモリを使って大がかりな作業をすれば、ログを取られるかもしれない。だから独立した、ネットワークにつながっていない端末を用意する。公的な流通ルートを通っていない、自作のやつを。

 何ヶ月も前から考えていたに違いなかった――それを誰にも漏らさずに、ひとりでこっそりやり遂げたというところが、彼の彼たるところだった。

 拾えるデータを自動で保存するだけだから、何が出てくるのかは、フタを開けてみるまでわからない。最接近中の衛星がうっかり軍事用だったりすれば、仮に拾えたとしても、何がなんだかわからない暗号データだったということもあり得る。もっとありそうなことを考えれば、地球のどこかの国が放送する、たわいもない娯楽番組かもしれない。

 いや――むしろ、そちらであることを、彼は望んでいるのかもしれなかった。

 僕は興奮を顔に出さないことに必死だった。なんせ、地球との人の行き来は何世代も前に、完全に途絶えてしまっている。物資のやりとりはあるけれど、例の病気の感染を恐れて、地球側はけして月面人の渡航を許可しない。男は発症はしないといっても、ウイルスを運ぶことはあり得るからだ。

 必然、地球からの情報も遮断される。そうとはっきり教科書に書かれているわけではないが、そういうことだ。命あふれる惑星の、おそらくは豊かな暮らしの映像なんて見せられて、なんとかして地球に行きたいなんて思う馬鹿が出ても、困るだろうから。

 僕らは地球の情報から、遠ざけられている。歴史の授業で遥かな過去を学ぶことはあるけれど、それだって、どれほどの情報がそぎ落とされずに残っているかなんて、誰にもわかりはしない。

 つまり、リアルタイムの地球を知っている者なんて、月にはいないのだ。いたとしても、特殊な役職についているごくわずかな人間だけ。

 それを断片なりと、この目で見られるとしたら?



 会場への移動だけで、僕らはすっかりくたびれてしまった。そうまでして地球を望めるホールで式典を行うことを、いざ足を踏み入れるまでは、滑稽なことだと思っていた。窓越しに見るだけならライブラリの画像だって充分じゃないか、それを会場の空に投影でもしたらどうなんだと。

 だけど、じかに見るのと映像の間には、やっぱり開きがあった。

 いざそれを目の当たりにすると、僕は言葉を忘れて、青い惑星に見入った。僕らの母なる星は、淡いもやに包まれて、宇宙空間に静止していた。下半分くらいが欠けて闇に沈んでいたけれど、残りの半分には雲が渦巻き、目の痛くなるような青い海との間に、あざやかなまだら模様を作っていた。

 知識としては当然のこととして頭に入っていた、自分たちがずっと昔にあの場所からやってきたのだという事実が、いまさら信じられないような気がした(この点、僕はルーを笑えない。そのとき僕の目に地球は生きた宝石としか見えなかった)。

 会場で僕は、委員長のすぐ近くの席に座っていた。近くというか、斜め後ろの席。わざとそこに陣取ったというわけではなくて、元から決められていた配置どおりだった。

 彼に不審げなようすは、少なくとも傍で見ている限りでは、何も見受けられなかった。最初に地球を目の当たりにしたときに小さく口笛を吹いたきり、あとは真面目くさった優等生の顔にほんのわずかな退屈を滲ませて、たまにそっと欠伸をかみ殺していた。ポケットに手をつっこんで端末を気にしているというそぶりは、断言できる、かけらも見あたらなかった。

 皆がもうすっかり配置について、じきに式典の始まるという頃合いだった。音もなく自分の横を通り過ぎた老紳士に、僕はその背中が視界に入る瞬間まで、気づきもしなかった。

 歴史の教師だった。あわてるなどという感情は生まれるより前に捨ててきたというふうな、この老教師に特有の足取りで、彼はやってきた。

 そしてさりげなく、委員長の肩を叩いた。礼儀正しく、それでいて親しみの籠もったしぐさで。

 委員長はたいしたものだった。動揺したそぶりもなく、ごく普通の軽いおどろきを持って振り返った。それから恩師に向かって、『何か?』とでも言いたげに、かすかに首をかしげてみせた。教師は温厚な微笑みを浮かべたまま、彼のポケットを指し示した。

 委員長はわずかに逡巡したようだった。けれど逆らわず、素直に中身を出した。

 老教師は、どこか楽しそうな笑みさえ浮かべて、彼がその端末を自分の皺ぶかい手のひらにのせるのを見守った。そうして満足げにひとつうなずいて、何事かを小声で囁くと、やはり悠然たる足取りで、後方に去って行った。

 周りにいた連中はあっけにとられて首をひねり、その後ろ姿を見送った。いまのは何事だったのか。委員長が何かを没収されたように見えたが、そのわりに叱責のそぶりがなかったのはなぜか?

 僕は内心で冷や汗を掻きながら、周りの皆をまねして、好奇心に惹かれているようなふりをした。

 式典が終わり、会場を出て帰りのトラムに乗り込んでから、委員長はようやくため息を吐いた。僕の方で堪えかねて、せかせかと訊いた。

「先生、なんて?」

「スクールに戻ってから返すってさ」

「それだけか?」

 委員長はあっさりとうなずいて、「肝が冷えた」と呟いた。言葉の内容のわりには、飄然とした口調だった。

 なんでわかったんだろう、と言いかけて、僕はなんとなく言葉を飲み込んだ。委員長ならばそれらしい推測を持っているかもしれなかったけれど、はっきりと言葉で聞くのは、怖いような気がした。

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