一章06:決意は、震える義妹を抱いた手の中

「お待たせお待たせー。着替えを持ってきましたよう」

 黒いバッグに着替えを詰め、シンシアがやはりおっとりとした口調で戻ってきたのは、それから直ぐの事だった。


 気がついて飛び退いた僕とケイは、さも何事も無かったかの様に向かい合い「ありがとうシンシア」と、けれども却って不自然に声が重なる。


 そんな二人をお見通しとばかりに笑ったシンシアは「よく出来ましたねえララト」と僕の手を取った。


「もう大丈夫そうですねえ。ケイちゃん、はい着替え。ララトはフィオちゃんの様子を見に行きますよう」

 

 ぼふと渡された予備の制服を手に「う……うん」と頷くケイを背中に、僕は連れられて隣の部屋へ移動した。




「……なあシンシア」

「なんですかあ、ララト」

 隣室まで十秒もかからない距離で、僕はシンシアに問う。


「本当なのか……? 皆が連中に付いて行くっていうのは」

 ドアノブに手を掛けたシンシアは、こちらを振り向くとさも当然の如く言った「ええ。そうですねえ」と。




 シンシアがガチャリとドアを開けると部屋は整然としていて、ベッドの上ではフィオナが白のキャミソール姿で寝息を立てている。

 

 無言のまま中央まで歩いたシンシアは、背中をこちらに向けたまま微動だにしない。


「どうして――」

 そして問いかけた僕を遮る様に彼女は言った。


「それはですねえ……皆が何かしら――、掛け替えの無いものを人質として取られているから」

 その声は普段のおっとりとしたシンシアとは別の、覚悟を決めた重い響きだった。


「人……質……?」

「エメリアには家族が居る。お姉さんには孤児院の皆が。相手は勇者エイセス。機嫌を損ねたら沢山の大切な人に迷惑がかかってしまうから、かな?」


「そん……な……」

 もう既にそこまで手が回っていると言うのか。一瞬でも逃げ出そうと提案しかけた自身の浅慮を、僕は改めて思い知らされた。


「きっと皆は覚悟を決めてる……でしょうねえ。それぞれの方法で、自分の気持ちに決着をつけながら……」

 そこまで言ってシンシアは、もう一度僕に向き直って続けた。


「だから――、ララト。皆の気持ちには応えてあげて。お姉さんも出来る限りの事はする。だけれど、魔法で身体は治せても、心だけはどうにも出来ないから……」

 その真紅の瞳は、希望の乏しい現状を嘆く様に沈んでいた。


「多分ね……あの四人の中でまともなのは、バートレットって男だけ。他は……普通の子ならきっと直ぐに壊れてしまう。ケイちゃんたちは確かに強い。でも……それでも……」


 シンシアの言っている意味は分かる。僕も昨晩その現場に遭遇し手傷を負った。あんな事が毎夜繰り返されるとすれば、どんなに屈強な精神の持ち主だって、一ヶ月と保ちはしない。


「僕も……何とかしてみるよ。ただ皆を送り出して、自分だけのうのうと笑って暮らす事は出来ないから」


「ふふ……ララトならそう言うと思ってました。ケイちゃんから聞きましたよ。あの勇者エイセスを相手にたった一人で立ち向かったって」

 少しだけいつもの口調に戻ったシンシアが、おっとりと微笑む「ありがとうね、ララト」と。




「ああ……でも結局何も出来なかった……何もね……」

 僕は呟いてフィオナの側まで歩いた。シンシアの寂しそうな視線が刺さる。


「――フィオに服を着せてあげよう。孤児院までは僕がおぶっていくよ」

 シンシアから受け取った服の袖を通そうとすると、フィオナの腕には針の跡がいくつも残っていた。


「フィオも……やられたのか……」

 日頃から研究に没頭するフィオナの腕は白く、最低限の訓練をこなしているとは言え、ケイとは比べ物にならないくらい細い。


「フィオちゃんは……少し薬を投与されたみたい。発作を抑える為に眠って貰ってる。排毒は出来るから安心して」

 背後でシンシアの声がする。ユークトバニアの言う「実験」とはこういう事だったのか。



 

 やがてフィオナの服を着せ終える頃には、ケイも隣室からやって来て、僕は義妹を背負うと「それじゃあ、行こうか」と二人に言った。僕1人だけ悲嘆に暮れている訳にはいかない。何か方法を考えないと。皆を救う方法を。


 しかしホテルを出る僕たちに向けられる従業員からの視線は、飽くまでも「勇者エイセスに気に入られた市民」という認識で、それは厚遇という形で如実に態度に現れた。

 

 英雄たる勇者たちエイセスに手向かわないという事は、つまりは今後、エメリアたちの庇護を周囲に約束したものと同義だ。


 だが逆に歯向かう様な事があれば――、相手は救世主。法も倫理も超越した勇者エイセスに異議を唱える者などあろう筈もなく、既にこの時点で、僕たちに与えられた選択肢は、全てを捨て逃げ出すか、歯を食いしばって耐えぬくかの二択しか残されていない様に思えた。


 こうして声を上げる事すらも適わず、歴史の陰に消えていった命はどれだけあるのだろう。




*          *




「――ただいま」

 ホテルから大通りを経て五分。路地裏の孤児院のドアを開けると、俄に騒がしい声が聞こえた。

 

 何事かと身構える僕の目の前に現れたのは、子どもたちと戯れる水の勇者エイセス、ユークトバニアの姿だった。


 ケイの表情が蒼白に変わり、シンシアの目つきも一瞬だが鋭くなる。

「ああ皆さん、おかえりなさい。昨日はお付き合い頂きありがとうございました」


 青い長髪を靡かせ恭しく一礼するユークトバニアの姿は、寂れた教会を改装しただけの孤児院には、余りにも似つかわしくない。

 

 それはまるで、慈善の為にやって来た一国の王子か、恵まれない子どもたちに祝福を授ける天使の様にも見えた。


「フィオナ君はよく眠っているようですね。本当にすみません、僕の興味本位で」

 全く悪びれる様子も無く、いやそれどころか只の茶会に招いただけとでも言わんばかりにユークトバニアは歩み寄り、僕の目の前に立つ。


魔法銃クアトラビナの概論、素晴らしかったと、ぜひ妹君にはお伝え下さい。本当に、本当に素晴らしかった」

 目の前の、宗教画から抜け出た様な美男子にこう言われて、虜にならない人間がこの世の何処に居るだろうか。彼はその口でさらに続ける。


「おかげで僕も教授プロフェゾーレの末席に加えて貰える事になりましてね。今日は昨日の御礼と、そしてこれから僕の助手を務めてくれる、フィオナ君への挨拶を兼ねて参りました」

 一分の隙も無い完璧な挨拶に、辛うじて平静を保つシンシアだけが取り繕った笑顔で返す。


「ありがとうございます、ユークトバニアさん。フィオナにもちゃんと伝えておきますね」

「助かりますシンシアさん。これはささやかですが、子どもたちの為に使って下さい」

 言うやユークトバニアは、法衣の懐から札束を取り出すと、シンシアに手渡した。


「ご厚意ありがたく頂戴致します、ユークトバニアさん」

 シンシアは笑顔を崩さずに言う。額はざっと見で百万エイム。施設の維持をした上で、ここに住む十人の子どもたちの生活と学業を、数年は保証出来るだけの充分な額。言ってみればこれがフィオナとシンシアの、勇者たちエイセスに同行する身売りの額なのだろう。


「いえいえ、これからシンシアさんにも魔王討伐の手助けをして貰う訳ですから。まだまだ足りないくらいだと思っています」

 理知的な笑みを浮かべたユークトバニアは「それでは、ララト君も、ケイ君も、また」と言い残し、颯爽と孤児院を後にした。




「凄いね! お兄ちゃん、お姉ちゃん!」

 残された子どもたちが、初めて見た勇者エイセスの姿に興奮し僕達に駆け寄ってくる。狼狽する僕とケイの前にシンシアが立ち塞がり、目で上階へ向かう様に促した。


「フィオナを部屋に送る」という名目でその場を脱した僕とケイは、二人で二階に走っていく。背後では「ふふ。分かったでしょう。ララトやケイ、フィオナのお姉ちゃんたちは、本当に凄かったんだって」と、子どもたちに語るシンシアの声が聞こえた。




*          *




「――あいつら、ここにまで来るなんて」

 バタリと閉めたドアを背に、ケイが呟く。

 

「これが連中の手なんだな……」

 僕はフィオナをベッドに寝かせると、ケイのほうを向いた。


「……始めはね。誰も中身があんなんだなんて思わないよ、きっと。ボクの所にきたのはディジョンってヤツ。センパイが呼んでるからって付いてったら、あのおっさんが――」

 

 ケイは俯いてぼそりと言ったあと「ごめんねセンパイ。ボク、ちょっとお風呂いってくるよ。センパイはフィオちゃんの側にいてあげて。ね、お兄ちゃん・・・・・」そう笑って部屋を出て行った。


「待てよ――ケイ」

 追いかけた僕の言葉は閉まるドアかき消され、部屋には僕とフィオナの二人だけが残される。




 くーくーと寝息を立てるフィオナと、一言も発さない僕の沈黙。義妹の手を握り締める以外に、やはり自分には何が出来るのか分からない。

 

 ――フィオナ・ヴァシリーヴナ・オベルタス。

 カナヅチ。すなわち魔法が使えないという、ノーデンナヴィクにおいては致命的なハンディを苦学で補い、技術者として成功を遂げた義理の妹。


 銃弾に魔力を付与し、常人でも魔道士級の攻撃が可能となった大陸初の魔法銃クアトラビナ。これまで数多の天才が挑戦し成し得なかった偉業に、たった一人で辿り着いたのは齢十を過ぎたばかりの少女だった。


 しかしそれは、蛍雪を灯す研究の代償に視力を失い、フィオナがやっと手に入れた当然の成果でもある。――いや少なくとも僕はそう思っていた。


 カナヅチとしては異例となるアカデミアへの入学も果たし、ようやく彼女にも安定した未来が待っていると思った矢先の凶事。


 本人の怠惰や不義では無く、寧ろ努力の結果もたらされた不条理に、僕の胸深からは一層の悔しさが滲み、気がつけば握る手に力が込められてしまっていた。




「う……お兄……ちゃん」

 その所為かうっすらと瞼を開け、フィオナが目覚める。おでこで揃えられた藍色の髪が揺れ、もっと深い藍の瞳が、丸メガネの奥で眠たそうにしている。


「フィオ……大丈夫か?」

 起こしてしまったかと立ち上がり僕が身体を触ると、びくりと五肢を震わせフィオナは言った「ッ……だい……じょぶ」と。だが直後には、つるりとした額に脂汗が滲んでいた。


「っはぁ……はぁ、お兄ちゃん……ごめん……ちょっと……布団……かけて……」頬を紅潮させ、フィオナはとろんとした目で僕を見つめる。

 

「寒いのか? 待ってろ、直ぐにシンシアを呼んでくる」

 震えるフィオナに布団を掛けるが「待ってて……行か……ないで」と制された。


「アタシ……アタシさ、身体がおかしいんだ……アイツ、注射を何本も打ってきてっ……んっ」

 布団の中で胎児の様に身をかがめたフィオナは、僕に背を向けてごそごそと蠢く。


「……っ……駄目ッ……ぐッ……」水気の混じる、湿った音と共にびくびくと彼女が痙攣したのは、それから数秒後の事だった。


「本当に大丈夫なのか――? フィオ」

 嫌な予感はした。アカデミアに進学後は、夜の仕事として娼館のボーイをやっていた僕だ。恋愛には疎いとは言え、色情の何も知らない訳ではない。

 

「う……んっ……だいじょぶ……ねえ……お兄……ちゃん」

 ぜえぜえと肩で息をするフィオナは、やっと首をこちらに向けると僕を呼んだ。


「どうした?」

 シンシアを呼ぶ為にドアの手前に立っていた僕は、妹の声に誘われるまま側まで戻る。


「……ねえ、熱いでしょ……お兄ちゃん……アタシの、胸……」

 するとフィオナはおでこに差し出した僕の手を取り、それを自身の胸にまで持っていく。薄く固い、だからか余計に体熱を感じる彼女の胸板は、確かに熱く脈打っていた。


「な……フィ……フィオ……?」 

 戸惑う僕の手を押さえ、フィオナは火照った視線を僕に向ける。


「薬が切れるまでだと思って……許してね……お兄ちゃん」

 言うやフィオは、左手を僕の肩にかけ上半身を起こすと、そのままに僕の唇を奪った。


「お、おい……落ち着け、フィオ。兄妹だぞ……っ……」

「本当の……兄妹じゃ……ないじゃない。アタシ……たち」

 ガタンと椅子が倒れ、僕の上にフィオナが覆いかぶさる。――ケイの時と同じだ。


「そう……か……」

 僕はそれ以上何も言わず妹の腰に手を回した「皆はもう覚悟を決めている」シンシアの言葉が脳裏を過る。そうだ。フィオナも行ってしまうのだ。あの勇者たちエイセスと一緒に。


「お兄ちゃんに……アタシの初めてを全部あげたかったよ……」

 恐らくは薬の所為だろう。ケイよりもぎこちないが、しかし明らかな劣情を以て、フィオナは僕の下半身に自らの秘部をあてがって来る。――マズい、流石にこれは。


「分かった……分かったから……フィオ……」

 僕は僕の中の雄が首をもたげる前に上半身を起こすと、向い合ってフィオナを抱いた。言いたい事は分かる。だがそれを聞いてしまう訳にはいかない。兄として。家族として。


 やがて何度かびくびくと身体を震わせたフィオナは、落ち着いたのかぽつぽつと啜り泣く声と共に嗚咽を漏らし始めた。




「……ねえお兄ちゃん。アタシ、あいつらと一緒に行かなくちゃいけないんだ……魔王が倒れるまで、それかアタシが壊れるまで、そうじゃないと……」


 そこから先、フィオナは理由を決して言わなかった。理由は多分、僕が人質になっているからだろう。何度も何度も突きつけられる、自身の無力にいい加減吐き気を催す。


「分かってる……ごめんな、苦しい思いをさせて」

 ひっくひっくと啜り泣くフィオナの頭を撫で、そこで僕の決意は固まった。


「……僕も一緒に行こう。お前を絶対に壊しはしない。お兄ちゃんが守ってやる」

 そうだ。何も迷う事は無かった。逃げられないなら、立ち向かえばいい。或いは敵地の只中なら、勇者の隙をついて皆を逃がす事が出来るかも知れない。


「――え?」

 意外そうに目を点にするフィオナは「え、うそ、だって……それじゃ」とまごつき始める。


「こんないたいけな妹一人を、お兄ちゃんが外に出す訳ないだろう。守るさ。あの時みたいに、お兄ちゃんがお前を守る」


「うっ……お兄ちゃ……ん。ううっ」

 押し殺す声を止め、堰を切ってあふれる涙が、僕の服に滲んでいく。


「アタシ……本当は……ひっく……このままじゃすぐに壊れちゃうって……でも、でも、お兄ちゃんが側に居てくれるなら……」

 ――アタシはきっと壊れない……ううん絶対に。と、涙を振り切る様にフィオナは微笑んだ。


 そうだ。僕が守る。皆が誰かを守る為に自らを犠牲にすると言うのなら、僕が僕を捧げて彼女たちを守ればいい。

 何か、何か出来る事はある筈だ。皆の心を折らない為に、こんな僕にも出来る事が。――その答えが、僅かながらも見いだせた様な気がする。




 泣くフィオナを宥め、頃合いを見計らった様に開いたドアの先でシンシアが笑顔を向ける。


「ありがとうララト。ありがとうね」と。

 地獄に終わりはなかったが、僕たちは確かにその日、その地獄に立ち向かう事だけを心に決めたのだった。

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