一章04:暴力は、刹那に条理を踏みにじって
エメリアたちが部屋へ消え、一体どれだけの時が経ったろう。或いはそこまでの時間は過ぎていないのかも知れない。
あやふやな感覚のままよろよろと立ち上がった僕は、次に聞こえた悲鳴で感覚を五肢に取り戻した。
「――くっそ、やめろよッ!!」
ケイの声だった。VIP用の個室は、左右への防音は為される一方、万が一に際して正面からはある程度の音が漏れる様に設えられている。
「ケイ!」
咄嗟に剣を抜いた僕は、後先も考えずに駆け出す。
しかしまるで僕の突入を予見したかの様に、施錠の無い部屋のドアは直ぐに開き、次の瞬間には、僕は抜剣の姿勢で立ち尽くしていた。
部屋の中央、アカデミアの青い学生服を千切られたケイは、両腕を太いロープで縛られ、蓑虫の様に天井に吊り下げられていた。
既にケイの下半身はスパッツ一枚で、彼女の頭越しにこちらを見るサルバシオンが、僕を嘲笑って一喝する。
「おいおい、見張りが勝手に部屋に入ってきていいのかよ? ああ?」
そこには武神と評される英雄の姿は微塵も無く、サディスティックに笑う下品な男の表情があるだけだった。
「セン……パイ」
顔だけを僕に向けるケイの、頬は僅かにだが腫れている様だった。黒のショートカットは顔に影を落とし、或いは涙を必死に堪えている様にも見えた。
「へへへ。暴れるもんだからつい殴っちまった――、で? この写真はなんだ?あ?」
サルバシオンはケイの引きちぎった制服の胸ポケットから、一枚の古びた写真を取り出して笑っていた。――間違いない、卒業式の日、僕とケイが二人で撮った記念写真。そんなものがなぜここにあるのか。
「やめろっ……それはっ……」
ジタバタするケイだが、既に足は宙に浮いていて、動く度に縄が手首に食い込んで紫色の染みを作り出す。
「だからよおっ!!」
サンドバッグの様に腹への一撃を受け、ケイは「うぐっ」と呻き跳ね上がる。しかし縄で固定されている為に、ぷらぷらと振り子を描きながら元の位置に戻る以外に無かった。幾分かの血を吐き、ぽたぽたとそれが地面に落ちる。
「どっちがご主人様かっつってんだろうが。俺様か、そこのモヤシか」
写真を握りつぶしながらサルバシオンは告げた。そして告げながら片腕は、もう一撃を放つ為に構えている。
「センパイは……じゃ……な……」
ケイがそう答えるのを待ちわびていたかの様に、サルバシオンは二度目の拳撃を放つ。
「やめろ!!!」
刹那に駆け割って入った僕の腹部に、今度は地の勇者の鉄拳が直撃する。これもまたサルバシオンの目論見だったのだろう。辛うじて死なない程度にだけ手加減された一撃は、僕をケイの後方、部屋の入り口まで吹き飛ばし、その衝撃で僕は壁にめり込んだまま吐血する。どうやら何か骨が折れたか「センパイ……!」そう叫ぶケイの声が微かに聞こえる。
「よええなあ。このガキより弱えんだろ、おめえは」
さも愉快といった風にコキコキと首を鳴らすサルバシオンに、ケイがぜえぜえと呼吸を吐きながら懇願する。
「ごめん……なさい……サルバシオン……様」
「ああん?聞こえねえなあ」
「ボクが……ボクが全部悪かったです……なんでも……なんでもしますから……お願いします……許してください……センパイだけは……」
「ほーう? 昨日と違ってやけに殊勝じゃねえか。いい心がけだなあおい」
俄に上機嫌になったサルバシオンが、右手で握っていた縄を離すと、梁を支店に支えられていたケイの身体がどさりと地面に落ちる。
びくんと跳ねたケイの髪を掴み、上半身だけを起こした地の勇者は「じゃあそいつを証明して貰おうか」とにやにや笑った。
彼女の胴体を握るほどの巨大な掌が、ケイの褐色の肌の上を影で覆う。
「……ケ……イ」
前へ向かって必死に手を伸ばすが、視界は混濁とし四肢が言うことを聞かない。
「……ごめんね……センパイ……」
そう呟いた彼女の声だけが、やがて閉じていく意識の底に響いた気がした。
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