一章03:幸せは、一夜できっと絶望に変わる
「お帰りなさいませ、ご主人様」
扉を開けた僕を待ち受けていたのは、信じがたい光景だった――、それは勇者たちを出迎えた、四人の女性たちも同じ思いだったろう。
顔を上げた彼女たちの戸惑う顔が、歪んだ僕の両眼に確かに映る。
「エメ……リア?」
「……ララ……ト?」
恐れ、いや怯えと言うべきか。左から順に立つ人影は、エメリア、フィオナ、ケイ、シンシア。僕がたった今思い浮かべ、これからの幸せな時間を脳裏に描いた四人の女性。
――エメリア。
――フィオナ。
――ケイ。
守備隊の一人として僕の隊に加わっていたケイは、アカデミアの制服姿で、中には黒いスパッツを履いていた。僕と一瞬だけ目があった彼女は、その場で目を瞑るとぴくぴくと身体を震わせる。普段は血の気の多い日に焼けた肌が、今は青ざめて見えた。
――シンシア。
ヒーラーとして守備隊の支援に回っていた彼女は、普段の修道服姿のままだった。淡色の長髪も豊満な胸もいつも通りで、ただ表情だけは悲しげに、僕を見つめ佇んでいる。
「う……うそ……どうして」
エメリアは焦燥し呟き、僕の背後に立つ、恐らくはディジョンに向けて視線を移す。
「何って? だってエメリアは昨日、最後までヤラせてくれなかったじゃん?連帯責任、連帯責任」
ケラケラと笑いながらディジョンが僕に肩を当てて前に出る。僕は揺らめいてリビングのソファーに倒れこむ。
一体何が起きているのかと思考がぐるぐると回る中、他の
ユークトバニアはフィオナに、サルバシオンはケイに、そしてバートレットはシンシアに。
「さーて、フィオナちゃん。これから僕と沢山実験しようねぇ。ずっとずっとそそられてたんだよぉ。
先刻までの理知的な雰囲気は何処へやら、フィオナの鼻先まで顔を近づけるユークトバニアは、舌なめずりをしながら彼女の身体を撫で回す。
「これから
涎を垂らし息を吹きかけるユークトバニアに、フィオナは目を閉じて震えるだけだ。
「おいおい昨日までの威勢の良さはどこ行った? ああん?」
その隣でサルバシオンに髪を掴まれたケイは、黒い瞳に怯えを湛え男から目を逸らす。
「セ、センパイ……」
僕のほうを一瞬だけ見て呟いた彼女のショートカットを乱雑に揺すり「おいおいてめえのご主人様はこの俺様だろう」と地の勇者は耳元で怒鳴った。
「は……はい」
瞬時に縮こまるケイのスカートをまくり上げ「今日も色気ねえスパッツなんか履いて来やがってよお」そう続けるサルバシオンに弄られるがまま、僕の後輩はやはり抵抗も出来ずに目を瞑っていた。
シンシアの元へ向かったバートレットは、隣の様子を一瞥だけすると、無言のまま酒瓶を飲み干した。
豊満な肢体を修道服で包んだシンシアは、エメリアたちの様子を哀しい眼差しで見つめながらも「行くぞ」と言うバートレットに連れられて、一番最初に部屋の中へ消えていく。
「――なあエメリア。今日も
ユークトバニア、サルバシオンと順に、フィオナ達を連れ立って部屋へ向かう勇者たちの、最後に残ってディジョンは笑う。
法衣に身を包んだエメリアの、この怯える表情を僕は昨日見たばかりで、事ここに至り、やっと僕は昨晩から続く異常の意味と、背後に横たわっていた陰惨な現実について思い知った。
* *
――昨晩、僕の隣にはエメリアが居た。
城壁の裏、屋根の無い吹きさらしの、もう僕ら以外に誰も居ない兵士たちの休憩所。
司令部は
――エメリア・アウレリウス・ユリシーズ。
腰まで伸びた艶やかなブロンドの髪を赤の髪留めで留め、身体には青い法衣を纏う、僕の幼なじみ。
と言っても公的な力関係は歴然たる差で、街の守備隊がせいぜいだった僕に引き換え、彼女は既に
――
辺りは雪が舞っていて、冷えた身体を温める為に魔法で火を灯し、僕とエメリアは二人でそれを見つめている。
今日の戦ではエメリアの同僚、ジャン・ルイ=ヴァンテ・アンが命を落とし、ついさっき簡易の葬礼が終わったばかりだった。
「大丈夫だよララト。私が絶対に皆を守ってみせるから」
激戦とその事もあってか、エメリアの表情はいくらかやつれて見えた。
深い青を湛えた瞳に、燃える火の揺らめきが映っている。
――
ノーデンナヴィクが誇る最強の戦力の、その留守を狙ったかの様に迫り来た魔族の軍は、瞬く間に都市の周囲を囲み守備隊を圧倒した。
数にしておよそ三百。ハイオークを除けばレベルは30といった所だが、その30とはエメリアを始めとした、
ノーデンナヴィクが保有する守備隊の人数が千。さらに特級学徒と魔術師を総動員し千百。ここに十人の魔法剣士が加わって千百十。だがこれでやっと総力戦で勝てるかどうかというギリギリのラインで、犠牲を可能な限り削ろうとするエメリアの戦い方は、必然的に彼女の双肩に重い負担を課していた。
「無理するなエメリア。
防戦の二日目。たまたま近郊に差し掛かっていた
「うん、そうだね」
だが心なしかエメリアの表情は暗い。――或いはやはり疲労なのか。
今日僕が見た限りでも、
一方の僕のレベルはせいぜいが10の後半。
確かに大量の食料と娼婦たちを要求された時は驚きもしたが、寧ろその程度でエメリアに危険が及ぶ可能性が減るのなら、僕は喜んで接待の役を買って出るつもりで居た。客としてでは無く、内側の人間としてコネが効く僕には、女の子の紹介ぐらいはお手のものだったからだ。
「おっ、こんな所に居たか、エメリアちゃん」
と、俄に城壁側のドアが開き、軽薄な口調で青年が顔を出す。
――ゼネラル・ディジョン。
初見の敬語とは打って変わった言葉遣いと表情に、僕は最初気が付かなかったが、赤い鉢巻で髪を分け、軽装のキュイラスを纏ったその姿は間違いなく風の
「で、考えてくれたでしょ、エメリア?」
馴れ馴れしくエメリアの肩に手を置いたディジョンは、その手を腰に沿わせ下半身まで導いた。
「ッ!」
びくんとエメリアの身体が震えるのが分かる。ただこの時の僕には、その理由は分からないままだった。
「街の為、それから大好きな――、これさ、言っちゃっていいのかな?」
「やめて――、下さい」
エメリアが厳しい口調で否定した。ディジョンの顔が禍々しい笑みを浮かべる。
「――行きます。だから」
「いいねえその顔。じゃあこっちも何も言わない、何もしないでおいてあげよう」
ディジョンがエメリアの背後で、ごそごそと何か弄る様に動く。
「――ッ。ねえ、ララト。ごめん。私これから――あっ……作戦会議に……行かなくちゃ……くっ……」
表情を何度か変え、何かを耐える様に語るエメリアは、僕に引きつった笑顔を見せると踵を返した。その腰にはディジョンの手が添えられている。
「――じゃあな。俺たちはこれから
初めて会った時とは別人の様な口調で吐き捨てると、風の
* *
そうか。そういう事か。
僕は昨日のディジョンの言葉の意味がやっと分かった。そして分かった瞬間に引きつった笑みがこぼれた。
こんな事が、こんな事があっていいのか。
僕が何をした。彼女たちが何をした。
英雄とは、正義では無いのか?
いや正義を成す者こそが、英雄では――、勇者では無いのか?
真っ白になる脳裏を他所に、昨日と同じ光景の、エメリアを連れ部屋へ向かうディジョンの背中が、僕の視界に微かに残った。
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