一章02:英雄は、仮面の下で斯く非道を為す

 あれは雪の降る夜だった。魔族の群れが、徒党を組み僕の街に押し寄せたのは。


 魔法都市ノーデンナヴィク。市の中枢にアカデミアを据える、五角形の城壁に守られた都市国家。


 議会の最高戦力である「教授プロフェゾーレ」たちが、隣国の救援に向かっている正にその時、雪原を埋め尽くす連中の大群は、国境の守備隊を殲滅し僕たちの眼前に立ちはだかった。

 

 数にしておよそ三百。歩兵隊の連隊を率いる赤いハイオークを筆頭に、ワーウルフやスカージゴブリンが怒声を上げ蠢き立つ。


「アイツだ……昨日ジャンの部隊を殺ったのは……」

 僕の隣で双眼鏡を覗く同僚が呻く。――コキュートス級。推定レベルが50を越す、一体を屠る為に熟達の兵士百人の命を引き換えにする化物。それが雪原に屹立する赤のハイオークだった。




 ――ジャン・ルイ = ヴァンテ・アン。ノーデンナヴィクを守護する十人の魔法騎士ゾーレフェヒターのうち一人は、昨晩の戦いでこのコキュートス級と対峙し命を落としていた。

 

 僕を含む千人の守備隊、百人の魔道士隊、その上に座す――、言わばプロフェゾーレの副官でもある彼らは、アカデミアのエースと呼んで差し支えない存在だった。


 しかしジャン隊の奮迅と勇者エイセスの加勢もあり、辛うじて敵軍を退けた二日目は、さらに増援の集う三日目で絶望に変わる。


 幾重にも巡らされた魔法の結界も、ハイオークの強撃で徐々に突破され、城壁への到達も時間の問題と言えるこの窮状――。




 豚と人とを掛け合わせた醜悪な外貌のハイオークが、家屋ほどもある背丈の、樽の様に太い腕を掲げ咆哮を響かせると、毛皮で身体を覆うワーウルフが四足に屈み、小兵のスカージゴブリンがその上に鉈をかざし騎乗する。


 恐らくは城壁に張り付き、背に乗るゴブリンだけでも中に放るつもりだろう。一般の兵士でも立ち向かえる緑色のゴブリンとは違い、スカージを冠する紫色のそれは、動作は素早く獰猛で、並の兵士長クラスでは歯が立たない。


 これで大勢を決めるつもりだ。城壁の上から呆然と戦況を眺める僕たちは、皆一様にそう思った。




 ――だが。




 その雪煙を上げ魔族の群れが街に迫る中、城門を背に雪原に立つ人影が四つ。

 絶望に震える都市に颯爽と現れ、対魔族との戦争を一手に買って出た人類の英雄。




 ――勇者エイセス




 一騎当千と字名される勇者エイセスの、彼らの代が街に訪れるのは初めてだった。

 誰もがその力を伝聞によってしか知らず、ただ固唾を呑んで見守る中、しかし事実、国家を滅亡足らしめる魔族の群れを前に、彼らの瞳に恐れは無い。




「唸り立つ風よ、逆巻く吹雪と口付けを交わし、身を穿つ氷刃を為せ――、アイシクルトルネード」

 赤い鉢巻を起点に分けられた茶の髪をなびかせ、風の勇者エイセスゼネラル・ディジョンが竜巻の魔法を口にする。


 きりりとした眉の下に光る黒い瞳は、悪の跋扈を決して許さぬとばかりに眼前を見据え、手甲の先から放たれる一陣の嵐撃が、魔物の群れを切り刻んでいく。


 魔道士格まで熟達し、ようやくが詠唱の果てに大砲一発分の魔力――。このクラスの魔術を扱えるのは、ノーデンナヴィクではプロフェゾーレの五人だけだ。それも実戦では無い、環境の整った演習の舞台で。




「永訣のゼロよ、冷厳を散らし舞え、絶雹ぜっひょうを抱き踊れ。氷壁の墓標にて――、唱歌、凍れる音楽。――フローズンムジカ・トーテンタンツ」

 ディジョンの魔法に重ねる様に、水の勇者エイセスユークトバニアが、青く長い長髪を揺らし禁呪を繰り出す。


 ――禁呪。人智で以てしては扱い得ない、一撃が都市そのものを消滅せしめる超魔法。各々の勇者エイセスが有するこの秘術は、ディジョンの嵐をさらに数多の白刃に変え、前方の平原の一帯を、魔族たちの阿鼻叫喚の渦に巻き込んだ。


 宙を舞って吹き上げられた魔物の群れは、先刻までの鬨の声に代わり悲鳴を上げ絶命し、寸断され雹と化した無数の遺骸が、破片となって戦場に降り注ぐ。


 平原に並んだ魔族の軍は、この一撃で本陣を除く殆どが壊滅。残されたのは中央に立つハイオークただ一匹で、ここで微笑むユークトバニアの前面に踊り出、聳える巨漢、地の勇者エイセスサルバシオンが、地面に両腕を突き立てた。




「地を這え、道と成せ、怨敵の臓を抉り、冥府へと。――ロードトゥーパーディション」

 爆肉の術で自らの筋力を倍加させ、ハイオークに迫る体躯に至ったサルバシオンは、地面をぼこぼこと一直線に隆起させ、ハイオークにぶち当てた。遂に棍棒を落とし、よたりとたじろぐ赤い巨体。


 するとその道となった雪の中の丘陵を走り、ハイオークよりさらに赤い影が、敵将の首を目掛け駆けていく。――火の勇者エイセス、バートレット。


 遥か東の国、エルジアの黒い「着物」を纏った痩顔の男は、ユークトバニアとは対照的な赤い長髪をオールバックで固め、左の腰に差した刀に手をかけている。




火撃かげきは刹那にして一瞬の泡沫うたかた。痛み無く消えよ。さらば美しく散れ――、雪月花千仞せんじん冬景とうけい


 ――抜刀術。

 音速、或いは神速と形容されるエルジアの秘剣は、風の如く疾走り、雷火の如く剣を抜いたバートレットの去り際に、ハイオークの巨体を二つに分かった。

 血飛沫が吹雪を溶かし、サルバシオンが描いた地の隆起を茎に、あたかも赤い花弁を戦場に咲かせる、一輪の巨大な花となって雪原を染め上げた。




 ――沈黙。

 魔法都市ノーデンナヴィクの戦力が、一夜を通しやっと退けた大群を、ものの五分で蹴散らした勇者たちエイセスの手並みに、僕を含めた全ての兵士は、呆気に取られ見つめるほか出来なかった。やがてぽつぽつと拍手が漏れ、静寂は街を埋め尽くす喝采に取って代わる。




 城門で迎えるナヴィクの守備隊に、手を振って応えるディジョン。

 駆け寄る子どもたちの頭を屈んで撫で、渡された花束を受け取る彼の姿は、正に後光差す英雄の勇姿そのものだった。


 ディジョンの後に続くのは、白い法衣に身を包み、佇まいが一国のプリンスすら想起させるユークトバニア。

 魔術のみならず、音楽から芸術まで幅広く愛する彼の周囲には、黄色い声援を送る女学生や町民たちの姿が見て取れる。


 サルバシオンは流石にその外貌からか、駆け寄ってくる女子供はおらず、ただ寡黙に、目を閉じたまま城門を潜る。――義の武神。噂に違わぬ威容。


 そしてトリを飾るのは火の勇者エイセスバートレット。傾き者とも言えるの彼の周りには、同じ爪弾き者と呼ぶべきか、同年代の若者たちが集い握手を求めている。


 頭を掻きながら、しかし満更でも無いといった風で応じるバートレットは、前の三人から漏れでた女性陣に詰め寄られると、照れ臭そうにそれを躱し、振り返る事も無く場を後にした。




 斯くて都市の衰亡を賭した戦闘は一転して祝賀のムードに変わり、街の中央、勇者たちの泊まるホテルにまで歓待の列は続く。

 

 その先導を仰せつかったのは事もあろうか僕、フリーゲ・ヴリーヒ = ムーシュ・ララト。


 理由は分からないが、たまたまエメリアたちの側に居たからか、或いは昨晩の接待、即ち娼館の手配を取ったのが僕だったからか――、とにかく風の勇者エイセスディジョン直々の指名で、僕は彼らのガイド役を承っていた。


 もちろん英雄の覚えが目出度い事に、不快がある訳も無い。なにせ男児たる者、一生に一度や二度は、猛き騎士の英雄譚に心躍らせ、また最強の道を志すものだ。ここいる勇者たちは正に生ける伝説。もはや憧憬の眼差しで見つめるなというほうが無理な話だった。


 

  

 ホテルの一階に着くと、従業員の一同が恐縮した面持ちで一斉に出迎える。

 既にベッドメイクは済んでいて、一階に従業員が待機する以外は、四階の最上階まで人は誰も居ない。昨夜は二階に娼婦たちを泊め、三階には守備隊の兵士が夜警に入った。


 これから娼婦たちを呼ぶ都合上、ここにいる従業員たちも殆どが家路に就くだろう。単に生理現象の処理とは言え、世間の尊崇の対象である勇者エイセスの、生々しい噂を殊更に広める行為は慎むべきとの計らいからだ。




 魔力を動力とするエレベーターに乗り込み、僕は4階のボタンを押して振り向く「皆さんのおかげで街は救われました。本当にありがとうございます」と。


 しかしディジョンはにやにやと笑うばかりで、気の所為だろうか、さっきまでの爽やかさは微塵も感じられない。僕はとっさに視線を逸らすと、俯いて背後の会話だけに耳を傾けていた。




「――で、今日はどうするんだ?」

 ディジョンの声。仲間内という事もあろうが、その割には酷く低く下品な声で、やはり平素の印象とは大分違う。


「さあ。僕は僕の実験をするだけですが。――ああ、本当に良い素材が手に入った。塵屑の妹とは思えないほどの素晴らしい素材が」

 敬語は損なわないものの、我慢が出来ないといった風にユークトバニアが相槌を打つ。


「俺は壊すだけだ。ひひひ、アイツは頑丈で堪らんな。大人しくなったら『センパイ』の名を出すだけで良いんだから。最高のオモチャだよ」

 サルバシオンは武神とは思えぬ下卑た笑いを零し、相手であろう女性とのお楽しみを口にした。


「おい。お前は?」

 ディジョンがバートレットに質問を飛ばすが、ぐびぐびと酒を飲む音だけを響かせた火の勇者エイセスは「どうもこうもねえよ。酒飲んで胸揉んで、それで終いだ」と、興味もなさ気に吐き捨てた。


「全くお前はいつも堅いな。――ああ堅いと言えば、俺はあの堅物女を堕とすのが楽しみで楽しみで。ハハッ」

 勇者たちの会話から、該当する嬢を類推する僕だったが思い当たらず、ならばリビングで聞けば良いかと思い直す。


 一応昨日の首尾を女の子たちに聞いてはいたが、大体の嬢は日付が変わる前に帰されたらしく、若しお気に入りが無い様ならばまた見繕う必要があった。

 



 チン。と音がして、エレベーターが最上階に着いた事を知らせる。

 ドアの先はリビングで、各部屋には中央のホールを通じてしか入れない仕組みだ。


 エレベーターのドアを押さえる僕の隣を、勇者たちエイセスが歩いて行く。最後尾のサルバシオンが、身をくぐらせたのを見計らって僕も後を追った。相変わらずディジョンはにやにやと不気味な笑いを浮かべている。




「あ、そういえば皆さん。今日の夜はどうしますか? お気に入りの子が居ればお呼びしますが。勿論いない様でしたらまた新しく――」


「その点は大丈夫さ。ええと、ララト君。だったかな。もう呼んであるから」

 爽やかさの微塵も無いねっとりした口調でディジョンが返す。

 

 直に連絡でも取っておいたのか、だとすれば僕の今日の仕事はこれで……

 僕も僕で早く孤児院に帰り、エメリアたちと祝勝会を上げたかった。彼女だけでは無い。フィオナもケイもシンシアも、僕の知る女性陣は皆守備隊としてこの戦に参じていた。労をねぎらうのは当然だろう。




「――だから君には、ほら。今日はこのフロアの警備をお願いしたいんだ」

 最も次の瞬間に僕の淡い願望は露と消えたが、とは言え勇者たちエイセスの側に居れる機会もそうそうあったもんじゃない。気持ちを切り替え、僕は「分かりました。自分で良ければ」と頷いた。

  

「ハハハ。そうだね。君じゃなきゃ駄目だね。面白くない」

 意図の分からない返答のディジョンを横目に、僕は両開きの扉に手を掛けた。

 あれだけの戦を繰り広げたのだ。さしもの勇者エイセスとて疲れているに違いないと、そう自らに言い聞かせながら。




 全く愚かな話だ。この時の僕は英雄と正義をイコールで考え、そして待ち受ける惨劇に何一つの思いすら至っていなかったのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る