序章02:汝、奪われし弱者よ

 ――ガシィイイン!!!

 震えながら構えた剣が音を立て折れて爆ぜ、腰を抜かしたまま僕は尻もちをつく。馬車の幌は炎熱でボロボロに焦げ、荷台の壁に追い詰められた僕の視界には、最後の獲物を追い詰める様にせせら笑う牛人型の魔神が屹立し退路を塞いでいる。


 仲間――、実際の所そう呼ぶべきかは分からないが、少なくとも世間では勇者エイセスと呼ばれるパーティーの一行は、荷の引き手が死に絶えた馬車の回りに息も絶え絶えで転がっていて、今や反撃を行える者は誰一人残されていない。たった今剣を折られた、この僕も含めて。


 見開いた目から涙が溢れ、股間から小便が染み出すのが情けない程に分かる。当然ながら僕に戦うだけの力は無い。単に勇者エイセスと呼ばれるパーティーの、たかが小間使いとして扱われ続けていただけの僕には。


 或いはこのまま人生は終わるのか。そんな予感が頭の中を過ぎっては巡るが、しかしそうなれば今や虫の息の、残されたエメリア達はどうなるだろう。敵に蹂躙され悲惨な最後を遂げてはしまわないか。


 とっくの昔に穢されて、それが今もずっとずっと続いている事は承知の上だが、それでも少しでも彼女たちの苦しみを除きたくてここまで来た。死ぬのは怖い。だがこのままでは死ねない。


 ポケットの中をまさぐると、勇者たちの目を掻い潜って貯めていた不死鳥の羽が指を掠める。これを使えば彼女たちだけでも助けられるかも知れない。

 眼球をふるふると横に動かし、勇者一行に混じれ倒れるエメリア達を一瞥する。

 

 ――僕がずっと見知る四人の女性。




 ――エメリア。

 子供の頃から一緒だった幼なじみ。学園で魔法剣士ゾーレフェヒターの才能を花開かせた彼女の胸当ては剣撃で穿たれ、千切れた法衣の隙間からは傷ついた白い脚が垣間見える。豊かだった長い金髪もすすを被り、俯せのままぴくりとも動かない。


 ――フィオナ。

 僕には出来過ぎた義理の妹。魔法銃クアトラビナを操る利発な彼女も、弾薬の尽きた銃をひしゃげさせ膝を付いている。擦り切れた髪留めが火の粉に燃えて、ボブカットに乱れた髪の奥で、眼鏡のグラスが涙の様に散り落ちる。


 ――ケイ。

 こんな僕を慕ってくれた後輩も、得意とする弓を折られ抵抗も出来ず、吹き飛ばされた先の岸壁で、血を滴らせながらぜえぜえと呼吸を繰り返すだけだ。普段は元気を絶やさないショートカットの短髪が、幼い顔の上に影を落とし暗澹を物語る。


 ――シンシア。

 孤児院で司祭を務める、僕にとって姉の様な存在だった彼女は、魔力の篭った杖そのものを破壊され、善戦虚しく凶打に倒れた。神への恭順を誓う修道服は敵の吐く炎に焼かれ、結界の燃えカスが辛うじて肢体の美貌を守るのみだった。


 無論彼女たちは勇者では無い。正確に言えば、勇者によって旅に同行させられただけの存在だ。当然敵地を往く都合上、そこらの戦士を打ち負かすだけの戦闘力は有しているが、本来は街の片隅でささやかな幸せを享受し、争いとは無縁の世界で生きていける筈だった人たちだ。


 それが何故こんな事になったのか。唐突で理不尽で、選択肢も無く訪れた不可避の事由は、今からおおよそ半年前に遡る。




*          *




 ――勇者エイセス

 極北の地に押し込められ、現し世との接触が殆ど無かった魔の国の者たちが、その王によって率いられ版図を広げつつあった時代。魔族と抗すべく力を授けられた選ばれし者たちが「勇者エイセス」と呼ばれる存在だった。

 

 地水火風の四元素クアトルを司るそれぞれの精霊から見初められ、人智を凌ぐ能力を得た四人の勇者エイセスは、各地の魔物を駆逐しながら、敵の本拠であるコキュートスの奥地、マニュフェス・ゲヘナを目指していた。

 

 人々は彼らを熱狂と歓喜を以て迎え、その一挙手一投足は英雄譚となり瞬く間に広まった。事実一騎当千に値する彼ら「勇者エイセス」の働きに、並び抗える国は一つとしてなかったからだ。

 

 だが噂が全て真実であるとは限らない。やがて英雄の血塗られた過去が遠い未来で暴かれる様に、彼ら勇者エイセスと呼ばれた英雄たちの陰で涙を飲み、或いは蹂躙された人心も確かに存在したのだ。




 僕、フリーゲ・ヴリーヒ = ムーシュ・ララトもその一人。魔族の軍と対峙した魔法都市の砦で、増援として駆けつけた勇者たちの目に、見知った四人の女性が止まった事から不幸は始まった。


「英雄色好む」とは良く言ったものだが、男ばかりの勇者エイセス四人も、その多分に漏れなかった。夜毎に娼館からは幾人もの娼婦たちが駆りだされ、彼らの無尽の性欲に付き合わされていたのを、街の防衛に加わった僕も実際に見て知っていた。だがまさか、彼らが堅気の、それも自分の知り合いに手を出してくるとは思いもしなかった。


 当時街の守備隊は疲弊しきっていて、勇者エイセスたちの助力は魔族撃退において不可欠だった。つまり彼らの要求に対し、街はおろか女性たちにすら拒否する権利は無かったのだ。


 戦闘の大勢が決した時、エメリアたちが戰場にあっても有力であると判断した勇者エイセスの一行は、さらに旅路にまで彼女たちを同行させるよう周囲に迫った。

 飽くまでも穏やかに。しかし実際には見えないナイフを突きつけ、やはり拒否権は無いのだと暗に示しながら。




 この経緯いきさつは表向きにこう語られたろう。街の危機に参じた勇者たちが魔族を追い払い、見初められた4人の乙女が聖戦の随行者になったのだと。


 だが事実は違う。勇者エイセスにとって都合のいい性の道具。娼婦など呼べはしない敵地の只中、或いは旅路の最中で、昼となく夜となく相手をさせる為だけの存在。


 それがエメリア、フィオナ、ケイ、シンシアの、僕にとって大切な四人の女性たちだった。




 その事を知っていた僕は、妹フィオナの口利きで無理やり一行に加わると、雑用をこなしながら四人の側に居座り続けた。


 酷い話だ。日々の鍛錬の末やっと人並みでしかない僕の力では、当然勇者エイセスに歯向かう真似は出来ず、かといって彼らの暴力から皆を守る術もない。


 そんな情けない有様で、それでも未練だけを断ちきれずに介抱を続け、気がつけば半年の時が過ぎていた。


 彼女らは皆、僕の前では気丈に振る舞ってくれていた。だから僕も、彼女たちの心遣いを無下にしない様、敢えて笑顔で接してきたつもりだった。


 この戦争さえ終われば、或いは解放され、昔の様に笑い合える日々が戻ってくるかもしれない。――そんな淡い期待だけを拠り所にしながら。


 だが――、現実は残酷だった。

 マニュフェス・ゲヘナに近づけば近づくほど敵の強さは増していき、いくら歴戦を経たとはいえ、彼女たちどころか勇者エイセスの一行すら苦戦する局面が増え始めた。


 そして遂に撤退の呪文が封じられた火山の窟で、牛人の魔物と飛竜の群れに囲まれたパーティーは壊滅したのだった。




*          *




 ――助けなければ……

 僕はその為にここにいるのだ。ポケットから羽を取り出し――、だが刹那に走る衝撃。

 牛人の軽い一撃が、僕の肩骨にめりりと食い込み、腕から下の感覚が一瞬で無くなった。結界で守られていない僕の身体は、前線で戦う勇者エイセスや彼女たちより、遥かに脆く弱い。悲鳴すら上げられないまま倒れこみ、残された右手を四人に伸ばす。


 ――グシャリ。

 今度は伸ばした手をニヤニヤしながら牛人が踏みつけ、僕はただ呻きながら涙を堪えるしか出来なかった。また僕には救えないのか。誰一人も守ることは出来ないのかと内心で何度も反芻しながら。


 ――だが。


 ――ふと、声が聞こえた「力が欲しいか」と。

 幻聴かも知れない。こんな時に、或いはもう死んでしまったのか……だが痛みも悔しさもまだ実感を伴って残っている。そして確かに声はまた囁いた。


「我は四つの元素を束ね、さらにその上に位置する者。この場に生き残りしただ一人の人よ。汝に問う。力が欲しいか」

 

 ――よこせよ。

 そんなものがあるならとっとと寄越せ。僕に力があれば、あんな連中に屈せずに彼女たちを守る事が出来た。今更ぐだぐだと半年は遅い。命でも何でもくれてやるから、その力とやらがあるなら寄越せ。今すぐにさっさと寄越せ。


 自身の無力から目を逸らす様に怨嗟の言葉が湧いて出て、僕は自分の身体が黒く染まっていく錯覚を覚えた。

「よかろう。ならばくれてやる――」


 幾つかの呟きを残し声が消えると、錯覚では無いのか、五肢の隅々から迸る様な感覚が漲ってくる。

「うおおおおおおおおおおお!!!!!」




 ――ズン。

 黒い甲冑が滲み出る様に身体を覆い、放たれた一撃が牛人の頭を食いちぎり砕く。

 その時傷は既に癒え、僕は赤の外套を戦場になびかせる、一人の戦士として灼獄に立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る