十一章11:懐柔は、傷持てる我らゆえ
ベルカの城、最上階に位置する皇帝の部屋。同じフロアに住むメイド兼護衛のケイが眠りについた今、ここで息づくのは僅か二人。捕縛されたフランシスカ・D・グリーンファミリアと、この僕だけである。
「――陛下……僕に何をなさるおつもりですか?」
「じきに分かる。先ずはそのマスクを脱げ」
フランシスカの顔を覆うのは、カラスのように黒いペストマスク。本来は難病に侵された患者からの罹患を防ぐ為に設えられた、医療用の覆面である。
「お取りになるならご自由に。ですがお勧めは致しません。……そこにあるのは今やただの腐った肉塊ですから」
自嘲気味に言い放つフランシスカの、言葉を無視するように僕は手を伸ばし、彼女の顔を包むマスクを取り去る。
「構わないさ。だからお前を、ここに連れてきた。他に衆目の無い、この部屋に」
取り外したマスクの中には、顔の半分を火傷で爛れさせた、フランシスカの素顔があった。薄く淡い緑のショートカットは、前髪の半分が、火傷の跡を隠すように伸びている。
「……もはや夜のお供にさえなりませんよ。――僕のこの顔は、身体は……或いは存在は」
身体を震わせながら告げるフランシスカ。僕は彼女の肩を抱き、
「馬鹿を言え……そうだな。ならば行うが易し、か」
フランシスカから手を離した僕は、数歩後ずさると、一つだけ念を押した。
「いいかフランシスカ。今日この場で起こる事は、決して他言するな」
ゆっくりと目を開き、疑問符を顔に浮かべるフランシスカの前で、僕はヴェンデッタを解く呪文を口にした。
「……届きえぬ言葉、秘めたる想い、絶えざる怨嗟、そして終わりない悔恨。全ては慟哭と共に、あの白夜の日に。消えよ。失せよ。分かたれよ。その憎悪の名を――、ヴェンデッタ」
瞬時に血の沸き立つ音がし、赤い蒸気を散らしながら僕の鎧、ヴェンデッタが床に落ちる。次いで秒とせずに、ドロドロとした鮮血が床に血溜まりを作った。
「――な!?」
「こういう事さ。お前が自身を醜いというのなら、私だってそう大差はない」
素顔を晒し近づく僕を、ふるふると震えながらフランシスカが見つめる。
「嘘ですよ……なんですか、それは。僕は子宮を魔物に食わせた……だけでも、耐えきれなかったのに……陛下……いったい、何を。その、身体は……」
「あまり怖がるな、フランシスカ。私はお前に、これを見せなければならなかった。お前を、真正面から、説き伏せる、為に」
微動だにしないフランシスカの、四肢が汚れるのも構わずに僕は抱いた。彼女を抱いて耳元で、そして囁いた。
「奪われたのは君だけじゃない。醜いのも君だけじゃない。使い物にならないのも君だけじゃない。だが僕は、全てを奪われてなお、それでもなお、成さねばならない使命がある」
――それから半刻。僕は僕が力を得るに至った経緯を、フランシスカに告げた。
* *
「そうだったの、ですね……僕はそんな事も知らずに、あんな……」
「気にする事はない。私も既に、一人の
気がつけばフランシスカと僕は、赤く凝固した世界で、互いに抱き合っていた。
「私はこの力と引き換えに未来を失った。だから、命の灯が消える前に、必ずや打ち立てねばならない。――
その為には、
「なんという……いいえ、陛下のそれは大義。僕のこれは、たかが私怨。あはは……
赤く爛れた表情筋を、弛緩させるように微笑むフランシスカ。そこには、かつて麗しの天才剣士として羨望の眼差しを集めた、少女の片鱗が垣間見えた。
「だから、だからだフランシスカ。私の我儘と思って聞いて欲しい。――
フランシスカを籠絡する為に、敢えて皇帝として接し続ける僕。するとどうやら、彼女はここに至ってようやっと折れてくれたらしい。
「そこまで見せられて、誰も知らない秘密まで知らされて……動けない訳がないじゃありませんか。僕は……これでも僕は……かつて騎士だった女ですよ?」
涙目で答えるフランシスカ。そんなフランシスカに、駄目押しとして僕は続ける。
「知っている。さあ、来い。お前の
僕は彼女の身体に救う
「な……陛下? そんな……」
かつてユークトバニアによって刻まれた呪い。その呪いを触媒に、自らの肉体を贄とする事で喚んだ魔界の異物を、僕は僕の身体に全て取り込む。僕自身に呪いは解けなくとも、これであとは、ヒーラーたるシンシアに託す算段がつく。
「既に死んだなどというなフランシスカ。――忌まわしい呪いは私が食った。もう醜いなどと言わせはしない。……お前は生きろ。私の残す、未来の先で」
ぞわぞわと身体を這う蟲の気配に混じり、僅かにだがフランシスカの温もりが伝わる。
「陛下――、僕は。フランシスカ・D・グリーンファミリアは、陛下……レイヴリーヒ皇帝陛下の御為に、この身を捧げる事を誓います」
温もりの跡に伝った涙。それが僕の身体にこびりついた血糊を、少しだけ溶かし混じり合う。
――赤い赤い夜の終わり。それは、欠けた騎士の最後の一人が、魔王討伐の一線に加わった瞬間だった。
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