十一章10:怨嗟は、ゆえにこそ力を得

 黒い外套、漆黒のペストマスク。それを覆う黒頭巾。全てを黒で埋め、ただマスクの間から垣間見える双眼だけが、燃えるように赤く染まっている。煉獄アンフェールの名を冠したフランシスカ・D・グリーンファミリアは、右腕は鉄鎖にてバートレットを、左腕は触手にてリザ・ヴァラヒアを、それぞれに捕らえ、玩具のように弄びながら哄笑を漏らす。


「ようやくお目にかかる事が出来ました、陛下。勇者エイセスの時代を粛々と終わらせる手腕、僕にとっての英雄ですよ……嗚呼、あなたは」


 マスクの中の表情こそ分からないものの、そのじつ僕に向けるフランシスカの声色は、英雄に向けるそれとは言い難いほど憎悪に満ちていた。


「それは光栄だな……しかし感心はしない。英雄と呼ぶ男の、そのねぐらを狙っての斯様な狼藉。相応の覚悟は出来ているだろうな?」


 ただしそこはそこ。皇帝としての威厳を保つべく、敢えて僕は威圧的な態度で応じる。


「無論ですよ陛下。命などとうの昔に尽き果てた身。先ずは元勇者エイセス、バートレット・オヴニルを手にかけてご覧に入れましょう。そうしましたら、お師匠様――、リザ・ヴァラヒアは解放し、大人しくここを去ろうかと思います。どうか誅罰も諫言も、陛下のどうぞ、お気に召すまま」


 その時点で大人しくないのだが、と内心で僕は毒づく。これから隠密部隊の中核を成すであろう兵卒の一人を、こんな所でむざむざ失う訳にはいかないのだ。


「許可できないな、アンフェール。――バートレット・オヴニルの命は渡せない。諦めてこのまま去れ……そうであればこの度の狼藉、不問とする」


 すると残念そうに肩をすくめたフランシスカは、マスクの奥からこちらをきっと睨みつける。寸時、豹変するオーラが、並々ならぬ殺意を宿し辺りを包んだ。


「残念です陛下。陛下なら僕の心境を慮って下さるものと信じておりましたのに。――いいえ、信じていないからこそ、このような手段に打って出た次第ではありますが」


 言うや空いた左腕をこちらに向けるフランシスカ。……間違いない、この女、アンフェールと化したフランシスカは、僕にすら有利を取れると踏んでいる。


「……だろうな。敢えて攻撃対象を勇者エイセスにのみ絞る事で、規格外の力を得る外法。――煉獄の鎖アンガージュメント。さらには妨害を試みるであろうリザを退けるべく仕込んだ、魔法防御アーセナル付きの異形センチピード。よく考え抜いたものだよ。その執念、称賛に値する。――が、それでもなお、お前は私に勝てない」


 不安を微塵も感じさせないフランシスカに、僕も僕で悠然と歩を進める。フランシスカの声色に、また僅かだが変化が生じる。


「虚勢ですか? ……いいえ通じません。その人外の膂力、陛下も勇者エイセスの力をお備えになった筈。ゆえに、だからこそ。僕の煉獄の鎖アンガージュメントからは、決して逃れられない」


「だとしても、だ。――ならば、さあ試せ。規格外の外法だ。味わう価値はある」


 歩みを止めない僕。かくて放たれる束縛の鉄鎖。――煉獄の鎖アンガージュメント。リザの闇の剣ヴィークラカが「奪う」力なら、フランシスカのそれは「縛る」力だ。汎用性こそ闇の剣に劣るとは言え、定点には確実に刺さるのが煉獄の糸。なにせこの力、勇者エイセスの一角たるサルバシオンが死んだ今、僕を含めても世界で四人にしか通用しない筈。で、あるからには、戦術的に相応の見返りがあると見て間違いはないだろう。


「慢心ですね。ですがこちらにとっては僥倖です」


 下腹部のマントを突き破り現れる触手が、肉壁となってフランシスカの周囲を囲う。そして縦横無尽に放たれた鉄鎖が、僕目掛け乱舞し飛ぶ。


「相手が勇者エイセスである以上、僕に敗北はありません。それはすぐに分かります。……ええ、すぐに」


 軽く躱してみせる僕ではあるが、成るほど速度は飛び抜けている。神速を自認するバートレットの、さらにその上と言うべきだろうか。これは勇者止まり・・・・・では応じるのは厳しかろう。


「捕らえました……終わりです。暫くお静かにして頂ければ。僕は陛下の命を奪うつもりはありませんので」


 しかして一度は縛られてみなければ、能力の妙味は分からないというもの。うち一本を腕に絡ませた僕は、ずっしりとする鎖の重みにやれやれとかぶりを振る。


「敗北はない、というその確信こそが慢心だったな。アンフェール。仮に煉獄の鎖アンガージュメントで数倍の力を引き出したとしても、さらにその数十倍の力を持つ敵が相手では、焼け石に水だ」


 確かに重い。相手がディジョン級の勇者であれば、これで足を止められただろう。だが僕は、生憎とその上を行く力を得ている。だからほんの少し重しが付いただけという有様で、特に不自由も無く肉壁に迫ってしまう。


「馬鹿な……! 煉獄の外法を以てしてなお、阻みえないと……!?」


 マスク越しにも分かるフランシスカの動揺。そして僕は左手で鎖を千切る。魔法防御アーセナルを施した触手は厄介だが。ならばそれは、純粋なる斬撃で斬り伏せればいい。


煉獄の鎖アンガージュメント、確かに効いた。――が、羽虫に刺された程度の些事だ。見誤ったなアンフェール。私の力は、この程度の束縛では些かも揺るがない」


 肉壁の先、ペストマスクのフランシスカ。彼女の両腕から出る鎖と触手を、瞬時に断ち、続けざまに峰打ちを加える。フランシスカが地面に膝を付く頃には、解放されたリザがバートレットを抱き、昏倒するユリ・オヴニルを護るように降り立った。




「ご苦労だった、リザ・ヴァラヒア」

「いいや、すまねえな。陛下ごしゅじんさまの役に立てなかった」


 リザはばつの悪そうな表情で告げると、意識を失ったままのバートレットをユリの隣に置き、つかつかと歩み寄ってくる。


(といいつつ、アレで結構濡れたんだろ。あとで相手してやる)

(う……それを言われると辛え……が、た、たのむ)


 だがドMなリザは悲しいかな、触手のリョナで完全にキテいるらしい。最も元弟子たるフランシスカの手前、僕はそれを耳元で囁くに留め、次には眼前のフランシスカに向き直る。その先ではフランシスカが、呻きながら口を開く。


「くっ……まさかイントッカービレの秘技すらも通じないとは……悔しい……でも、負けは負けですからね……処断を。せめて一分の慈悲もない容赦ない懲罰を」


 僕は無言のまま鎖を拾い、その鎖で以てフランシスカの腕を縛る。何事かと藻掻く彼女ではあったが、処断を受け入れると申し出た手前、すぐに大人しくなり流されるまま従う。


「リザ、打ち合わせ・・・・・の前にこいつを預かる。バートレットとユリは任せた」

「ああ……早く終わらせてくれよ。オレはずっと、陛下アンタのこと……待ってるから」


 斯くて背後にくぐもったリザの吐息だけを残し、僕はフランシスカを連れ、自らの寝室に戻ったのだった。

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