十一章09:鎖縛は、禍根にて力を増し

 夜も更けた頃。松明一つが灯る尖塔の一室では、ファンタズマ――もといバートレットと、ユリ・オヴニルが寄り添っている。それを見つめるのは僕の魔眼で、些かの後ろめたさもない訳ではなかったが、状況も状況と、僕は僕のベッドに寝そべった状態で監視を続けた。


「兄者?」

「なんだ、ユリ」


 尖塔にて問うはユリ。応えるはバートレット。二人の顔は薄明かりにぼうっと浮かび、ゆらゆらと揺らめいている。


「久しぶりでござるな……そ、その……こうして、二人きりで、一緒に……」

「――そうだな……あの日、以来か」


 ふと顔を上げるバートレット。僕は反射的に伏せてしまったが、魔眼の存在が他人に露見する事はない。気を取り直して、二人の行末を見守る。


「はい……兄者が、わ、私の……仇をとってくださった、あの日の」


 照れくさそうに告げるユリ。どうやら彼女は、兄と二人きりの場合に限り、口調や一人称も変わるらしい。


「ああ……あの、血の臭いに塗れた座敷の片隅も、そう言えばこんな暗がりだった……」


 何かを思い出したように俯くバートレット。それを横目に見たユリは、自らのポニーテールを解いて兄の肩にしなだれかかる。


「そう、こんなふうに……兄者……ううん、兄様は、私を守ってくれた」


 もしかすると、ユリ・オヴニルにとって、バートレット・オヴニルなる兄の存在は、自身が女でいれる唯一の居場所なのかもしれない。


「お前が……ユリが、俺の全てだったからな……剣の才に恵まれず、家族にも見放され、離れの納屋で疎まれるように育てられた、俺の」


 ユリの肩を寄せるバートレット。その視線は、だけれどユリのほうを向いてはいない。


「それは私にとっても同じです……兄様は、私の……」


 うっとりとしたように瞼を閉じるユリ。いくら監視目的とは言え、覗いてはいけないものを覗いてしまったようで、さすがの僕の罪悪感に駆られる。


「あの時はな、ユリ。俺はなんでもできると思っていた。何人にも屈する事のない勇者エイセスの力……だが現実は違ったんだ。故郷を出た俺は、結局昔の、非力なままの俺だった」


 ここでやっとユリの目を覗き込むバートレットに、今度はユリのほうが目を背ける。


「合流した勇者エイセス連中は、みんな俺より強かった……いや、サシの勝負なら違ったのかも知れない。ただ俺は、魔王討伐という大義名分を盾に、身の回りで起こる全ての惨劇から、目をそらした」


 俯くユリの目に、涙が浮かぶ。それはきっとたぶん、彼女が聴きたくないであろう、彼女にとっての英雄の暗部だからだ。


「強姦を見過ごした。暴力を看過した。勇者エイセスの道を阻む一切を、微塵の容赦なく斬り捨てた。その結末がこれだ。その代償がこの夜だ。俺が奪ってきたものに、奪われたヤツが復讐を企てる。俺がお前の笑顔を奪った……あいつらを切って伏せたのと同じように」


 バートレットの言葉には熱がこもっていた。妹にだけ伝える事ができる、だが、最も伝えたくないであろう薄汚れた部分だった。ユリは、その怒涛の告解の群れに、返す言葉もない。


「今、俺を狙っているのは、まだ年端もいかない女の子だ。努力と研鑽でベルカの将軍たちドゥーチェスにまで上り詰めた少女の誇りを、俺たちは土足で踏みにじり……穢した。サルバシオンが骨を折り、ユークトバニアが血肉を焼き、ディジョンが衆目の下で嘲笑った。――俺は、そして、俺は。その少女を守ろうとした騎士の、腕をはねた。そこには何もない。正義もクソも、評価に値する何もかもが。それだけの狼藉を働いた挙げ句、俺たちは魔王にすらたどり着けなかった。心底のクズだ。分かるかユリ。俺はそういう男だ。そうなってしまった。――或いは、はじめからそうだった。すまない。お前に会って詫たかった。お前に詫たくて、生きていただけだった。すまなかった。――そして、ありがとう。


 満身でユリを抱きしめるバートレットの身体を、ユリもまた抱きしめて嗚咽する。言葉はない。あるのは沈黙と――、沈黙をかき消す少女の声……声?




「そうだ、キミは全てを奪った。だから報いを受けるべきだろう。煉獄アンフェールの業火にて。然るべく罪人として」


 刹那、僕は飛び起きた。魔力の感知もなく、唐突に表れ出た影。頭巾に外套、カラスのようなペストマスク。残りの肌のことごとくを包帯で覆うその侵入者は、特徴から察するにフランシスカ・D・グリーンファミリアのもので間違いない。


「キミが生きたいと願ってくれてよかった。死人を斬ってもつまらないからね。――察するに告解は済んだのだよね? ならば逝こうか。僕の煉獄アンフェールは、キミを待ちわびている」


 甲高い、しかして冷徹な声。僕は外していたヴェンデッタを着装すべく準備にかかる。僕の到着まで数分といった所だが、それまでは二人と、潜伏スニーキング中のリザ・ヴァラヒアに任せるほかないだろう。


「おでましか……見た目からじゃあ分からねえが、その声、身丈。――フランシスカ・D・グリーンファミリアだな。先ずは詫びよう。すまなかった」


 しかし詫ながらも立ち上がり、抜刀の姿勢をとるバートレット。その姿を嘲笑するように、フランシスカが告げる。


「死ぬ気はないようだね。――いや、狩る側としては、そうでなければといった所だけれど」

「詫びはする。許せとは言わねえよ。だが俺も、死ぬ訳には行かねえんだ。――悪いな」


 魔眼の寄越す戦力の差は歴然。順当に見るならば、この仕合は間違いなくバートレットの勝利に終わる。だがその溝を埋め合わせる何かが、隠密機関イントッカービレを経たフランシスカには、あるのだろう。


「家族ね……麗しい愛だ。生きるに値する目的だ。だがそれを知った上で、僕はキミを葬り去る。それから憎悪の連鎖に組み込まれるも善し。咎人として処断されるも善し。全ては僕が僕である為の、踏破すべき一歩だ。どのような結末を迎えようと、受け入れる覚悟はできている」


 ペストマスクの少女、フランシスカ・D・グリーンファミリアも、一息つき天を仰ぐと、鈍色の殺意をバートレットに向ける。


「お前の恨み、痛いほどに分かるつもりだ。だが、腐ったとて俺も元勇者エイセス。悪い事は言わねえ。剣を収めてくれ。勝ち負けは既に――」


 が。バートレットの返事を待たず、フランシスカはつっかけた。飛燕、と呼ぶに相応しい、松明に輝く偃月刀フラジールが、魔力を増しながらバートレットに迫る。


「ちっ……通じねえか……だがこの程度の攻撃で……なッ!?」


 想定外の声を出すバートレットに、同じく僕も驚く。バートレットとの戦端を開いた直後、フランシスカの魔力は急激に上がり、一瞬で勇者エイセスと並ぶまでに至っていたのだ。


「切り刻め、フラジール。勇者エイセスたる慢心こそがキミの敗因。愛しい妹の前で散ることだ。その血で以て、僕の魂は幾ばくか救われる」


 抜刀術で受けきった筈のフランシスカの獲物は、剣と刀がぶつかり合う瞬間に鉄鎖へと変わり、蛇のようにバートレットを絡め取った。


「こ、これは……!?」

「兄様ッ!!!!」


 鎧も着けずに「女」として割り込むユリを、フランシスカは平然と蹴飛ばして告げる。


「水滴が壁を穿つように、とキミは言った。その通りさ。僅かばかりの力も、極限まで一点に集中すれば、城壁だって突き崩せる」


 うめき声を上げるバートレットを横目に、鎖をじゃらつかせながらフランシスカは言った。どうやら最初の武装はフェイクだったらしい。そしてこれこそが、恐らくは、煉獄アンフェールと呼ばれる、彼女の新たなる力。


「ぐ……ユリ……逃げろ……こいつぁ……一体……」

 

 辛うじて口を動かすバートレット。このタイミングで、僕はようやっとヴェンデッタの着装を終えた所だった。想定していなかった瞬時の決着に、僕はリザのサポートを祈りながら部屋を飛び出す。




「――はあン、成る程な。煉獄の鎖アンガージュメントをそう使ったか。攻撃対象を勇者エイセスに絞る事で、通常の数倍にまで力を高める。だがだとしたらフランシスカ。アンタの負けだよ。オレがここに、網を張ってたって時点でな」


 間に合ったと内心で言祝ぐ僕。潜伏からスニーキングを解いたリザ・ヴァラヒアが、フランシスカとバートレットの間を阻むように立ちふさがる。


「これは、お師匠様。恩義に背くようで申し訳ありません。だけど、それでも僕は、これを断たねば前に進めない。そこをどいては貰えませんか」


 しかして、リザへの畏れもないとばかりに、フランシスカは堂々と歩を進める。対するリザ・ヴァラヒアは、隠密機関イントッカービレのまがりなりにも頭目である。手の割れている元部下を相手に、そうそう遅れを取るとは思えないが。


「いいや、どけないね。勇者エイセスが魔王討伐という本来の職分に戻ろうというなら、それを保護するのがイントッカービレの役割さ。――それに、ご主人様アイツとの約束もあるしな」


 闇の剣ヴィークラカを解放するリザ・ヴァラヒアは、そう自信ありげに応える。だがフランシスカもまた、余裕の態度を崩してはいない。外套がふわりと浮き、中からどす黒い、滑った触手が顔を出す。


「そうですか。それは残念です。僕も、お師匠様と事を荒立てたくはなかった。……でも、あの手紙を出してしまった時点で、こうなる事は避けられなかったのかも知れない」


 うねりながら迫る幾本もの触手が、リザ・ヴァラヒアに迫りくる。


「ちっ……こいつ、魔界の生き物かッ!」


 後ろに跳ねるリザ。タンクトップ一枚で覆われた彼女の胸が勢いよく揺れる。


「僕は僕の弱点ぐらいわきまえてますよ。勇者エイセス以外には、せいぜいが出せて将軍たちドゥーチェスの戦闘力。それも相手の力を奪うお師匠様の前では無力だ。だから僕は、ユークトバニアに刻まれた呪印を利用して、僕でも使役できる魔物を呼び寄せたんです。僕の肉を生贄にして、ね」


 右手からはバートレットを縛る鎖。左手からはリザを襲う触手。その光景を見る限りでは、目の前の黒マントの少女が、かつてのフランシスカ・D・グリーンファミリアだと理解できる者は少ないだろう。


「正気じゃねえぜ……お前、生贄に捧げた肉は、もう二度と戻っては来ねえんだぜ???」


 応戦するリザ・ヴァラヒアだが、魔力を持たない魔物相手には十分な力を発揮できない。弱点を突かれ脇腹を殴られ、その四肢は触手に雁字搦めに絡め取られてしまう。


「正気の沙汰で、ベルカに反旗を翻せますか。もともと、治りようもない腐りきった肉体、復讐の結実と共に、こんなものは灰燼に帰すべきなんですよ。いまさらどこか食われる事の、いったい何が問題か」


 ギチギチと骨の軋む音に続き、リザ・ヴァラヒアがくぐもった悲鳴をあげる。が、彼女の稼いだ一分で時は十分だった。駆けつけた僕が魔眼の情報を引き継ぎ、尖塔に立つフランシスカ・D・グリーンファミリア<アンフェール>と対峙する。


「待っていた。フランシスカ・D・グリーンファミリア。――最後の将軍たちドゥーチェス

「はじめまして皇帝陛下。いいえ今は、アンフェールとだけお呼び頂ければ」


 こちらを向くフランシスカの、カラスのように尖ったペストマスクが松明に揺れ、本当にそれは、常世ならざる怪物のように、その時は見えた。

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