十一章08:尖塔は、煉獄を誘う贄の塒

 ユーティラの後を継いだブリジットの戦いは、見るも無残に片がつく、と思わせておきながら、存外の健闘を見せた。――というのも彼女は自らの性格すらも、フェイントの為の小芝居として利用したからだ。


 ユーティラの敗北を目の当たりにしたブリジットは、意気も軒昂に氷陣を敷き、ファンタズマの逃げ道を完全に塞ぐ方策に出た。しかしそれを予期したファンタズマは易易と氷塊を裂け、ユーティラの時と同様、ブリジットの眼前に踏み込んで見せる。


 獲ったとファンタズマが一閃を凪ぐも、しかして刀は空を切る。絶対零下のホワイトアウトを利用した距離感の喪失。僅か数歩で自らの残像を断ち切らせたブリジットは、本性を現したように、してやったりと笑みを浮かべる。


 要するに、あの飄々とした彼女が、かかる戦術に出るという予測を、誰しもがし得なかったのだ。――バカ正直に真っ向から打ち合う。ユーティラとは真逆の性質だと周囲が推し量ったのも束の間、ブリジットは揚々と幻術まがいのフェイントを演じてのけた。


「引っかかりましたねッ!!! 行きますよッ!!! これが全身全霊、あたしの氷剣ですッ!!!! 氷の剣プログテック零式・フリーム・スルスッ!!」


 辺りに立つ幾層もの氷の壁は、その全てにブリジットの鏡像を映し出す。本体はうち一つ。されど並の剣士では、この極寒の最中に真打ちを見出す事は敵わないだろう。


「――ったく、狸だねえ嬢ちゃんも。それになんだい、この桁外れの魔力量は」


 百の鏡像が剣撃で迫る中、涼しげな表情のバートレットは独りごちる。なるほど確かに、精緻さに欠けるとは言え、披露されたブリジットの魔力量は、魔術師のそれに匹敵するほど強大である。


「が。濁流にて打流せぬ城壁に、水滴にて点を穿つのが我が刀術なれば。――嬢ちゃん。惜しいぜ」


 ナヴィクにおける魔術師クラスの魔力を纏いながら、己が持てる総力を叩きつけんと欲するブリジットの一撃を、散歩の一歩のように悠々と躱しながら、ファンタズマは抜刀の姿勢をとる。


「抜刀――射屍弔いのしかちょう


 魔力によって増幅された、ブリジットの氷鎧ひょうがいの境目を断つように、赤い炎が印を描く。そして描いた刹那、ブリジットを包む氷の鎧は、音を立てて崩れ去っていた。


「ッ……!!」

「そいつぁよぉ、氷の嬢ちゃん。動きのトロい、軍隊相手に打つ技だぜ」


 余裕綽々といった雰囲気のバートレットは、零下に相応しい白い息を吐きながら納刀する。――と同時に、ブリジットがどさりと床に突っ伏した。


「いてて……イケると思ったんだけどなあ……きゅう〜」


 おそらく全ての魔力を使い果たしたのだろう。瞬間的にLv70に迫ったブリジットだったが、今ではもうくーくーと寝息を立てている。


「って、もう寝ちまってるか。点か線の打ち合いなら危なかったが、面で攻めてくるなら恐れるに足らねえよ。出直してきな」


 そこでくるりと身を翻したバートレットは、傍目には表情の分からない黒仮面のままで、僕と向き合った。


「――と、こんなもんですかね、陛下」


 ユーティラがブリジットを抱え起こすのを背に、悠然と闊歩するバートレットの歩む先を、並み居る騎士たちが畏敬を以て開け頭を垂れる。こうなればお披露目としては十分だろう。将軍たちドゥーチェスの体面を守りつつ、新たな剣術指南役の力量を示せたのだ。こと力こそ正義のエスベルカにあって、これ以上の雄弁なる証明はない。


「ご苦労だった。ファンタズマ・ヴィクセン。――勇者エイセスを淘汰した今、我がベルカは一層の精進にて、己が膂力の研鑽に努めねばならない。よってこの度は、三顧の礼を以てエルジアの師範代に助力を請う運びと成った。以後、このファンタズマ・ヴィクセンには、臨時剣術顧問兼、特殊遊撃班筆頭騎士として腕を振るってもらう。よろしく頼む」


 僕の発言に無言のまま一礼するバートレットに続き、将軍たちドゥーチェス、そして配下の騎士とそれぞれが敬礼で以て応える。回答はそれで事足りた。


「ならば散会だ。ファンタズマ、ユリ・オヴニル。二人は付いてこい。ユーティラ、ブリジットはよくやった。休むといい。他の者は稽古に励め」


 端的にすべき事だけを述べ、僕もまた踵を返し、鍛錬場を後にした。その背後からは、俄に気勢を上げ、剣をぶつけ合う音が聞こえた。




*          *




「ご苦労だった。ファンタズマ」

「まだ慣れねえ呼び名ですが」


 鍛錬場を出た僕たちは、しばしファンタズマらの根城となる、離れの尖塔に向かっていた。周囲から隔離されたその場所は、しばしば貴族の蟄居先として用いられていたが、ここ一年は無人のままだった。


「これから暫く、お前ら兄妹には離れの尖塔で暮らして貰う。不便をかけるが、よろしく頼む」

「あ……兄者と二人きりでござるか? 御館様!」


 すると頓狂な声で割って入ったのはユリ・オヴニル。振り向けば俯いて赤面する、黒コート姿の侍の姿があった。


「おいユリ、あまり変な声を出すな……にしても、いいんですかい? こいつは俺に対する人質のようなもんでしょう。それを一緒にってえのは」


 黒仮面は外しユリを制するファンタズマに、僕は頷いて返す。


「いや、それでいいんだ。むしろそのほうが安心だ、とでも言うべきかな。――実は少々面倒事があってな」


 気がつけば三人の足は、尖塔の居住区画まで辿り着いていた。豪奢とは言い難いが、それなりの身分の者が暮らすに足る広さと、設備を取り揃えた石造りの一室である。




「――ってえと、何ですかい」

「お前を狙う賊が現れた。名をフランシスカ・D・グリーンファミリア。かつてベルカで将軍たちドゥーチェスの一翼を担っていた、小柄な女騎士だ」


 僕からの一報に、瞬時ファンタズマの顔色が変わるのが分かった。


「あの子――、ですかい」

「やはり、覚えていたか」


 事情を飲み込めないといった風のユリを置いて、僕とファンタズマの会話だけが進む。


「道理で姿を見ないを思いやしたぜ。まさか賊とは……いや、生きているだけでも良かったって言祝ことほぐべきなんですかね。だが、あの身体で……それが、果たして女として幸福なのか……」


 苦渋を滲ませるファンタズマは「自業自得、因果応報ってヤツですかね」とため息混じりに続けた。


「そうとも言えるな。放逐され、野に下ったフランシスカは、さる組織に拾われ、暗殺術を体得し戻ってきた。お前ら兄妹をここに置くのは、万が一の際、被害が周囲に拡大しない為の、苦肉の策でもある」


「なるほど、事情はある程度分かりやした。ってえと。俺はどうすればいいんですかい? フランシスカをおびき寄せて、殺されるのか、ふんじばるのか」


 覚悟を決めたとばかりに頷くファンタズマに、僕は「ただ耐え忍べ」とだけ返す。


「……どういう事ですかい?」

「この尖塔の周辺には、異常を探知する為の結界を巡らせておく。お前たちが五分も持ちこたえてくれれば、私が駆けつけ、フランシスカを取り押さえる」


 正確には盗撮……もとい魔眼である訳だが、その絡繰を伏せつつ僕は告げた。


「いや陛下、俺もまがりなりに元・勇者エイセスですぜ。時間稼ぎなんざ言われなくても、そうそうサシで負けるなんてこたあ……」


「……楽観視は禁物だ、ファンタズマ。フランシスカは純然たる力量差を埋めるだけの外法を手にした。全うな果たし合いなどというものは、期待しないほうがいいだろう」


 僕はかつて、エメリアが負けた試合を引き合いに出し伝えた。あのディジョンすら歯牙にも掛けないエメリアの黒星を耳に、ファンタズマは信じられないといった風にかぶりを振る。


「――という訳だ。然るにユリ、お前にはファンタズマの護衛を頼みたい。これは温情ではない。私闘の巻き添えに、我が配下の身を危険に晒す訳にはいかない。……分かるな?」


「はっ……委細なる事情は察しかねますが、兄者の不始末に端を発するものとお見受け致しました。不肖ユリ・オヴニル。身内の恥は、それがしの刀によってそそぐ所存にござる」


 一寸前まで蚊帳の外だったユリだが、彼女なりに背景を読んだのだろう。深くは問わず、ただ請け負うと敬礼で応える。


「すいませんね陛下。それにユリも。全部は俺が蒔いた種だってえのに。……まあ起きちまった事は仕方がねえ。土下座して一応は詫びるが、こっちも死ぬ訳には行かねえ。――生き延びさせて貰う」


 最初は僕とユリに、続いて独りごちるようにファンタズマが呟く。ユリの生存が分かって以降、ファンタズマは確実に生への執着を強めている。最もここで対魔族の有効なカードを失うつもりもない僕は、リザ・ヴァラヒアから聞いた煉獄アンフェールの特徴について伝えた後、尖塔を去った。――そして、事件が起きたのは、早々にその日の晩となったのだった。

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