十一章07:幻術は、我が君を惑わす為
鍛錬場には
なにせ、かの勇者すら歯牙にも掛けない隔絶たる超常だ。せっかく新生バートレットをお披露目し、声高に膂力を示すという下りでしゃしゃり出られては、こっちの思惑も何もあったものじゃない。ここは一つ修行の名目で、ケイに時間を稼いで貰う他ない。
片や当のバートレット・オヴニルは飄々としたもので、その一挙手一投足は、憑き物が取れたかのように軽やかだ。――そんなニュー・バートレットの耳元で、僕は彼に与えた新たなる名で囁いた。
「頼んだぞ、ファンタズマ」
「どうにも慣れねえ呼び名ですが……いっちょやってみますかね」
黒衣を纏う剣士、バートレット・オヴニルことファンタズマ。かかる「亡霊」を冠する新名こそ、彼がエスベルカで生きる為の字名だった。召集に応じ集った帝国軍を前に、僕はやや大仰に言葉を紡ぐ。
「本日皆をここに呼んだのは他でもない。来る魔族との戦いに向け研鑽を重ねるべく、遥か遠きエルジアより招聘せし剣士について紹介したかった為だ。――ファンタズマ・ヴィクセン、前へ」
皇帝として演じ、名を告げる僕に、バートレット、もといファンタズマ・ヴィクセンが一礼し前へ出る。
「紹介に預かったファンタズマだ。ゆえあって本名は名乗れねえが、刀術にて陛下の為に身を尽くす所存。宜しく頼む」
もちろん、軍の上層部に限ってはファンタズマの正体を伝えてある。半信半疑といった面持ちの騎士たちには申し訳ないが、こんな時、予てから言葉少なだったバートレットの素行が奏功するとは思わなかった。――ここベルカにあって、バートレット・オヴニルの肉声を知る者は殆どいない。
「よろしくお願いいたします。
「あたしはブリジット・S・フィッツジェラルド!!! よろしくお願いしまーすッ!」
すると挨拶も早々に踊り出るのは、予てからの予定通り、グレースメリア副団長のユーティラとブリジット。無論ファンタズマの相手は
「アンタらか……で、どっちからだ。二人まとめてでも、俺は構わねえが」
「では
逸るブリジットを手で制し、ユーティラが先に名乗りを上げる。事態を察し引き下がるブリジットの後に、向かい合うはユーティラとファンタズマ。
「手加減はしねえぜ」
「
かくて一瞬で様相を変える周囲の空気。僕の見立てによれば、本調子でないファンタズマのレベルが70と少し。全力を出したユーティラのレベルが、60を超えるかどうかといった所だ。……要するに既にユーティラは、父レオハルトと肩を並べうる程度には成長している。
「では
詠唱と共にユーティラを包むのは、花弁を散らし溢れ出る地の加護。――彼女の父、レオハルト・E・ベルリオーズがこれを筋力のパンプアップに用いるのに対し、ユーティラは自身の周囲に草木を巡らし、自らの防備を固める為に使役する。
「雅だねえ。踏み散らすのが惜しいくらいだ」
「雅なだけではございませんわ。――
恐らくは地の剣の第二段階だろう。僕も知らないその術は、ユーティラが独自の手で進化させたものに違いない。
「こいつは……?」
「ある殿方を籠絡する為に、
くすりと悪戯げな笑みを浮かべるユーティラ。彼女を中心に放たれる淡紅の霧は、どうやら幻術、
「へへ……真正面から来られるより遥かに厄介だな……今の俺にゃあ、嬢ちゃんが絶世の美女に見えらあ」
「あら、いつもそうでございましてよ。
一見呑気な会話のようにも見えるが、僕には分かっていた。そうして時間を引き伸ばす間に、ファンタズマの足元には、絡みとろうとする幾本もの触手が、ゆっくりと迫っている事実を。
「五感が通じなくていけねえ。悪いが、目を閉じさせて貰う」
「残念ですわ。もっと
いったい何時からそんなキャラになったのだと驚かされる程に、ユーティラの戦術は変容を遂げていた。単純な打ち合いならばともかく、この搦め手であれば、存外にいい勝負も望み得るかもしれない……が。
「――舞う焔は幻蝶の如く、合切を幽玄の内に断て……
「……!!!」
触手がブーツに触れる刹那、瞬時に跳躍したファンタズマは、火の粉を散らしながら縮地にてユーティラの懐に踏み込む。抜刀時の摩擦によって生じた炎は、竜巻となり、周囲を包む
「あら、やっぱり通じませんでしたか。ならこれでっ! 襲撃の
ファンタズマの一歩ごとに、炸裂する茨の罠。しかし人智を凌駕するファンタズマの神速は、それらを全て躱しながらユーティラに至る。
「捉えたぜ。これで終えだ」
かくて突きつけられる刃。エルジア刀の鋭い切っ先はユーティラの喉元を捉え微動だにしない。あと一ミリでもずれれば、容易に彼女の命を絶つだろう。
「
しかし崩れたのは、刀を突きつけられたユーティラ。土塊に帰しながら床に落ちるユーティラだったものを一瞥し、ファンタズマの背後から剣を構えるユーティラが告げる。
「幻術ですわ。テンプテーションはそのための囮ですの」
「誰に話しかけてるんでい、嬢ちゃん。そいつは残像だ」
だが今度は、驚くのはユーティラの番だった。はっとして振り返るユーティラの首筋には、相変わらずファンタズマのエルジア刀が鈍色の光を放っている。
「だがよくやったと褒めておくぜ。術式が発動する寸前、気の位置がずれるのに気づかなければ、危なかった」
「完敗ですわね。流石はカオルーンに名を連ねるだけの御仁。お相手、ありがとうございました」
敗北を認め、かぶりを振りながら地の剣を解くユーティラ。周囲に生え茂っていた植物はいっときに姿を消し、元の無骨な鍛錬場が姿を現す。そして夢現から解き放たれたかのように場内は喝采に包まれ、名士の思わぬ名勝負に誰もが拍手を送ってやまない。
「負けてしまいましたわ、陛下。申し訳ございません」
僕に近づき、そう耳元で囁くユーティラ。その瞳は誘うように潤んでいて、さながら食虫植物のようでもある。今この場でユーティラを褒め称える声の一部は、明らかにテンプテーションの影響を受けたソレだ。すると恐ろしい。僕が魔力を与え強化したユーティラは、その気になれば軍の大半を掌握するだけの、魅惑の術を体得しつつあるのだ。
「気にするな、よくやった。私も驚く成長ぶりだ」
畏怖と憧憬を以て、戦女神の如く信奉されるのがエメリアだとするなら、ユーティラは色香と幻術で人心を惑わす、悪戯な女神そのものだ。いや、はじめは貞淑な深窓の令嬢だった筈なのだが、いったいどこでレールが狂ったのか。
「陛下が悪いのですわ。
そう告げて去っていくユーティラに一抹の不安を覚えながらも、僕は次に始まる、ブリジットとファンタズマの戦いを見届ける他なかった。
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