十一章02:天才は、報仇に身を焦がし

 ――フランシスカ・D・グリーンファミリア。

 それは嘗て、天才剣士として名を馳せた将軍たちドゥーチェスの一人だった。


 不動の頭目にしてエスベルカの剣、レオハルト・E・ベルリオーズに次ぐ刀術の使い手。他人以上に自らを律し、鋼の処女アイアンメイデンとして恐れられた冷血の騎士は、一年前の勇者エイセスの台頭と共に、歴史の表舞台から姿を消した。


 類まれなる武芸の才覚に加え、女傑とは思えぬほどの端正な風貌は、言うまでもなく好色なる勇者たちエイセスの目に留まった。――いや勇者エイセスでなくとも、これだけの美貌の持ち主であれば、誰しもが心を奪われて止まぬだろう。淡い緑のショートカットに、煌めく琥珀色の双眼。鎧を纏えば凛としたナイトに、ドレスに袖を通せば貞淑なレディにと姿を変える様は、周囲の畏敬と羨望から無縁では居られなかった。


 だが彼女の性格は、努力を怠らぬ天才であるがゆえに苛烈でもある。勇者エイセスからの誘いを断り続け、あろう事か夜伽において陰茎を噛みちぎろうとしたフランシスカは、報復として女性機能の尽くを奪われたのだという。美しかった肌は爛れ、身体中のあちこちには隷属を示すピアッシングや、切り傷の数々。公衆の面前での陵辱を経て蹂躙されたフランシスカは、かくして荒野に放逐され、リザ・ヴァラヒアの元に流れ着いたらしい。




「――アレが流れ着いた時は、酷い有様だったもンさ」


 思い起こすようにリザ・ヴァラヒアは、狭いトイレの個室の中で、周囲に色香を撒き散らし呟く。仕方なく乳首を捻り上げる僕に、リザは上ずった声をあげると、気色めいた笑みを浮かべた。


「サルバシオンの剛力で両の手はぐちゃぐちゃ。ユークトバニアに受けた呪いは蛇のように身体を畝って、自然治癒なんざ見込みようもない。――おまけに薬物調教まで受けてるから、自慰も出来ない半狂乱のままで、あいつはイントッカービレに来たって訳さ」


 ――それからが地獄だったさ。とリザは続ける。粉々になった骨の代わりに竜骨をあてがい、破れた皮膚には強引な外科手術が施された。テルメ・レリアの薬効で膿の漏出こそ抑えられたが、それでも残るケロイドだけは、消し去ること能わなかった。


「それで、フランシスカはどうなったんだ?」

「――黄泉よみ帰ったさ。鬼神の如き復讐心だけを宿して、な」

 

 問う僕に、シリアスな面持ちで返すリザ。というやり取りの最中も、尻やらASSやら責め立てざるを得ないというのだから、これほど話題と行動の乖離している状況もないだろう。


「――煉獄アンフェール。イントッカービレでもとびきりの外法と引き換えに、フランシスカは復活を果たした。以前言ったろう? 火の特性を持つイントッカービレが、いずれこっちに来るって」


「そんな事もあったか? ……だが元将軍たちドゥーチェスが一命を取り留め、イントッカービレとして帰還する事の、いったい何が面倒なんだ?」


 遠い記憶を探る僕だが、確かエルジアへの道中。エメリアがリザの挑発に乗って敗退を喫した後に、そんなセリフを聞いたような気がしないでもない。ともあれ、今のところトラブルにあたる文脈が見当たらないだけに、困惑を隠せない所でもある。


「だから復讐の鬼なンだよ、今のフランシスカは……ご主人様アンタの活躍を聞いて嬉しそうに頷いて、勇者エイセスの時代が終わる事を喜々として待ちわびた一人の少女……だと思い込んでいた、単にオレのミスなンだがよ」


 リザ・ヴァラヒア曰く。帝都に戻り合流を果たすと語ったフランシスカは、途中でロスト。次には根城たるレッドラムに、復讐の意をしたためた書簡が、律儀にも投函されていたらしい。


「つまりオレが出張ってきた最大の理由は、フランシスカを見張る為だったって訳さ。――昨晩ついに、そのアンフェールは、ここエスベルカに姿を現した」


 事ここに至り、ようやっと申し訳なさそうに眉をハの字にするリザ。報告が遅れたのは、単にそれを言うのが面倒だったからと聞くにつけ、おいおいそれじゃ隠密機関失格だろうと僕は頭を振る。


「で、私はどうすればいいんだ? そのアンフェール――、もといフランシスカをふんじばればいいのか?」


 いったいどういう了見だが知らないが、死地を彷徨ったレストインピースでさえいっぱしに理性を保っているのだ。幾ら魔道に堕ちたからとは言え、元将軍たちドゥーチェスともあろう破格の騎士が、一介の虐殺者に成り果てるとも思えないが。


「ま……そうなるな。フランシスカはエスベルカ全体が弛緩した今を狙っている。そんな中でバートレット・オヴニルが解放されたらどうなる? ――ヤツは格好の的になるだろう」


 全くこいつは……こっちの話を盗み聞いて飛んできたのかと僕は毒づきながら、分かったよとぶっきらぼうに返事を返す。


「だがバートレットとて勇者エイセスの端くれだぞ? 仮にイントッカービレの手ほどきを受けたからと言って、元将軍たちドゥーチェスにどうにかできる問題じゃあないと思うが」


 そもそも将軍たちドゥーチェス最強の剣士たるレオハルトですら、勇者エイセス最弱格のバートレットに歯が立たないのだ。彼我の戦力差は杞憂と言ってもいい程に開いている。


「――そこは暗殺者イントッカービレの領分だぜ。アンタも見たろう? 全てにおいて明らかにオレを凌駕するエメリアが、隙を突かれたとは言え、オレの前に屈したあの瞬間を」


 と、リザ・ヴァラヒアは、エメリアが彼女に敗北した一戦に言及する。確かにここ一ヶ月を顧みれば、エメリアに黒星が付いたのはアレが最初で最後だ。


「なるほどな。つまりフランシスカ……いや、ここはアンフェールと呼称しよう。彼女は単純な戦力差を埋めるだけの何かを既に有しているって訳だな?」


「そういう事だ。アンフェールとは地獄の業火。全てを燃やし尽くす煉獄の炎だ。――アイツはそれを体得した。ただ勇者エイセスを屠り去り、己が怨讐を結実させるその為に、な。アンタがバートレットを駒として使おうって以上、この復讐劇は面倒事以外の何者でもない。違うか?」


 時に嬌声を交える、リザの緊迫感の無いドヤ顔に僕は辟易としつつも、確かに同意する余地はあるなと頷いてみせる。


「状況はわかった。私も魔眼による監視を密にするとしよう。いずれにせよ、これから他の将軍たちドゥーチェスに、バートレット解放の旨は伝えねばならない。全てはその後だな」


 魔力を加えながら続けられる被虐の果てに、リザが潮を吹いて果てるのを背に、僕は将軍たちドゥーチェスの待つ鍛錬場へ向かった。――部下を躾けられなかったお前には、もっと仕置が必要だな。そう告げる僕に、リザ・ヴァラヒアは涎を垂らしながらだらしなく笑うだけだった。


 ――フランシスカ・D・グリーンファミリア。地獄アンフェールを体得した将軍たちドゥーチェスの成れの果てとは、一体如何なる人物なのか。それとなく探りを入れながら、来たるべく邂逅に備えねばならないと、密かに僕は思うのだった。

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