第二部 - 皇帝編 -

十章:プロフェゾーレ、卓抜たる智将の名を

十章01:逢瀬は、堂々たる市井の中で

「んー。おはようララト。私寝ちゃってたんだね……」

 勇者エイセス放逐の翌日、エメリアを起こしに部屋へ向かった僕を待っていたのは、昨日の勇猛さが嘘のように寝ぼけ眼を擦る、幼馴染の姿だった。


「お酒飲んじゃってたからな。ま、ちゃんとお姫様だっこで運んできてやったから、安心はしろ」

 仮面を外して答える僕に「恥ずかしいなあ」とエメリアは苦笑を零した。カーテンから差し込む朝日が、彼女のブロンドを一層の金色に染め上げる。


「んー、んでもって私がパジャマを着てるって事は、ララトに着替えまでさせちゃったって訳ね。えっちえっち……なんちゃって。ありがとう」

 微笑んだエメリアは、ロングヘアを軽く指で掻き上げ、そうしてベッドを立つ。流石に勇者エイセスに復讐を果たしたばかりとあって、過分に機嫌は良いらしい。


「あーあ。燦然たる最強の騎士として、華々しくララトと向かい合う筈だったのに……私、私がお酒に弱いこと忘れてた、っていう」

 頬を染めながら笑うエメリアに「緊張の糸が切れた後さ、仕方がない」と僕はフォローを入れる。――なにせ人智を超えた英雄を打ち倒した後の夜宴だ。意識の一つや二つ飛んでいたとしても、無理からぬ事だろう。


「まあね。お陰でララトに介抱されたって思ったら、役得かも」

「なんだそれ」


「でもちょっと損かな。何よあれ。昨日、ケイちゃんの手を取ってダンスとか。私としなさいよ、それ」

「は? お前の回りは人だかりだっただろ」


「そこを奪うのが男でしょ」

「僕は皇帝だぞ。そんな真似をして変な噂が立ったらどうする」


「そこは立つ所でしょ。新皇帝の寵愛を受ける、ああ可憐なる乙女騎士!!!」

「――自分で言って恥ずかしくないのか……まあ可憐なのは認めるけど」


 なんとは無しにケイを引き合いに出すエメリアは「どうして私を奪わないのよ!」と、ふくれっ面で僕に毒づく。いやいやそれはエメリア、これから姫を妻に娶ろうなんて時に、近衛団長との懇ろな噂が立てば不味かろうと、僕は僕なりの釈明を返す。


「はあ……まあいいけどね。で、ララト。それならそれでせめてこう、色々とご褒美とかなんか無い訳?」

「は?」


「は? じゃないでしょ! 他の女の子とはイチャイチャしてる癖に、なんで私に何にもしてくれないのよ!」

「あー……いや。でも、そっか……確かに。すまん」


 なるほどと思い返せば、ここのところエメリアとは訓練以外にろくに一緒に居れていない。せいぜいがオーレリアで一晩を共にした程度だ。


「ああああ! もう……! ほら! ほら! なんかしてよ!」

 言うや僕の胸に飛び込んできたエメリアは、頭をぐりぐり押し付けて項垂れる。


「ああ、分かった……分かったよ。よくやったなエメリア。お疲れ様。よしよし」

「あー。あー、癒される……もっとしてよもっと。猫みたいにわしゃわしゃして」


 リクエストに応える僕に、鼻歌混じりのエメリアが悦楽の笑みを浮かべた。


「お前、こんな甘えんぼだったっけ……?」

「半年ぶん溜め込んだ甘えだもの、そりゃ甘えるわよ」


 にやけたまま頬を膨らませるエメリアからは、平素のストイックで凛とした雰囲気は微塵も感じられない。その当の彼女はと言うと、――大体、いつもいつも。ああもケイちゃんとイチャついてるの見せられたら、欲求不満にもなるわよと、恨み節の様にぼやいている。


「っても――、団員が見たら驚くだろうな。こんな隙だらけのエメリア」

「見せないからいいもん。ララトの前でしか私、こんな姿」


 肩の荷が下りた様に口角を下げるエメリアは、或いは年相応とでも言う様に駄々をこねる。僕はそんな彼女が愛おしくなって、頬をぷにぷにしたりして、つい遊んでしまう。


「あー……私も団長じゃなかったら、もっとララトと一緒に居られるのになあ」

 頬を弛緩させ涎を垂らすエメリアに「そうだな」と僕も応じる。


「――でもま。騎士団長って役目は私にしか出来なさそうだし? ここは一つ買って出るのがヒロインの挟持でしょうけど?!」


 そこで身体を離したエメリアは「この私、エメリア・アウレリウス・ユリシーズがね!」と、胸に手を当てて告げる。まあなんというか、寝起きにしたって女神オーラ全開なのは、こいつ特有のスター性だろう。


「本当にお前は、どこの誰よりも様になるよなあ。寝癖ついてるけど、今だって可愛いし」

「フ、ふふん! 私が綺麗で可愛いのは当然なの! だからほらもっと言って。可愛い可愛い、エメリア世界一可愛いよ大好きだって」


 まあ、そんなエメリアが甘えられるのが僕ただ一人というのは、過分に光栄な話ではあるのだけど。たった一晩で幼児退行でもしてしまったのかと言うくらいに、目の前のエメリアの態度はふにゃふにゃなものになっていて――、いやいや。日頃疲れているのだから、たまにはそういうのもありかなと、僕はここぞとばかりにエメリアを褒めちぎる。――曰く、あらん限りの賛辞で以て。


「エメリア! 世界一可愛いぞ!」

「うんうん」


「エメリア! 本当に強くなったな! 最強だ!」

「うんうん」


「エメリア! 眉目秀麗文武両道! 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花!!!」

「えっへん」


「……!」

「……!」




*          *




「あ〜。私がんばって本当よかったわ……ララトに褒めて貰えた。――そんな自分に頷けるだけの事は、ちゃんとした」


 暫くそんな応酬が続いた後、うっとりと目を細めるエメリアは、ぎゅっと僕の腕にしがみつくと「さ、この調子で魔王もとっとと倒しちゃいましょ!」と、目を輝かせて意気込みを見せる。


「おいおい、気が早すぎやしないか」

「いーのいーの。だって私、早く裸のララトとハグしたいし!」


 そのまま背伸びをして、エメリアは僕に口づけを交わす。


「今のままじゃ、キスぐらいしかできないでしょ? ――ああ魔王、早く死なないかな!」

「ああ……確かにな。僕も素っ裸でエメリアのおっぱいにむしゃぶりつきたい」


「じゃあ埋めちゃいなさいよ! ほらほら! ベルカ中の男どもが夢中になってる、スーパーアイドルのおっぱいだぞ〜!」

 首の後に回した両手を引き、僕の顔を自らの胸に埋めるエメリアは「この幸せ者めー」と緩みきった声を出す。


「はむはむ。あー、柔らかいなあエメリアのおっぱいは。天文学的に美しいバランスを保った唯一無二奇跡的な殺人おっぱい……」

 顔を埋めたまま賛辞を紡ぐ僕の頭を撫でながら、エメリアは自信たっぷりに甘い言葉を吐く。


「むふふ、シンシアほど暴力的に非ず、フィオちゃんは論外ながら、ケイちゃんほど寂しくも無く。これこそがエメリア・アウレリウス・ユリシーズの鍛え抜かれた類まれなるたわわ。とくとご賞味あれ」


 自分を磨く事に関しては、とにかく強迫的なまでのエメリアの事だ、さもありなんと内心で頷きながら、僕は今はただ、この溢れ出る至福のひとときに身を委ねていた。


「はあ。勇者連中エイセスが来なけりゃあ、とっとと私がプロフェゾーレの座を継いで、その勢いでララトに告白しようと思ってたのに……くそっ、忌々しいぞアイツら。ディジョン、特にあの糞ディジョン……」


 ぶつぶつと唱えるエメリアは「あれ、そう言えばララト。あいつどうした? ディジョン。まだ生きてるんでしょ」と思い出した様に告げる。




「ん? ああ、ディジョンか。また牢獄に繋げ直してる。近々フィオのモルモット再就任だな。あとはもう用済みだから、適当に吸うだけ吸ってスラムにポイ、かな」

「うむうむ結構。あんなモノを殺して手を汚してもしょうがないもんね。復讐は為し、遂に我が世の春は来たってもんよ」


 たわわの海から顔を出した僕に、もう一度キスしながらエメリアは言う。いやいやこれは、今まで見た中でも最上級の上機嫌だ。過分にどころの話しでは無い。


「エメリアがそういってくれると助かるな。魔王討伐の為にも、勇者エイセスの力それ自体にはまだ価値があるから」

「まあね。それを私が奪えるなら尚上々なんだけど」


「お前には僕から与える」

「私の中に、ディジョンが入るのは嫌?」


「嫌だな」

「フフ……好き……ララト」


 独占欲を示されたことに満足したのか、また幾度か小さく口づけを重ねるエメリアに「なあエメリア、これからデートに行かないか」と僕は提案する。それはもう予定調和でもあるかの様に、エメリアは微笑んで頷く。


「いいよ。私もちょうどそう思ってたとこ。――ここ半年ずっとずっと」




*          *




 それからケイとルドミラに半休を取る旨を伝えた僕は、それぞれから嫌味を言われながらもエメリアの待つ正門へと向かう。まったく厄介なのは、ただ一人の女の子と外出するのにでさえ、連絡と報告を怠り得ない我が身の責務だ。皇帝という役職上しかたが無い所ではあるが、ディジョン放逐で周囲が浮かれる今日ぐらいは、その立役者であるエメリアを労う事に、護衛も宰相も渋々ながら頷かざるを得なかったという訳だ。


「おまたせ」

「――待ったわよ」


 万全のナチュラルメイクを施し、豊かなブロンドを三つ編みに整えたエメリアは、陽光を浴びさながら女神の様にオーラを振りまき佇んでいる。平素の凛とした隙の無い団長としての彼女ではなく、無邪気に太陽の下で背伸びをする常世ならざる美少女。その存在を遠巻きに見つめる騎士たちは、あれは一体誰なのだと口々にささやきながらも、エメリアから放たれるオーラに気圧され、半径50メートルのうちには一歩として踏み込めていなかった。


「じゃ、行こうか」

「行こ、ララト」


 片や僕はと言えば仮面を取った素顔の下に、服装は鎧を隠す外套だけ。黒と白の、言ってみれば端的に陰と陽の、側にいるだけでも申し訳なくなる凸凹コンビは、かくして晴天のベルカに足を踏み出した。――背後にケイの、つまりは我が護衛役の、殺伐たる視線を感じながら。

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