九章11:勇者は、今ここにそして終わる
群衆の喝采に呑まれたアリーナは、かつての
事務的に一礼するケイが奥に下がり、一人アリーナに立つディジョンは、中央に刺された愛刀、デルフィナスを手に取って目を細めると、天高く掲げ陽光に
「我が名はゼネラル・ディジョン! レイヴリーヒ皇帝陛下! 我に戦う意志
だが今の僕は皇帝だ。ディジョンを
「よかろうディジョン! 勇者を
負けじと返す僕の声に、
「グレースメリア騎士団団長、エメリア・アウレリウス・ユリシーズ!! この者が貴殿の相手を務める!
白い法衣に赤い十字のライン。ディジョンの眼前に立つエメリアは、豊かなブロンドを掻き上げて優雅に佇む。観客にも、そして当のディジョンの
「エメ……リア……?」
「こんにちは。ゼネラル・ディジョン」
てっきり僕の私刑でも覚悟していたのだろう。全ての計算が狂ったとばかりに動揺を隠せないディジョンは、それでも表情を取り
「エメリア・アウレリウス・ユリシーズ……」
「そう、エメリア・アウレリウス・ユリシーズ」
方やエメリアは、一切の惑いが無いとばかりに
「友愛なるエスベルカの国民諸君! 本日の決闘は、エスベルカ前皇帝にして風の
一斉に鳴り響く
「本当に良いんだな……? お前、
「それは剣を合わせてみれば分かる事よ。全力で来なさい。でないと後悔するのは……」
――タンッ。
言葉を言い終わらないうちに、先に踏み込んだのはエメリア
「だった」というのは正にその通りで、傍目には消えたかの様に見えるエメリアのスフィルナは、次の瞬間にディジョンの剣を打ち
「――ッ!」
「貴方よ」
辛うじて凌いだディジョンだが、のけぞった姿勢で数歩下がると、歯ぎしりしてエメリアを睨む。
「……なんだ、この力はッ?!」
「
事態の異様を察したのか、ディジョンはようやく剣気を放つ。その
「――ッ!! 風の精霊よ!
ディジョンが腰元から抜いた、スフィルナよりさらに細い
「あら良い風……心地よすぎて眠くなってしまいそう」
だが目を細めるだけのエメリアは、草原を闊歩する貴婦人の様にそれらの連撃を尽く
「剣って言うのはね……もっとこう、一撃で殺す覚悟が無いと」
「
「馬鹿な……バートレットの」
「――雪月花
即座に守りを固めるディジョンだが、抑えきれない重い一撃は、スフィルナを受けたニスル=サギールを粉々に砕く。
「うぐッ……」
宙空で身を
「バートレットの神速……サルバシオンの……
脂汗を垂らすディジョンに、最早余裕があるとは思えない。
「元から力が無いのは承知の上。ほら」
白塗りの小手をにぎにぎして見せるエメリアは「
――アイガイオンの
それは先日、フィオナが改修した
「レジェンダリー・アーティファクト……だが、その程度ッ!!」
エメリアの
「いいわ……そうこなくちゃ」
しかし
「はあ、はあ、何故……こんなッ……」
剣での挑戦に限界を感じたのか、もう一度距離を取り呪文を
「唸り立つ風よ、逆巻く吹雪と口付けを交わし、身を穿つ氷刃を為せ――、アイシクル……」
「――そんなの唱えてる余裕があるの?」
一瞬で間合いを詰めたエメリアが「このタイミングでもう三回、あなた死んでるわよ」と耳元で囁く。
「く、くそッ……!!! エメリア、お前は、俺の情婦の分際でッ……!!!」
尻もちをつくディジョンは悪態をつくが、エメリアは微動だにせず見下すだけだ。彼女を纏うオーラが、徐々に蒼炎に変わっていく。
「情婦? 冗談。 マ◯コにチ◯コ何回突っ込んだとか、んなどうでも良い理由で
「は、はは……そうだよ……お前は俺に屈服し……調教され……想い人の為に情けない
そこまで喋ったディジョンの足元に、スフィルナの刀身が深く沈む。
「そう、ララトの為。でもそれじゃあ他人任せね。――私の為。あの人を愛する私自身の為。ねえ分かる? なんで私が、あの洞窟で、あなたを殺せと言わなかったか」
傍目には笑顔を讃えるエメリアの、しかし実際に燃えたぎる怒りの炎を、僕は覚えている。その瞳の青よりも深い蒼炎は、彼女自身の
「あなたをこうして、公衆の面前で叩き潰す為。――貴方あの時ほっとしたでしょう。もしかして俺の事、本気でこいつ好きなんじゃないかって。人生まだワンチャンあるんじゃないかって」
――でも残念。答えはその真逆でした。と悪戯げに微笑むエメリアに、僕の隣に立つフローベルもカチカチと震えている。確か最初にこの炎に触れたのは彼女。学園総代を決める決闘の儀で、エメリアに負けトップの座から引きずり降ろされたフローベルだったからだ。
「嘘だ……だがだからと言って……俺を超えられる訳が無い……
「超えるのよ、私は。――
この六十余秒の両者の静止は、多くの観客にとっては意味不明の出来事だった。 だが脂汗を垂らすゾディアック。改めて知る力の差に鎌を落とすタマモ。
「は……はは……じゃあ殺すか、俺を。やってみろよ」
足を震わせながら虚勢を張るディジョンを、しかしエメリアは
「殺さないわ。ええ、生きていてもらう」
投げかけられる、天使の様な微笑み。きっと宗教画の
「そうだ……お前は俺を殺せない……殺せないんだ、ハハハ……!」
勝ち誇ったかの様に笑うディジョン。
「当たり前じゃない。なんで貴方を、わざわざ殉教者に祀り上げて、私を英雄殺しの悪役に貶めなきゃいけない訳? 貴方には無様に、惨めに、
――クククッと笑うエメリアに「ちくしょうッ!!!」と叫びディジョンが立ち上がる。
「あら良かった。てっきりもう戦意喪失かとヒヤヒヤしちゃったわ。少しは楽しませて貰わないと。観客にも、あの人にも示しがつかないもの」
「舐めるなよエメリアッ! 俺が生きている限り、お前の
「安心してゼネラル・ディジョン。だって今日、そしてこれ以降、貴方の言葉を真に受ける者は居なくなるから。――もう
「は、ハハッ……クソッ……くそッ……だが敗者はお前だエメリア……お前のその
数分で溜めた魔力を一斉に放出したディジョンは、
「風の精霊に告ぐ。我は資格者なり擁護者なり継承者なり。蒼天を
「火の精霊に告ぐ。我は滅却し焼き払う者。立ち塞がる
だがそれこそを待ちわびたと応じるエメリアは、破顔と共に自らの奥義を詠唱し返す。全てはこの喜劇の、クライマックスを飾る為に。
「――ヴィゾーヴニル!!」
「――レーヴァテイン!!」
――ズドオオオオオン!!!
風と混じり合い爆ぜる黒煙に、僕は瞬時に結界を巡らす。目の前まで迫りくる爆風は、場内に
やがて嵐が過ぎ去った後に残る二つの影。片方の黒焦げがドサリと地面に膝を付いた頃、優雅に髪を掻き上げるエメリアが剣を掲げた時、沈黙は一斉に歓声へと変わった。
「ウオオオオオオオオオ!」
「エーメリア! エーメリア!」
歓声に手を振って応えるエメリアは、僕に向かってウインクを投げてみせる。
頃合いだ。そう図った僕もまた、場内に降り立つや戦女神の手を取り声を上げる。
「諸君! これが現実だ! 一騎当千と謳われた
今や全ての迷いは解き放たれた。うら若き戦女神による、旧
「資格とは
人ですらも
「お疲れ様、エメリア」
「やったよ私、ララト」
二人にだけやっと聞こえる想いを交わし、僕はエメリアを抱くとバルコニーに舞い戻った。背後に響く拍手は止むことがない。
――ああこれで、これで僕が死んだとしても、この国はエメリアを中心に統治される事だろう。
やっと成し遂げた今の盤石に、僕はすっと胸を撫で下ろした。これで残るは、北方に座す魔族と、そして魔王の殲滅。然しこの強靭なる紐帯さえがあれば、それですらも容易な事の様に、今は思えた。
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