九章11:勇者は、今ここにそして終わる

 群衆の喝采に呑まれたアリーナは、かつての勇者エイセス、ゼネラル・ディジョンが姿を現した瞬間に、一瞬の沈黙を湛えた。白銀の鎧キュイラスに赤い鉢巻、在りし日の威容いようを纏う若き英雄に、民衆は畏敬いけいの念を禁じ得ない。


 事務的に一礼するケイが奥に下がり、一人アリーナに立つディジョンは、中央に刺された愛刀、デルフィナスを手に取って目を細めると、天高く掲げ陽光にかざした。どこからともなく湧く拍手、抑えた歓声。それらは未だ尚「勇者えいゆう」としてのゼネラル・ディジョンを、民心が欲している証左しょうさとも言えた。




「我が名はゼネラル・ディジョン! レイヴリーヒ皇帝陛下! 我に戦う意志り! 我に恥をそそ挟持きょうじり!」


 清廉潔白せいれんけっぱくこの上ないという真っ直ぐな表情でこちらを睨むディジョンは、なるほど千両役者せんりょうやくしゃだと僕は舌を巻く。こんな好青年が勇者エイセスなら、誰だってこうべを垂れ協力を申し出たくなるに相違無い。――例えばかつての僕の様に。


 だが今の僕は皇帝だ。ディジョンを放逐ほうちくし、玉座に座った新たなる王者だ。勇者エイセスの時代を終わらせ、新たなる時代の幕を開ける責務がある。――それは即ち、僕と、僕の大切な女性たちの為に。


「よかろうディジョン! 勇者をみのにした貴殿の罪業ざいぎょう、次の決闘にて見事払拭ふっしょくして見せよ! 汝まだ闘うに足ると、汝まだ死ぬに足らずと、国民の前に赫奕かくやくと示せ!」


 負けじと返す僕の声に、せきを切った様に歓声が湧く。――いやそれは次いで現れた、女神の化身の所以ゆえんだったかも知れない。


「グレースメリア騎士団団長、エメリア・アウレリウス・ユリシーズ!! この者が貴殿の相手を務める! 勇者エイセスの力に偽り無しと、己が膂力りょりょくの総力をもっあかして見せよ!」 


 白い法衣に赤い十字のライン。ディジョンの眼前に立つエメリアは、豊かなブロンドを掻き上げて優雅に佇む。観客にも、そして当のディジョンのまなこにすらも、相手が本当にこのうるわしの乙女であって良いのかと、幾許かの戸惑いが見て取れる。




「エメ……リア……?」

「こんにちは。ゼネラル・ディジョン」


 てっきり僕の私刑でも覚悟していたのだろう。全ての計算が狂ったとばかりに動揺を隠せないディジョンは、それでも表情を取りつくろって剣を構える。


「エメリア・アウレリウス・ユリシーズ……」

「そう、エメリア・アウレリウス・ユリシーズ」

 

 方やエメリアは、一切の惑いが無いとばかりに細剣スフィルナを抜く。両者の距離は十メートル。――それは達人ならば一瞬で相手を切り刻め得る間合いだ。


「友愛なるエスベルカの国民諸君! 本日の決闘は、エスベルカ前皇帝にして風の勇者エイセス、ゼネラル・ディジョンと、我がグレースメリアの近衛隊長、エメリア・アウレリウス・ユリシーズの一騎打ちにてり行う! 勇者が勝てば、これまでの罪状は無きものとして恩赦おんしゃに、エメリアが勝てば偽証ぎしょうとがにて然るべく刑に処す! 刮目かつもくして見届けよ! 果たして勇者エイセス勇者エイセス足り得るか、人が人を超えうるかを!」


 一斉に鳴り響く怒号どごうの如き歓声。或いは彼らもこれを望んでいたのかも知れない。前線とは言いながらも、実際には目にし難い無い勇者エイセスの力。しかも相手は将軍たちドゥーチェスですらない一介の女騎士と来た。万が一勇者エイセスが敗北を喫する様な事があれば、それまで自分たちがほうじてきた力とは、神話でもなんでもない路傍ろぼうの石と同義になる。




「本当に良いんだな……? お前、勇者エイセスの俺を相手に、トチ狂った真似をッ!」

「それは剣を合わせてみれば分かる事よ。全力で来なさい。でないと後悔するのは……」


 ――タンッ。

 言葉を言い終わらないうちに、先に踏み込んだのはエメリアだった・・・


「だった」というのは正にその通りで、傍目には消えたかの様に見えるエメリアのスフィルナは、次の瞬間にディジョンの剣を打ちえていた。


「――ッ!」

「貴方よ」

 辛うじて凌いだディジョンだが、のけぞった姿勢で数歩下がると、歯ぎしりしてエメリアを睨む。


「……なんだ、この力はッ?!」

御託ごたくはいいのよ。さっさと本気を出しなさい。ゼネラル・ディジョン」

 事態の異様を察したのか、ディジョンはようやく剣気を放つ。そのおののいた瞳は、眼前の敵が自分の知るエメリアでは無い事を認識した様でもある。


「――ッ!! 風の精霊よ! 戦場いくさばを断つつむじとなり、我が怨敵を切り刻め! ニスル=サギール!!」

 

 ディジョンが腰元から抜いた、スフィルナよりさらに細い翡翠ひすいの霊剣は、エメリアの剣撃を上回る速度で刃を繰り出す。


「あら良い風……心地よすぎて眠くなってしまいそう」

 だが目を細めるだけのエメリアは、草原を闊歩する貴婦人の様にそれらの連撃を尽くかわして見せる。


「剣って言うのはね……もっとこう、一撃で殺す覚悟が無いと」

 砂塵さじんの舞う中で抜刀の構えを取るエメリアは、ディジョンにとって馴染みの深い、盟友の技を唱え始めた。


火撃かげきは刹那にして一瞬の泡沫うたかた。痛み無く消えよ。さらば美しく散れ――」


「馬鹿な……バートレットの」

「――雪月花千仞せんじん冬景とうけい


 即座に守りを固めるディジョンだが、抑えきれない重い一撃は、スフィルナを受けたニスル=サギールを粉々に砕く。


「うぐッ……」

 宙空で身をひねり衝撃を和らげたディジョンは、そのまま受け身をとって身構える。


「バートレットの神速……サルバシオンの……膂力りょりょく……」

 脂汗を垂らすディジョンに、最早余裕があるとは思えない。


「元から力が無いのは承知の上。ほら」

 白塗りの小手をにぎにぎして見せるエメリアは「LE級レジェンダリーアーティファクトよ」と付け加えて微笑む。




 ――アイガイオンの手甲てっこう

 それは先日、フィオナが改修したLE級レジェンダリーアーティファクトだ。装備者に超常の握力を与えるこの武具は、エメリアの苦手とする剣撃の重みに回答をもたらした。ここで向かいの客席を見れば、自作の武具の出来栄えに腕組みで頷くフィオナが居る。


「レジェンダリー・アーティファクト……だが、その程度ッ!!」

 エメリアの高説こうせつに不服とばかりにディジョンがまた突っかける。――砕けたサギールを捨て、本命であるデルフィナスを抜きながら。


「いいわ……そうこなくちゃ」

 しかし渾身こんしんの力を込め振り下ろされるディジョンの連撃も、まるで子供が騎士に挑む稽古の様にいなされてしまう。


「はあ、はあ、何故……こんなッ……」

 剣での挑戦に限界を感じたのか、もう一度距離を取り呪文を詠唱えいしょうするディジョン。――辺りを翔ぶ五月蝿うるさい蝿が、散歩を楽しむ女神に追い散らされる。差し詰め概況はそんな所だろう。予想だにしない一方的な展開に、観客は言葉を失うしかない。


「唸り立つ風よ、逆巻く吹雪と口付けを交わし、身を穿つ氷刃を為せ――、アイシクル……」

「――そんなの唱えてる余裕があるの?」

 一瞬で間合いを詰めたエメリアが「このタイミングでもう三回、あなた死んでるわよ」と耳元で囁く。




「く、くそッ……!!! エメリア、お前は、俺の情婦の分際でッ……!!!」

 尻もちをつくディジョンは悪態をつくが、エメリアは微動だにせず見下すだけだ。彼女を纏うオーラが、徐々に蒼炎に変わっていく。


「情婦? 冗談。 マ◯コにチ◯コ何回突っ込んだとか、んなどうでも良い理由でつがい扱いしないでくれる?」


「は、はは……そうだよ……お前は俺に屈服し……調教され……想い人の為に情けない嬌声きょうせいを上げ……ヒィッ!?」

 そこまで喋ったディジョンの足元に、スフィルナの刀身が深く沈む。

 

「そう、ララトの為。でもそれじゃあ他人任せね。――私の為。あの人を愛する私自身の為。ねえ分かる? なんで私が、あの洞窟で、あなたを殺せと言わなかったか」


 傍目には笑顔を讃えるエメリアの、しかし実際に燃えたぎる怒りの炎を、僕は覚えている。その瞳の青よりも深い蒼炎は、彼女自身の憤激ふんげきほむらだった。


「あなたをこうして、公衆の面前で叩き潰す為。――貴方あの時ほっとしたでしょう。もしかして俺の事、本気でこいつ好きなんじゃないかって。人生まだワンチャンあるんじゃないかって」

 

 ――でも残念。答えはその真逆でした。と悪戯げに微笑むエメリアに、僕の隣に立つフローベルもカチカチと震えている。確か最初にこの炎に触れたのは彼女。学園総代を決める決闘の儀で、エメリアに負けトップの座から引きずり降ろされたフローベルだったからだ。


「嘘だ……だがだからと言って……俺を超えられる訳が無い……勇者エイセスであるこの俺を、一介の騎士の、それも女でしかないお前に……」


「超えるのよ、私は。――勇者エイセスだろうが、魔王だろうが。私の想いを阻む全てを、踏みしだいて前へ進む。たかが勇者エイセス。笑わせないで。そんなもの、私ならば超えてみせる。このエメリア・アウレリウス・ユリシーズなら」


 この六十余秒の両者の静止は、多くの観客にとっては意味不明の出来事だった。 だが脂汗を垂らすゾディアック。改めて知る力の差に鎌を落とすタマモ。読唇どくしんを嗜む、或いは耳の効く猛者もさには全く逆の一幕で、今や女神の佇む戦場には、言い様のない沈黙が広がりつつあった。


「は……はは……じゃあ殺すか、俺を。やってみろよ」

 足を震わせながら虚勢を張るディジョンを、しかしエメリアは一喝いっかつする。


「殺さないわ。ええ、生きていてもらう」

 投げかけられる、天使の様な微笑み。きっと宗教画の聖母グレースメリアは、こんな微笑みをこぼすのだろう。


「そうだ……お前は俺を殺せない……殺せないんだ、ハハハ……!」

 勝ち誇ったかの様に笑うディジョン。勇者エイセスのこの情けない有様に、観客席からは遂にどよめきが漏れ始める。


「当たり前じゃない。なんで貴方を、わざわざ殉教者に祀り上げて、私を英雄殺しの悪役に貶めなきゃいけない訳? 貴方には無様に、惨めに、わらを掴む乞食の様に死んで貰う。何者にも看取られない、たかが路傍の石塊いしくれの様に」


 ――クククッと笑うエメリアに「ちくしょうッ!!!」と叫びディジョンが立ち上がる。


「あら良かった。てっきりもう戦意喪失かとヒヤヒヤしちゃったわ。少しは楽しませて貰わないと。観客にも、あの人にも示しがつかないもの」


「舐めるなよエメリアッ! 俺が生きている限り、お前の醜態しゅうたいはいつだって晒せるんだッ! 中古品め……!! 色狂いの雌豚めッ……!!!」


「安心してゼネラル・ディジョン。だって今日、そしてこれ以降、貴方の言葉を真に受ける者は居なくなるから。――もう勇者エイセスじゃ無く敗者。全てを失った糞虫の、怨嗟えんさ混じりの世迷よまい言を」


「は、ハハッ……クソッ……くそッ……だが敗者はお前だエメリア……お前のその傲慢ごうまんこそが、俺に勝機をもたらすッ!」


 数分で溜めた魔力を一斉に放出したディジョンは、風塵ふうじんに紛れ背後に回る。そうしてエメリアが振り向いた時には、既に禁呪の詠唱に入っていた。




「風の精霊に告ぐ。我は資格者なり擁護者なり継承者なり。蒼天を穿うがち大海を斬り、ただ紺碧こんぺきの嵐、それだけを示せ!!!!」


「火の精霊に告ぐ。我は滅却し焼き払う者。立ち塞がる怨敵おんてき、その全てを喰らい塵芥ちりあくたと化せ!!!」


 だがそれこそを待ちわびたと応じるエメリアは、破顔と共に自らの奥義を詠唱し返す。全てはこの喜劇の、クライマックスを飾る為に。


「――ヴィゾーヴニル!!」

「――レーヴァテイン!!」




 ――ズドオオオオオン!!!

 風と混じり合い爆ぜる黒煙に、僕は瞬時に結界を巡らす。目の前まで迫りくる爆風は、場内に錯綜さくそうする悲鳴をもたらした。


 やがて嵐が過ぎ去った後に残る二つの影。片方の黒焦げがドサリと地面に膝を付いた頃、優雅に髪を掻き上げるエメリアが剣を掲げた時、沈黙は一斉に歓声へと変わった。


「ウオオオオオオオオオ!」

「エーメリア! エーメリア!」


 歓声に手を振って応えるエメリアは、僕に向かってウインクを投げてみせる。

 頃合いだ。そう図った僕もまた、場内に降り立つや戦女神の手を取り声を上げる。




「諸君! これが現実だ! 一騎当千と謳われた勇者エイセスが、女騎士一人すら打倒せない。こんな有様で我々は、いいや人は、彼らに全てを託し続けてきた愚昧ぐまいをこそ恥じねばならない!」


 今や全ての迷いは解き放たれた。うら若き戦女神による、旧勇者エイセスの完全打倒。この報せは早晩そうばん万里を超え、数多の民の耳元に届けられるだろう。それは信仰の終焉と、時代の転換そのものを示す筈だ。


「資格とは託宣たくせんに非ず。力とは神に依らず。今日を以て勇者の時代ソレユドミニは終わり、我々人間の、自らの意志で剣を掲げし者たちが戦線を継ぐ新世紀が訪れる。眠っていた者は目を覚ませ。嘆いていた者は涙を拭け。物語に恋い焦がれていた者は自らが物語になれ。今ここに対魔族戦争同盟、ラインアークの設立を宣言する!!!」


 人ですらも勇者エイセスに抗し得ると知らされた事実。民衆の歓喜は燃え上がって場内を包み、その声に掻き消される様に僕は囁いた。


「お疲れ様、エメリア」

「やったよ私、ララト」


 二人にだけやっと聞こえる想いを交わし、僕はエメリアを抱くとバルコニーに舞い戻った。背後に響く拍手は止むことがない。


 ――ああこれで、これで僕が死んだとしても、この国はエメリアを中心に統治される事だろう。


 やっと成し遂げた今の盤石に、僕はすっと胸を撫で下ろした。これで残るは、北方に座す魔族と、そして魔王の殲滅。然しこの強靭なる紐帯さえがあれば、それですらも容易な事の様に、今は思えた。

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