九章12:後夜は、月夜の下で貴女と踊り

「――どうやらあの女の前で、お前と触れるのはご法度らしいな」

 レストインピースが捨て台詞の様に言い残しアリーナを去ってから数刻、軍事同盟ラインアークは無事に成立し、夜宴やえんの席に舞台は移った。


 目の前で勇者エイセスが倒れた事で、完全に翻意ほんいした外様とざまたちをルドミラに預け、各都市の首長と今後の方針について談義する――、とは言え皆が見知った中。さしたる障害も無く、各々が更なる軍備を推し進め、互いに文武の協調を惜しまない事で合意に至った。




「ふふふ。まさかあのエメリアが、ここまで強くなるとは驚きですねえ」

 法衣の裾で口を覆い、くすくすとゾディアックが笑う。


「あんなの反則でしてよ……勇者エイセスを軽くいなす? 在りえませんわ……こっちはやっとこさ教授プロフェゾーレになったばかりですのに」

 ギリリと歯噛みし目を伏せるフローベルは(ララト、いい加減あたくしを早く鍛えなさい)と小声で耳打ちをした。


「フローベル。まあそう慌てるな。こっちにはまだ何日か居るんだろ。明日の昼にでも上の武道場でやってみよう」

 魔力の注入となると、リアクションの都合から公衆の面前では行いづらい。僕は僕のプライベートエリアでの訓練を申し出た。


「そ、それは……二人きりで、ですの?」

 俄にびくりと肩を震わすフローベルが、頬を赤らめる。


「ああ。それとも他に誰か居た方が良いか?」

 分かっていて問う僕に「う、うるさいですわ……」とフローベルが返す。




 豪華絢爛ごうかけんらんなホールは人で溢れ、前皇帝のくびきが取り払われたのか、皆一様に清々とした表情だ。各国首脳の周辺に人が多いのは勿論もちろんの事、今日のヒロインでもあるエメリアの周りは、貴族の人垣で埋め尽くされている。


 尚お子様のアンジェはと言うと、とうに眠った後で、おりに立ったユーティラはまだ居ない。ブリジットとマクスロクに至っては、午前の部で力尽き、未だ病室のベッドにせっていると聞く。


「へいか! へいかー!」

 そうしてナヴィクのグループを離れた僕が歩いていると、今度は幼く甲高い声が聞こえた。


「アンサング?」

 見れば足元には、幼女型の義体に身を包んだアンサングが、うるうるした瞳でこちらを見上げている。


「おおおお! おじいさまから聞いておりましたのじゃ。レイヴリーヒ皇帝陛下。わしは孫娘のアンナと申しますじゃ! 祖父は今部屋で休んでおりますゆえ、わしが参ったのじゃ!」

 

 そこまでして幼女の姿で歩き回りたいのかと内心で苦笑をこぼす僕だったが、彼も彼で「アンサングの孫娘」というキャラを必死に演じようとしているらしい。後から追ってきたフィオナが「駄目でしょアンちゃん、走り回っちゃ」と釘を刺す。


(あ、お兄ちゃん、ここではアンナちゃんって事になってるから。アンサングのおじいちゃん)

(ああそういう事か……分かった)


 小声のフィオナに相槌を打った僕は「アンサング氏には世話になった。こんな可愛らしいレディに好かれているとは、私も鼻が高い」といつもとは違う素振りで、アンサング……いやアンナを抱きかかえる。


「おおおお……感激じゃレイヴリーヒ殿! ふひひひ……!」

 だがここぞとばかりにハグから始まり、頬をすり寄せては身体を絡みつかせてくるアンサングに、今度は見ているフィオナのほうがほっぺたを膨らませた。


「さて……余り年端もいかぬレディと戯れていると、あとあとウチの宰相さいしょう五月蝿うるさいからな」

 僕はルドミラを出汁だしに使うとアンサングを床に降ろし、取り残されたフィオナに向かって言葉を投げる。


「どうだフィオ。パーティは楽しめているか?」

 やっと自分に話題が来たと破顔したフィオナは「はい陛下! アンちゃんたら色々な事に詳しいから、こっちに居る間に勇者エイセスの力の転用、出来ちゃうかも知れません!」と、いつも通り、張るほども無い胸を張ってえへんとした。


「そうか。成果の報告を楽しみにしている。フィオナ研究室長」

 ――はっ、陛下。と敬礼する義妹を背に、僕はこちらを手で招くエルジアの首魁の元へ向かう。




「今日は助かった。イリヤ」

 既に酒の入ったイリヤは、白い肌を上気させて僕にしなだれかかる。


「ふふ――面白いものが見れた手前、わらわも満足じゃ。つ国のみかどよ」

 見ればこの席の面子は皆が酔っ払っていて、その中には酒を酌み交わすレオハルトとサイモンの姿もあった。ちなみにタマモはと言うと、眼をぐるぐるにして床に伸びている。――どうやら未成年の飲酒禁止、という概念はエルジアには無いらしい。


「これは陛下。実は私、サイモン殿とは旧知の仲。今日は久方ぶりに剣を交える機会をお与え頂き、ありがとうございました」

 一礼するレオハルトの隣で、サイモンも盃を上げ赤ら顔で頭を下げる。


「そうだったか。サイモン殿にはエメリアの鍛錬たんれんで世話になった。今宵はゆっくりと骨を休めて帰ってくれ」

 見た目によらず酒に弱いのか、はたまた血色が良いだけなのか。単衣ひとえの着物をはだけさせたサイモンは「いやはや、ユリシーズ卿はあっぱれでした。誠に真の女傑じょけつであられる」と、日の丸が入った扇子を振り豪快に笑った。


「げに恐ろしきおなごじゃ。そなたの懐刀は。これからもっともっと強くなるであろうな。――みかどを阻む障害が、なべて世に在り続ける限りにおいて」

 釣られる様にけらけらと笑うイリヤは「タマモの事もお頼み申す」と耳元で囁くと、また可笑しそうに笑みを溢した。


「――タマモが本当に望むのならな。だが余りいじめてやるなよ。未来の亭主として、妻が泣く姿は見たくないからな」

 そう告げる僕に「あい分かった。その様に致そう。なにせみかどの言う事じゃ。妾には逆らえぬ」と、舌なめずりしてイリヤは答えた。




「へ、陛下……お取り込み中、申し訳ありません」

 そこで背後から聞こえたのは、馴染み深いルドミラの声だった。振り向いた僕の前には、いつもと違う黒のドレスを纏ったルドミラと、同じく黒の、ただしこちらは扇状的せんじょうてきなソレを纏う、リザ・ヴァラヒアの姿があった。


「よう陛下。そして五カ国同盟ラインアークの設立、お疲れ様」

 よっと手を振って見せるリザは「見てやってくれ、こいつのドレス姿、中々に可愛いだろ」とルドミラのスカートの裾をひらひらとめくる。


「こら、やめなさいリザ・ヴァラヒア! 申し訳ありません陛下。この女がどうしても挨拶をと」

 恥ずかしそうに俯くルドミラを他所よそに(オレが橋渡し役を買って出てやったんだぜ、本当は)と、リザが僕の耳元で囁いた。


(分かってるって。ただ余り派手な事はするなよ。一応は公衆の面前なんだから)

 ――はいはい。とかぶりを振るリザを横目に「似合ってるぞルドミラ

。そしてお疲れ様。今日ぐらいは楽しんでくれ」と、僕はルドミラをねぎらう。


「いえ――、私はただ、臣下として務めを果たしただけですから」

 するともじもじとするルドミラの腰を、リザが小突き、その拍子に小さい身体が僕に傾く。


「あっ」

 声を出すルドミラを受け止めた僕は「いいや、よくやってくれたさ、ルドミラは」ともう一度労い、その肩を抱いた。


「は……はい……」

 胸元でぎゅっと手を握りしめるルドミラを、後ろでリザが「ひゅーひゅー」と口笛を吹いて囃し立てる。


(うう……申し訳ありません……リザが……)

(気にするな。とにかく今日は、たくさん食べてゆっくり休むんだぞ)

(……はい)


 小声の問答を終えたルドミラは、すっと身を離すと「すー」と深呼吸をし「それでは陛下。私はもう少し、リザを案内して回ります。色々と話したい事もありますので」と一礼すると、いつも通りのクールな表情で去っていった。




 ――中々に忙しいな。

 ヴェンデッタを纏ったままの仰々しい姿とは言え、皇帝という役職柄どうしても語らう相手は増えてしまう。さてどうしたものかと目を泳がせていると、その視線の先に一人、見慣れた顔の、見慣れない佇まいがあった。


 パーティで賑わうホール。その輪から取り残される様にぽつんと立つ少女の名はケイ。――ケイ・ナガセ。僕の後輩は、黒のメイド服とは打って変わった白のドレス姿で、つまらなそうにワイングラスをくゆらせている。


 思わぬ美少女の存在に声を掛けてくる男は数多あまたあれど、ケイは所在なげにそれらをかわすと、やっぱりつまらなそうにグラスを見つめ俯いていた。


「ケイ、居たのか。今日はご苦労」

 背後からぼぶと肩に手を置く僕に「えっ?」と振り向いたケイは「へ、陛下!」と続けるやビクンと身を震わせた。


「ドレス、持ってたんだな。似合ってるよ」

 胸元のネックレスに触れ、そのまま身体のラインをなぞる僕に「あ、あの……」とだけ返すや頬を赤らめたケイは(ルドミラに張り合おうと思っちゃったら……うう、ちょっと恥ずかしい)と本心を吐露とろした。


「似合ってるさ。それじゃあ名も知れぬお姫様、一つダンスを」

「えっ……だってボク、メイドだよ……エメリア……エメリアは……?」

 キョロキョロと辺りを見回すケイに「皆のヒロインは忙しい。主の命令だ。今はお前が、私のヒロインになれ」と囁くと、ケイが顔を赤らめるのも構わずに中央の奏者に合図を出した。


 ホールに響くクラシカルな音色。その中で舞う黒い皇帝と褐色の少女。異質とも思える組み合わせに場内は湧き、奏者たちはここぞとばかりに乾杯の歌を高く奏でる。


(……うわあ、ボク、センパイと踊ってるよ……)

(なかなか楽しいじゃないか。皇帝冥利みょうりに尽きるな)

 

 たどたどしいケイの足取りをリードする様に僕が踊る。

 どうやらヴェンデッタで得た記憶の一つなのだろう。自然と一挙手一投足が、社交の場に適したダンスを、適宜選んで踊ってくれる。


 やがて曲の終わりと共に動きを止めた僕たちに、周囲から割れんばかりの拍手が沸く。その中には群衆に紛れ、アルコールで頬を染めたエメリアの姿もあった。


 ――そろそろ頃合いかな。

 エメリアが下戸なのは僕自身よく知っている。緊張の糸が切れる今宵こよいともなれば、その脆さは一層に増すだろう。長引かせる前においとまし、自室で休んで貰うのが最上と考えた僕は、ケイに耳打ちするとその場を離れた。


(すまんケイ。エメリア、そろそろ限界だから連れ出すぞ)

(うん、ありがとうセンパイ。また後でね)


 


「ふへえ、陛下。ダンスもお上手らったんれすね……」

 既に呂律ろれつの回らなくなったエメリアは、周囲の男たちを跳ねける様に僕に身を預けてきた。皇帝の接近に否応なく人並みは引き、ドーナツ状の空洞の中で、僕とエメリアは抱き合っていた。


「少し飲んだな。まだ歩けるか?」

 とろんとしたまなこのエメリアの双眼を覗く僕に「やらなあ陛下……れんれんだいひょうぶれすよ」と、全然大丈夫じゃない口調でエメリアは返す。


「はあ。大丈夫じゃないな。出るぞ」

 よいしょとエメリアをお姫様抱っこする僕に「ああん、陛下」とエメリアが腕を回す。


「すまないな皆。今日の主役はお疲れの様だ。早めにおいとまとするが、皆は時の許す限り楽しんでいって欲しい。――エスベルカに、そしてラインアークに栄光あれ」


 一斉に「栄光あれ!」と歓声の飛ぶ中、僕は一気に音の無くなった廊下に出ると「はあ」と溜息をついた。エメリアはもう眠りこけているらしく、くーくーとした小さな吐息が闇に混じって聞こえるだけだ。




「あらあら、お疲れの様ですねえ、レイヴリーヒ皇帝陛下」

 僕が顔を上げると、修道服姿のシンシアが微笑んでいた。窓から漏れる月光が、彼女の豊かな肢体を否応なく強調させる。


「ああシンシア。いいのか? パーティには出なくて」

 尋ねる僕に「お姉さんはもういいですよう。年ですからねえ」とくすくす笑ってみせた。


「年って事は無いだろうけど……まあ、出て楽しいもんでもないか」

 肩をすくめて笑う僕もまた、皇帝という仮面ペルソナを脱ぎ捨てつつあった。


「そうですねえ。それよりも、今日はおめでとう、って言いに来ましたよう」

 つかつかと歩み寄るシンシアは、僕とエメリアに交互にキスをすると「本当に、本当に頑張りましたねえ」としみじみ呟く。


「これもずっと支えてくれたシンシアのお陰さ、ありがとう」

 僕もそう呟くと、少し背伸びして待つシンシアに口吻こうふんを重ねる。


「ふふ……治療は今度。今日は自分の時間を、自分の為に使って下さいねえ、ララト」

 タンタンと二歩下がり、そうして悪戯げに微笑んだシンシアは「バイバイ」と小さく手を振って僕たちと別れる。


 


 月の明かりに照らされた、エメリアの自室に続く廊下。城の者の殆どがパーティに列席する最中、コツコツと響く僕の足音以外は、城内は静謐せいひつに包まれている。


 やがて僕はエメリアの自室にたどり着くと、ガチャリとドアの鍵を開けた。薄暗い部屋に上がった僕は、エメリアをベッドに寝かせると、浴室の湯を溜め始めた。


 横たわるエメリアの法衣を少しずつ脱がし、生まれたままの姿に戻していく。昔ならば赤面したであろうこの光景も、勇者エイセスと行動を共にする半年で、日常のそれに変わってしまっていた。


 ディジョンに汚されたエメリアの、その身体の拭き掃除あとしまつ。敢えてそうする様に仕向けられた命令に、僕は背くことも出来ないまま従事し続けた。


 思えば惨めな時間だった。だけれどその惨めを乗り越えて叩き潰せたのなら、今日のこの日には価値があるのだろう。今の僕は皇帝で、エメリアは勇者エイセスを超えた戦士だ。


 湯の溜まったバスタブにタオルをひたし、温もったそれでエメリアの身体を拭く。これまで随分と汚された筈だ。にも関わらず、彼女はなお白絹しらきぬの様に美しい。


「うーん……ララト……」

 寝言を呟くエメリアは「やったよ……私……すき……」と続けると、またくーくーと寝息を立てる。


「……ああ、僕もだよ」

 届かない事は承知で僕も返すと、幼馴染みの身体を清める作業を、黙々とこなした。多分、大丈夫。僕が居なくなっても、魔王さえ倒したのなら、きっとエメリアはベルカを率いてやっていける。


 ――いや、そういう世界にしなければならないのだと僕は頷き、眠るエメリアにパジャマを着せ終えると「おやすみ」と告げ部屋を出た。気がつけば空を覆うほどに大きな満月が僕を見下ろしていて、それは何だか、今日という一日への祝福の様にも思えた。

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