九章12:後夜は、月夜の下で貴女と踊り
「――どうやらあの女の前で、お前と触れるのはご法度らしいな」
レストインピースが捨て台詞の様に言い残しアリーナを去ってから数刻、軍事同盟ラインアークは無事に成立し、
目の前で
「ふふふ。まさかあのエメリアが、ここまで強くなるとは驚きですねえ」
法衣の裾で口を覆い、くすくすとゾディアックが笑う。
「あんなの反則でしてよ……
ギリリと歯噛みし目を伏せるフローベルは(ララト、いい加減あたくしを早く鍛えなさい)と小声で耳打ちをした。
「フローベル。まあそう慌てるな。こっちにはまだ何日か居るんだろ。明日の昼にでも上の武道場でやってみよう」
魔力の注入となると、リアクションの都合から公衆の面前では行いづらい。僕は僕のプライベートエリアでの訓練を申し出た。
「そ、それは……二人きりで、ですの?」
俄にびくりと肩を震わすフローベルが、頬を赤らめる。
「ああ。それとも他に誰か居た方が良いか?」
分かっていて問う僕に「う、うるさいですわ……」とフローベルが返す。
尚お子様のアンジェはと言うと、とうに眠った後で、お
「へいか! へいかー!」
そうしてナヴィクのグループを離れた僕が歩いていると、今度は幼く甲高い声が聞こえた。
「アンサング?」
見れば足元には、幼女型の義体に身を包んだアンサングが、うるうるした瞳でこちらを見上げている。
「おおおお! おじいさまから聞いておりましたのじゃ。レイヴリーヒ皇帝陛下。わしは孫娘のアンナと申しますじゃ! 祖父は今部屋で休んでおりますゆえ、わしが参ったのじゃ!」
そこまでして幼女の姿で歩き回りたいのかと内心で苦笑を
(あ、お兄ちゃん、ここではアンナちゃんって事になってるから。アンサングのおじいちゃん)
(ああそういう事か……分かった)
小声のフィオナに相槌を打った僕は「アンサング氏には世話になった。こんな可愛らしいレディに好かれているとは、私も鼻が高い」といつもとは違う素振りで、アンサング……いやアンナを抱きかかえる。
「おおおお……感激じゃレイヴリーヒ殿! ふひひひ……!」
だがここぞとばかりにハグから始まり、頬をすり寄せては身体を絡みつかせてくるアンサングに、今度は見ているフィオナのほうがほっぺたを膨らませた。
「さて……余り年端もいかぬレディと戯れていると、あとあとウチの
僕はルドミラを
「どうだフィオ。パーティは楽しめているか?」
やっと自分に話題が来たと破顔したフィオナは「はい陛下! アンちゃんたら色々な事に詳しいから、こっちに居る間に
「そうか。成果の報告を楽しみにしている。フィオナ研究室長」
――はっ、陛下。と敬礼する義妹を背に、僕はこちらを手で招くエルジアの首魁の元へ向かう。
「今日は助かった。イリヤ」
既に酒の入ったイリヤは、白い肌を上気させて僕にしなだれかかる。
「ふふ――面白いものが見れた手前、
見ればこの席の面子は皆が酔っ払っていて、その中には酒を酌み交わすレオハルトとサイモンの姿もあった。ちなみにタマモはと言うと、眼をぐるぐるにして床に伸びている。――どうやら未成年の飲酒禁止、という概念はエルジアには無いらしい。
「これは陛下。実は私、サイモン殿とは旧知の仲。今日は久方ぶりに剣を交える機会をお与え頂き、ありがとうございました」
一礼するレオハルトの隣で、サイモンも盃を上げ赤ら顔で頭を下げる。
「そうだったか。サイモン殿にはエメリアの
見た目によらず酒に弱いのか、はたまた血色が良いだけなのか。
「げに恐ろしきおなごじゃ。そなたの懐刀は。これからもっともっと強くなるであろうな。――
釣られる様にけらけらと笑うイリヤは「タマモの事もお頼み申す」と耳元で囁くと、また可笑しそうに笑みを溢した。
「――タマモが本当に望むのならな。だが余り
そう告げる僕に「あい分かった。その様に致そう。なにせ
「へ、陛下……お取り込み中、申し訳ありません」
そこで背後から聞こえたのは、馴染み深いルドミラの声だった。振り向いた僕の前には、いつもと違う黒のドレスを纏ったルドミラと、同じく黒の、ただしこちらは
「よう陛下。そして
よっと手を振って見せるリザは「見てやってくれ、こいつのドレス姿、中々に可愛いだろ」とルドミラのスカートの裾をひらひらと
「こら、やめなさいリザ・ヴァラヒア! 申し訳ありません陛下。この女がどうしても挨拶をと」
恥ずかしそうに俯くルドミラを
(分かってるって。ただ余り派手な事はするなよ。一応は公衆の面前なんだから)
――はいはい。と
。そしてお疲れ様。今日ぐらいは楽しんでくれ」と、僕はルドミラを
「いえ――、私はただ、臣下として務めを果たしただけですから」
するともじもじとするルドミラの腰を、リザが小突き、その拍子に小さい身体が僕に傾く。
「あっ」
声を出すルドミラを受け止めた僕は「いいや、よくやってくれたさ、ルドミラは」ともう一度労い、その肩を抱いた。
「は……はい……」
胸元でぎゅっと手を握りしめるルドミラを、後ろでリザが「ひゅーひゅー」と口笛を吹いて囃し立てる。
(うう……申し訳ありません……リザが……)
(気にするな。とにかく今日は、たくさん食べてゆっくり休むんだぞ)
(……はい)
小声の問答を終えたルドミラは、すっと身を離すと「すー」と深呼吸をし「それでは陛下。私はもう少し、リザを案内して回ります。色々と話したい事もありますので」と一礼すると、いつも通りのクールな表情で去っていった。
――中々に忙しいな。
ヴェンデッタを纏ったままの仰々しい姿とは言え、皇帝という役職柄どうしても語らう相手は増えてしまう。さてどうしたものかと目を泳がせていると、その視線の先に一人、見慣れた顔の、見慣れない佇まいがあった。
パーティで賑わうホール。その輪から取り残される様にぽつんと立つ少女の名はケイ。――ケイ・ナガセ。僕の後輩は、黒のメイド服とは打って変わった白のドレス姿で、つまらなそうにワイングラスをくゆらせている。
思わぬ美少女の存在に声を掛けてくる男は
「ケイ、居たのか。今日はご苦労」
背後からぼぶと肩に手を置く僕に「えっ?」と振り向いたケイは「へ、陛下!」と続けるやビクンと身を震わせた。
「ドレス、持ってたんだな。似合ってるよ」
胸元のネックレスに触れ、そのまま身体のラインをなぞる僕に「あ、あの……」とだけ返すや頬を赤らめたケイは(ルドミラに張り合おうと思っちゃったら……うう、ちょっと恥ずかしい)と本心を
「似合ってるさ。それじゃあ名も知れぬお姫様、一つダンスを」
「えっ……だってボク、メイドだよ……エメリア……エメリアは……?」
キョロキョロと辺りを見回すケイに「皆のヒロインは忙しい。主の命令だ。今はお前が、私のヒロインになれ」と囁くと、ケイが顔を赤らめるのも構わずに中央の奏者に合図を出した。
ホールに響くクラシカルな音色。その中で舞う黒い皇帝と褐色の少女。異質とも思える組み合わせに場内は湧き、奏者たちはここぞとばかりに乾杯の歌を高く奏でる。
(……うわあ、ボク、センパイと踊ってるよ……)
(なかなか楽しいじゃないか。皇帝
たどたどしいケイの足取りをリードする様に僕が踊る。
どうやらヴェンデッタで得た記憶の一つなのだろう。自然と一挙手一投足が、社交の場に適したダンスを、適宜選んで踊ってくれる。
やがて曲の終わりと共に動きを止めた僕たちに、周囲から割れんばかりの拍手が沸く。その中には群衆に紛れ、アルコールで頬を染めたエメリアの姿もあった。
――そろそろ頃合いかな。
エメリアが下戸なのは僕自身よく知っている。緊張の糸が切れる
(すまんケイ。エメリア、そろそろ限界だから連れ出すぞ)
(うん、ありがとうセンパイ。また後でね)
「ふへえ、陛下。ダンスもお上手らったんれすね……」
既に
「少し飲んだな。まだ歩けるか?」
とろんとした
「はあ。大丈夫じゃないな。出るぞ」
よいしょとエメリアをお姫様抱っこする僕に「ああん、陛下」とエメリアが腕を回す。
「すまないな皆。今日の主役はお疲れの様だ。早めにお
一斉に「栄光あれ!」と歓声の飛ぶ中、僕は一気に音の無くなった廊下に出ると「はあ」と溜息をついた。エメリアはもう眠りこけているらしく、くーくーとした小さな吐息が闇に混じって聞こえるだけだ。
「あらあら、お疲れの様ですねえ、レイヴリーヒ皇帝陛下」
僕が顔を上げると、修道服姿のシンシアが微笑んでいた。窓から漏れる月光が、彼女の豊かな肢体を否応なく強調させる。
「ああシンシア。いいのか? パーティには出なくて」
尋ねる僕に「お姉さんはもういいですよう。年ですからねえ」とくすくす笑ってみせた。
「年って事は無いだろうけど……まあ、出て楽しいもんでもないか」
肩をすくめて笑う僕もまた、皇帝という
「そうですねえ。それよりも、今日はおめでとう、って言いに来ましたよう」
つかつかと歩み寄るシンシアは、僕とエメリアに交互にキスをすると「本当に、本当に頑張りましたねえ」としみじみ呟く。
「これもずっと支えてくれたシンシアのお陰さ、ありがとう」
僕もそう呟くと、少し背伸びして待つシンシアに
「ふふ……治療は今度。今日は自分の時間を、自分の為に使って下さいねえ、ララト」
タンタンと二歩下がり、そうして悪戯げに微笑んだシンシアは「バイバイ」と小さく手を振って僕たちと別れる。
月の明かりに照らされた、エメリアの自室に続く廊下。城の者の殆どがパーティに列席する最中、コツコツと響く僕の足音以外は、城内は
やがて僕はエメリアの自室にたどり着くと、ガチャリとドアの鍵を開けた。薄暗い部屋に上がった僕は、エメリアをベッドに寝かせると、浴室の湯を溜め始めた。
横たわるエメリアの法衣を少しずつ脱がし、生まれたままの姿に戻していく。昔ならば赤面したであろうこの光景も、
ディジョンに汚されたエメリアの、その身体の
思えば惨めな時間だった。だけれどその惨めを乗り越えて叩き潰せたのなら、今日のこの日には価値があるのだろう。今の僕は皇帝で、エメリアは
湯の溜まったバスタブにタオルを
「うーん……ララト……」
寝言を呟くエメリアは「やったよ……私……すき……」と続けると、またくーくーと寝息を立てる。
「……ああ、僕もだよ」
届かない事は承知で僕も返すと、幼馴染みの身体を清める作業を、黙々とこなした。多分、大丈夫。僕が居なくなっても、魔王さえ倒したのなら、きっとエメリアはベルカを率いてやっていける。
――いや、そういう世界にしなければならないのだと僕は頷き、眠るエメリアにパジャマを着せ終えると「おやすみ」と告げ部屋を出た。気がつけば空を覆うほどに大きな満月が僕を見下ろしていて、それは何だか、今日という一日への祝福の様にも思えた。
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