九章10:回廊は、独白を経て技場に続き

 コツコツと響く二つの足音が、人影に連れられてやってくる。それを俯瞰ふかんから眺めるのは僕の魔眼。監視の為に放り投げた、遠眼鏡の一つだ。


「――まさかお前が水先案内人だったとはな」

 風の勇者エイセス、ゼネラル・ディジョンが呟く。白銀の鎧キュイラスに、赤い鉢巻、その颯爽たる姿は、在りし日の威容を取り戻している。


「ボクはただのガイド役さ。相手はこの先、闘技場で待ってるからね」

 これに対し、メイド姿のケイ・ナガセも冷静に応じる。ディジョンの少し斜め前を歩くケイは、相手の胸元ほどの身長で、短い歩幅を補う為に早足で歩を進める。


「くく……しかしあいつも酷だな。わざわざ俺の案内を、当の被害者本人にさせるなんて」

 ケラケラと笑うディジョン。一瞬前の爽やかな表情は鳴りを潜め、眉をハの字にした卑屈な顔がそこにはある。


「ボクだから、じゃない? それに本当の相手は、もう死んじゃった・・・・・・・しね」

 威圧する様に横目を送るケイ。同じ勇者エイセスの一団とは言え、ディジョンが手を出したのはエメリア、ケイの相手だったサルバシオンは、僕が力に覚醒したあの洞窟で、最初に命を散らしている。


「サルバシオン、あいつは運が悪かったな。いや、あいつを最初に殺したララトのほうが、存外に賢かったって事か。――結局はビビった俺が、こうして皇位を渡す羽目になっちまったんだから」

 

 自嘲めいた台詞と共に かぶりを振るディジョンは「確かに正解だったのさ。俺でさえサルバシオンは、頭痛のタネの一つだったんだからな」と付け加える。


「――だろうね。同年代の二人に対し、一人だけ年長のサルバシオン。あいつの玩具オモチャ探しにキミが腐心してたってのは良く分かった。ま、ボクが丈夫で良かったね」

 相変わらず冷淡なケイ。それは僕が目にした事の無い、冷たい彼女の口調だった。


「いいや、むしろ何故壊れなかったのかを知りたいぐらいだ。ハハッ。腕まで突っ込まれて、もうガバガバだろうに、くくっ」


「――センパイが居たからね。あんな程度で壊れるなんて、冗談じゃない」

 分かりきってるとばかりに肩をすくめるケイに「何故だ」とディジョンが、次には強い口調で返す。


「なぜ、なぜ、お前も、エメリアも……どの女も。ララト、ララト、ララト、ララト……普通の女ならとっくに堕ちてる。俺は勇者エイセスだぞ。世界で最強の、唯一無二の……それになぜなびかない。屈服しない。――させる事が出来なかった」

 独白の様にうめくディジョンだったが、ふと立ち止まったケイは、憐れみを込めた表情でそれを見つめる。


「キミは哀れだね。何でも持ってるとうそぶいていた癖に、内心でいつも怯えていた。妬ましかったんでしょ、センパイが。――そして腹ただしかった。自分には何もないんだって顔してるあの人が、その実は何もかもを持ってたんだって事実が」


 合わせる様に立ち止まったディジョンは、忌々しい眼差しを一瞬だけケイに向けるが、視線が合うや今度は逸らす。


「嫉妬だと……この俺が、あんな虫けらに? 馬鹿を。見せつけてやりたかったんだよ。初めから何もかも持ってる甘ちゃんに、愛なんて所詮はこんなものだと。奪われてしかるべき脆いものだと」

 

 すると一呼吸を置いたケイが、肩をすくめて空笑くうしょうこぼす。


「――初めから何もかも持ってる? だったらそう思ってる時点で、キミはセンパイの事まるで分かってないし、だから勝てないね。アッハハ」

 空っぽの笑いで色の無い瞳を覗かせるケイから、目をそらしたままディジョンは応える。


「お前たち凡人だって、何も分かっていない癖に……俺たちの事なんて、これっぽっちも。勝手に英雄とはやたてまつり、義務も責務も全て投げ出して……だったら、だったら何が悪いってんだ。他の連中の尻拭いをしてやってるんだこっちは。女の一人や二人、手を出して何が悪い……手篭めにして何が悪い。どうせ理解もしない癖に、くくっ、ははっ」


 目頭を手で抑え、乾いた声を返すディジョンは「ちっ……喋りすぎたな……行くぞ」と前を向くと、もう一度歩を踏み出す。


「――誰にだって同情の余地はある。だけれどそれと非道を受け入れるのは、また別の話さ。ま、その押し付けられた責務ってヤツが、今日でチャラになるんだったらいいんじゃない。おめでとう、終わるよ全部、何もかも」

 頭の後で腕を組むケイは、さも他人事の様に呟く。


「終わる……? 嫌だ。俺は死なんぞ。お前たちがそうした様に、俺も生き延びてやる。お前たちに出来て、俺に出来ない訳が無い。終わらない、俺は。この力があれば、まだ」

 前方の一点だけを凝視するディジョンは、ケイの言葉を否定する様に歩みを早めた。


「ほら……もう少しだね。出口の光が見えてきたでしょ。後は自分の目で確かめて。もしかするとそれは、キミに対する救いかも知れないし、或いは突きつけられる残酷な真実かもしれない。どっちにしたって、ボクはボクの務めを果たしたんだ」


 アリーナに続く扉に手をかけたケイは、ギイとそれを力強く押す。隙間から木漏れ出る光が大きくなって視界を包み、少し遅れて万雷の喝采が訪れた。

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