九章09:役者は、舞台と共にそろい踏み

「――ケイ、起きろ。おい、起きろって」

 アナトリアを後にしてすぐ。僕がリザを従え部屋に戻ると、そこではケイがくーくーと寝息を立てていた。


「ん、んー、せんぱいのばかー」

 ほっぺをぷにぷにとつねり起床を促す僕に、リザが(こいつにも手を出しちまえよ)と耳元で囁く。どうやらフィオナと別れた今、沈黙タイムは終わりを告げたらしい。


「いや、起きてるのは知ってるんだ。ほら、いい加減イタズラするぞ」

 しっしっと僕が雑音を払い、ぶにんとほっぺが伸び切った所でケイがを上げる。


「ぐぬぬ……気づかれてたか……敢えて手を出させる事で、センパイの弱みを握ってやろうと思ったのに」

 僕が手を離すやぐでんと横になったケイは、今度は自らの頬を膨らませ毒づいた。


「お前は本当に寝ている時は寝言を言わないんだよ。いびきをかいてるからな」

 やれやれと僕が隣に座ると「う、嘘だー!」とケイが頓狂とんきょうな声を出す。


「――まあそれは冗談として、だ。どうしたんだこんな所で」

「あー……ほら、センパイがあっちこっちでエッチしてるからさ。ひとりぼっちで可哀想なボクは、ええと……そうそう、サラを探してここまで来たんだ。哨戒の交代にね。んで、サラが起きなくて……いつのまにか、とろんと」


 どうやらケイは、起きないサラにちょっかいを出しているうちに眠りこけてしまったらしい。薄っすらと目尻に付いた涙の跡を拭い「ごめんな」と僕は告げる。


「ごめんって言うなら、最初からしなければいいじゃん!」

 しかしフンフンと言いながらも何処か嬉しそうなケイは「これでどんどん、センパイのボクへの借りは大きくなるのだ」と笑みを浮かべている。




「ふあーあ。いいなあケイは、陛下といちゃいちゃ出来て」

 と、ここで横槍を入れたのはサラ。背伸びから欠伸へのコンボを決める彼女だが、中身はリザ。すなわち厄介な彼女の姉だ。


「げっ……起きてたのサラ? んんん、まあボクと陛下ならそのくらいの関係性は然るべきだからね!」

 自慢げに胸を張るケイは「まったく、サラがだらけてるから、ボクまで叱られちゃったじゃないか」と責任を押し付ける。


「あーそっかそっか。じゃあアタイは今日は引き下がろ。な、陛下。今度、今度な?」

 すかすかのタンクトップをこれみよがしにはためかせ、谷間の無い胸をちらつかせサラは言う。


「はっ?! センパ……陛下! サラともえっちぃ事してたの??!!」

 ギリギリで陛下と言いかえたケイは、しかし怒り心頭とばかりに拳を上げわなわなと震えている。


「おいサラ……誤解を招く様な事を言うな……」

 無論本来のサラは、ガサツな見た目より遥かにしおらしく、こんな事を言う少女では無い。全ては転移ゲートの術でやってきて、サラに居座るリザの所業だ。


「あ、ごめん陛下! じゃあアタイは、二人の邪魔をしない様に警備に回ってくるよ。いやーよく寝た。ふああ」

 




(どういう事センパイ! あんな幼気いたいけちっぱい・・・・にも手を出して!!!! もしかしてロリコン? 本当はフィオちゃんがタイプ?)


 さらっと無礼を口にするケイだが、このまま妹を性対象にしていると思われては沽券こけんに関わる。


(誤解だ……! ちょっと説明は出来ないが……で、出来ないからと言ってやましい訳じゃあない。あとこれだけは言っておく! ――フィオは、違う!)


 小声ながらも反論する僕は「やれやれ」とかぶりを振るケイに「分かった、分かったってセンパイ」と話題を断ち切られた。




「――時間、なんだね」

 その声は、一瞬前とは打って変わって真面目そのものだった。


「――ああ」

 僕もまた頷く。エメリアが一対一でディジョンを屠る陰で、ケイにはケイの役割があった。


「オッケー、分かった。エメリアにもエメリアの、決着ケリってヤツを、つけさせてあげないとね」

 子リスの様にくるりとした瞳を潤ませて、ケイは微笑んだ。


「頼む。ありがとう」

 そうだけ告げて、僕はケイを抱きしめる。


「こっちこそゴメンね。なんだか今日は、誤魔化すみたいにワガママ言っちゃってさ」

 言うや僕から身体を離したケイは「このケイ・ナガセにまっかせない!」と、黒いメイド服の胸元を叩いて見得を切る。


「――ああ、結界は張ってある。安心しろ」


「あのねセンパイ、ボクがセンパイの前で不安だった事は一度も無いんだよね。だから、愚問、愚問」

 

 ――じゃ、勇者の時代が終わったら、ね。ケイは言い残すと、手を振って部屋を出ていった。行き先は無論、勇者エイセスの居る地下の牢獄。


(ありがとな……ケイ)

 もう一度仮面を被り直した僕もまた、ケイの後を追う様に下階へ向かった。ただし彼女とは逆の、皆の待つアリーナ席へ。




*          *




「まったく申し訳ありません陛下。私が付いていながら、この様な……」

 アリーナに着いた僕を待っていたのは、RIPの首根っこを掴み謝罪するレオハルトと、その隣で同じく、タマモを抱え頭を下げる、サイモンの姿だった。


「ご両名とも、陛下がお呼びになったご婦人方ですね。どういう事ですか、これは?」

 僕の前に立ちふさがったルドミラが、険しい表情で詰問きつもんする。


「はあ。すまないなルドミラ、追って説明する。レオハルト、サイモンもご苦労」

 僕はルドミラの肩に手をおいてすっとずらすと、同時にこうべを垂れる二人の元に歩を進める。




「まったく、サイモンが割って入らねば此方こなたの勝ちであったのに!」

 ふてくされた様にそっぽを向くタマモだったが、顔はぼこぼこに膨れ上がっており、満身創痍である事は傍目はためにも明らかだ。


「黙れ……よくもそんな格好で負け惜しみを。私が退いてやった手心すらわからぬとは」

 そう返すRIPレストインピースもまた、仮面を割られたのか手で顔を隠ししている。まったくこれでは、巷に出回る素人モノの、如何わしいアレじゃあないか。


「ま、まあなれ醜女しこめと呼んだ事は詫びる。そこのなんと言ったか、ルドミラとか言うのにそっく……うごふッ!!?」

 だが殊勝にも謝罪を口にしかけたタマモを待っていたのは、最後の一言を封じるRIPの拳だった。見事にみぞおちを強打したそれに「な、なぜじゃ……」と口から魂を吐きタマモは伸びる。


「なら醜女しこめで結構……さあ、もう良いな。陛下への報告も済んだ。私は私の在るべき場所へ、帰る」

 ふんすと鼻息を荒くするRIPは、レオハルトの拘束を関節を外し逃れると、フードに顔を隠して距離を置く。まあ実姉ルドミラに正体を知られたく無い以上、彼女の焦りには共感する部分もなくはない。――いやそれなら、こんな騒ぎを起こすなよという思いが大勢たいぜいだが。


「タマモ、レストインピース。お前たち、後でこってりと絞るからな……式典中は大人しくしていろよ」

 凄んで見せた僕に、青あざたっぷりのタマモはしゅんとして項垂れたが、一方のレストインピースはたったと駆け寄ってきて「待っている」とだけ告げて去っていった。


「む……待っているって……やっぱり陛下……そういう……」

 RIPの一言を聞き逃さかったルドミラが、猜疑を孕んだ目でこちらを見つめる。


「ルドミラも、手を煩わせたな。あいつらにはキツく言っておく。お前は私の隣に居ろ。じきに式典が始まる」

 敢えて聴き逃した振りを演じ、僕はルドミラに告げた。


「は……はい! かくなる上は、私が陛下を、有象無象うぞうむぞう不埒ふらちやからから、お守り致します!」

 一人で頷いたルドミラは、くわっとした表情でそう返すと、書類を抱え先に壇上まで歩いていく。


「……サイモン。タマモを」

 僕は次にサイモンの腕からタマモを預かると、抱えてルドミラの後を追った。


「な、何をするのじゃ! 離さぬか!」

「タマモ殿。未来のみかどに何と無礼な……」

 じたばたと藻掻もがくタマモと、それを制止するカオルーンの三席。


「お前も、イリヤの居る場所に行かねばならんだろう。ほら、暴れるな」

 ぐぬぬと歯ぎしりするタマモは「彼方かなた此方こなたを馬鹿にして!!」と恨み言を零す。


「馬鹿にはしていない。お前は力はあり持っているのに、その使い方が下手糞なのだ。だから一対一の戦いになる度に、自分より格下の相手に負けるのだ」

 実際魔力のキャパシティで言えば、先刻この場に居た誰よりもタマモが高い。にも関わらず実戦で遅れを取るのは、一重に隙と無駄の多い、彼女の戦い方に起因している。


「なれば彼方が此方に教えてくれれば良かろう! そ、その戦い方とやらを!!」

 それからぶー垂れるタマモだったが、頭上から響く聞き慣れた声にぴくりと身を震わせると、借りてきた猫の様におとなしくなった。




「良い眺めじゃのう。未来の夫と我が娘が、微笑ましく仲睦まじいのは」

 見ればタマモの母、イリヤ・カイ・ナインテイルズがこちらを見下ろしている。相変わらずの美貌、相変わらずの妖艶。振りまかれる絶え間ない色香は、並の男ならすぐに虜にさせられてしまうだろう。


「なっ……母上!! 何を申すか! 此方こなた夫婦めおとちぎりを結ぶなどとは一言も……!」

 反射的に反論を企てるタマモだったが「黙れ愚女! カオルーンの二席が、他所の国のつわものに遅れを取るとは何事か。弱き者がさえずる権利など、醜悪しゅうあくの極みぞ」と気圧されて「うう」と呻いたきり言葉を失った。


「おいイリヤ、余り虐めてやるな。そもそもお前が無理難題を吹っかけなければ、タマモも暴れる事はなかったのだ。大事の日に、騒ぎを起こすな」

 居たたまれず仲裁に入る僕に、今度は打って変わって上機嫌なイリヤが近づいてくる。


「ほっほっほ。それで良いのじゃ。波風の立たぬ所に色恋も生まれぬ。つ国のみかどが奥手なれば、こちらから押してみるのが道理というもの」

 扇子をぱっと出し、ふぁさと扇いで見せたイリヤは「それではエメリア殿のご勇姿、しかと目に焼け付けようぞ」と誤魔化ごまかすと、自らの席に戻っていった。




 アリーナを見下ろす上階には、特等席とも呼ぶべき一画が、中央にせり出している。通常は皇帝の、催事には各国の要人が集うその場所には、今はイリヤ・カイ・ナインテイルズを筆頭に、マクミラン、そしてノーデンナヴィクの盟主が揃っている。


 ついさっき会ったばかりのゾディアック・アルバ・ポーラスターは、にこやかに立つと一礼をする。隣に立つフローベルも様子は同じで、どうやら公の場所では応対が違うのだと胸を撫で下ろす。


 次いでスーツとやらを纏う老人の顔に疑問符を投げかけた僕だったが、そう言えばこれがアンサングの本体だった。助手として付き添うオープニングが、いつも通りのクラシカルなメイド服姿で佇んでいる。


 イリヤはと言うと一人悠々自適と言った様子で、僕の腕から降りおずおずと向かうタマモを一瞥いちべつすると、これみよがしに大きな溜息を吐いて見せた。


(陛下、各所の準備、整いました)

 最後にルドミラの、極限まで背伸びした囁きに頷いた僕は、外套マントをはためかせ三人の代表に向かい合った。




「諸君、遠路はるばるご苦労だった。時代の岐路きろたるこの日に、馳せ参じてくれた事に心から感謝する」

 既に事情を察している三人の顔には、うっすらとした笑み以外に何も無い。


「知っての通りこの儀式は、勇者の時代を終わらせる為の茶番に過ぎない。しかし民心から神話を拭い去る為の、必要欠くべからざる通過儀礼でもある。諸君らには、信仰の終焉と、来たるべく未来の為に協力をこいねがいたい」


 この一ヶ月は、主要国家が勇者の無価値を説いて回る為に費やされ、その結実が今日だった。人類最強であった筈の勇者が、一介の騎士に敗れ去る失望。そして失望の伝播でんぱがやがて憎悪や嘲笑ちょうしょうに変わり、それで勇者の時代は終わりを告げるのだ。




「ナヴィクに関して言えば、問題はありません。むしろ勇者による被害国ですから、我々は。既に勇者=悪の図式を、プロパガンダとして周知を終えています。プロフェゾーレを除名されたユークトバニアに代わるの新任が、今日ここに居る彼女、フローベル・ルイ=ヴァンテ・アンです」

 

 手で示されたフローベルが、軽くではあるがお辞儀をする。その姿は高貴と呼ぶべきであって、普段の高慢とは似ても似つかなかった。




「ミランも問題は無し、じゃ。こちらは楽しく安全に、技術開発が出来ればそれで結構。今日連れてきた孫娘も、陛下の大ファンでしてな。そういった次第で、協力は惜しまんよ」


 いつの間にか孫娘扱いされていた幼女型アンサングを脳裏に浮かべ、内心で苦虫を噛み潰した僕だったが、仮面の奥で言葉を飲み込む。




「エルジアも同じじゃ。強きこそ正義。わらわもお主の大ファンなのでな。いつでも抱かれる準備は整えておる」

 悪戯げな笑みを浮かべるイリヤは「前置きはもうよかろう」とばかりに、踵を返し眼下のアリーナに目を落とす。




「ならばこれが終焉の開演だ。風の勇者、ゼネラル・ディジョンと、我が近衛隊長、エメリア・アウレリウス・ユリシーズのな」

 

 すっと窓から飛び、天蓋の頂上に立った僕の手を合図に、両翼の扉がうなりを上げ開いていく。


 その先に待っている者は、かつて風の勇者と呼ばれた男と、僕の幼馴染。蹂躙せし者とされし者の刃が、こうして白日の下に交わされる事となった。

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