九章:ラインアーク、新たなる時代の名を

九章01:戦力は、勇者を超え斯く至れり

「――陛下、本日正午より、各国代表が到着致します」

 ノックもそこそこに部屋の入り口に立つルドミラが「おはようございます」と後付の様に告げて微笑ほほえむ。帝都帰還から丁度一月。今日は同盟締結の為、各国から代表が集うその日だ。


「そうか。ならそれまでに城内を一通り見ておいた方が良さそうだな。ありがとう、ルドミラ」

 こちらは今しがた起きて鎧を付けたばかりだと言うのに、ルドミラは髪型を整え、うっすらと口紅を塗り、既に仕事の支度したくを終えていた。


「各部署の調整を頼む。私はエメリアに会ってくる」

 僕はルドミラから差し出された紅茶を一口だけ啜り、その後で仮面を被る。


「――はい」

 彼女の褐色の肌が、射す朝日の中で黄金こがね色に光る。


「行ってくる」

 そうして僕は手を振る。


「ご武運を、陛下」

 ルドミラの控えめな声を背後に残し、ドアが閉まった。




*          *




「おっはようございますうう、陛下ー!」

 するとそこでは、一足遅れたケイが、悔しそうな表情で突っ立っていた。


「おはようケイ。どうした……? そんな不機嫌そうな顔をして」

 僕はいつもの事とばかりに歩を進める。


「くうう……またあの女に先越された……ボクと見た目ちょっと被ってるし……くそううう」

 メイド服姿のまま地団駄を踏むケイは「陛下にモーニングコールするのボクの仕事じゃん……! ねえ、ねえ!」と、頭から湯気をぷんすか出す。


「今日は式典の当日だからな。ルドミラの早起きも仕方がないだろう。――それよりケイ。お前にも頼みたいことがある……ちょっとだけ機嫌を直してくれ」


「うーん。うーん……仮にもまあセンパイの頼みだからなぁ……おはようのキスとかしてくれたら、ボクちょっと機嫌直っちゃうかも」

 言った側から、ケイはまぶたを閉じると、可愛らしいアヒル口で口吻こうふんを待っている。


「馬鹿……ルドミラが出てきたらどうするんだ……まったく」

 僕は言いながらも仮面を取ると、すぐさまにケイの唇を奪う。恐らく几帳面なルドミラは、軽く僕の部屋の掃除を終えてから出てくるだろう。なら数分は猶予がある筈だった。


「えへへ……やったね。んちゅ……じゅるる……へへ」

 調子に乗って舌まで絡みつかせてきたケイは、つま先立ちで僕の身体にしがみ付く。本当になんというか、どんどん過激なほうに積極的になっていく……僕の後輩は。


「この前さ……サラに聞いたんだ。センパイがどんな風にエッチしてたか。――お店の女の子なんかとヤらないで。ボクに手を出してくれれば良かったのに……ふふ」

 悪戯げに微笑み、唾液の糸を垂らしながら身体を離したケイは、色気をたたえた目で僕を見上げている。


「はあ……まったくサラのヤツも……お前たちを一緒にして失敗だった……」

 ――話題に上がったサラ・ヴァラヒアは、以前任務で僕の身辺を探っていたらしい。当時は学生兼娼館のボーイだった僕は、そこで店の女の子と致しているさまを、彼女に不幸にも見られていたという訳だ。

 

「へっへっへ……センパイのあんな事やこんな事を聞きながらボクもボクを慰めちゃうよね……えっへっへ」

 そこでさらっと卑猥ひわいな台詞を吐いたケイは、熱っぽい息を吐きながら身をくねらす。これじゃ機嫌を直すどころか、もう全然別次元にトリップしてるじゃあないか。




*          *




「ゴホン……いいなケイ。そろそろ本題に入るぞ」

 それから暫くした僕の咳払いに「ちぇっ」と舌打ちしたケイは「せっかくボクが妄想で身体を暖めてたのに」とつまらなそうな表情を浮かべるが、どうやら機嫌は直ったらしい。リスの様な目をぱちくりさせて「さあどうぞ」と可愛らしく微笑んでいる。


「お前に頼みたいのは、要人の警護だ……いや監視といった方が良いかな」

 ――ゾディアック、アンサング、ナインテイルズ、各国の要人には皆それぞれ手練てだれが警護についているが、万が一という事もある。ケイたちには潜伏スニーキングで周囲の監視と、警戒に当って貰いたかった。


「うんうん。それからアレでしょ。――ディジョンの」

 分かってるよとばかりにケイは、そこに風の勇者エイセスの名を続ける。


「ああ。すまない」

 この任務を頼めるのは、ケイ以外にはありえなかった。軽く頭を下げる僕に、ケイは胸を張って応える。


「気にしない気にしない! じゃ、センパイ。今日こそはボクと一緒にイチャイチャしようね! 頑張ってエメリアに花を持たせてあげるんだから、ね!」

 ――これで万事上手く行ったと胸をなでおろし、僕がケイと階下に降りようとした時だった。しかし背後で音がして、紅茶をすするルドミラが姿を現したのは。




「へ……陛下!?」

 びくりと身体を震わせたルドミラは、気まずそうに目をそむける。流石にもう誰も居ないと思っていたのだろう。なにせ皇帝の為のフロアだ。各所の防音対策は完璧と言って良い。


「ああ、ちょうどケイと話をしていてな。ん……?」

 だが見ればルドミラの手には、ついさっき僕が飲んだばかりの紅茶のカップが握られている。そしてその縁には、ルドミラの口紅の跡が、くっきりと付いているのだ。


「い、いえ……これは……その……残ったら勿体無いと思いましたので……決して……関節的な、キスとか……そういう意味合いでは……」

 そうして泣きそうな顔になったルドミラが、声をかける前にたったと階下へ駆ける様を、僕は呆気にとられたまま見送るしか出来なかった。


「やっぱりあの女……センパイのこと……!」

 ケイはというと、折角直した機嫌すら吹き飛ばして「ぐぬぬ」とルドミラの去ったほうを睨んでいる。


「あ……ああ……まあいいじゃないか……嫌われるよりは……」

 フォローにもなっていない僕の一言に「ボクさ! 愛されるなら何番目でも良いって言ったけど、良いって言ったから良いって訳じゃないんだからね!」と、怒髪どはつ天を衝き窓際に立った。


「はい! じゃあボク、哨戒しょうかい任務行ってきます! センパイは女の子とイチャイチャして来て下さい!」

 そのまますっと姿を消した後輩に、僕は内心で困ったものだなと呟いた。機嫌の移り変わりも、魔窟のコキュートスなんぞよりよっぽど激しい。狂飆ランペイジそのものじゃないかと思わず笑う。


「――まったく、俺はどうしたらいいんだよ」

 最近、独り言で「俺」を使う事が増えてきた。やがて誰も居なくなった廊下をとぼとぼと歩き、僕はエメリアの居る鍛錬場に向かうのだった。




*          *




「陛下!」

「パパ!」

 僕が地下に立った時、そこにはアンジェリカを相手に戦う、ユーティラの姿があった。このマイホームの様な安堵感に、僕はほっと息をつく。


「ユーティ、アンジェ、調子はどうだ?」

 ユーティラに魔力を与え一週間。寝食すら忘れる程に訓練に励む彼女の力は、父レオハルトも目を見張る程に急成長を遂げていた。


「まだまだですわ……強くなった実感はありますけれど、こんな所では……」

 肩で息を吐き、ウェーブがかった薄紫のボブカットを揺らしながらユーティラは言う。


「ママ、強くなった……アンジェ、思い切りやっても大丈夫」

 表情をぴくりとも動かさないアンジェリカの連撃を、ユーティラは茨の盾で巧みにかわす。


「ほう……編み込まれた生けるいばらは、石壁を遥かに超える堅牢さを有する。団長のエメリアが攻めの剣である以上、お前が守りの剣に徹するのは正解だよ」


 僕が率直な賛辞さんじを送りながら歩を進めると、端で見ていたレオハルトが苦笑をこぼす。




「――陛下、私もそろそろ年でしょうかな。ユリシーズ卿はともかく、娘にも追い抜かれる気がしてなりません」

 はあと溜息をつくレオハルトの背後で「ベルリオーズ卿が年なら、俺はどうなっちまうんだ」と、隻眼の騎士アマジーグがかぶりを振る。


「二人ともこれからさ。なに、若い世代の士気が高いのは良い事じゃないか。勇者エイセスに頼らない新たなる時代に、彼女たちは相応しい人材だ」


 しかしそこで、僕は肝心のエメリアの影が無い事に気づく。

「ところで、エメリアは?」


「ユリシーズ卿なら、奥の特別室に」

 言われた側から魔力を辿り、なるほど確かにそこにエメリアは居ると僕は頷く。――ちなみに特別室とは、分厚い壁と僕の結界で設えられた、模擬訓練用の一室である。


「分かった。ありがとう。レオハルト、アマジーグ。今日はグレースメリアをお披露目する重要な一日だ。団員の鍛錬たんれん、すまないが宜しく頼む」


 うやうやしく一礼する二人を後に、僕はエメリアの待つ特別室に向かった。




*          *




「……お待ち、しておりました……陛下」

 すると特別室の入り口には、汗を滴らせるブリジットと、サー・マクスロクが苦しげに立っていた。


「陛下……エメリア様は中でお待ちです……」

 眼鏡を湯気で曇らせ、将軍たちドゥーチェスの一人、マクスロクが続ける。


「二人とも……凄い汗じゃないか」

 見れば特別室の結界では抑えきれない熱波が、石壁の隙間から漏れ出ている。察するに、二人はその熱気を阻むべくここに居るのだろう。


「お恥ずかしい限りです……陛下。副団長の身でありながら、結界を隔てた筈の剣気すら防げぬ始末。お許しを」

 自らの得意とする氷結の魔法で、これでもかとエメリアの熱気に抗するブリジットだったが、張る氷の尽くが溶け、汗となって体中を濡らしている。


「馬鹿め……将軍たちドゥーチェスの一人たる、この私とてはばみ得ぬ剣気なのだ……一介いっかいの騎士が気に病む必要は無かろう。何より相手はあのエメリア様だ。我々凡夫ぼんふでは到底及びも付かぬ地平に、叡智えいちと共に佇んでいるは必定ひつじょうの理……」

 

 よくもまあこの状況ですらすらと長文が出て来るものだと僕は感心したが、結界術をこそ専門とするマクスロクですら、エメリアの剣気を断つ事は出来ないらしい。


「分かった……ブリジット、マクスロク、ご苦労だった。あとは私が受け持とう。どのみちレオハルト級を想定した結界だ。今のエメリアには物足りなかろう」


 僕が指をパチンと鳴らすと、対勇者クラスにまで強化された結界が瞬時に部屋を包み、それと同時にブリジットとマクスロクは膝をついた。


「これより仕上げに入る。二人とも、しばらく休んでおいてくれ」

 最早言葉を返す気力も無い二人を背に、ゆっくりと重い扉が開いた。




*          *




「待ってたわよ……ララト」

 異空間の如き白に包まれた新たなる特別室。その中央で待ち受けていたのは、こちらに背を向けて地面に剣を突き刺す、エメリア・アウレリウス・ユリシーズだった。


「随分と凄い剣気じゃないか。たぎってるな」

 エメリアの肩に手を置いた瞬間、じゅわっと水の消える音がする。


「滾るなんてもんじゃないわ。さあララト……最後の訓練、付き合って」


「――分かった。行くぞ、エメリア」


「――来て、そして、私が勇者エイセスを超えたと、知って」


 その瞬間ぶわっと沸き立ったエメリアの剣気に応える様に、僕もまた剣を構えた。

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