八章06:皇帝は、日々の帳に溜息を吐き

「なーにがママだよー、センパイのマザコンー、エッチー」

 案の定というか、潜伏スニーキングを解いたケイから飛んできたのは、僕とユーティラの逢瀬おうせ揶揄やゆする、ごうごうたる非難の嵐だった。


「まったく……術を使っても無駄だと言っただろう……」

 実のところ、途中で二人が覗いていたのは分かっていた訳だが、ユーティラたちの手前、何も言い出すことが出来なかっただけなのである。


「だから止めようっていったじゃんケイ……」

 はぁと溜息をつくサラが、疲れきった様子でかぶりを振る。そういえばこいつは、今日一日フィオナの助手をやらされていたんだっけ。


「ま、ボクだって好きで覗いてた訳じゃあないんだけどね! どこかのセンパイが、かわいいかわいいメイドとの時間をほっぽり出してイチャイチャしてるからさ!」

 頬を膨らませたケイが、メイド服のスカートをひらひらとさせながらいきどおる。――ちなみに中はスパッツだから、これでパンツが見えるという事は無い。


「ああ……それはな。悪かったと思ってる」

 一応はケイとの約束が脳裏にあった一方、つい苦しむユーティラに居たたまれなくなった僕が、勝手に予定をねじ込んでしまった……その責任は、確かにある。


「別に良いですけどね! メイドですから、ボクあくまでメイドですから!」

 腕を組んで後ろを向くケイを横目に(陛下も大変なんだな……)と、サラが憐れみを込めた視線でこちらを見る。


(そう言うなよ……サラ……今日はフィオの助手、務めてくれてありがとうな)


(アタイは別にいいけどさ……すごいなあのフィオナって子。いやマジでちょっと怖かった……マッドサイエンティストっていうの……アレ……)


 お互いに小声での応酬を繰り返し、僕は背を向けたままのケイの背後で立ち止まる。




「――この埋め合わせは後でするからさ、な」

 ぽふと肩に置かれた手に「その言葉を待っていました」とばかりにケイが振り向いて破顔する。


「オッケー! 温泉? デート? センパイの部屋? まあボクはどこでもいいけどね!」

 ちっ、どうやら地雷を踏んだと内心で呟いた僕は「僕もどこだっていいさ。ケイと一緒ならな。――とりあえず、同盟が結ばれたら考えよう」とお茶を濁すと「それより今日は、サラの事よろしく頼むな」と付け加えた。


「あ、アタイは別に、寝れればそれで……」

 遠慮がちなサラの腕を引っ張り「固いこと言わない言わない! ここほら、陛下専用のフロアだからさ、岩盤浴とかアロマとか色々あるんだよね! 折角だからゆっくりしていってよ!」と、ケイが言う。どうやら機嫌はすっかり良くなったらしい。――まあ、元々本気で怒っていた訳ではないのだが。


「そうだな。明日までにはまともな宿を用意しておくから……五月蝿うるさいメイドが一緒だけど、一晩だけ我慢してくれ」


「五月蝿いって!!! まあボクには、ユーティみたいに母性とか無いですけど!」

 即座に憤慨するケイだったが「だったらお前がママになるか?」と僕が問うと、ぼっと顔を赤くしたまま黙ってしまった。


「うう……ボクを馬鹿にして……行こうサラ。センパイなんて一人寂しくシコって寝ればいいんだ……」

 申し訳なさそうにこちらを振り返るサラに手を振って、その日僕たちは別れたのだった。




*          *




「……はあ」

 サラから伝染うつった様に溜息を漏らし、僕が部屋に戻る頃にはもう時計は十二時の手前だった。ケイたちと別れた後、一応はとエメリアの見舞いに向かい、愚痴を聞いたと思えば一日が終わる。


「待ってくれ……俺、何一つとして自分の時間を使えてないよな……」

 つい俺という一人称を用いてしまった僕は、そのままに天井を見上げる。流石に皇帝の部屋らしく、細かい文様が空一杯に広がってはいるが、今はそれを楽しむ余力は無い。


「ハーレムっちゃハーレムなんだろうけど……はぁ」

 世間一般の認識で言えば、本来ならば釣り合わないだけのレベルの美女たちに囲まれたまごうことなき天国ハーレムだ。だがそれぞれに割く時間をかえりみると、うっかり枯れ細ってしまう程度には過酷なスケジューリング。この身体で無ければとっくに限界を迎えているに違いない。


「面倒だけど、やるしかないよなあ」

 おまけに一日の終わりには、僕を包むこの真っ黒な鎧を外さなければならない。こいつが毎回とてつもなく痛い。だけれども……諦めてやるしか無い。


「……届きえぬ言葉、秘めたる想い、絶えざる怨嗟、そして終わりない悔恨。全ては慟哭と共に、あの白夜の日に。消えよ。失せよ。分かたれよ。その憎悪の名を――、ヴェンデッタ」


 そうして僕はヴェンデッタを外すべく呪文を唱える。随分と意味深長いみしんちょうな詩だなあとおもんばかりはするが、そんな思考をも即座に断つ速度で、雷撃の如き痛みが僕の身体を突き抜ける。嗚咽おえつとも悲鳴とも付かないうめき声を発しながら、僕はぜえぜえと肩で息をした。


「んあッ……糞ッ……痛い……もう嫌だこんなの……」

 誰も居ないのを良いことに愚痴を零した僕は、棘の刺さっていた箇所の血をぬぐう様に治癒薬を塗っていく。じゅうじゅうと煙を上げ、少しずつではあるが傷口が蠢くのを止めていく。




 シンシアの曰く、僕を纏うヴェンデッタは、こうして定期的に外しておかないと、使用者の理性を徐々に食い潰していくらしい。もちろん絶大な力と引き換えに血肉も削がれていくから、こうして人の魂のり込まれた薬を使う事で、辛うじて延命を図っているのが現状だそうだ。


「……何だか前より、クレーターの跡がおっきくなってる気がするなあ」

 ヴェンデッタの棘が刺さる事で、あちこちに出来た黒い傷跡を眺めながら、僕は疲れてごろりと寝転んだ。


「まあいっか……とりあえず、世界が平和になるまで保ってくれれば……」

 そもそも何の後ろ盾も無い僕が、奇跡的に勇者エイセスを超え、そして一国の王にまで上り詰める。――普通なら命を引き換えにしたって出来もしない偉業を、余命付きで成し遂げられているぶん全然マシではないか。なにせあのままでは、僕はエメリアたちの仇すら取れずに野垂のたれ死にしていた訳だから。


「ええと明日は……明日は何をすればいいんだっけ……」

 ぼんやりとした思考でこれからの日程に思いを馳せながら、僕の意識はゆっくりと闇に沈んでいった。――どうか皆が幸せであります様にと、ばくたる願いを後に残して。

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