八章05:令嬢は、弱き自分を許す事なく
「くっ……フン!!」
僕がその声を聞いたのは、ルドミラを家まで送った帰り道だった。
月影の下、もう誰もいない
「どうした、ユーティ?」
声をかける僕に気がついたのか、ユーティラが驚いた表情を向ける。
「陛下?!」
見ればユーティラは、包帯で手と剣を固定している。赤く染まっているのは、恐らくは彼女の血だろう。
「昼間はお恥ずかしい所をお見せしました……申し訳ございません」
下唇を噛みながら
「気にするな。エメリアは特別だ、
もちろんユーティラとて一介の騎士よりは遥かに秀でている。だがそれと
「ですが……あれでは面目が立ちません。エスベルカの剣たる私が、ただの訓練で
そう言った側から剣を振り始めるユーティラだったが、流石に居た堪れなくなった僕は提案した。
「――ユーティ……分かった。少し早いかも知れないが……私と共に鍛錬を行おう」
だがここでニヤリと笑ったユーティラは、薄紫のウェーブをなびかせ、したり顔で返した。
「……実はそう仰って頂けるのをお待ちしておりました。もういっそ
* *
五分後、僕とユーティラは最上階の武道場に居た。
おまけ、という訳では無いが、寝たままのアンジェも付いてだ。
どうやらユーティラは、自分より数段格上のアンジェリカを相手に特訓を続けていたらしい。手加減という言葉を知る父レオハルトと違い、子供ならではの無邪気さで全力を振るうアンジェリカをパートナーに選ぶとは、些かに無謀とも言えた。
「――そうなんですけれど、他にアンジェちゃんの面倒を見れる方が居ないのですわ。シンシアさんもお忙しそうですし」
ふうとため息をついて、ユーティラは
「それはつまり、ユーティに母性があるって事さ。だってアンジェは、自分より弱い人間の言う事は聞かないんだから」
事実ベルカ最強のレオハルトと肩を並べるアンジェを、誰も彼も持て余している。エメリアの台頭でバランスが崩れたとは言え、ベルカでアンジェを超える勢力は、僕とエメリア、それに辛うじてケイぐらいしか居ない。
「……とは言え
――全然これっぽっちも、嬉しくですわと付け加え、ユーティラは剣を抜いた。父の持つ大剣とは異なる細身のそれは、レイデルバラッシュと呼ばれるサーベルの一種だ。
「はは。僕もユーティの元には、ママー! って甘えて帰りたいんだけどなあ」
最早皇帝の仮面を脱ぎ捨てた僕は、素に戻って答える。
「……も、もう陛下も私を馬鹿にして!! 陛下の事ならば
まったくそんなユーティが、僕はつくづくベルリオーズだなあと内心で笑う。
「分かったよ。ケイもエメリアも、そう言って弱くある事を
つかつかと歩み寄る僕に「――はい。覚悟は出来ております」とユーティラが答える。
「あ、あの……訓練では無いのですの?」
しかし
「これが
過去の古傷を抉りだされたユーティラは、それではっとした様に頬を赤らめた。
「じゃ、行くよ」
僕はケイやエメリアにしたのと同じく、両手に魔力を込めユーティラに送る。
「ひゃっ……な、何ですの……これ?!」
ガクガクと足を震わせたユーティラは、目を
「ああんっ……私が陛下を抱きしめなくてはならないですのに……こんな、ひゃっ……こんなんじゃ……!」
びくびくと痙攣したユーティラは、肩でぜえぜえと息を吐きながら言う。
「――こ、これが力の正体でしたのね……身体が
へたり込んだユーティラは、ちょうど僕の股間の位置で顔をすり寄せながら喘いでいる。これじゃあまったく、誤解もへったくれもあったもんじゃない。
「まあ今日はこんな所だな……あとは……」
しかし僕はそこまで口を開きかけて気づいた。揺りかごで寝ているアンジェリカが、目を見開いてこちらを凝視していた事に。
「パパ……ママ、なに、してるの?」
「すごい質量の、魔力を感じた……パパの……色……ママの……中に」
興味深げにユーティラに近づき、そのお腹をさするアンジェの姿と言動は、なんと言うか、勘違いを一層に加速させる様な光景だった。――無論、本人にその意図はないにしてもだ。
「ああ……おはよう、アンジェ。今ママに魔力を送った。これからちょっとずつ強くなっていく筈だ」
アンジェリカにとって本来の「ママ」とは、遠いナヴィクのゾディアックな訳だが、ベルカに移ってからはユーティラが現地ママだ。本来は力の強い者しか母親と認めないホムンクルスの、これはかなりの例外と言えた。
「ううパパ……今日こわいお姉ちゃんに負けた。なにアレ。アイツ」
アンジェリカはエメリアの事を畏れと、それから怒りを湛えた表情で僕に話す。青色のショートカットの、頭頂にぴょこんと出た
「エメリアだな……流石に今日はちょっとやり過ぎだな。言っておいたから安心しろ」
僕は腰を落とし、そしてアンジェリカと同じ視線に立って喋る。
「うん……パパ」
だけれど昼間の事を思い出したのか、今にも泣き出しそうなアンジェリカを見た僕は、仕方なく満面の笑みを浮かべた。
「ほうら、アンジェ、たかいたかーいだ。こわくないぞー」
そこでやっとキャッキャと笑う、人間にしてみれば赤子の幼女。もし僕が居なければ、こんな
「陛下は……子供をあやすのもお上手ですわ」
絶頂の余韻を残しながらも、アンジェリカの前で体裁を整えたユーティラ。スカートを手で払い、咳き込む様に告げる。
「大丈夫かユーティ。とりあえず今日は安静にして安め。ほら」
僕はシンシアから貰った治療薬をユーティラに手渡し「手の傷にはそれを塗れ」と付け加える。
「ありがとうございます……陛下」
「――これはお薬ですわ、アンジェ。あとで分けて差し上げますから、ね」
やっぱりアンジェリカと同じ目線にまで屈んだユーティは、
「うん……ママと一緒……うれしい」
こくこくと頷くアンジェリカを横目に「でも何だか、陛下がパパで、
(いや、それを言わないでくれ……こっちも恥ずかしくなる……)
喉まで出掛かった言葉を押し戻し「光栄だよ僕は。きっとユーティが奥さんになったら、幸せな家庭になるだろうなあ」と返した。
「も、もう陛下ったら……ご冗談が過ぎますわ……! そうやっていつもいつも
わざとらしく頬を膨らませて見せたユーティラは「それでは陛下、夜も更けてまいりましたので、アンジェちゃんと一緒にお布団へ参ります」と微笑んだ。
「パパ……おやすみ……アンジェも、ママと一緒に……寝るね」
ユーティラがゆっくりとお辞儀をし、アンジェリカが眠たげに手を振る。そうして二人が出ていった後でどっと疲れが
「――ケイ、サラ、居るんだろ。覗いてないで出てこい」と。
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