三章04:奴隷は、かつて勇者だった者

 ――フィオナの研究所は、城の裏庭にあった。


 もちろん新規に設えたものでは無く、元々あった魔導研究所をそのまま接収したに過ぎない。と言うのも回復系を除く全ての魔法体系が僕の脳裏に網羅されている以上、敢えて旧来の施設を維持する必要が無かったからだ。




 やがて僕とケイが研究所に近づくと、フィオナが小さい身体でとてとてと走り回り、自分にとって最良の環境を作るべく奔走している姿が見て取れた。


 恐らくは彼女にとって不要なものを運び出しているのだろう。用途も分からない書物や機材が、屋外にうず高く山積みとなっている。


 接収の厳命が即位の翌日、つまりはフィオナが新所長となってまだ二日で、彼女が多忙を極めるのも無理はなかった。


「大丈夫か? フィオ」

 近づく僕にはっとした表情を向けるフィオナは、寸時に破顔すると手を振って応える。


「あっお兄ちゃ……じゃない……陛下!」

 ケイと同様、フィオナも慌てて訂正し敬礼でごまかす。藍色の髪は埃と煤を被っていて、丸メガネを覆う一面の粉塵は、どうやら彼女が目では無く耳によって僕の存在を察知したであろう事実を物語る。




「酷いな……やっぱり助手が要るんじゃないか?」

 フィオの頭にへばりついた蜘蛛の巣を取り除く僕に、フィオナは「ダメダメ。アタシの思考を理解出来る人じゃないと、却って手間が増えちゃうもん。お兄ちゃんが手伝ってくれるんならいいけど」と、眼鏡のグラスを拭きながら返した。


 フィオナの研究所アナトリアは、彼女の望みもあって研究員は一人しか居ない。――つまりはフィオナ本人だ。魔法銃クアトラビナの発明すら独力でこなした彼女にとって、研究とは孤独こそが友といった趣が強く……その為に今回の体制と相成った。


 フィオナの曰くでは「アタシの眼鏡に適う子がいれば」との事だったが、とどのつまりは放っておいてくれという事らしい。


「分かった分かった。少し手伝おう」

 そう言いながら敷居を跨ぐ僕の背後で「わわっ、ケイちゃん!」とフィオナが頓狂な声を上げた。


 何事かと僕が振り向くと、視界を回復したフィオナは、眼前に立つメイド服姿のケイに驚いた様で、わなわなと手を震わせながら「か、可愛いー」とにじり寄って行く。




「な……フィ、フィオちゃん……」

 思わず後ずさりするケイを横目に、こちらを向いたフィオナは「お兄ちゃんなんでー? ケイちゃんばっかりずるいー」と怨嗟の眼差しで語りかける。


「ボ、ボクはほら……センパイの護衛役だから……」

 あせあせと弁明するケイに、僕も「フィオ、お前がメイド服を着たって構わないが、そうしたら魔法使いの格好コスプレは出来ないからな」と援護射撃を撃ち込んだ。


「あ……そ、それは……困る」

 相変わらず薄っぺらい胸にぴっしりと張り付いたローブに眼を落とし、フィオナは寂しそうに項垂れる。

 

 理由は全く分からないが、カナヅチのフィオナが魔法使いの格好をし続ける事には、彼女なりの重大な意味合いがあるらしい。


「ほら、お兄ちゃんだって忙しいんだから、さっさと片付けを始めるぞ」

 僕に急かされたフィオナは「うん! うん! 待って」と、やはりとてとてと室内に駆けてきた。




「悪いなケイ。シンシアの所に行って、荷物をいくつか貰ってきてくれ」

 フィオナの手伝いを暫くする事にした僕は、外で立ったままのケイに用事をことづけた。内容は明かさないが、中身は例の治療薬だ。


 帝都の設備で調合された薬なら、現状で二、三日に一度の問診で済むだろうとはシンシア本人の弁で、これで毎日の情事紛いから解放されると思うと、寂しい様なほっとした様な、まぁ複雑な気分ではあった。


「分かった! すぐに戻ってくるね!」

 手を上げて元気良く返事したケイは、そのままシンシアの居る孤児院に向け駆けて行く。


「はぁ。フィオもケイも、公の場の対応の切り替えが全然駄目だなぁ」

 独り言つ僕の言葉も馬耳東風ばじとうふうと「それじゃ、始めるよお兄ちゃん」そうフィオナは丸メガネをくいとさせ、雑用係の僕を見て微笑んだ。




*          *




 アナトリアと改称された研究所は地上三階、地下三階の縦に長い建造物で、傍目には只の民家にしか見えない。一階は応接間、二階は一般職員、そして三階は所長の――、つまりは生活空間に割り当てられていて、本丸の研究設備はと言うと広大な地階にその全てが存在する。


「んんお兄ちゃん。じゃあそこのバッグ持って付いてきて」

 四人掛けの木製テーブルが置かれた応接間を横切って突き当りの部屋のドアを開けると、地下に続く石造りの階段が見える。先導するフィオナを追い、僕も石段を降りた。


「随分デカいバッグだな」

 医療用の器具が詰まっているのだろうか、ガチャガチャと音がする肩がけのバッグは、フィオナが持つには些か重すぎる様に思えた。


「ああうん。リンクス39の調教に使おうと思って。張り切ったら結構重くなっちゃった」

 顔も向けずに答えたフィオナは、一階と二階を素通りすると、三階の最奥、鉄格子が外界とを阻む、実験動物モルモット用の檻の前で立ち止まった。


「ありがとねお兄ちゃん! アタシのわがまま聞いてくれて」

 ここでやっと振り返ったフィオナは「この奥に39番が居るの。ああ、ユークトバニアの事ね。アイツはもう名前では呼んでやんないから」と、表情とは裏腹にドスの効いた声で言った。




 ギイと開いた扉の向こうには、拷問用の椅子に固定された、一糸纏わないユークトバニアの姿があった。四肢は後ろ手に縛り上げられ、顔には目隠しとボールギャグ。股間に取り付いたチューブ状の何かは、伸びたまま部屋の端のタンクに直結していた。彼の長く青い髪と白い肌も相まって、それは些かに艶かしさすら感じる。


「今はね、39から魔力の抽出作業を行ってるの。やっぱり男っておちんちんなんだね。あのチューブから取り込まれたエネルギーが、奥のタンクに貯まってく、って仕組み」


 ――ああ大丈夫、いろいろ汚いのは濾過されるから。そうけらけらと笑い、フィオナはユークトバニアに近づいていく。




「そうだお兄ちゃん。バッグはもう置いていいよ。器具はアタシが出すから」

 僕は言われた通りにバッグをフィオナの足元に置くと、彼女はボタンを外し、中から注射器の束を取り出した。


「おはようリンクス39。本当はもうお昼だけどね。――今日もお注射の時間だよー。とってもとっても痛いけど、泣いても叫んでも誰も来ないからねー」

 

 それは僕の知らないフィオナの口調だった。一瞬ガクガクと震えだしたユークトバニアの腫れ上がった乳首に、彼女は勢い良く針先を突き刺す。


「――!!!」

 ボールギャグの隙間から涎を垂らし呻くユークトバニアに、続けざまにフィオナは注射器の針を充てがっていく。もう片方の乳首、それから腕に首。かれこれ十本程を打ち終えた所で、フィオナは僕のほうを見て笑った。


「これで勇者エイセスの中に蓄えられている、魔力の壁が壊れるの。そうすれば後はダダ漏れって寸法。へへへ」

 

 とてとてと注射器の束をバッグに仕舞いながら「んで分かった事があるんだよ、お兄ちゃん」とフィオナは続ける。


勇者エイセスの力は、一日のあるタイミングで何処かからチャージされる。多分それが四元素クアトルだと思うけど。――だからアタシたちは、その魔力が充填された後で奪い取っちゃえばいいんだってね」


 さっきから独り言の様に僕に語りかけるフィオナに、そろそろと僕も返事を返す。

「って事は、勇者エイセスの力の軍事転用も、そう遠くない話って訳か」


 頷く僕に「うんそゆこと。まぁ任せてよお兄ちゃん。今月中には意地でも何とかするから」と、張る程の胸も無い義妹は、自身たっぷりに胸を張ってみせた。




「――さて、あとは一時間放置したら次の工程だね。いったん上まで戻ろうか」


 そう言って僕に顔を近づけたフィオナは「ねえお兄ちゃん、アタシね、半年間ずっとああいう事されて来たんだよ……へへへ」と、甲冑を指でなぞる。


「お兄ちゃんになら、されてもいいんだけどなぁアタシ……ううん、お兄ちゃんじゃなきゃ絶対にヤ」

 

「どうしたんだフィオ……」

 一瞬戸惑った僕に「なんてね、冗談お兄ちゃん。戻ろう戻ろう、ケイちゃんもそろそろ来てるでしょ」と笑い直し、やはりとてとてと部屋を出て行った。


 もしかするとケイの様に、僕はフィオナに対しても男として接せねばならない日が来るのだろうか。幾分よぎった不安を拭い払い、僕はフィオナの後を追った。

 



*          *




「――僕も皇帝じゃなけりゃあ毎日手伝いに来れるんだがなあ」

 話題を変える様に階段で呟く僕に、フィオナは背を向けたまま答える。


「はぁ。アタシもお兄ちゃんと二人でひっそりと暮らしたいよ」

 フィオナはここ数日ろくに寝ていないのか、埃を払ってもなおボサボサの頭を掻いた。


「――そうだな、魔王を倒して世界が平和になったら、な」

 本当はその頃に僕が生きている保証は無かったが、適当に相槌を返す。


「そうだね……平和になったら……ね」

 フィオナが寂しそうに頷く頃、上階に向かう光が見え、遠くから「センパーイ、フィオちゃーん」と呼ぶケイの声がした。




 応接間まで出ると、キョロキョロと辺りを見回すケイが、心細げに僕たちの名を呼び続けている。


「こっちだよーケイちゃん!」

 手を振りながらドアを開けたフィオナは「はい、お兄ちゃん返すね」と横に飛び退き、後から来た僕の背中をぐいと押した。


「おっ、センパイ! はい、荷物!」

 シンシアから受け取ったであろう麻袋を僕に渡し、ほっとした様にケイは笑った。


「ありがとう。迷わなかったか?」

 シンシアの孤児院、もとい数日前まで教会だったその場所は、城の隣、ここから歩いて五分程度の所にある。名はリベラシオン。地母神グレースメリアを祀る帝都では最も大きい聖堂だ。


「だいじょぶだいじょぶ。ねえねえフィオちゃん、ボクも何か手伝う事ない?」

 フィオナのほうを向き、メイド服のスカートをひらひらとさせながらケイは言う。


「んーそれじゃお兄ちゃん。ケイちゃん少し借りてもいい?」

 僕に視線を送るフィオナは、遠慮がちにそう聞いてきた。


「ん? いいぞ。だけどお前、助手は要らないんじゃなかったけ?」

「んん、ちょっとやって欲しいこと思いついた。駄目?」


 困った様な表情のフィオナに「ん、分かった。ケイも大丈夫だよな?」と僕が答えると「ん、オッケー。任せてセンパイ」とケイが頷く。


 


 フィオナとは半刻も一緒には居なかったが、この物量を見るにつけ、どう足掻いても力仕事の担い手は必須だろう。ケイの同意に僕はほっと胸を撫で下ろす。


「じゃあケイ、僕は僕で用事を済ませておくから、お前も夜までには帰って来いよ」


「うんセンパイ!」

「じゃーねーお兄ちゃん。アタシも夜に行きたいよー」


 二人の声を背に手を振って、僕は麻袋を抱えたまま研究所を後にした。

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