三章05:落涙は、人知れず地下の底で

 ケイたちと別れ一人になった僕は、薬の入った麻袋を抱えながら地下水道を歩いていた。


 なにせ仰々しい甲冑を纏った皇帝の身だ。人気ひとけの無い場所を選ばなければ、すぐに目立ち騒ぎになる。その点一部の者を除き、せいぜいが整備士ぐらいしか通行が許されない地下水道は、正に散策には打ってつけと言えた。


 この水道はベルカの城下を無尽に走ると同時に、要職者たちの邸宅を繋ぐ連絡路も兼ねる。フィオナの研究所アナトリアからさらに裏庭を進み、噴水のふちの入口から下った僕の居る地点は、丁度シャムロック邸の近くだった。




 ――ルドミラ。家族の死を伝えられなお毅然きぜんとし、職務を果たした上で帰途についた気丈な少女。だが却って出来過ぎた精神の強靭きょうじんは、僕の目には不安に映る。


 常に張り詰めた弦の様な心、本心を隠した日常の仮面。

 彼女は確かに優秀だが、このまま全てを預けていれば、いずれやがて壊れてしまう様にも思う。


 そんなルドミラの身を案じながら歩を進める僕の耳に、気のせいだろうか、啜り泣く少女の声が、微かに聞こえた。 


 位置にしてシャムロック邸に向かう階段の隣、恐らくは同宅の物置であろう地下の一室。




*          *




「ルド……ミラ?」

 だが咄嗟にドアを開けた僕の目の前に居たのは、跪いて泣くルドミラの姿だった。


「へ……陛下?」

 驚いた様に振り向いたルドミラは辺りを見回すと「な、なぜここに?」と取り乱しながらも立ち上がる。


「いや……アナトリアに寄ったついでに城内の散策をな……ルドミラこそ、どうして」

 

 目の前のルドミラはもう明らかに泣きはらした表情で、その手には今朝渡したシャムロックの、三枚葉のペンダントが握りしめられていた。


「わ……私はただ……」

 するとルドミラは吃ると黙り、次の言葉をどう繋ぐべきか思案している様に見える。そこで愚行に気がついた僕は、前言を直ぐに撤回した。


「いや……答えなくていい。聞いてすまなかった」

 そしてルドミラに歩み寄った僕は、黒いミリタリーワンピースに包まれた小さい身体を抱きしめた。


 理由など分かりきっている。自らの涙を他人に見せない為に。ルドミラは敢えてこの場所を選んだのだ。にも関わらず問いを発した自身の浅慮を、僕は呪いながら双腕に力を込めた。




「へ、陛下……」

 僕の胸の甲冑の黒に顔を埋め「申し訳ありません……」とルドミラは呟く。


「――わ、私はシャムロックの、トーシャの家の者。父の代役たるべく毅然としておらねばならないと言うのに……斯様かような醜態」


「気にしなくていい。お前はよくやってくれている。だからこんな我慢をするな」

 だが僕の腕の中で俯くルドミラは「ですが……」と申し訳無さそうに言葉を返す。


「皇帝の命令だルドミラ。ならば従え。私を困らせるな」

 それでやっと黙ったルドミラの頭を、僕は優しく撫でた。


「率直に言う。ベルカの者で私が最も信じているのはお前だ。泣きたければ泣け。ただし私の前でだ。女一人の涙ぐらい、拭けぬ程の器に見えるか、この私が」


 その場しのぎでらしい台詞を並べ立てた僕に、次の瞬間には堰を切ったように

ルドミラは泣き崩れた。「ごめんなさい……マティルダ、お姉ちゃんが……お姉ちゃんが代わりになれなくて……」と、ぐしゃぐしゃになって嗚咽を漏らしながら。


 僕はただルドミラの背中を擦りながら彼女の告解に耳を傾けていた。




*          *




 ルドミラの曰く、三姉妹を持つシャムロック家は、長女と妹が聖騎士に、ルドミラ一人だけが父の後を継ぎ文官の道を志したのだと言う。


 幽閉される姫の護衛として帝都を空けた姉に対し、残った妹のマティルダ。――勇者の歯牙にかかるその時ですら、やはりルドミラの様に気高く振る舞った彼女は、自ら進んで魔王討伐の列に加わった。


「私には剣を振るう才はありませんから。……つい思いだけが空回りしてしまって……お恥ずかしい」


 この期に及んでなお僕に詫びたルドミラは、しかし肩の荷は下りたと言った風に自らの手で涙を拭った。




「――お見苦しい所をお見せしました。私はもう大丈夫です、陛下」

 身体を離しもう一度立ち上がったルドミラは、もういつも通りの冷静さを取り戻していた。


「妹の死は悲劇でした。――ですが私は、マティルダの死を看取ってくれたのが陛下で、本当に良かったと思っています」

 

 それは僕が初めて見るルドミラの笑顔だった。褐色の肌ではにかんだ彼女は、笑おうと思えば歳相応の屈託ない笑みをこぼせるのだ。




「こちらこそだ。そして君に素顔を隠していた事を詫びよう。信頼の証と思って欲しい」


 僕も僕で兜を外すと、ルドミラの前に素顔を晒した。


「妹君の死を看取った男の顔だ。こんなものがエスベルカの新皇帝、レイヴリーヒの素の顔だ」


「え……」

 目を見開いて硬直したルドミラの頬が、些かに紅潮する。


「はは……そんなに年を食ってる訳じゃないんだ。昔は髪の毛も黒かったんだけど……今は真っ白。ルドミラと同じだな」


「わ、私のこれは地毛ですから」

 恥ずかしそうに視線を逸らすルドミラは「その……こういったお顔とは思っておりませんでしたから」と小さく呟く。


「まあね。本当は皇帝って柄じゃあ無いのは自覚してるんだけどさ。威厳を出す為に仕方なくあんな喋り方をしてたんだ。ごめんな、ルドミラ」


「い……いえ、私は陛下がどんな風貌であってもお仕えしますから。そういう作戦には乗りませんから」


 何の作戦かは知らないが、途端に警戒したらしいルドミラは、少し怒った様子の上目遣いで僕を見ていた。


「作戦ってなんだ……とにかくルドミラ。僕には君が必要だ。これからも僕の側に咲きそよいでくれ、皇帝の為の一輪の黒薔薇として、頼む」


 口調すらも変わって手を伸ばす僕に「本当に……そうやって誰も彼も口説くのでしょう」と毒づきながら、ルドミラもまた握り返す。




「私はルドミラ・トーシャ・シャムロック。エスベルカの盾を司る者です。この生命いのちが続く限り、身命しんみょうを賭し陛下の銃後をお守りします。手折たおるも愛でるも、どうか陛下の一存でなさって下さい」


 冷然と、強い口調で言い放ったルドミラを、僕はもう一度抱きしめた。


「だ……だから……そういう事をしても無駄です。私には」

 じたばたとするルドミラをそのままお姫様だっこの姿勢で抱え「いや、送るよ」と僕は部屋を出る。


「きゃっ……こんな所を誰かに見られたら……」

「いいじゃないか。その時は伴侶だとでも紹介しよう」


「ああもう……ふしだらです、陛下は!」

 ずっと顔を真っ赤にしたままのルドミラと僕の声だけを残し、他に誰もいない地下水道から、最後の人影が姿を消した。

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