二章12:愛娘は、涙を捨て顔を上げ

 エメリアを部屋に送り届けた後、さっきから続く頭痛を引きずった僕は、夜風に当たるため上階の司令部まで歩を進めた。

 

 もう誰も居ないと思っていた塔内ではあったが、コキュートスの満月を見つめる一人の少女の背中が、階段を上がってすぐ目に入った。


 ――ユーティラ・E・ベルリオーズ。

 将軍たちドゥーチェスが一人、レオハルト・E・ベルリオーズの愛娘にして副官たる騎士。


 薄紫のウェーブがかったボブカットは、月明かりに映え美しく輝いていた。

 しかし気のせいか、同時に白い柔肌を伝う水滴の煌めきも、僕の目には確かに映った。




「ユーティ」

 俄に闇を裂いた僕の声に、びくりと肩を震わせたユーティラがこ

ちらを見る。


「へ、陛下……」

 恐らくは泣いていたのだろう、瞳の涙を慌てて拭うと、ごまかす様にユーティラはおどけて見せた。


「ど、どうなさったのですか? 斯様な夜更けに?」

「会議が終わったのでね。夜風に当たりに来たんだ……ユーティこそ、どうして?」


 僕にそう返されたユーティラは一瞬たじろぐと「い、いえ……わたくしはただ月を……月を見ていただけですわ」と、視線を逸しながら言った。


「……そうか。では私も月を見るとしよう。隣はいいな?」

 答えも待たずにずかずかと歩いて行った僕は、ユーティラの隣に立つと夜空を見上げた。


 鉄柵で幾つにも断ち切られた巨大な満月が、視界を覆う様にアルバの空に照っている。


「へ、陛下……」

 言葉を続けられないユーティラに代わり「月の光に照らされて、見えたんだ君の涙が」と僕が続ける。


「え……」

 次には言葉すら失ったユーティラが、泣きはらした赤の残る金の瞳で僕を見上げた。




「聞かせて欲しい。ユーティは――、お父上のご判断をどう思っているんだい?」」


 目を伏せたユーティラは「どう……とは、陛下……」一瞬どもったが、一呼吸すると意を決した様に口を開いた。


「……娘としては、嬉しいですわ。ですが騎士としては恥です。――わたくしよりも幼かったのですよ……トーシャの娘は」


 途中で目を合わせる事すら出来なくなったユーティラは、俯いて呟く。心なしか、声は咽んでいる様にも思う。




「マティルダ・トーシャ・シャムロック。聖騎士になったばかりのわたくしの竹馬の友」

 嗚咽を堪えながらユーティラは、当時の事を話し始めた。


「知らなかったのです……わたくしは。勇者が皇位を継いだ事も、ましてや彼女が辱めを受けていた事も」

 

 騎士団を率い辺境の警備に当たっていたユーティラが、務めを終え帰途についた時には、既に帝国の盟主はディジョンに成り変わった後で、マティルダの姿もそこには無かった。


 ユーティラが事の真相、即ち父の配慮を知るのはそれから直ぐ。親心を思えば嘆き怒る事も出来ず、かといって親友の家に顔向けも出来ず、身を投げ出す様に前線のアルバへ、父に付いて来たのだと言う。


「――本当は自分を苛んでいたのはわたくしなのです。陛下」

 もうぐじゅぐじゅになった鼻声で笑うユーティラの肩を、僕は優しく抱きしめた。


「分かっていたさ……昼間、君がお父上に向ける視線は悲しみに満ちていた。だのに君はずっと笑顔で、敢えて元気を装って見せていた」


「お恥ずかしい……お見通しだったのですね」

 ほっとしたのか、或いは涙を流し終えたのか、くしゃくしゃの表情に笑顔を取り戻したユーティラが、僕の胸に顔をあてて目を瞑る。


「――ああ、本当にお父様みたい、陛下」

「やめてくれ。これでもまだ若いんだ」

 

 返す僕にくすくすとまた笑うユーティラは「存じておりますわ。でも似ていますの、お父様と、陛下は」そう続け、有無を言わさず、胸に当てた両手を背に回した。


「ご安心下さい陛下。わたくしはユーティラ・E・ベルリオーズ。最早戻りえぬ死者に涙を流すくらいなら、前に進む為に剣を振るうエスベルカの騎士ですわ」


 飽くまでも強がってみせるユーティラの姿を、僕は僕の知る強情な女性たちと重ねていた。


「――まったく、君もそっくりだよ。私が知る大切な女性ひとたちと」

 そして寸時に頬を染めたユーティラは「……た、大切な人と!?」と頓狂な声を出すとさらに顔を埋めてしまう。こんな風に馬鹿に初心うぶな所も、かつてのエメリアたちとそっくりだった。


「こ、こんな時に誂わないで下さい……陛下」

「先に誂ったのは君だろう、ユーティ」


「仮面をつけている時の陛下は……その、意地が悪いですわ」

 遂にぷいと膨れて胸から顔を離したユーティラは、また窓際に向かうと、今度は涙を振り切った笑顔で振り返って言った。




「ユーティラ・E・ベルリオーズ。今宵からわたくしが陛下をお守りする剣となりますわ。明日も、そしてこれからも、ずっと一生。――ですからお使い下さい。愚父レオハルトと共に、我がベルリオーズの双剣を」


 ――守る、か。

 僕はほんの半刻前に幼なじみから聞いた言葉を頭の奥で反芻していた。


 心なしか、頭痛の度合いが酷くなっている様にも思う。

 美しいユーティラの破顔が、ぼやけて消える感覚に僕は襲われた。

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