二章11:魔力は、幼馴染の中に宿り
「お疲れ様ララト、今日は一杯食べて、一杯休もう」
労うエメリアに、僕は「ああ」と返した。
あれから半刻。ユーティラが五人分の食事をカートに乗せ運んできてくれて、僕たちは夕食を摂っている最中だった。既に日は暮れ、辺りは薄暗い。
ここは砦に三つある塔のうちの、中央の一つ。
普段は会議室として用いられる、眺望の良い四階が今は客間に割り当てられていて、鉄柵の付いた窓からはコキュートスの丸い月が見える。
亡国のメザノッテの、その最南に位置するこの砦は「アルバ」――即ち「夜明け」の名で呼ばれていたが、人の世の終わりが「
「んんセンパイ、結構おいしいねここのご飯」
我先にがっついて食べるケイは、ごはん粒を口の周りにつけながら僕に言った。砦の裏手にある畑から食物を調達するアルバは、存外に食事が旨い。
「これ大豆のパティだよ、お兄ちゃん。もぐもぐ、うまー」
フィオナは、久しぶりにありつく柔い肉の感触に舌鼓を打ち、満面の笑みでそれを口に運んだ。
皿の上には大豆で作ったハンバーグと、ひよこ豆のトマト煮、野菜のサラダが盛りつけられ、それとは別にライスとスープがついている。
美容と健康に配慮されたメニューを称えるエメリアに、噛みごたえの無い畑の肉に愚痴をこぼすケイ。果てにサラダの野草の種類をずばりと当てていくシンシアと――、同じ料理一つとは言え、各員の示す反応は実に様々で面白い。
兵站の確保こそ士気の維持の要とは言うが、清掃の行き届いた砦内も見るにつけ、レオハルトが腕力だけで慕われる武人で無い事は瞭然だった。最初に助力を得られたのが彼で本当に良かったと、僕は幸運に内心で感謝する。
* *
「お口に合いましたか? アルバのお食事は」
さらに半刻もすると、僕たちが座った円卓の食事は綺麗に平らげられていて、片付けに来たユーティラに、銘々が感謝の言葉を告げる。
それはそうだ。
これだけまともな料理を口にしたのはいつぶりだったか。少なくともコキュートスに足を踏み入れてからは、味わうにたる食事を摂った記憶は無かった。
「おいしかったですユーティラさん! お豆のハンバーグって何だかお洒落で……良かったら今度教えて下さい」
料理が不得手であるエメリアの意欲と勤勉は、しかしいつだって悲劇によって幕を閉じていた。ひき肉のハンバーグですら、握った瞬間に黒い塊に変容させる彼女に、それ以上の何かを作る事はどう考えたって不可能なのだ。
「有難うございますエメリアさん。ぜひ帝都に戻りましたら。父仕込の荒っぽい男料理になっちゃいますけど」
謙遜がちに笑うユーティラは、メニューの考案は自分がしているのだとここで明かした。どうやらレオハルトが彼女を側に置いているのは、決して愛娘という理由だけでは無いらしい。
兵站の一端を司り、それでいて戦力足る得るというのは、既に充分に副官としての役割を果たしていると言っていいだろう。
「それから
胸に手を当てて笑うユーティラを「よっろしくね、ユーティ!」と、我先に呼ぶケイにフィオナたちも続く。
「宜しく、ユーティ。今日は美味しかったよ。明日からも頼む」
最後にそう告げた僕から一瞬目を逸らすと、ユーティラは照れた様に微笑んで笑った「はい――陛下」と。
* *
それからユーティラたちが去った客間には、僕とエメリアだけが残された。辺はとっくに闇に沈んでいる。
デザートの存在を仄めかすユーティラに、目を輝かせたケイとフィオナが付いて行き、目配せする様に頷いたシンシアが三人の後を追ったのが数分前。勿論そうする様に託けたのは僕だが、それには或る理由があった。
勇者の力、すなわち
帝都に侵攻し、皇帝となった僕自身が忙殺される前に試しておきたいと、その為にシンシアにも無理を言い、治療を明朝にまで延ばしてもらったのだ。
「な、なにかなララト、話って」
突然掴まれた袖に困惑したのか、長いブロンドを軽く掻き上げエメリアは言う。
苛立っている時の彼女は仰々しく、緊張や照れを隠す時は軽く――、髪を弄る動作一つに感情が出るエメリアは、それは僕にとって分かりやすい幼なじみの反応だった。
僕は無言のまま彼女の双肩に手を置くと「じっとしてて、エメリア」と魔力を込める。
「えっ、えっ。ちょっ――、ララト?」
松明の火の所為か、うっすらと赤く見える頬のエメリアが身を震わせる。
「んっ……ララト……なんか私……身体がっ」
だが気の所為では無く頬を紅潮させたエメリアは、がくんと膝を崩すと僕の胸に倒れかかってきた。
「おいエメリア……大丈夫か?」
ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返すエメリアは「熱いよ……身体が、ララト」と、火照った息を吐く。
やはり人体への直接的な魔力の注入は危険過ぎたろうか。それでもさしたる分量は与えていない筈なのだが……
「何か……した? こんな……んっ、こと……しなくたって、私……ララトのこと……」
僕は言の葉も途切れ途切れのエメリアの肩を起こし「――悪いエメリア、僕の魔力を送ったつもりだったんだが……やめようか」そう続けた。
「えっ? ……魔力?」
ぽかんと口を開けたエメリアは「な、なんだ……魔力か……あはは!」と俄に笑うと、自分の力で元の位置に戻って言った。
「ご……ごめん、勘違いしてた」
何を勘違いしていたのかまでは分からないが「あ、ほんとだ……なんかちょっと力が湧いてきたかも」とエメリアは誤魔化す様に手をにぎにぎしている。
「いきなりは不味かったよな……それじゃあ最初は剣からでいいか」
僕は呟きながらエメリアが腰に携えている細剣――スフィルナに手を当てると、火の魔力を注ぎ込み始めた。
――スフィルナ。
美しい流線を描く刀身はナヴィクでも屈指の一振りで、エメリアが
帯魔性に優れたミスリル製の刃にオリハルコンの粉末を加え、
それから分とせずにスフィルナの刀身は焼き付く焔を讃え始め、エメリアの表情には驚きが浮かぶ。
「す、すごい――。これがララトの魔力……詠唱だって何もしてないのに」
「詠唱なんて本当は要らないのさ。今日の禁呪だってそう。あれは演出みたいなものだから」
さらっと流す僕の言葉に「はぁ?」と頓狂な声でエメリアは応じた「うっそでしょララト」と。
「いやほら。勇者たちだって呪文は使ってなかっただろ。人前ではこれ見よがしにやってたけどさ」
「ああ、そういえば確かに。ララトは勇者より強くなっちゃったんだから、当然と言えば当然か」
人差し指を唇にあて、天井を見上げたエメリアは、納得した様に一人呟く。
物事は余り簡単にやり過ぎてしまうと、却って有り難みも無くなってしまうものだ。そのことを理解していたディジョンら
「じゃあララトは私に魔力を与える為に、あんな事してたんだね。……先に言ってくれないかな、そういうの」
今度は髪を大きく掻き上げながらエメリアは言った。どうやら少し機嫌を損ねたらしい。
「ごめんごめん。すっかり忘れてた」
ケイにはそれとなく強化の事を伝えていたから、うっかりエメリアにも言っていたものとばかり僕は思い込んでいた。
ただしその事を口にすればさらに怒りを買うであろう事は明白で、僕はただ謝ってその場をやり過ごそうと心に決めた。
「まぁでも、嬉しいけどさ。いつまでも足手纏い扱いされるより全然」
視線を逸らしたままのエメリアは、頬を膨らませながら謝辞を返す。――全く昔からこういう所は素直じゃない。
「エメリアには大役を任せたいからね。一ヶ月後の話にはなるけど」
「――大役?」
一転して嬉しそうにオウム返すエメリアの肩にもう一度手を置いて、そこで僕は兼ねてからの考えを告げた。
「一ヶ月後。お前には、エメリア」
今度も魔力を流されるのかと身構えるエメリアの身体を押さえ「ディジョンを――、倒して貰う」と僕は続ける。
「ディジョン、を――?」
またも意外な僕の一言に戸惑いを含ませたエメリアだったが、次の瞬間には口元に笑みを浮かべていた。
「ふふっ――そういう事だったんだね、ララト。いいよ。任せて」
エメリアは右手を僕の頬に添えて、今度は力強い口調で言い放った。
「エメリア・アウレリウス・ユリシーズ。我が誇りにかけてその任、全命を賭し完遂申し上げます。レイヴリーヒ皇帝陛下――なんてね」と。
それが伝説とならぬ様。神話とならぬよう。失望と蔑視と落胆の中で。
そして人々が
「なんたってララトを守るのはいつだってこの私、エメリア・アウレリウス・ユリシーズなんだから」
エメリアの部屋の前、はにかんで見せた彼女の笑顔が視界に揺れ、僕は頭痛に耐えながら笑って別れた。
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